5 カルビィン・ロス③
レジイナは入り口が大破し、綺麗なステンドグラスが更に目立った教会の入り口で足を止め、獣化を解いた。そして立ち上がって自身の銃を構え、ゆっくりと教会の中を進んで中を見渡した。
「あら、遅かったですわね。お仲間はもう既に瀕死の状態ですわよ」
教会の教壇の前には小麦肌をした黒髪を長く伸ばしたシスターの格好をした女がおり、腰に汚らしい布切れを巻かされたカルビィンの銀髪の髪を掴んで無理矢理に立たせていた。
「ぐっ……」
「カルビィンに触るな、このアマがっ!」
レジイナは汚らしい言葉を吐き、銃弾を女に向けて発泡した。
風を起してはカルビィンを巻き込むだろうと判断しての攻撃だった。風よりは威力は下がるものの、レジイナの出す銃弾は普通の銃で出す物よりスピードも威力も高い。
死ねええええっ!
より強く思いを込めて放った銃弾。真っ直ぐも女に向かっていたそれはカキーンッという耳を突くような高い音を放って床に落とされた。
「ザーリ様には手出しをさせない」
声がした方に目を向けると、そこには小麦肌をし、黒髪を肩まで伸ばした男が銃を手にしていた。
まさか、私の銃弾を銃弾で落とした……?
驚いて目を見張っていたレジイナはすぐにキッと男を睨んだ。
私と同等、もしくは私より武強化が強いってことか。
レジイナは自身の銃をギュッと強く握り、静まり返った教会内で男と暫くの間、睨み合った。パーンッという発泡音が外から聞こえて来たのが合図のようにお互い動き出す。
レジイナは足に力を込めてジグザグに走り、少しずつ男に近付いて行った。男はそんなレジイナを冷静に目で追いつつ、撃つタイミングを見極めながら教会内を真っ直ぐに走り、教壇に向かって行った。
カルビィンを盾にされる前に勝負をつけてやる!
レジイナは銃から風を出し、教会の椅子を破壊しながら渦に取り込み、男に向かって攻撃を繰り出した。
男はその攻撃を自身の銃から同じく風を出して抵抗し、相殺させた。
「チッ」
同じく風を使い、パアンッという破裂音を出したながら相殺された男の攻撃にレジイナは舌打ちをしてから、その衝撃で起こった煙に乗じて、カルビィンを拘束する女に向かって再び発砲した。
しかし、煙が晴れるとその銃弾の盾になるよう男が立っており、見せつけるようにレジイナが放った銃弾を握って阻止し、その手を開いてカーンッと鳴らしながら床に落とした。
「へへ、倍力化もありますってか……」
冷や汗がツーっと額に流れるのをスーツで軽く拭ってからレジイナは深呼吸をした。
ふむ、これは本気を出さなきゃ負けるな。
「おい、女。降参するか?」
「まさか? そろそろ本領発揮しようかなって考えてたところ」
レジイナはそう言ってから、「少しタンマね」と、言ってから銃をスーツの内ポケットに直してから手足と耳、そして鼻を狼に獣化した。
「……ほお。獣化も使えると」
「そう。獣化も、だよ」
ニヤッと笑ってからレジイナは右手を掲げて武操化で男の銃を使用不可にするよう能力を使用した。
レジイナのその行動に身構えたものの、実害がないのを不思議に思いつつ、男が銃を構えた瞬間、レジイナは足に力を込めて真っ直ぐに三人の元へ駆けた。
「馬鹿正直に突っ込むとはな!」
先程のカルビィンと同様に捨て身の攻撃かと思い、風を発砲しようとした男は違和感に気付いて動きをとめた。
ハッ! 武操化もあるのか!
