3 カルビィン・ロス①

 ジャドは一週間の休暇を終えてすぐにアジトに向かった。

 もうさすがに大丈夫だと思うが、あいつらが心配でならねえ。

 ジャドはいつも"パパ"だとふざけて呼んで来るレジイナ、カルビィン、ウィルグルに「俺はお前さんらの親ではない」と、否定しつつも悪い気はしてなかったし、本当に何かと世話が焼ける奴らだと思っていた。

 一年前まではこの休暇が終わるのが嫌だったが、今はこの休暇が早く終わって争いばかりの国、アサランド国に早く戻りたいと思うようになっていた。真昼間の今であっても油断せずに、誰かに尾行されてないか細心の注意を払ってからアジトの扉を合図のノックをして開ける。

 自分が帰ってくるのを心待ちに待っているだろう三人を想像して、ジャドは部屋の中を見渡した。

「ジャド! おかえりなさい!」

 いつも通り愛らしい満面の笑顔を浮かべて自身の元に駆けてくるレジイナにジャドは微笑み返したが、すぐに顔を歪めた。

 それは何故かと言うと、レジイナはとあるモノの首に巻きつけられている鎖をリードのように片手で持ち、それを引き摺りながらジャドの元に駆け寄って来たからだ。

「ねえ、ジャド。この子、飼っていい?」

 上目遣いで可愛らしくおねだりしてきたレジイナの持つ鎖の先に目をやると、四つん這いにさせられ、左の上腕にエアオールベルングズである証明の羽の生えたサソリのタトゥーを彫ったブリーフ一丁のガリガリにやせ細った男だった。

