番外編 ただ会いたいだけ
「はあ? 一週間の休みが欲しい?」
ナール総括は目を通していた書類から目を離し、直属の部下にあたるブリッド・オーリン補佐に目をやった。
「おぬし、頭おかしいのか? こんな忙しい時になにを抜かしておるんだ」
ナール総括はそう言って目頭を押さえながら溜め息をついた。
「今、我らタレンティポリス、いや異能者が世に認められつつあり、改革が起こっている。おぬしがそれを一番わかってるおるだろうに」
先頭に立ってこの改革を起こした張本人であるブリッドは大きな隈を作った虚な目でナール総括を真っ直ぐ見た。
「分かってます。だから仕事は全部、終わらせておきました」
ドンっと音が鳴るほどの大量の資料をナール総括の机へと置いたブリッドは深く頭を下げた。
「この量を全て一人でやったのか……?」
膨大なその量にナール総括は驚きを隠せずに瞬きをした。
「お願いします。どうしても休みが欲しいです」
そんなにもこやつは疲労が溜まっておるのか?
——ブリッド・オーリンは最年少でリーダーとなり、そして倍力化部署内の最年少で補佐にも昇格した奇才溢れる青年だ。今回、補佐として昇格したきっかけは彼の部下にあたる少女が任務で人間の前で異能を使うというタブーを行ったこがきっかけだった。
異能者は人間に忌み嫌われる存在であり、その正体が知られればまともに外を出歩くことはできず、人間になにか危害を与えれば即死刑になる定めにあった。
しかし、今回そのタブーを犯した少女、しゅんりはアサランド国にいる人間と仲間の命を救うために異能者だと知られてしまったのだ。
そんなしゅんりを死刑にすると判断した人間にブリッドは自身の危険を顧みずに直談判をした。ナール総括はそれを目の前で見ており、そして全力でそれを支援した一人である。
ブリッドの意見を何故かこの国、ウィンドリン国の長となるジョニー・サイトウ大統領が賛同して異能者に対しての法律がガラリと変わり、タレンティポリスの存在が世に知れ渡ってしゅんりの死刑は取り消されたのだ。
その多大なブリッドの貢献は誰もが認め、当然というようにブリッドは補佐へと昇格したのがつい先週のことだった。
確かに皆からの期待を背負い、かつこの若さで責任重要な仕事を任せすぎておるか……。
ナール総括はブリッドの精神的休息も必要かと考え、「分かった……。今回限りだぞ?」と、ブリッドに一週間の休みを許したのだった。
「ありがとうございます!」
再び深々と頭を下げたブリッドにナール総括は「で、いつから休みとるんだ?」と、質問した。
「明日です! 今日はとりあえず俺、もう定時なんで上がります!」
「はあ!? ちょ、ちょっと待て!」
ナール総括の話を聞かずにブリッドはそう言って総括部屋から走って出て行った。
「おい! ブリッド、戻れ! 明日からなんて聞いておらぬぞっ!」
ナール総括の声が既に届かない範囲までに走っていったブリッドは急いで地上に移った総括部屋から地下にある補佐室まで向かい、鞄を取って急いでとある場所に向かって行った。
翌日、警察署のタレンティポリスの総括の部屋がある階にキャリーケースといくつかの紙袋を持ったブリッドがやって来た。
「はあ!? おぬし、今日から一週間休むんじゃなかったのか? てか、その大荷物はなんだ」
ナール総括の声かけに今までにないほどさっぱりとした「お疲れ様です」と、返事したブリッドは獣化の総括部屋のドアをノックした。
「失礼します」
「ちょ、ちょっと待て!」
まさかの訪問先に驚いたナール総括はブリッドの後に続いて獣化の総括部屋に入った。
「おお、ブリッド補佐ではないか」
「ブリッド補佐? どうしました?」
ナール総括は夫である一條総括と息子の翔に「何があったの?」と、目で訴えられたが、肩をすくめて自身もブリッドの行動が理解できてないとジェスターした。
ブリッドは机に座る一條総括の前へ机を挟んで前に立ち、昨日ナール総括にしたよりも更に深く頭を下げた。
「しゅんりを迎えに行きます。お願いです、日本がどこにあるか教えてください!」
そう来るか!
