2
しゅんりは真夜中に目を覚ました。
カチカチカチ……と時計の音が静かに響く中、昼間に愛翔がくれた花に目をやる。
「別にたまたま、お前みたいな色だなーと思っただけだし。勘違いすんなよ!」
そう言って口を尖らせ、顔を赤く染めながらピンク色の花を渡してきた愛翔を思い出してしゅんりは微笑む。なんとも微笑ましい話なのだが、愛翔がくれた花を飾ってからこの部屋に異変が起こり始めたのだ。
カサカサカサ……。時計の針とはまた違う音にしゅんりは怖くなり、頭まで布団を被った。
何も怖くない、怖くない。幻聴だ、幻聴。
しゅんりは目を強く閉じてまた再び眠ろうとした時、自身の胸元の上で何かが動く感覚がして布団を勢いよく捲った。
「きゃふふ、うふふ」
そこにはしゅんりの胸をトランポリンのように飛び跳ねる緑のジャージを着た小さなおじさんがいた。
小さなおじさんはしゅんりと目が合うと口を弧を描くようにあげて「うへへへ」と、笑った。
「きゃああああ!」
しゅんりは布団から勢いよく飛び起き、枕を持って愛翔の部屋へと向かった。
「愛翔君、愛翔君! 開けてー!」
「もう、なんなんだよ……」
愛翔は部屋の前で騒がしくするしゅんりにそう言い、目を擦りながら襖を開けた。
「お、お化け、お化け!」
「はあ? お化け?」
八つも年上のしゅんりが子供みたいな事を言う姿に愛翔は顔を歪めた。
「そう、お化けが出たの! お願い、一緒に寝て!」
「やだよ」
「そう言わずに!」
しゅんりは自身を冷たくあしらう愛翔にしつこくお願いし続けた。
「マジでしゅんり、めんどくさい」
夜中に無理矢理起こされ、機嫌の悪い愛翔はしゅんりを無視して襖を閉じた。
「この人でなしー!」
しゅんりはそう叫んで愛翔の部屋の前に座り込んだ。
「なに騒いでるの、しゅんり」
たまたま帰省していた翔は部屋から出てきてしゅんりの元へやって来た。そんな翔の姿を見てしゅんりは大きな瞳を潤ませてポロポロと泣き始めた。
「え、え、どうしたの!? とりあえず居間に行く?」
急に泣き出すしゅんりに翔は慌てながらだが、居間にしゅんりを誘導した。
「どうしたの」
「お、お化け、お化けが出た……」
しゃくりながらそう言うしゅんりに翔は苦笑した。
「なんだ、お化けか」
「なんだ、じゃないよ! 私の胸の上で飛び跳ねてたんだよ!」
「む。それは不躾なお化けだね」
そのお化け羨ましいなと翔は思いながらいる筈のないそのお化けに嫉妬した。
「もうダメ、一人じゃ寝れない。翔君、一緒に寝て」
「な、一緒に!?」
「ねえ、ダメ?」
目を潤ませ、枕を抱きながら上目遣いで見てくるしゅんりに翔は心拍数が上がっていった。今すぐにでも「イエス!」と、返事して自身の部屋に連れて行きたい気持ちをなんとか抑えて翔は居間で一緒に寝る事を提案した。
「翔君、起きてる?」
「起きてる、起きてる」
テーブルを挟んで布団を並べ、二人は居間で一緒に寝る事にしたのだった。そしてなかなか眠れないしゅんりは何度も翔に起きてるかと質問をし続けた。
「しゅんり、目を瞑って羊を数えなよ」
明日の朝には翔は再び任務に出なければならないため、正直しゅんりを無視して今すぐにでも寝たいのだが、しゅんりがちゃんと寝るまで起きてようと翔は努力していた。
「えー、羊?」
「んー、なら昔話でもしようか?」
子供のように寝かしつけようとする翔にしゅんりは「子供扱いされてる?」と、少しムッとしながら翔にその昔話をするようにお願いした。翔は日本によく伝わる桃から生まれた男の子が鬼退治をする物語をしゅんりに語り始めた。
「めでたし、めでたしと。……しゅんり?」
五歳児並みの精神年齢のしゅんりは翔が物語を話し終える頃には見事にすやすやと眠っていた。
「ふう、良かった良かった……」
翔はしゅんりが寝た事を確認すると自分も寝ようと寝返りをしゅんりの方へ向いた。
「んー……」
しゅんりは寝言を言いながら翔の方向に寝返りを打った。テーブルの下から見えるしゅんりは寝巻きが少し着崩れ、その豊満な胸の谷間が翔にはっきりと見えていた。年頃の男子にはそれは刺激的であり、もう翔は眠ることなど出来なかった。
「誰か、僕も寝かしつけて欲しい……」
そんなしゅんりに翔は振り回され、結局一睡も出来ず朝を迎えたのだった——。
「あらあら、翔坊ちゃん、目にクマがあるわよ。眠れなかったの?」
「あー、まあ」
百合は朝食時に既に疲れきっている翔にそう声をかけた。
しゅんりはそんな翔に気付くことなく、昨晩、自分を無下にした愛翔に文句を言っていた。
「愛翔君の人でなし!」