「はあ……。聞きたいことはたくさんあるが、ダメだ。元あったところに戻してこい。いや、早く始末しろ」

 ジャドの返答にレジイナは「えー」と、口を尖らせ、カルビィンとウィルグルはそんな二人のやり取りにプハッと吹き出すように笑い出した。

「なっ! お願いします! 殺さないで、なんでもしますっ!」

 ジャドの"始末"の言葉に反応した男はジャドに縋るようにそう懇願した。

「私の指示無しに喋んな。ワンだろ?」

 そうドスを効かせた声で言い、レジイナは鎖で男の背をバンッと叩いた。

「いっ! わ、ワン! ワンワン!」

「よーし、よーし」

 ワンと鳴いた男に満足したレジイナはヒールで男の頭をぐりぐりと踏みつけた。

「俺はお前さんらに留守番もお願いできないのか……」

 両手で顔を覆うジャドにレジイナは「泣かないで」と、ジャドの頭を背伸びをして撫でた。

「お前の言動に俺は悲しんでんだっ!」

「いひゃいよ、しゃでぅ」

 両の頬をつねられたレジイナは「りゅうはるお」と、ちゃんと理由があるとジャドに訴えた。

「ほお?」

 レジイナの頬から手を離して、ジャドは腕を組み、その理由を聞こうとレジイナの言葉を待った。

「ポチ、魅惑化のグレード2っぽいんだよね」

「はあ? "ポチ"ってなんだよ」

 理由よりその呼び名が気になったジャドにレジイナの代わりにウィルグルが「犬だからポチって名付けたんだと」と、説明した。

「可愛らしいでしょー。日本では犬にポチって名前をつけるところが多いらしいよ」

「ああもう、それはいい。それで、魅惑化があるから捕虜として捕まえて利用したいってことか?」

「ま、そんなとこだ」

 カルビィンはタバコの煙をポッポッと言いながら吐き出し、器用に輪っかの形にして遊びながらジャドにそう言った。

「グレード2ならまだ私達でも痛めつけたらコントロールできるし、魅惑化で潜入捜査もできるでしょ? もしあれなら爆弾でもつけさせて敵のアジトに突っ込ませてもいいし」

 とんでもない案を言い出すレジイナにジャドはなんて惨いことを言うんだと思いながら顔を引き攣らせた。

「俺は賛成だぜー」

「俺も」

 カルビィンとウィルグルはそう同意したのを見て、ジャドは項垂れた。

「……リスクが高すぎる。ダメに決まってんだろ。お前さんら、レジイナに甘すぎないか?」

 自分の事を棚に上げてそう言うジャドにカルビィンとウィルグルは少しムッとしつつ、確かにリスクは高いとも思ってはいた。

「お、俺は裏切りません、誓うっ! 裏切ったら目でも片腕でもやるから信用してください!」

 そう懇願するポチにレジイナは舌打ちをして再び鎖でその背を殴った。

「ワン、でしょ!」

「す、すみませんワン! 俺のご、ご主人様、足でもなんでも舐めます! 許してワン!」

 気色悪い言い方をするポチを見下ろし、少し考えてからレジイナはスッと自身の右足をポチの前に差し出した。

「おら、やれよ。やりたいんだろ?」

 主従関係をはっきりさせるため、その案を採用したレジイナにポチは「ははーっ!」と、言って頭を下げてからレジイナの右足から丁寧にパンプスを外し、ゆっくりと顔を近付けて行った。明らか年下の若い女にこんな屈辱的なことをさせられて顔を歪めるポチ。

 それを見てカルビィンはなにかスイッチが入ったように胸の中がぐしゃぐしゃと汚い感情に襲われた。

 そしてその衝動のままカルビィンはおもむろに立ち上がり、ポチの肩をグイッと押して床に倒した。

「え……、何を」

 もう少しでレジイナの足を舐めるという時に邪魔をされたポチは困惑しつつも、抵抗することなくその場でカルビィンを見上げた。

 そんなポチをカルビィンは睨みつけた後、レジイナの右足の踝と足裏を両手で丁寧にそっと持ち上げて膝を床に着き、足の甲にそっと口付けを落とした。

「残念だな、ポチ。主人の言う通りに出来ない悪い子はおさらばだ」

 そう言って困惑するレジイナ、ウィルグル、ジャドを無視してカルビィンは獣化の力を使い、アジト内にいる三十匹程になる数のゴキブリを集めてポチの口の中に入るように命じた。

「ぐはっ、ごぽっ……!」

 口から体内の中に無理矢理に入ってくるゴキブリに犯され、ポチはもがきながらレジイナに向けて腕を上げて助けを求めた。

「ご、しゅじ……」

 窒息死か、体内で臓器が傷つけられて出血死したのか原因は定かではないが、ポチはカルビィンによって殺されてしまった。

「ぽ、ポチが死んだあーっ!」

 カルビィンの行動に驚いて何も出来なかったレジイナだったが、ポチが死んだのを見てショックだったのかそう声を上げてから、自身の下で跪くカルビィンを睨んだ。

「なんで殺すの!?」

「うっせえ。もともとリスクが高かったんだ。これで良いんだよ」

 そう言ってカルビィンは立ち上がってレジイナの額を人差し指で軽く弾いた。

「あり得ない! 勝手に足にキスしてくるし、デコピンしてくるし!」

「へーいへい、すいませんでしたー」

 少しも悪いと思っていないだろう謝罪をして、カルビィンはアジトの出口に向かって歩き出した。

「どういう訳だ?」

 今だにドアの前にいたジャドはポチの死を悲しむレジイナを横目に、カルビィンとすれ違いざまに質問した。

「訳だと? お前も言ってただろ、リスクが高いってな」

 答えになってないぞ、そう問いただそうしたジャドから逃げるようにカルビィンはアジトから出て行ってしまった。

 

 

 

 カルビィンは裏路地をあてもなく適当に歩いていると、ふと道の隅で座り込む小麦肌の桃色髪をした少年が目に入った。

 寒さがどんどんと厳しくなってきた一月にしては薄着であり、フルフルと震えながら膝を抱えている小さなその姿にカルビィンはズキッと胸が痛み、そしてイライラとした感情が湧き上がってきた。

「ダメだ、落ち着け……。あれは俺じゃない……」

 胸元の服をギュッと握って呼吸を落ち着かせる。

 もう、俺は"奪われる側"じゃない。"奪う側"なんだ。

 ハッハッと早かった呼吸が落ち着いてきたカルビィンはふと、レジイナの機嫌取りのために常備していた飴玉の存在を思い出してポケットの中を漁り始めた。

 タバコとライター、そして目当ての飴玉が手に触れた。それを握りしめてカルビィンは寒さに震える少年に向けて飴玉をポンッと投げ渡した。

 コツンと自身の頭に何か当たったと感じた少年は顔を上げ、地面に落ちた飴玉を見てからカルビィンを見上げた。

「そんなんだから奪われるんだ。生きたきゃ奪え」

 カルビィンの言葉に少年は涙を流しながら、「うん、ありがとう、ありがとう」と、カルビィンに礼を言いながら飴玉を握りしめていた。

 そんな少年を見届けた後、カルビィンはタバコに火をつけてから再び歩き出した。

 

 

 