「舐めた真似を!」
武強化を極めた男はすぐ様、レジイナの武操化の能力を解き、再びレジイナに向けて銃口を向けたがそれは既に遅かった。
「ガルルルッ!」
「ぐわあっ!」
レジイナは男の右手に噛み付き、引き千切ろうと首を振った。しかし、倍力化のある男の腕を引き千切ることは叶わず、深手を負わすことしか出来なかった。
「硬いな」
ボソッと呟いて腕から口を離したレジイナは男の後ろで怯えている女からカルビィンを奪って横抱きにし、足に力を込めて教会の入り口までふわりと弧を描くように飛んだ。
スタッと華麗に着地したレジイナは自身にお姫様抱っこされたカルビィンを見下ろすと、薄らであったがこちらを見上げている様子に安心した。
意識はあるみたいで良かった。
レジイナはここに長居は不用だと判断し、そのまま教会から出ようとした時、フワッと香る甘い匂いがした。
ヤバい、この匂いは魅惑化か……。
かつて魅惑化であるシャーロットに犯され、操作されてしまった時のことを思い出しながら、力が抜けてしまったレジイナはカルビィンを抱えたまま、膝を突いてその場に座り込むことしかできなかった。
「兄様になんてことを! この雌犬!」
「兄様……?」
主従関係ではなく兄妹だった二人に驚きつつ、レジイナは沸々と熱くなる体に朦朧しながら、なんとかカルビィンだけでも逃す方法はないかと考えた。
周りを見渡してみたが肝心な時にトゲトゲはおらず、外に目を向けるとウィルグルが必死に大人数の敵と戦闘している姿が目に入った。そして、カルビィンも頬が紅潮しており、レジイナ同様に魅惑化にかかってしまっている様子だった。
「ザーリ、落ち着け」
「落ち着いていられないですわ! ああ、兄様、兄様!」
女、ザーリは自身のシスターのスカートの裾を引き千切り、兄であるトーリの腕に巻いた。
「いい。それよりも療治化を呼べ」
「実は反応が無くて……。あちらの戦闘で死んでしまったかもしれません」
申し訳無さそうに言うザーリにトーリは舌打ちをし、怯える目をしたザーリに新たな命令を出した。
「あいつらを殺り合わせろ」
「なっ! あの男を囮に四大国に交渉するはずだったのでは?」
当初の予定とは違う指示を出す兄に困惑するザーリに、トーリは痛む腕を抱きながら説明をした。
「予定より強かった。こいつらを始末する方が得策だし、俺でこの様だ。お前にこいつら二人に直接手を下せるのか?」
魅惑化しか使えないのに偉そうにするなと言わんばかりのトーリの言葉にザーリは悔しそうに唇を噛んでから、両手をレジイナとカルビィンに向け、更にフェロモンを出して二人に指示を出した。
「殺し合いなさい」
レジイナはなけなしの残った理性でザーリの魅惑化の指示に抗い、落ちていた瓦礫の破片を二人に向かって投げた。
「ふんっ。キャッチボールのつもりか?」
その抵抗も虚しく、力の上手く入らないレジイナの投げた瓦礫の破片はいとも簡単にトーリに叩かれてしまった。
「ち、くしょ……」
レジイナは朦朧としながらザーリの「殺し合いなさい」という言葉が脳内で繰り返され、そうしなければと思う気持ちと、そうしたくない気持ちの狭間にいた。しかし前者が勝ち、レジイナは立ち上がって狼の鋭い爪をカルビィンに向けてしまっていた。
「か、カルビィン……」
「レジイナ……」
同じくしてザーリの魅惑化に侵されたカルビィンも敵に止血のみしか治してもらえずに、今だに痛む腹を押さえながらゆっくりと立ち上がった。
ザーリの命令によって立ち上がらされたカルビィンがフルフルと足を震わせながら力なく立ち上がる様子を見てレジイナは今にも涙が出そうになりながら、「ウォーン!」と、鳴き声を上げて脳内で繰り返されるザーリの指示をかき消そうとした。
「無駄よ」
そんな抵抗も虚しく、カルビィンとレジイナは殺し合いという名の戦闘をさせられた。
