九章 暗殺部

1 ウィルグル・ロンハン①

 レジイナが暗殺部に異動してから約九ヶ月が経過したある日。アサランド国にもやってきた冬の寒さに震えながら、レジイナは左手を黒のコートのポッケに入れ、右手でホットいちごミルクの缶を持って歩いていた。

「クンクン……」

 レジイナは鼻だけ獣化し、ターゲットの匂いを追いながら真っ直ぐ進んでいた足を右に向いて、夜でも明るい繁華街へと向かった。

「まあ、なんとも健気なこった」

 レジイナはターゲットがキャバクラに向かって行く姿を見てそう呟いた。

 情報を売って生計を立てているブラッド・リードンの情報が正しいと、ターゲットはここのとある嬢を大変気に入っているらしく、稼いだ金をほぼ貢いでいるらしい。

 まあ、残念なことにその嬢はブラッドに惚れており、客の情報を全て流すような女なのだが、そんなことも知らずにターゲットの男は惜し気もなくその嬢に貢いでいた。

「はあ。さっむい……」

 一度はレジイナが嬢としてこのキャバクラに潜入してはどうかと話が出たが、まだカジノの一件の熱りが冷めてきていないうちからそれをするのは得策じゃないと判断され、こうやって交代制でターゲットの尾行をしてた。

 ほぼ黒なのは間違いないけど、まだエアオールベルングズっていう確証がないんだよな……。

 どう尻尾を掴んでやろうかと思って四人は悶々としながら時間だけが無駄に過ぎていっていた。

 レジイナはこんなに寒いならウィンドリン国の南の島で休暇を取れば良かったなと、少しだけ後悔していた。またもやレジイナは今回も三ヶ月毎に自国に戻って一週間の休息を取らなければならないルールを破って仕事を続けていた。

 どうしてもブリッドに会いたくない、ただそれだけの理由でまた帰らないと我儘を言うレジイナにカルビィンはニヤニヤと楽しそうに笑いながらまた報告書にサインをしてくれた。

 なにをそんな楽しそうにしているのかレジイナには分からなかったが、カルビィンが作成した報告書をまるまるコピーさせてもらい、かつウィンドリン国に帰らなくて済んだのだからそこは特に深く掘ることはしなかった。

「にしても女に金を払ってお喋りするだけなのに、なんでこんなにお金を使うのかね。理解でけん」

 男の性について全く理解が出来ないレジイナはそう独り言を言い、ターゲットが店から出るのを物陰からジッと待っていた。

 ——レジイナはちゅんちゅんと鳥の囀りを聞きながら外で朝を迎えた。

 鼻水をずずっと吸ってレジイナは店から出てきた、一晩ぬくぬくと暖かいところにいたターゲットを睨みながら気配を消して尾行した。そしていつも通り、表通りを歩いて自身が住むマンションへと戻って行くのを見届けたのだった。

「今日はオールですか……」

 外れ日に当たったもんだなと、レジイナはがっくしと力を抜いてふらふらとアジトに戻る道を歩き出した。

 

 

 

 いつも通りに三回ノックし、少し間を空けてから二回ノックしてからレジイナはアジトの扉を開けた。

 ソファにはウィルグルが座ってうたた寝をし、カルビィンはテーブルに座って自身がアジトで飼っているネズミと戯れていた。そして先日、レジイナがクリスマスが近いことを理由にジャドにねだって買ってもらったユニコーンの可愛らしい椅子にブラッドが座っていた。

「あんた、最近アジトに入り浸ってるね」

 寒さで鼻を真っ赤に染めたレジイナは鼻水をズズッと啜ってブラッドを見た。

「んあ? 悪いかよ」

「……悪かないけどさ」

 なんか考えがあるのか?