 ——二十五年前。カルビィンはザルベーク国とワープ国の国境付近の村に生まれ育った。そしてその村は両国の戦争の戦場と化し、カルビィンは七歳という幼い時に何もかもを失った。

 家、学校、そして家族、友人、自分が過ごすはずだった明るい未来。全部、全部、全部、全てを目の前で奪われた。

 スラム街と化したその村で過ごしていたカルビィンの友達はネズミやゴキブリといった動物だけだった。それからカルビィンは動物達の意図や思考が通じ合えるようになり、獣化としての能力が目覚めた。

 腕の中にネズミを抱いて疼くまり、冬の寒さを凌いでいたある日、とある人物がカルビィンの前で立ち止まった。

「おい、坊主。んな汚ねえもん抱いてっと、そいつの菌で死ぬぞ」

 臭いタバコの匂いと汚いガラガラとした酒焼けしたよう声に気付いたカルビィンはゆっくりと顔を上げた。

「あんたみたいなやつより綺麗だよ」

 友達をバカにされたと思い、そう皮肉を言ったカルビィンに男は「ガハハハッ」と、豪快に笑った。

「気に入った! お前、獣化を使えてんだろ? 俺に着いて来いや」

 そう言って男はいきなりカルビィンを肩に担いで歩き出した。

「なっ、なんだよ、その"ジュウカ"っつうのは! やめろ、離せ! 酒臭え! タバコ臭え!」

「暴れんなボケ」

 男、キルミンはそう言ってカルビィンの頸に手刀を下ろし、無理矢理に気絶させて自分の家に連れて帰ったのだった。

 それからは体罰ありきの生活だったが、それなりに楽しい日々だった。よくキルミンに言われていたのは「奪われる前に奪え」という言葉だった。それが正しいと思うし、そうすることで自分が満たされる気持ちにもなっていた。

「昔のことなんて忘れて消えたい……」

 そう呟いてカルビィンはタバコを地面に落とし、靴の裏で火を消した。

 そういえば、キルミンにボコボコに殴られ、アサランド国行きを言われた時もこんな気持ちになったな、と約二年半前のことをカルビィンは思い出した——。

「ぐふっ……!」

 カルビィンは五十代になっても現役のキルミン総括に意識が朦朧とするまで殴られていた。

「反省したか? 何度俺の女とヤッて、何度俺にボコられればその癖は治るんだ?」

 カルビィンは床に突っ伏していた顔を上げてキルミン総括にニヤッと笑いかけた。

「奪えって教えたんのはあんただぜ、キルミン総括……」

 そう言って全く反省してないカルビィンにキルミン総括は大きな溜め息をついた。

「はあ、育て方を間違ったか? いいか、奪われる前に奪えだ。無差別に他人のもの奪っていいなんて教えてねえぞ」

「俺からしたらそんなの区別なんてつかねえよ」

 目をぎらつかせてそう言ったカルビィンに獣化の異能者、そして補佐として有能なのになと、己の教育の仕方が悪かったと反省したキルミン総括は「閃いた」と、言ってカルビィンの銀髪をガシッと鷲掴みにし、その場で無理矢理に起き上がらせて座らせた。

「うぐっ……!」

「お前、補佐を降りろ。そして暗殺部に行け」

「なっ! それはあんまりだろっ!」

 暗殺部。それはいわゆる左遷みたいなものだった。なにか罰される程の罪を犯したものが行き着く場所。そんな場所に補佐まで昇り詰め、上司の女と寝ただけの自分をそこに行かせるなんて納得がいかないと、少し残っていた体力をフルに使ってカルビィンは抵抗し始めた。

「暴れんな、ボケが」

「ガハッ!」

 髪を掴まれたまま、次は地面とキスをさせられたカルビィンは声を上げて痛みに悶えた。

「奪われる前に奪え、それが叶うのが暗殺部だ。敵さんの命を好きなだけ奪ってこい。お前のそのドス黒い欲求を満たせれるだろうよ」

「んなわけ……」

 そう最後まで否定したがそれは叶わず、カルビィンはそのまま意識を失い、その間に飛行機に乗せられ、無理矢理にアサランド国へと行かされてしまった。

 当時いたメンバーの内、一人はウィルグルと交代するように母国に戻り、一人は敵に殺された。そしてカルビィンが来る一年程前からいたジャドは暗殺部のボスとしていつもカルビィン達を引っ張っていた。