レジイナの繰り出した蹴りをまともに受けたカルビィンはそのまま後ろに倒れ、レジイナはそのままカルビィンに馬乗りになって頬を拳で殴ったり、爪で引っ掻いて攻撃を繰り返させられた。
「ひっ、ひくっ、や、やだ……」
心を全てザーリに捧げてしまうほどにフェロモンで酔わせてくれれば良いのに、ザーリはあえて二人に理性を少しだけ残してじっくりと殺し合うように戦闘させていた。
レジイナは「ザーリ様の命令だけど、大事な仲間であるカルビィンを傷付けさせてしまうなんて酷いことを何故させるの?」と、困惑しながら目の前で無抵抗に攻撃を受けるカルビィンを殴り続けることしかレジイナには出来なかった。
「レジイナ……」
暫くしてカルビィンは泣きじゃくるレジイナの名を呼んでから、自身を殴り続ける拳をぎゅっと自身の両手で包み、「痛いだろ? もうやめろ」と、レジイナの手を摩った。
「い、痛いのは、カルビィンでしょ……」
次にカルビィンは顔を歪めて泣くレジイナの頬をそっと優しく撫でからゆっくりと体を起し、次にレジイナを抱き寄せてからよしよしといいながらその背を摩った。
「ザーリ! 早く指示を出せ!」
「だ、出してるわ! 何で効かないのよ!?」
もともとフェロモンというものは鼻にある鋤鼻器という器官に受け止められ、脳にある視床下部に伝わって初めて効果が発揮される。
しかし人間、そして異能者にはその鋤鼻器という器官が退化して機能しておらず、人間同士が放つフェロモンは他者に伝わることはなかった。
だが、魅惑化が放つフェロモンは鋤鼻器ではなく直接、嗅覚器に伝わって視床下部に伝わらせられる特別な匂いを放つことが可能であり、フワッと甘い香りがしたと思った時には魅惑化のフェロモンに犯されるという仕組みだった。そしてその者は発情し、グレード3程の魅惑化になると自身に惚れさせて操作することが可能であった。
より強く二人に向けてフェロモンを出し、甘い香りを漂わすが、一向に言うことを聞かない二人の姿にザーリは焦り始めた。
そんなザーリとトーリの元に柑橘系とハーブが混じったような香りが漂ってきた。
まさか、私のフェロモンがこの香りに負けたってこと!?
そう気付いた時、ザーリとトーリの元にピンク色の花びらがまるで銃弾のようにすごいスピードで襲いかかってきた。
「いっ!」
頬にその花びらが掠り、血を垂らしたザーリは香りが強く放たれる方向に目をやった。
「おうおう。人が助けに来てやったと思ったら、いちゃついてるとはどういうことだ?」
教会の大破された入り口には右手にライフルを持ち、左手でピンク色の花、五輪のバーベナを持っているジャドがいた。
「ジャド……」
「へへ、遅えよ……」
ジャドの登場に困惑するレジイナと安堵するカルビィンを他所に、ザーリは自身のフェロモンも無害化したジャドの持つ花を指差した。
「あの花ですわ!」
「あれだな」
ザーリの言葉に自体を理解したトーリは左手で銃を持ち、ジャドに向かって発砲した。
「おい、感動の再会だっつーのが分かんねえのか?」
カキーンッと金属音が鳴り響き、ジャドはトーリに目を向けずにライフルから銃弾を出して、トーリの放った銃弾をいとも簡単に撃ち落とした。
「なっ……!」
レジイナの銃弾を落とした時、実はトーリはかなり集中して撃ち落としていた。
武強化を極めた奴か……。
トーリは痛む右手をブラブラと振りながら、ジャドに向かって走り出した。
「おい、トゲトゲ」
「へーへー」
ジャドは左手で持っていたバーベナをフワッと宙に放り投げた。するとトゲトゲはバーベナの七輪のうち既に二輪を使っており、残った五輪から二輪を使用して巨大化させ、ガバッと牙を生やした。
「ガハッガハッ! 喰っちまうぞー」
ニョキニョキと生えたバーベナ二輪は体を伸ばしてトーリとザーリを喰おうと向かって行った。
「くらえっ!」