 そう怪しむレジイナの目線からブラッドはフイッと目を逸らした。

「てか、それ私のユニコーンだし」

「いいだろ別に。それにこれはパパに買ってもらったやつなんだから、まずはパパにただいまって言ってこいよ」

 顎でクイッとやってブラッドは奥の部屋を指し、そこからガシャンガシャンと騒がしい音がしてくるのが聞こえてレジイナは顔を顰めた。

「なに、ジャドってばまたバイクいじってんの?」

 ジャドは自身のバイクをカスタムするのが趣味であり、母国のワープ国にそれらしい理由を言ってよく部品を送らせていた。

「今回はあのバイクを飛ばせるように開発してんだってよ」

 カルビィンはネズミの顎を撫でながらレジイナに教えてやった。

「なに、更にスピード上げるの?」

「いんや、そうじゃなくて空を飛ぶんだとよ」

「はあ? バイクじゃなくて飛行機を作ってんの?」

 どっかの漫画のような世界にあるようなものを作っているジャドにレジイナはバッカみたいと呆れながら、うたた寝をするウィルグルの大腿の上にドサッ自身の足を乗せてソファに寝っ転がった。

「んあ? なんだ……」

 その衝撃に目を覚まし、目を擦るウィルグルにレジイナは乗せた足を上げて見せた。

「ほら、マッサージしてよ。一晩立ちっぱなしでパンパン」

「はあ? ざっけんなよ」

 バシッとウィルグルは偉そうな事を言うレジイナの足を叩いた。

「ふざけてんのはあんたでしょ? なによ、死体処理ができんのが自分だけだからって一回もあいつの尾行してないじゃんか」

 そう言ってレジイナはドサッと再びウィルグルの大腿に両足を乗せた。

 今のターゲットの尾行は長時間を要する。もしなにかあった時に駆けつけれないと困るウィルグルはアジトで待機しており、尾行を一度もしていなかったのだ。

「仕方ないだろ。俺だってお前ら三人だけに任せて悪いと思ってるさ」

 ふう、と息を吐いてウィルグルは本当に悪いと思って顔を伏せた。

「本当に悪いと思ってんなら、ホラ」

 そう言って足を自身の上でバタバタと足を動かるすジイナにウィルグルは人が下手に出てたら偉そうにしやがってとカチンとした。

 そしてウィルグルはレジイナのヒールをバッと脱がし、足の裏をこちょこちょとくすぐり始めた。

「あはははっ! やめてよっ!」

「逃げんなって」

 そう言ってウィルグルはレジイナの足を右手拘束し、左手で足の裏をくすぐり続けた。

「もう、あははっ! いやっだって!」

 倍力化の力を使って逃げようとするレジイナを逃がさないようにカルビィンは立ち上がって、レジイナを羽交締めした。

「王女さんよ、逃げてやんなや。ウィルグルがせっかくマッサージがしてくれてんのによ」

「そうだぜ、レジイナ王女さんよ」

「あはははっ! 悪かった! 悪かったからやめてえっ!」

 レジイナをくすぐって遊ぶカルビィンとウィルグルを見ながらブラッドはガキかよ、と思いつつも羨ましくも思っていた。

 今まで友人という者を持ったことないブラッドはいつも子供みたいに騒ぐその三人をいつぞやか羨ましく思ってしまっていたのだ。

「うお、動くなよ! ほら、ブラッドも見てねえで手伝えって」

 カルビィンのその誘いにブラッドは目を張った。

 この俺に言ったのか?

「やだあ、もうだめえっ……!」

 笑いすぎて目から涙を流すレジイナを見てブラッドはキュッと胸が締め付けられた。

 なんてかわい……。

「てめえら、朝っぱらから騒ぐんじゃねえ! 集中できねえだろうが!」

 ブラッドがレジイナに不覚にもときめきそうになったその時、ジャドは片手に工具を持ったままバンッと扉を開けて三人に注意した。

「ごめんって、パーパー」

「怒んないでよ、パパ」

「すいませんでしたー、パパ」

 ウィルグル、レジイナ、カルビィンはジャドをパパと呼び、騒ぐのをやめた。

「誰がパパだ、ボケが」

 そう怒ってジャドが再び奥の部屋に入ったのを見て三人はムスッとした顔をしながら各々の定位置に戻った。ウィルグルはドサッとソファに保たれ、レジイナはそのままウィルグルの足に自身の足を乗せた。そしてカルビィンは先程同様にテーブルに座ってネズミと戯れ始めた。