 カルビィンが来た時はあからさまな敵意を放っていたジャドだったが、それも徐々に誤解が解けてカルビィンは暗殺部で戦闘員として重宝されていった。

「確かに、奪ってる感覚がするな……」

 目の前で死んでいく敵を見続けると大概の者は精神が崩壊していく。暗殺部には大概二年から三年単位で交代していく暗黙のルールがあった。

 それは精神が保たないからだ。それもそうのはず。毎日命を狙い、狙われる生活だ。心がボロボロに壊れていく。

 しかし、カルビィンはそうならなかった。むしろ満たされていたのだ。

 キルミンの考えは当たりってか。

 そんな自分に嫌気がさしつつも、さすが育ての親だなとも思った。

 殺伐とした暗殺部だったが、ここ一年でまた雰囲気が変わってきて、カルビィンの心が更に満たされていった。

 それはレジイナのおかげだった。あの天真爛漫な性格に加えて抜けたところがあるレジイナは見ていて飽きない。男だらけのところにやってきた紅一点の花のようだ。

 あいつがいるだけで奪う時間以外も楽しくなっちまった。

 ある日、最近しているマフラーに血が付いて取れないとレジイナが騒いでいた時、染み抜きをしてあげていたブラッドをカルビィンは横で見ていた。

「おい、男もんのブランドじゃねえか、これ」

 そう驚いて声をかけると、「え、そうなの? 貰い物だから気付かなかった」と、返事したレジイナを見てカルビィンは何かドス黒い感情が沸き立ってきた。

 こんなの"俺の"だって首輪をつけてるもんじゃねえか。

 あんなに天真爛漫で可愛いレジイナに男がいたのかと知ったカルビィンは気に食わねえなと、思って首を傾げた。

 何が気に食わないんだ?

 そう自問自答して答えが出ないまま本日、レジイナが捕虜として捕まえたポチに足を舐められされそうになった時、やっと理由が分かった。

 ああ、俺はレジイナを"誰か"から奪って満たされたいのか。

 自分の悪い癖だし、やめなければいつまで経ってもザルベーク国に戻れないと理解していた。しかし、いつまで経ってもその衝動には逆らえないと気付いた時、自笑した。

 どこに行っても俺はクズのままかってか。

 そう気付いてスッキリしたカルビィンはレジイナの機嫌取りになにかケーキでも買って帰るかと思い、繁華街に向かって歩き出したのだった。

 

 

 

 一方、カルビィンが出ていったアジトに残っていたレジイナ、ウィルグル、ジャドの三人はお葬式の後のように静まり返っていた。

 レジイナが連れてきた捕虜であるポチが死んだのだからそれもあながち間違ってはいないが、レジイナはいつも敵が死ぬ時以上に喪失感を強く感じ、ソファに寝転んでボーッと天井を見上げていた。

 死体処理をしたウィルグルも納得いかないと思いながら、レジイナの座るソファを背もたれにして床に座って本を読んでいた。そんな二人を見ながらユニコーンの椅子に座るジャドはカルビィンのことを考えていた。

 ジャドは正直カルビィンのことを好いてはいない。むしろ嫌いだし、最近まで戦争していた敵国のタレンティポリスだということで敵対意識も持っていた。しかし、獣化を使いこなして戦闘時は冷静に対応し、そして補佐を勤めていたと納得される程に強い為、そこは信頼していた。

 プライベートなことで感情任せに動くことはあっても、戦闘や仕事に関してそうすることはカルビィンはほぼないのだが、今回のポチの件は感情任せに殺したようにしか見えなかった。

 なにか、地雷でも踏んだのか?

 うーん、と考えるジャドを知って知らずか、レジイナは「ポチ……」と、呟いて目の前にあるウィルグルの一つに括られた髪をフサフサと揺らして遊び始めた。

「うぜえな、やめろよ」

 本気で鬱陶しそうに言うウィルグルにレジイナは「うー! ポチが死んだー!」と、声を上げて手足をジタバタとさせて嘆いた。

「ああ、死んだな。ゴキブリで」

 酷い最後だったな、と言って顔を歪めたウィルグルを見て、ゲーデのパートナーだった小人は新たにパートナーになったレジイナの胸の上にフワッと降り立っては、ガハガハとウィルグルに笑いかけた。