そう言ってトーリは銃から風を出して花を切り刻んだ。
「おい、ギンパツ! ネズミやらゴキブリを呼べ!」
「お、おう!」
ジャドが持っていた花をトゲトゲだと呼んで操作していたことや、トゲトゲの声が自分にも聞こえるなどの状況が理解出来ずに、レジイナと向かい合いながら固まっていたカルビィンだったが、トゲトゲの指示通りに獣化の力を使って教会内にいるゴキブリやネズミを呼んだ。
「ひっ!」
ほぼ廃墟と化していた教会にいたゴキブリとネズミの大群にレジイナは恐怖し、目の前にいたカルビィンに思わず再び抱きついてしまった。
役得だな……。
こんな危機的な環境にいながらカルビィンはレジイナからの抱負を堪能しつつ、仲間に脳内で声をかけ続けていた。
そうして集まったネズミとゴキブリ達を一輪のバーベナをまた大きくしたトゲトゲはギザギザの歯が生えた口でカプッと含ませ、ザーリに向けて振り落とした。
そういうことか。
カルビィンはトゲトゲの意図を把握してゴキブリ達にザーリの口の中に入るように命じた。
「ぐぽっ、がはっ……!」
「ザーリ!」
こちらに向かって来ていたトーリは妹のザーリを助けようと引き返し、口の中に入ろうとするゴキブリを手で出して救出しようと試みていた。
「ご主人様」
バーベナの最後の一輪に化けていたトゲトゲはふわふわと飛び、レジイナの谷間に自身を刺した。
「最後はご主人様がシマツしろ」
「分かった。てか、私の胸の上に乗るなって何度も言ってるでしょっ!」
レジイナはカルビィンから離れて立ち上がり、脳内でイメージしたものをトゲトゲに伝えた。
「トゲトゲ、
「アイヨ!」
トゲトゲはバーベナの花びら一枚一枚を一メートル程の大きさにし、ヒラヒラと空中に飛ばした。
「よくも! よくもよくもっ!」
カルビィンの攻撃により、虫の息になったザーリに怒りを露にしたトーリはレジイナに向かって銃弾を乱発した。
レジイナはそんなトーリの攻撃をトゲトゲの放った花びらを足場にして上手く飛びながら避け、着実にトーリに近付いていった。
「これでお終いだっ!」
レジイナは狼の牙を鋭く生やし、トーリの首に噛み付いてギリギリと牙を深く刺していった。
「離せええええ!」
そう抵抗し、レジイナの頭に銃口を突き付けたトーリの銃をジャドは武操化で無効化させた。
「なっ、弾が……!」
ジャドの武操化によって再起動出来なかった銃を捨て、レジイナに殴りかかろうとしたトーリにジャドはレジイナに手を出させまいと、次にライフルでトーリの左腕を吹き飛ばした。
「ぐわあああっ!」
それがトーリの最後の叫び声だった。
ガチンッと教会内に歯がぶつかる音が響く程に綺麗に首と胴体を真っ二つに噛みちぎられたトーリはゴキブリとネズミによって窒息死させられたザーリに目をやってから意識を失い、そのまま死んでいった——。
「おい、立てるか?」
ジャドは敵二人が死んだ事に安堵してすぐ、今だに座るカルビィンに声をかけた。
「いや、無理だ……」
そう消えるような声で返した後、カルビィンは腹部を押さえながら床に倒れてしまった。
「おい! どうした、おい!」
ジャドはカルビィンの押さえた箇所から出血をしているのを目にし、これはすぐにでも止血しないとカルビィンが死んでしまうと判断した。
カルビィンがトーリによって十字架で開けられた傷は敵の療治化によって表面だけ治され、止血のみなされていた。しかし、レジイナとの戦闘により、その傷は少しずつ開いており、戦闘が終わった今は完璧に傷が開いてしまっていた。
「レジイナ! お前もこっちに来て手伝ってくれ!」
ジャドは敵の死体の前で座り込むレジイナに声をかけたが、レジイナからは返答が無く、フルフルと震えながら「ヴー、ヴー」と、唸りながら狼の耳、尻尾が徐々に大きく生えてきていた。
おいおい、まさか獣化を制御できてないのか!?