ナール総括はブリッドの後ろで片手で顔を覆った。
「確かにしゅんりをもう戻しても大丈夫みたいだが……」
「ダメです! しゅんり、今は獣化の修行中なんですから!」
父の言葉を遮って翔はブリッドのお願いを一刀両断した。
「お前、そればっかじゃないか! どうして日本からしゅんりを出したがらないんだっ!」
そう怒鳴って翔に詰め寄るブリッドにナール総括は「どうなってるんだ?」と、夫に小声で問うた。
「翔がどうしてもしゅんりに獣化を覚えさせたいらしい。まあ、それを口実にしゅんりを独り占めしたいようにしか見えないんだがな……」
はあ、と溜め息をついて自身の髭を撫でる夫にナール総括は「それは流石に引くぞ息子よ……」と、ドン引きしてますよという顔をしながらブリッドと口論する翔を見た。
「いいか。それは本当に今、必要な修行なのか!? あいつが安心できるように一度こちらに顔出してから本当に会得したいなら日本に戻ればいい! それはあいつを日本に監禁してるようなもんだぞ!」
「それはっ……! 違う、監禁なんてしてない!」
「してるようなもんだろうがよ! チッ、お前の意見なんてどうでもいい! 一條総括、頼む! 日本の場所を教えてくれ!」
ブリッドはそう言って再び一條総括に頭を下げた。
「ブリッド補佐、頼むから頭を上げてくれ。確かに翔のエゴもあるかもしれないがしゅんりのためでもある。獣化の修行中は他と出来るだけ遮断した方が集中力が上がるし、注意散漫だと獣になって戻れなくなるんだ」
「なら、余計にこちらに一度戻って安心させるべきです!」
「ぐぐぐ……、正論だ。ガルシア……」
困っちゃった、とでも言いたそうな顔をしてこちらに助けを求める夫にナール総括は顔を逸らした。
ナール総括はどちらの気持ちも痛いほど分かっていた。
しゅんりに一途に恋をし、何かとしゅんりのために頑張る息子。
しゅんりのためにこの国に改革を起こした部下。
わらわにどうしろと言うのだ。
「騒がしいと思ったら何だ?」
「わー、僕こういうガヤガヤしてるのイライラするんだあ。さっさと黙らせてよー、いちーじょー」
そう言って獣化の総括部屋にやってきたのは療治化総括のアイザック・ペレスと育緑化総括のジョシュア・ルーの二人だった。
「地上に上がって壁が分厚くなったって言っても流石に隣にいる俺らのことを少し考える事はできないのか?」
スーツの上に白衣をまとり、黒い前髪を真っ直ぐ切り揃えて後ろを刈り上げ、切り目で細身の体型をしたアイザック総括は溜め息をついた。
「ぼくー、ムカついて仕方なくなったら暴走しちゃうかもー」
えへへ、と笑いながら綺麗なストレートの緑色の髪をくるくると指に巻き付けながらそう言ったジョシュア総括はなんとも物騒なことを言った。
「もう、パパったらー。そんなことしちゃだーめよー?」
同じく綺麗な緑色の髪を長く生やした娘のアリスは父の横で笑顔で諭した。
どんどんと賑やかになっていくのう……。
この状況に息子が皆に悪い印象がついてしまうことに不安になったその時、次に訪問したのはルビー総括だった。
「何事かしらん? 事件でもあったの?」
ルビー総括は険しい顔をしながら来たが、ブリッドを見て何か察したのか溜め息をついた。
「もう、翔君。意地悪やめたらん?」
前々から事情を知っていたルビー総括はそう言って翔を諭した。
「意地悪なんてそんな!」
「私からしたらそう見えるわよん」
意地悪なんてつもりはないが、このまましゅんりを帰せばブリッドに取られそうで、頑なにしゅんりを日本から出さないようにしてた自覚があった翔は言葉に困って黙った。
ブリッドはそういえばと思い、次にルビー総括に頭を下げた。
「ルビー総括、お願いします! 獣化を一條総括に教えてもらったルビー総括なら日本への行き方を知ってますよね? 教えてください!」
あちゃー、次は私かとルビー総括は顔を手で覆った。そしてルビー総括はナール総括を横目でチラッと見て助けを乞うた。
だからなんで皆してわらわを見るのだ、と思いながらナール総括は再び顔を逸らした。
「なんだ、一條息子がブリッド補佐に意地悪してるのか?」