「ねえ、このまま寝ていい?」

「ざけんな、足を退けろ」

「やーだ」

 そう言ってレジイナはスースーとわざと寝息を立てて狸寝入りし始めた。

「たくよー」

 そう言って満更でもないのか、ウィルグルはそんなレジイナを見てフッと笑った。

 そのままレジイナ、カルビィン、ウィルグル、そしてブラッドはアジトに待機し、今度はジャドがターゲットの尾行に向かった。

「お腹すーいーたー」

「ほら、飴」

「わあ、ありがとう!」

 そろそろ昼時になるという時、レジイナは本を読んで暇を潰していたウィルグルから棒付きの飴を貰い、嬉しそうにペロペロと飴を舐め始めた。そんな無邪気なレジイナの姿にウィルグルはふと、とある疑問が湧いた。

「なあ、なんでお前この暗殺部に移動させられたんだ?」

「へ?」

 まるで誰かの指示で来たんだろ、というような質問内容にレジイナは首を傾げた。

「なんでってウィンドリン国を守るためよ」

「じゃなくて、ここに来たきっかけさ」

 きっかけかと考えてレジイナは自身が人間に能力を使っているところを見られて一度は死刑宣告をされたが、それをウィンドリン国の皆が改革を起こして阻止してくれた経緯を簡単に話した。