カルビィンの生死が危うくなり、自身も死にかけた戦闘に興奮状態になったレジイナは自身の中にいる獣に精神を乗っ取られかけていたのだった。
「あれはヤバいな……」
ボソッとカルビィンはそう呟き、ジャドが治療しているのを制するかのように手を軽く振り払ってから、震える体を鼓舞して立ち上がった。
「待て待て! ヤバいのはお前の方だろ!?」
「このままじゃ、レジイナは身も心も狼になっちまう……」
フラフラとおぼつかない足でレジイナに近付くカルビィンを支えるようにジャドは肩を貸し、片手を傷口に当てながら治療を続けた。
「レジイナ、分かるか?」
「ガルルルルッ……!」
カルビィンはレジイナの前に膝を付いて顔を見合わせた。唸りながら顔付きも険しくなり、牙が鋭く生え揃って鼻も狼に変化したレジイナの両頬をカルビィンはそっと手を添えて包んだ。
「いいか、ジッと俺を見ろ。ジッとだ」
「ヴ、ヴヴ……」
「そうだ、そう。そして俺の目に映る自分を見つめろ」
狼は最初、目の前に来た男に向かって警戒して唸っていたが、優しく包む手に敵意は感じられなかった為、抵抗することなく受け入ることにした。
最初は何を話しかけられていたのか理解出来ずにいたが、徐々に今の現状が分かってきた。
「レジイナ。戻ってこい、レジイナ」
レジイナ、レジイナ、レジイナ。
自分は狼だけど、私はもともとレジイナという者だった。
「いいか、自我を強く持て。お前はレジイナだ。レジイナ・セルッティ。タレンティポリスに所属する暗殺部の異能者。お前は異能者だ。狼じゃない」
「れ、れじな……」
「そうだ。レジイナ・セルッティ」
カルビィンのその呼びかけに狼の耳、尻尾、鼻、手足が徐々に引いていき、レジイナは元の姿に戻っていった。
「あれ、私なにして……」
意識を取り戻したレジイナは目をぱちぱちと瞬きさせた。
「はあ、良かった……」
そう安堵するカルビィンの顔が間近にあることにレジイナはイラッとし、「近い」と、軽くカルビィンの頬を叩いて自身から遠ざけた。
「おまっ、なにしてんだ! カルビィン大丈夫か!」
「ふえ?」
今まで戦闘していた記憶がすっかりと落ちていたレジイナは腹から血を流し、「俺を殺す気か、てめえ……」と、睨むカルビィンを見て、先程までの戦闘を思い出した。
「カルビィン! ごめんなさい、ごめんなさい! わ、私、記憶が無くて!」
「記憶が吹っ飛んでたのは分かったから助けてくれ……」
そう意識を失ったカルビィンにレジイナはあわあわと慌てながら目の前にいたジャドに目をやった。
「何やってんだ! てめえは表皮の再生と止血をしろ! 俺は中の臓器と組織を縫合する!」
「わ、わわわわかった!」
レジイナはまだ完璧には使いこなせない療治化を全力で使いながら、カルビィンの処置をジャドの指示に従いながら処置を行った。
——カルビィンは次に目を覚ました時、見慣れた薄汚い天井が見えたのに安堵してからゆっくりと上体を起こした。黒い革張りのソファの軋む音が地下にあるアジトの暗い室内に響く。その音に気付いた人物は奥の物置と化している部屋からガタガタと物音を立てながら忙しなく部屋のドアを開けた。
「カルビィン!」
「レジイナ……」
ドアが開かれるとそこには戦闘によってボロボロにほつれたスーツを着用し、擦り傷が目立つ顔をしたレジイナがいた。
「うわあああん! カルビィンー!」
「うげっ!」
突進するかのように抱きついてきたレジイナによってカルビィンは力なくそのままソファに再び倒された。
は、腹がっ……!