「トゲトゲ! 私の胸の上に乗るなって言ってるでしょ!」

「ご主人様のボウリョクならいくらでも受けるぜ。でもちょいとした豆知識を教えたくて出てきたんだ」

 ドMな小人、トゲトゲはフワッと飛んでテーブルの上に移ってレジイナの攻撃を軽々と避けた。

「ほお、豆知識。小人の中で有名な話か?」

 小人が話す豆知識なんてどんなものなのかと興味深々なウィルグルにトゲトゲはニヤッといやらしく笑い、黒くてねばねばした唾液をドバドバとテーブルの上に垂らした。

「知ってるか? ゴキブリって一匹いたら百匹いるらしいぜ」

 トゲトゲの言葉にレジイナはソファから起き上がり、ウィルグルは手に持っていた本を床に落とした。そして二人は顔を見合わせた後、「いやっー!」と、悲鳴を上げた。

 小人の声が聞こえないジャドは小人の豆知識とやらはなんなんだと気になって見ていたが、二人の反応を見て碌でもないものだったのだろうと察した。

 そして二人はバタバタと奥の部屋に向かったと思ったら、レジイナは使った記憶がない掃除機を持ってきて、ウィルグルはゴミ袋を片手に床に落ちてあるゴミを拾い始めた。

「おいおい、何し始めるんだ?」

 最後に掃除なんていつしただろうかと思い出せないぐらい荒れ放題なアジトを急に掃除し始める二人にジャドは驚いた。

「ゴキブリは一匹いたら百匹いるってトゲトゲが言ったの! ていうことはここには千匹以上いるってことになるっ!」

「やめろよ、数字で表すなっ! そ、想像したらもうダメだっ!」

 ゴキブリがアジト内で敷き詰められた光景を想像してウィルグルは鳥肌を立てて震え始めた。

 やっぱり碌でもない豆知識だったのかと呆れ、カルビィンが外から獣化でゴキブリを集めたら掃除なんて意味ないのにな、とも思いながらジャドは必死に掃除をし始めた二人を眺めていた。

 ——日が暮れ始めた夕暮れ。

 カルビィンはケーキの入った箱を片手にアジトに戻ってきた。部屋を見渡すと、いつもの荒れ放題だった部屋が綺麗になっていることに驚き、ソファに座ってタバコを吸うジャドに目をやった。

「おう、おかえり」

「ああ、ただいま。で?」

 そう言ってカルビィンは洗面台を必死に磨くレジイナと、掃除機をかけるウィルグルを指差した。

「ゴキブリは一匹いたら百匹いるんだとよ」

「……なるほどね」

 あれはカルビィンが常に何かあった時のために集めていた、いわゆる仲間達だった。確かにアジトが汚いといってもあんな数のゴキブリがここに住み着くわけないのに、勘違いして必死に掃除するレジイナとウィルグルにカルビィンは「あはははっ!」と、つい声を出して笑ってしまった。

 そんなカルビィンの笑い声に気付いたレジイナとウィルグルは必死の形相でカルビィンに近付いた。

「ここにゴキブリは何匹いるんだ!?」

「ゴキブリはどうしたらいなくなるの!?」

 そう質問してくる二人にカルビィンはケーキの箱を持っていない方の手でパチンと指を鳴らした。すると、綺麗に片付いてきていた部屋の床にびっしりと大量のゴキブリが集まってきた。

「何匹か数えてみろよ」

「きゃあっー!」

「うぎゃあっー!」

 うじゃうじゃと集まって来たゴキブリに二人は悲鳴をあげ、カルビィンに飛びついた。

「お願い、ゴキブリを外に出してっ!」

「頼むからカルビィン、やめてくれ!」

 本気でそう頼む二人にカルビィンはお腹を抱えて笑った。

 あーあ。今までで生きてて一番楽しくなっちまったな。

 

 

 

 エアオールベルングズは組織として特殊な構造をしており、誰かをリーダーにして組織をまとめたりなどは基本していなかった。

 仲間としての印である羽の生えたサソリのタトゥーを持つ者がとある者を仲間に誘い、指示を出す。しかし、その指示も誰かに指示をされたものであり、他者から伝達された話に過ぎなかった。それが堂々巡りしていて元は誰からの指示で動いているのか分からないようにされていた。

 暗殺部はその黒幕を探しており、強い敵を捕まえては拘束し、拷問をかけることは多々あった。弱い奴は捨て駒にされていることは多かったが、ある程度の強さがある奴は中心人物と繋がりがある可能性があると考えていたからだ。

 今回、暗殺部が追っていたエアオールベルングズの集団は黒幕に繋がっているかもしれないと憶測が立つぐらいに人数の多い集団であり、アサランド国の北東側全体をまとめる勢力の強いものだった。