「わあ、恋敵ってやつー?」
「えー? ブリッド補佐ってナール総括にメーロメロじゃなかったっけー?」
「いや、シュシュ令嬢と付き合ってんじゃなかったか?」
部屋の端でもやは観客となっているアイザック総括、ジョシュア総括、そしてアリスはあーだこーだと考察して楽しんでいた。
「うう、ごめんなさい。確かに日本の場所を教えてあげてもいいけど、日本に行く手段は今の私にはないのん」
「ルビー総括っ!」
日本の事を話そうとするルビー総括を止めようとする翔の肩を叩いてナール総括は止めた。
「かっ、いや、ナール総括!」
興奮しすぎて自身を"母さん"と、呼びそうになった息子にナール総括は「それぐらい教えてやれ」と、言った。
「行く手段とは?」
「日本を統治している師範のお父様は育緑化の達人でもあって、部外者が入れないようにバリケードを日本全体に張ってるのん。日本に入るにはお父様が念を込めた石を持ってないと入れないのよ」
「でしたらそれを貸してください!」
「そうしたいのは山々なんだけど、それはしゅんりに渡してしまって無いのよん」
ルビー総括は本当に申し訳ないという顔をしてブリッドに伝えた。
「そうでしたか……。ルビー総括、教えて頂きありがとうございます。そしてしゅんりに逃げる道標を作っていただきありがとうございました」
感謝を述べるブリッドにルビー総括は胸を痛めて翔を見た。こんなに彼女を思ってるのになぜ会わすのがダメなのかとルビー総括はブリッドに同情した。
「なら僕がー、日本とやらに一緒にいこーかー? 育緑化の力なんでしょー?」
「本当ですか!?」
ジョシュア総括のまさかの提案に喜んだブリッドだったが、「日本の小人とやらと、西洋の小人は違うらしいから無理だと思うぞ」と、一條総括はジョシュア総括に声をかけた。
「ほおー、さすが息子。そのこと知ってるだーな。じゃー、力に慣れないなー。ごめんな、ブリッドほーさー」
再びどん底に落とさせたブリッドはガクッと肩を下ろした。
「ちくしょう……。ただ、あいつに会いたいだけなのに……」
哀愁漂うブリッドの姿にアリスは「あらー、やだー、かっこいいー」と、ふふっと笑った。
ナール総括は胸ポケットにあるターコイズ色の石に手を伸ばした。
これをブリッドに渡そうかと迷っていた時、「絶対にダメです!」と、更にブリッドに翔は否定の言葉をあげた。
「本当に獣化の修行を中途半端にすると危険なんだ。それにしゅんりがそれを本当に望んでる! 皆を守れる強さが欲しいと心の底から思ってるんだ!」
翔の言葉にブリッドはハッとした。
あいつがそんなこと思っていたのか……。
「相変わらずだな……」
あの時、人間にバレないようにと自身を犠牲にしたことはブリッド、タカラ、そして同じくこの場にいるナール総括は理解していた。
ナール総括は自身が一條総括の妻で、かつ翔の母であることなど知られてもいいと覚悟を決め、ターコイズ色の石を胸ポケットから出そうとしたその時、目の前にとある少女が姿を現した。
「あー、ルルちゃーん。やっときたー」
ルルと友人関係にあるアリスはブリッド派のため、ブリッドが日本に行けるようにと応援部員としてルルにメールをしていたのだ。
「ふんっ!」
ルルは翔の前に来たと思ったら思いっきりの力を込め、翔の顔面目掛けて拳を振り下ろした。
「ガハッ!」
翔は見事にルルに吹っ飛ばされ、ブリッドの荷物に当たって散らかし、そして壁を突き破ってそのまま隣の部屋である療治化の部屋まで転がっていった。
「いやーっ! 俺の部屋があっ!」
地下の薄暗い部屋から上階の綺麗な部屋に移動して喜んでいたのも束の間、たった一週間で崩壊した自身の部屋にアイザックは悲鳴を上げた。
「あんたのエゴでこっちがどんな思いしてんのか考えたことあるのかしら?」
しゅんりが日本から帰らないことに不満があるのは決してブリッドだけでなかった。
マオや、タカラにオルビア。そしてタレンティポリスの同期のメンバーにルルもだ。
「いつ死ぬか分からない状況でしゅんりを待ってる奴もいんだよっ!」