トーリに開けられた腹の傷の痛みに恐怖したカルビィンだったが、不思議なことに体に力が入らないだけで、どこにも痛いところがなかった。
「ひっ、ひっく、カルビィン、良かった、良かったよおー!」
涙をポロポロと流しながら自身の胸元に顔をグリグリと押しつけて泣くレジイナにカルビィンは力無く、「力強えよ、痛え……」と、背中をポンポンと叩いて訴えた。
「ご、ごめっ……」
ひっく、ひっくとしゃくりあげながらレジイナはカルビィンから体を起こしてから直接床に座り、鼻をズズッと啜った。
「てめえ、鼻水つけてないだろうな?」
びよーんと鼻水を伸ばすレジイナをカルビィンは軽く睨んだ。そんなカルビィンにレジイナは返事せずに無言でテーブルにあったティッシュでカルビィンの服を拭き始めた。
「たくよ……」
ありえねえよこいつ、と思いつつもここまで心配してくれるレジイナに嬉しい気持ちになりながらカルビィンはあの後どうなったのかレジイナに尋ねた。それに対してレジイナはチーンッと鼻をかんで涙を止めてから説明し始めた。
ウィルグルはレジイナと別れた後、大人数の集団を一人で戦闘していた。そして、後からジャドと合流し、なんとかその場を収めつつ、あと少しで殲滅できるところでジャドは教会に出向いてレジイナとカルビィンと合流。それからウィルグルは無事に敵を殲滅できたが、そのまま力尽きて気を失ってしまっていた。
無事にレジイナとジャドがカルビィンの治療を終えた頃、意識を取り戻したウィルグルは教会に向かって三人と合流し、トゲトゲトゲとパートナーの小人と協力して死体処理にあたっていた。
「でも、流石にあの人数を全て小人二人で喰うことは難しいから、あそこから一番近いチェング国に助けを申請中。それで、敵の生存者が数人いたんだけど……」
「けど?」
急に黙るレジイナに先を促すと、「ザーリに魅惑化で操作されてて、自分の意思ではないと皆、訴えてるの……」
そう言って顔を俯かせるレジイナにカルビィンは「気にしたら負けだ」と、返事した。
「で、でも! ザーリとトーリさえ殺しておけばよかっ……!」
「それ以上言うな」
カルビィンはレジイナの口に手を当て、それ以上話させないようにした。
「ご、ごめん……」
また目に涙を浮かべたレジイナにカルビィンはふう、と息を吐いてからジャドとウィルグルと合流しようと体を起こした。
「カルビィン、ダメだよ! 傷は治ったけど貧血がすごいから寝てて」
「ああ、だからフワフワするのか……」
頭に手を当て、ゆらゆらする視界に目が回ったカルビィンはそのままドサッと再びソファに倒れるように横になった。
「で、お前は?」
「私?」
レジイナは自身を指を差してカルビィンの質問に質問した。
「お前はなんでここにいるんだ?」
「そんなの、デカいカルビィンを運べるのなんて私ぐらいだし、カルビィンの看病の為に残ってんの」
服を着せてあげたの私なんだから感謝してよね、と胸を張って言うレジイナにカルビィンは今更ながら恥ずかしい気持ちになった。
ひと回り以上も下の女にお姫様抱っこされ、かつ子供のように服を着せてもらったというのか。
カルビィンは顔を腕で覆って、恥ずかしさから紅潮する自身の顔をレジイナに見られまいと隠した。
「いや、感謝しないといけないのは私だよね……」
先程までの威勢が嘘のように、レジイナは暗くなった顔を俯かせてそう言った。
「狼に飲み込まれそうになったのを助けてくれたんだよね……?」
レジイナはジャドから聞かされて事情を知っていたものの、その時の記憶がすっぽりと抜けていた。
「……ああ、まあな」
カルビィンはお互い様だと言ってレジイナに笑いかけた。カルビィンは自分こそ敵に捕まり、殺されかけていたところを三人に助けてもらったのだ。感謝してもしきれないほどの恩を感じていた。しかしだ、これはチャンスなのではないかとも考え直した。
そうだ、俺は本当はこいつのこと……。
「そうだなあ、何か礼が欲しいな」
ニヤッと笑いかけてくるカルビィンにレジイナはうっ、と言いながらポケットに手を突っ込んで小銭とお札を何枚か出した。
「ステーキ屋ぐらいなら……」
何か奢れと言われると思ったレジイナは自身の所持金をカルビィンに見せて、「そ、それ以上高級なのは無理……」と、懇願した。
「金なんてかからねえよ」
「きゃっ!」
カルビィンはソファの側で座るレジイナの腕を引いてソファの上に寝かせ、その上に組み敷いた。
「お前が欲しい」
チャリン、と小銭の落ちる音が部屋の中で響く中、真剣な眼差しでそう言ってきたカルビィンにレジイナは驚いた。