「それの恩返しっていうと言い方が変だけど、皆に拾ってもらったこの命で平和を作りたいって思ったから来たんだけど」

「わお。なんていうヒーローみたいな理由だな……」

 壮大な理由に驚くウィルグルにカルビィンは「実際、こいつはヒーローだぜ」と、話した。

「知らねえか? ブルースホテルのヒーローだって二、三年前ぐらいに一時期、騒がれたじゃねえか」

 その言葉にブラッドは「ああ、聞いたことある」と、会話に参加した。

「でも俺はアマゾネスみたいな女がやったって聞いたけど?」

「え、そうなのか? 俺は中年のおっさんが武操化で爆弾処理したって聞いたけど」

「……一個もあってねえ」

 ブラッドとウィルグルの言葉に当の本人のレジイナは顔を顰めた。

「まあ、噂なんてそんなもんよ。まあ、俺はぜーんぶ見てたけどな」

 同じくその作戦に出ており、キルミン総括と一緒に暴れに暴れまくったカルビィンは「懐かしいぜ」と、その日の事を思い出した。

「私はあんま思い出したくないけどね。死刑宣告されてて、日本に逃げることになった日だもん」

 自身の人生の分岐点となったあの日をレジイナは苦々しい顔で語った。

「てかさ、あんた達は?」

「ああ? 俺らか?」

「そうよ。私は希望して来たけど、二人はそうじゃないの?」

 ウィルグルの言い方では誰かの命令で来たようなものだった。

「こんな仕事を希望するやついるもんか。そんな変わりもんお前ぐらいだよ、レジイナ」

「暗殺部っつーのはいわゆる左遷。罰みたいなもんだ」

 はーあ、と二人は溜め息をついてそう説明した。

「え、こんな大義のある仕事なのに?」

「大義ねえ。なんともご立派なこと」

 カルビィンのその言い方にレジイナはイラッとして飴をガシガシと噛んだ。それは今のレジイナの存在意義を否定するようなものだった。

「お前にはお前の理由、俺達には俺達の理由が違うのは別にいいだろ? そうイライラすんなよ」

 ウィルグルは自身の大腿にまだ乗せてくるレジイナの足をポンポンと叩いて宥め始めた。

「ふんっ、分かったよ。で、ウィルグルのここに来た理由とやらはなに?」

 ウィルグルに正論を言われ、ムスッとしつつレジイナは気になっていた理由を再度尋ねた。

「俺か? 俺は自分の彼女を喰ったんだよ」

「くった……?」

 予想外の答えにレジイナは驚いて思わず体を起こし、ウィルグルの大腿から足を退けて横に座り直した。

「はあ? 彼女とおせっせしたってことか?」

 カルビィンはウィルグルの意味を理解が出来ずに質問し直し、「てか、お前に彼女がいたなんて見栄張んなよ」と、バカにしたように付け加えた。

「うっせえ、俺にだって彼女くらいいたわ。喰ったっつうのは育緑化でいつも俺が敵を喰ってんのと同じ意味だ」

 そんな驚く理由を言ったウィルグルにレジイナとカルビィンは恐怖を感じて、ススっと少し距離を空けた。

「おいおいビビってやんなよ。なんか理由あんだろ?」

 冷静にそう言ったブラッドにウィルグルは「まあな」と、言って二人の反応に傷付きつつも説明した。

「チェングン国に潜入して来たエアオーベルングズに目の前で彼女と仲間を殺された。そいつも育緑化を持っていて彼女が喰われそうになったんだ。そうさせまいと俺が先に喰ったのさ。その隙に敵には逃げられてしまったんだけどな」

 ウィルグルはその日の事を思い出して顔を暗くし、自身の両手を強く握った。

「他の国はどうか知らねえが、俺んとこではどんだけ強くなると分かってても小人に生き物を喰わすのはどんな理由であろうとタブーなんだ。それを犯した俺はここに飛ばされたんだが、それも悪いと思ってない。絶対にあいつらの仇を取るんだ」

 最初は恐怖していたレジイナだったが、ウィルグルの理由を聞いて離していた距離を再び詰め、強く握るその手の上に自身の手を置いて優しく包んだ。

「そうだったんだ、怖がってごめんね。私でよければ協力するよ」

 悲しそうな顔でそう言ってくるレジイナにウィルグルはフッと力を抜いて微笑んだ。

「ありがとう。だが、これは俺がやらなきゃいけないことだから大丈夫だ。今なら奴に勝てる自信はある。俺も小人にたんと喰わしてきたからな」

 そう言ってウィルグルはアジトにある観葉植物の近くで昼寝をする小人に目をやった。

「復讐するっつーのはわかったけどよ、そいつの特徴とか覚えてるのか?」

 カルビィンは復讐なんて虚しいのにな、と思いつつもウィルグルに質問した。

「見た目とか変えられたら分からないが、奴の胸に俺がつけた大きな切り傷がついているはずだ。それに奴のパートナーは忘れたくても忘れられないよ。俺のと同じで狂ってしまってたからな」