 カルビィンがあちこちに散らばしているネズミ達の話によれば、北東にあるロリントという廃村に奴らの住処があるらしい。

 人数も強さも他のとは違って明らかに強く、手強くなると予想してジャドは全員でそこに奇襲をかけようと提案した。

「夜更けにいく。一気に畳み掛けて全滅させるぞ」

「相手の人数、能力、個体差が分からない状況でやるのは危険じゃないか?」

 そう批判的な意見をウィルグルが言ってからカルビィンを軽く睨んだ。

「んだよ」

「ポチがいればなーっと思ったんだよ」

「そうよ! そのためにポチを私が連れてきたのにっ!」

 ジャドがいない間、レジイナなりに考えて行動していたのをカルビィンに水の泡にされて腹が立っていたのだ。

「そんなこと言う奴にはケーキやらね」

 カルビィンは自身が買ってきたチョコケーキを食べていたレジイナからそのケーキを奪おうと手を向けた。

「だめっ!」

 カルビィンに取られる前にと、なんと手掴みでレジイナはケーキを持って一気に頬張った。

「あーもう。口の周りチョコだらけじゃねえか」

 そう言ってウィルグルはレジイナの口周りをティッシュでゴシゴシと拭いてやった。

「痛いっ。もっと丁寧に拭いてよ」

 拭いてもらっといて文句を言うレジイナにウィルグルはチッと舌打ちしてから、カルビィンからもらったフルーツタルトをお上品にフォークでパクッと食べた。

「ポチは死んでしまったんだ。他に敵の偵察方法はないか考えてみろよ」

 同じくジャドもカルビィンが買ってきたモンブランを口にしながらレジイナとウィルグルにそう言った。

「私が変装する?」

「リスクが高すぎるぜ、キャサリン。同じく俺もだがな」

 変装してもまだカジノの件でレジイナとカルビィンの存在がいつ敵に知られるか分からないこの状況で直接潜入するにはリスクが高すぎた。

「ネズミの知能はどんなもんなんだ? ネズミに奴らの人数やできれば能力みたいなもんも探れないのか?」

「まあ、ネズミの種類によっちゃあできるが、得策とは言えんわな」

 ネズミも種類によれば高校生並みの知能を持つものもいる。しかし、敵もそれなりに強いため、悠長に情報収集していればいずれかはバレてしまい、全てが水の泡になるだろう。

「よし。俺が獣化して潜入しよう」

 そう言ってカルビィンはジャドを見て同意を求めた。

「分かった。それならいけるだろう」

「でもさ、カルビィンに何かあった時はどうするの?」

 カルビィン一人で潜入調査させることに心配したレジイナにトゲトゲは「ハーイ」と、手を挙げた。

「オレ様も潜入しよう。ギンパツからオレ様は見えないが、何かあった時にご主人様に伝達することは出来る」

「成る程。トゲトゲは他の小人と違って気配を消せるもんな」

 ウィルグルはそう頷き、トゲトゲの言った言葉をジャドとカルビィンに通訳した。

「まっ、オレ様となれば他の小人よりもツヨイからな」

 元パートナーのゲーデのにより、数えきれない程の生物を食してきたトゲトゲは他の小人より知能や能力は長けており、自我も強かった。正直、そんなトゲトゲを扱える育緑化などそうそうおらず、グレード2のレジイナにはまだ扱い切れてなかった。

「えー、私なんにもてないんですけど……」

「まっ、ご主人様はオレ様の一報を待っとけばイイのさ」

 パワーバランスが逆のようなレジイナとトゲトゲにウィルグルは心配しつつも、トゲトゲのことを頼もしくも思っていた。

「トゲトゲに今回は任せよう。何か敵にカルビィンの存在を知られたり、攻撃された場合はレジイナ、もしくは俺のところに来い」

「アアン? 調子のんなよ、ヒヨッコイの」

 命令口調のウィルグルにそう暴言を吐いたトゲトゲにレジイナは「こらっ」と、軽く小突いて黙らせた。

「なんか分かんないが、トゲトゲは信頼できるのか?」

「で、できる……」

 歯切れの悪い返事をしたレジイナにカルビィンとジャドは溜め息を吐きつつも、「俺も何かあった時はネズミをお前らのとこに寄越す」と、念のための合図を伝えた。

「よし、じゃあ今夜行くぞ。善は急げだ」

 ジャドの言葉に三人は敬礼をし、各々の準備に取り掛かるのだった。

 

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