「わ、私が欲しい……?」
「ああ、ダメか?」
擦り傷で痛む頬にできるだけ刺激を与えないように優しく撫でてくるカルビィンにレジイナはキュンッと胸を締め付けられながらも、「わ、私に手を出したら殺すって言ったよね?」と、キッと下から睨みつけた。
「分かってる。無理矢理じゃねえ、頼んでるんだ」
以前、レイプされそうになった時のようないやらしい顔付きではなく、真剣な顔で見つめてくるカルビィンにレジイナは困惑した。
「なあ、ダメか?」
こてんと首を傾げるひと回り以上年上のカルビィンにレジイナは不覚にと可愛いと思ってしまった。
確かにレジイナはカルビィンのことが好きだ。でもその"好き"は仲間として、かつ家族に向けるような"好き"だった。
いつもからかってきたり、バカにしてくるカルビィンが自身に好意を抱くなんて思ってもみないレジイナは以前、ブリッドから貰ったマフラーに付いた血をブラッドに取って貰っている時、カルビィンに「ふーん、男か?」と、質問された時の事を思い出した。
そういえばカルビィンは誰かのモノを奪うことに快楽を得るとか言っていたな。
そのマフラーをあげた人物からレジイナを奪う事で快楽を得ようとしているのかと、勝手にそう結論付けたレジイナは「私は誰のモノでもないよ?」と、カルビィンを見上げながらその胸をそっと押し、やんわりと抵抗した。
レジイナのその返答を聞いたカルビィンは顔を歪めて「そっか……」と、言ってから悲しそうに微笑んでから体を起こし、ソファに座った。
フワフワとする頭を抱えながら俯くカルビィンの顔を伺いながら、レジイナも隣に座り直した。
「その、なんでカルビィンは誰かのモノを奪おうとするの……? そういうの良くないと、思うんだけど……」
沈黙に耐えかねてそう質問したレジイナに、カルビィンはズキズキと痛む胸元の服を掴みながらレジイナを睨み付けた。
「奪う前に奪うんだよ。何で俺が他人から奪ったらダメなんだ?」
今まで見たことないほどに怖い顔をして睨んでくるカルビィンにレジイナは恐怖してビクッと肩を震わせた。
「今まで散々奪われてきたんだ。戦争で俺の家族や友達、住んでいた家も学校も、俺の過ごすはずだった未来も! なのに、なんで俺は他人から奪ったらダメなんだ!?」
そう声を荒げるカルビィンにレジイナは最初は困惑し、そして怯えていたが、「なんで、なんで」と、訴え続けてくるカルビィンを見て、まるで癇癪を上げて悲痛を泣き叫ぶ子供のようだと思った。
「カルビィン……」
レジイナはソファの上で膝をついて立ち、日本にいた時に寂しさから泣いていた愛翔にしてあげたようにカルビィンをそっと抱きしめた。
「や、やめろ! 離せ!」
腕の中で暴れるカルビィンを強く抱きしめて、レジイナはカルビィンの銀髪の頭をそっと撫でた。
「ちくしょう、何の真似だ……」
弱っている上に倍力化を所持しているレジイナに敵わないと思い、抵抗をやめたカルビィンは顔だけを上げてレジイナを睨みつけた。
「寂しかったんでしょ?」
レジイナはそう言ってカルビィンに優しく微笑みかけた。
「さ、寂しい……?」
「そう。寂しいんでしょ?」
もう大丈夫だよ、と微笑んだレジイナはきゅっと更に力を込めてカルビィンを抱きしめた。
そんなレジイナの行動や微笑んだ顔にカルビィンは朧げな記憶になっていた母を思い出してしまった。
「やめろよ、そんなことすんなよ……」
そう言葉で抵抗しつつもカルビィンはポロッと一筋の涙を流してからレジイナの背にそっと両腕を回した。
ああ、温かい……。
カルビィンはそのまま気を失うように再び眠りに付いた——。
夕暮れ時。
無休で死体処理や捕虜の郵送を全て終わらせたジャドとウィルグル、そしてパートナーの小人とトゲトゲはヘトヘトな体に鞭を打って、なんとかアジトに帰還することができた。
「……はあ?」
「……ほお」
アジトに戻ると、そこにはソファに座るレジイナの大腿に頭を預けて眠るカルビィンの姿があった。
「何してんだよ……」
ウィルグルは疲労しきった自分に反し、レジイナに膝枕してもらっているカルビィンを恨めしく思いながら、今だにカルビィンの頭を優しく撫で続けているレジイナに質問した。
「うん? 可愛い"弟"をあやしてるの」
その言葉を理解できない二人にレジイナはふふっと微笑み返してから、いい夢を見てますように、と願いながらカルビィンの頬を優しく撫でたのだった。
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