「やっぱり、あれは生物を食べたらなるやつだったのね」

 カルビィンは分からず首を傾げるが、レジイナはウィルグルの小人だけが焦点が合わなかったり、涎を垂らしてたりと他と違う様子である理由をやっと確信した。

「まあ、俺も力になれそうなら言ってくれや」

 ヒラヒラと手を振って笑いながらそう言ってカルビィンはウィルグルの肩をポンッと叩いた。

「俺も金くれんなら探してやらんでもない」

「金取るんかい」

 ブラッドはそう言ってレジイナからのツッコミを無視してウィルグルに笑いかけた。

「ありがとうよ」

 そう微笑んだウィルグルを見て三人は目を合わせて頷いた。

「そういえばカルビィン、てめえの理由は?」

 ブラッドは気になっていたカルビィンのここ、アサランド国に来た理由を聞いた。

「お、よくぞ聞いてくれたな」

「なんか、碌でもなさそう」

 聞いて欲しかったと言わんばかりでもないその態度にレジイナはうげっと顔を歪めた。

「キルミンの女と、て当たり次第にヤリまくったらここに左遷された」

 やっぱり碌でもねえな、と思って他の三人は呆れたような溜め息を吐いた。

「最低ね」

「それは最上級の褒め言葉だ。俺は誰かの物を奪うことに快楽を得るんだよ」

 そう言ってカルビィンはレジイナが咥えていた飴の棒に手をかけて無理矢理に奪った。

「あっ! 私の飴っ!」

「もーらい」

 カルビィンはニヤッと笑いながらレジイナから奪った飴を口に入れ、ガリガリと噛み砕き始めた。

「へへっ、他人から奪った飴はうめえな」

「悪趣味! 変態! 新しい飴を用意しろ!」

「やなこった!」

 ソファから立ち上がったレジイナから逃げるようにカルビィンもテーブルから立ち上がって逃げるように部屋の隅に移動した。

「むきー! 好きな味だったのに!」

 その場で地団駄踏むレジイナにウィルグルは「お前、もうすぐ十九歳だろ。落ち着けよ」と、呆れたように言った。

「む、まだ十八歳だもん」

「え、十八歳だったのか? 俺はもっとガキだと思ってた」

 レジイナが十八歳だと初めて知ったブラッドは驚いてそう言った。

「なによ」

 口を尖らして見てくるレジイナにブラッドは十八歳なら犯罪じゃないかと、顎に手を当てて冷静に考えていた。

「ちぇっ。なにさ、なにさ。そういうブラッドはいくつなのよ」

「二十四」

 ブリッドリーダーと同い年かよ。

 そうブリッドを思い出し、レジイナはそんな自身に嫌悪感を抱いた。

「んじゃ、ウィルグルは?」

「俺は二十八歳」

 てっきりウィルグルはブラッドと同じく二十三、二十四歳ぐらいだと思っていたレジイナは「へー」と、童顔のウィルグルの顔をまじまじと見た。

「んだよ、どうせ俺は童顔だよ」

「あはっ、心を読んだの?」

「顔を見れば分かるわ、ボケ」

 失礼きまわりないレジイナの態度にウィルグルは舌打ちをした。

「ちなみに俺は三十二だ。ほら、年下ども俺には敬語使えよ」

 聞いてもないのにそう自身の年齢を伝えてきたカルビィンに三人はまたもや溜め息を吐いた。

「カルビィンはもう少し大人になった方がいいよ?」

 レジイナが言うのかとブラッドは思い、ウィルグルは「レジイナに言われたら終わりだな」と、笑い出した。

「はあ? この補佐も務めてきた俺にお前が言うのはおかしくないんじゃねえか?」

「自分でも言うのもあれだけど、私と同じように言い合いしてる時点でやばいから」

 レジイナにしては正論を言う姿にブラッドとウィルグルは腹を抱えて笑い出した。

「ちくしょう! てめえら、この俺様の凄さが分かってねえだろ!」

 バカにされたように笑われてる事に怒ったカルビィンはそう声を上げて反論した。

「分かってるって! だからそんなカッカッすんなよ」

 レジイナもだが、暴れたら取り押さえるのに骨が折れるカルビィンをウィルグルは宥めた。

「そういえばジャドって幾つなの?」

 三人の年齢を知ったレジイナは今ここにいないジャドのことも気になってきた。

「確か、五十歳ぐらいじゃなかったっけ?」

「まあ、そんなもんだろ」

 ダンディなおじ様のジャドを四人は思い浮かべてそんなもんかと思った。

「じゃあここに来たのは?」

「俺も知らねえ。総括を降ろされて暗殺部に移動させられるなんて相当な理由なのかもな」

 レジイナとウィルグルはそう言って首を傾げた。

「俺、知ってるぜえ」

 ニヤニヤと口の端を上げて笑いながらそう言ったカルビィンにレジイナとウィルグルは興味深々に目を向けた。

「おい、この場にいねえやつの話してやんなよ」

 ブラッドはそう言ってカルビィンがその理由を話させないように制止の言葉を投げた。

 三ヶ月前にあったレジイナが酔っ払った件からブラッドはジャドへの信頼度を戻ろうと努力してきた。ジャドが知られたくないだろう理由をなにも言わずに聞いたと知られたら、次は何されるか分かったもんじゃない。