ルルはしゅんりが人間に見られ、日本に隠れていて会いに来れないことを知ってショックを受けた顔をしたシャーロットを思い浮かべながら翔に馬乗りになって左頬を殴り、そして次に右頬を殴った。
「落ち着け、ルル!」
ブリッドは翔を殴り続けるルルを後ろから羽交締めにしてなんとかその暴行を止めさせた。
「う、うっ……」
ルルは抵抗することなく、ブリッドに後ろから拘束されたまま声を殺して泣き始めた。
ブリッドはそんなルルの拘束をゆっくりと外して、ポケットに入れていたハンカチを渡してやった。
ズビーッと遠慮なくそれで鼻をかんだルルの姿にブリッドは苦笑しつつ、「俺の部屋に来い。甘いものでも食べるか?」と、子供をあやすように声をかけた。
ルルはうん、うんと声を出さずに頷き、ブリッドは散らかった荷物、しゅんりが好きそうなチョコやワッフルのお菓子が詰まった紙袋とキャリーバッグを持って部屋を後にしたのだった。
「ええ、あとどうしろと言うのだ……」
部屋を去った二人の背を見ながらナール総括は倒れる息子に、部屋を壊されたことに憤怒するアイザック総括と、それを宥める夫の声を聞きながら呆然とするしかなかった。
「わ、私は戻るわねん」
「おいっ! ルビー待てっ!」
自身を置いて逃げるルビーにナール総括は泣きたくなった。
翌日、ブリッドは休みを取らずに出勤していた。
あの後、部屋の片付けはナール総括と一條総括が行い、ルルにボコボコに殴られた翔は顔中湿布だらけになっていた。
そしてルルとブリッドの給料から天引きという形で壁の修復が行われることになったのだった。
壁の修復代は一條が持つべきではないかと、不満に思いながらブリッドは昨日のことを思い出しながら喫煙所でタバコを吸っていた。
「ブリッド」
「あ、お疲れ様です」
喫煙所にやってきて自身の名を呼んだのはナール総括だった。
さもなにもなかったかのような顔で挨拶してくるブリッドにナール総括はムッとしつつも、息子の我が儘のせいでなったことだし、と握った拳を下ろした。
「……言いたいことは山程あるが我慢してやる」
「……すいません」
流石に昨日はやり過ぎたもんな、特にルルがと思ってブリッドは頭を掻いて反省した。
「まあ、おぬしがわらわから恋愛対象をしゅんりに変えたみたいでわららは微笑ましいがな」
ジュッとタバコに火をつけてニヤニヤと笑いながらそう言ったナール総括にブリッドは少し考えて「いや、俺はあんたを抱けますよ」と、とんでもない事を言った。
「……殺されたいのか?」
ポキポキと手の関節を鳴らしながら般若の顔で睨んでくるナール総括にブリッドはやっちまったかと、反省した。
「すいません……」
流石に直球すぎたか、と思いながらブリッドはタバコの火を消した。
「俺、そんな分かりやすいっすか?」
「何を言う」
誰が見ても分かる程、相思相愛のくせにとナール総括は呆れた顔をした。
ブリッドがしゅんりに好意を抱きはじめたのはいつからだったのかは分からないが、それを自覚したのはしゅんりが人間にバレて逃走し、自身の側からいなくなったその時だった。
「なんか、すみません」
「何がだ?」
「いや……。でもナール様に恋してたのは本当です。今は心の底から尊敬しています」
「え、わらわが振られてるのか?」
なんて屈辱なんだ、と思ってブリッドを睨み、ブフッとナール総括は笑った。
「まあ、許してやろう。さあ、早く仕事に戻れ」
「ありがとうございます。失礼します」
ブリッドは頭を軽く下げて、自身の補佐部屋へと向かって歩き出した。
「ブリッドリーダー! 隙ありっ!」
後ろからそう聞こえて、ハッとして振り返ってブリッドは誰もいない廊下を見つめて顔を俯かせた。
しゅんりの幻聴を聞くなんて重症だな。
そう思いながら部屋に着いたブリッドは引き出しを開けて、しゅんりが落としていったアンティーク調の白い銃を取り出した。
「しゅんり……」
会いたい。会いたくてたまんねえよ……。
ブリッドはそう思いながら銃にそっと口付けを落としたのだった——。
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