「ブラッドさんよ、いねえから話せるもんよ。それに理由を知っといた方がいい奴がいるしな」

 そう言ってカルビィンがレジイナに目を向けた瞬間、バンッと銃声が鳴ってカルビィンの頬から一筋の血が流れた。

「お、おいおい、合図しろよ……」

 カルビィンはゆっくりと両手を上げて自身の後頭部に銃口を押しつけてくるジャドに声をかけた。

「マナー違反なんてお前さんが言うなよ?」

 殺気を放ちながらカチ、と音を鳴らして再度発泡する準備をするジャドにレジイナは恐怖して隣にいたウィルグルの服の裾を思わず掴んだ。それを見て、ウィルグルはこの緊迫する雰囲気の中、勇気を振り絞ってジャドに声をかけた。

「俺らはジャドのここに来た理由は聞いてない。もう聞かないから銃を下ろしてくれ、頼む」

 真っ直ぐとこちらを見て懇願してくるウィルグルにジャドはゆっくりと銃を持った手を上げてから勢いよく降ろし、カルビィンの頭を殴った。

「いっ!」

「これで済んだだけでありがたく思えよ。お前さんにはもう少し教養が必要みたいだな。キルミンには俺から言っといてやるよ」

「ま、待ってくれよ! キルミンにまたボコられるじゃねえか!」

 ジャドはキルミン総括とブルースホテルの時に連絡先を交換してあり、それを使ってカルビィンのことを告げ口すると言った。あと数日で帰る予定だったカルビィンはキルミンからの暴力に恐怖で顔を青ざめた。

「またボコボコの顔で戻ってくんのか。見ものだな」

 ププッと笑いながらブラッドは三ヶ月前のことを思い出して笑った。

 三ヶ月前の休暇の時。カジノの一件で派手にやらかしたカルビィンをキルミン総括は失神寸前まで殴り倒し、「いつまで経っても俺に迷惑かけんな、クソが」と、説教を食らわされていたのだ。顔を腫らして飛行機に乗って帰ってきたカルビィンをレジイナは自分の時のお返しとばかりに腹を抱えて笑ってやったのだ。

 そんな話にウィルグルとブラッドは笑っていたが、レジイナは今だに殺気を隠しきれてないジャドに恐怖して体を少し震わしながら、ソファの上で膝を抱えて座ることしか出来なかった。

 

 

 

 ジャドがカルビィンに銃口を向けてすぐ、逃げるようにカルビィンはターゲットの尾行に、ブラッドは用事があると行ってアジトから出ていった。それを追いかけるようにレジイナはウィルグルと共に昼飯の買い出しに出ていた。

「なんだよ、ジャドが怒るのはいつものことだろ?」

 ウィルグルは今だに顔を暗くするレジイナに不思議そうに声をかけた。

「ウィルグルはいつもと同じに見えたの?」

 レジイナは歩みを止めて、ウィルグルを真っ直ぐに見て質問した。

「はあ? うん、いつもと一緒だな」

「そう……」

 レジイナは私しかあの殺気を感知できなかったのかと思った。そして、コートのポケットに手を入れてコツコツとヒールを鳴らして再び歩き始めた。

 ジャドは倍力化など身体面を強化する能力はないが気配を殺すのがとても上手い。倍力化を持つレジイナよりもだ。だから殺気を消すのなんていとも簡単にできる。それを隠さず、あえて仄かにレジイナに気付かせたのだ。

 絶対に私に知られたくないってことか……。

 そこまで考えた時、くしゅんっとレジイナは寒さにくしゃみをした。

「お前コートの前止めるなり、マフラーしろよ」

 はあ、と白い息を吐きながら「ほら、こんなに寒いだろ」と、言ってウィルグルは白い息に指を差した。

「……閉めれるもんなら閉めてるし、マフラーを買う金ない」

 そう言ってコートの前を閉めようと試みたレジイナにウィルグルは「流石デカパイ」と、下品な褒め言葉を言ってからマフラーを買う金ないとかどんな風に金を使ってんだ、と呆れた。

「ねえ、マフラー買ってよ」

 そう言ってレジイナは服屋のウィンドウに飾られているマフラーを指差した。

「やだね。俺が女に贈り物するのは自分の女だけだ。それに、あいつ以外にもう彼女を作る気ねえから諦めろ」

 何故か振られたような気持ちになったレジイナはふと、おかしくないかと思った。

「え? じゃあなんで私にキスしようとしてきたり、犯そうとしてきたわけ?」

 初めてウィルグルと仕事した時やカルビィンと一緒にレイプしてこようとした事を思い出してレジイナは質問した。

「男はな、下半身と上半身は別物なんだよ。それはそれ、これはこれ。それに惚れた女を他の男と一緒に犯すわけねえだろ」

 そうあっけらんかんに言いのけたウィルグルにレジイナは「最低」と、言って睨んだ。

「そう睨むなよ。カルビィンと違って俺はもうお前に手を出そうなんてしてねえだろ? もう許してくれよ」

「いいや、許さない。マフラー買って」

「ざけんなっつーの。ほら、ジャドも腹空かしてだ。いくぞー」

 バーカ、変態、ケチなどと暴言を吐いてくる十個も下のレジイナを無視して、ウィルグルは昼飯を買いに再び歩き出した。

 


 

 その後、数日経ってもターゲットの尻尾を掴むことが出来ないまま時間だけが過ぎ、カルビィンが一週間の休暇を取るためにザルベーク国に出発する日が来た。

「俺、帰るのやめようか?」

 カルビィンは出発する前に顔を出しにアジトに来ていた。

 アジトに着くと、そこにはソファの上で顔を紅潮させて寒さに体を震わせているレジイナがいた。

「ケホッ、ケホケホ……。ダメだよ、キルミン総括にボコられなきゃいけないんでしょ?」

 見事に風邪を引いたレジイナはそう言ってカルビィンに弱々しく笑いかけた。

「そんなこと、大したことじゃねえよ」

 ソファの横に膝をついてカルビィンは心配そうにレジイナの顔を見下ろした。

「んー、三十八.九度、完璧に風邪だな。だから厚着しろって何度も言っただろ?」

 レジイナの脇から取り出した体温計を見たジャドが持つ救急箱から抗生剤と点滴を取り出した。

「だって、こんなにアサランド国が冷える国なんて知らなかったんだもん……」

 四季はあるがウィンドリン国の冬はそこまで厳しくはない。それと同じように過ごしていたのをレジイナは心の底から後悔した。

「カルビィン、心配しなくても俺が治す。帰って大丈夫だ」

「そうか? でも……」

 心の底から心配するカルビィンにレジイナは熱さで潤ませた目で見上げながら声をかけた。

「気にしないで。それより三ヶ月に一回しか故郷に帰れないでしょ? ちゃんと休んできて」

 そんなレジイナにカルビィンは「ありがとよ」と、優しく頬を撫でてから荷物を持って立ち上がった。

「じゃあ、キルミンにボコられてくるわ。あとは頼むな」

 カルビィンは同じく心配そうにレジイナを見るウィルグルの肩をポンッと叩いてアジトを出た。

「ああ。任せろ」

 そう返事したウィルグルはレジイナをジャドに後を任してターゲットの尾行に向かった。今まではもしもの為に残っていたウィルグルだったがレジイナがダウンした今、残る必要がないため尾行に出た。

 本当は金を出してブラッドに任せるかなんて話が出たが、ブラッドは昼間は絶対に外せない用事があると言って、いつも昼間だけはこちらに顔を出さない。それにウィルグル以外の三人が動けない以上、死体が出ることはないのでわざわざアジトに残る必要がないのだ。

 ウィルグルはブラッドと尾行に今まで出ていた三人の情報からターゲットの住むマンション前で身を隠して監視した。今、時刻は十一時。いつも通りなら奴は十五時に出てきて繁華街にある飲食店に仕事に向かう予定だ。

 さて、交代の十七時まで頑張るか。

 そう気合いを入れてウィルグルは尾行を開始した。

 

 

 

 レジイナはジャドの療治化によって平熱まで熱が下がった。

 時刻は十五時過ぎ。レジイナは早いけどウィルグルと交代しようとソファから起き上がり、ジャドがかけてくれたコートを退けた。

「おい、まだ体が怠いだろ。抗生剤とビタミン剤をまた入れるから寝とけ」

 そう言ってジャドはレジイナの両肩に手を置き、ゆっくりとソファに再び寝かせた。

「もう、だいじょうぶ……」

 ガラガラとした声でそう言ったレジイナにジャドはバッカ、と言って軽く頭に手刀を入れた。

「風邪の治りかけが一番油断しちゃいけないんだ。今日は俺とウィルグルが交代して尾行する。お前は明日に備えて寝とけ」

「……迷惑かけてごめんなさい」

 レジイナはコートで顔半分を隠して目だけ出し、申し訳なさそうにジャドを見上げた。

「謝るなら早く治す。ほら、やるぞ」

 そう言ってジャドはレジイナの袖を捲って腕をさらけ出した。ジャドはプラスチックに入った点滴の薬液に手をかざし、液体だけ取り出して手の平の上にぷかぷかとシャボン玉のように浮かせた。それをレジイナの腕にスッと溶け入れるように直接血管内に入れ、吸収速度を高めて体の中に浸透させた。

 療治化は対象の治癒能力を早め、かつ直接治療ができる。魔法のような物に見えるがそうでもなく、不治の病やもう助からない命は救うことはできない。その対象の治癒力を高めるだけに過ぎないのだ。

 そのためジャドは薬剤を投与し、レジイナの元々ある治癒力を高めて風邪をいつもの何十倍も早く治すよう手助けをした。

「お前さんはまだまだ若いからな、すぐに治る。それまで大人しくしてろ」

「わかった……」

 ジャドの言う通り、大人しく治療を受けていたレジイナは目を閉じて再び眠りについた。

 ——外では夕陽が指しており、暗紫色も混じり不穏な雰囲気が包まれる中、レジイナは地下にあるアジトで再び目が覚めた。

 するとレジイナは横で深妙な顔付きで携帯に耳を当てるジャドに目をやった。

「どうしたの?」

「ああ、それが十七時過ぎて三十分程経ってんだが、ウィルグルが帰って来ねえ。それに電話も繋がらん」

「え……」

 ウィルグルはこの四人の中で誰よりも時間にうるさい。そんなウィルグルが連絡も無しに帰って来ないことがあるということは何かがあった可能性が高い。

「……私、探してくる」

 フラッとよろめきながらも立ち上がったレジイナにジャドは止めようとして開いた口を閉じた。今はレジイナの体調よりもウィルグルの安否の方が重要だと思ったからだ。

「分かった。俺は町中の監視カメラなどに意識を集中する。ウィルグルの位置が分かったらその方向に向けて銃で目印を出す。相手にも知られるだろうから爆速でそこに迎え」

 携帯を持たないレジイナに合図するのはリスクがありつつも、倍力化と獣化を使いこなすレジイナならすぐに現場に向かえれるだろうと踏んでの方法だった。

「了解」

 レジイナは自身のコートを着てアジトから出ようと歩き始めた。

「そう言えば、お前さんはどうやってウィルグルを探すんだ?」

 ジャドは武操化を使いこなせるが、レジイナはまだそこまで使いこなせない。疑問に思ったジャドにレジイナは鼻だけポンッと狼に変えて指を差した。

「ウィルグルの匂いを追う」

 レジイナはそう言ってからアジトのドアを開いてウィルグルの匂いを追って歩き始めた。

 ただの遅刻でありますように。

 レジイナはそう祈りながらオレンジ色と暗紫色の混ざった夕陽に照らされながらウィルグルの元に急いだ。

 

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