「夜中に突然お化けが出たーとか騒ぐしゅんりは頭がおっかしいんじゃないの?」
ベーと舌を出してしゅんりを馬鹿にする愛翔にしゅんりは「ムキー!」と、怒り始めた。
「ほらしゅんり、朝から騒ぐではない。愛翔も学校があるじゃろ、早く食べなさい」
大翔に二人は怒られ、渋々大人しく朝食を食べ始めた。
「それとしゅんり。後でワシの部屋に来なさい」
「分かった、大翔じいちゃん」
日本に来て早十ヶ月経ったしゅんりは大翔を"大翔じいちゃん"と、呼んで返事した。
「じゃあ、しゅんりまたね」
「うん、翔君ありがとうね。いってらっしゃい」
しゅんりの「いってらっしゃい」に翔は胸をジーンと熱くしながら任務へと向かって行った。
大翔の部屋に来たしゅんりは用意されていた座布団に正座した。
「どうしたの、大翔じいちゃん」
「いや、お化けが出たと言うておったからな」
大翔はそう言いながら室内にある盆栽に目をやり、しゅんりも追ってその盆栽に目をやって固まった。
「ふん、ふん、ふん!」
そこには刀を持ち、素振りする小さな侍がいた。しゅんりはゆっくりと首を回して大翔を見た。大翔は小さな侍が次に盆栽の周りをランニングし始める様を見るようにぐるぐると追うように目を動かし、そんな大翔にしゅんりは倒れそうになった。
嘘でしょ、お化けって本当に存在するの⁉︎
「しゅんり、あれが見えるか?」
「見えないと信じたいけど、見えてる」
「ほっほっ、そうかい」
大翔は立ち上がり、小さな侍を親指と人差し指でつまんで持ち上げた。
「無礼な! 離さぬか!」
手足をバタつかせながら抵抗する侍を大翔は手の平の上に乗せた。
「これは失礼した。なに、お前にお願いがあるんじゃ。そこの盆栽に花を咲かせてくれんかのう」
「ふん、そんなもの朝飯前よ」
小さな侍はそう言い、大翔の手から降りて盆栽の前へ駆け寄って両手を盆栽へとかざした。
「ふおおん!」
小さな侍の気の抜けたかけ声と共に盆栽からパッと花が咲いた。
「しゅんり、お前は獣化の前に育緑化の能力に目覚めたようじゃのう」
大翔のその言葉にしゅんりはお化けの正体が分かり、力が抜けてその場に後ろに倒れた。
それからしゅんりは森に一週間行き、一條家に戻っての一週間は大翔と共に育緑化の修行も開始した。近所の子供や咲蘭の相手をしつつであったが、ある程度に育緑化の能力が使えるようになった頃、日本は暖かな気候に包まれたいった。
「ねえ、なんで翔君って"翔"って名前なの?」
「突然どうしたの?」
「んー、今ね漢字の勉強してるからふと思って」
勉強嫌いのしゅんりにしては珍しく、日本語に興味が出てきたのか、愛翔の漢字ドリルを見ながら翔に質問した。
「んー、なんか一條家の男には"翔"っていう漢字をつけるのが習わしらしいんだよね」
翔はしゅんりが書いていたノートに自身の名前を書いた。
「じいちゃんは大翔、父さんは翼翔、弟は愛翔って書くんだ」
「へー」
「しゅんりはなんで"しゅんり"なの?」
西洋の名前らしくないその名前に翔は前々から疑問に思っていた。
「んー、何だっけなー。私、戦争孤児で助けてくれたおじさんが名前を付けてくれたんだけど、なんて言ってたかな」
「え、なんか僕、聞いちゃいけないこと聞いた?」
「ううん、大丈夫」
しゅんりはんーと腕を組みながら考えた。なんだったか、おじさんは春に咲く花のような綺麗な髪をしているとかなんとか言っていたような。
「なんか、春に木に咲く花のように美しく、そして凛とした女性になりますようにとかなんとか言ってたかな?」
「それって桜の事?」
「サクラ?」
「うん、日本にある春になると咲く花の事だよ。もう見頃じゃないかな。そうだな、"しゅんり"ってこう書くんじゃない?」
翔はノートに"春凛"と記した。
「これが、私の名前……」
「多分そうだと思うよ」
しゅんりはそのノートを持ち上げてそっと抱き寄せた。
「ありがとう、翔君。本当の名前を知れた……」
「うん、どういたしまして」
翔は微笑みながらそんなしゅんりを眺めながら、しゅんりを助けたその人は日本人なのかと考えていた。
それから二日後、しゅんりと翔は百合が作った弁当を持って例の桜の木を見に行っていた。
「わあ、これが桜」
大きな木に薄桃色の花が敷き詰められるように咲くその姿にしゅんりは目を輝かせた。
「わあ、すごいすごい!」
ふわっと起きた風に桜の花びらが舞い、しゅんりと翔の元にひらひらと舞い、しゅんりはそれをきゃっきゃっと喜びながら落ちてくる花びらを追いかけた。
「あ、翔君。頭に桜が付いてるよ」
「え、どこ?」
そう言う翔にしゅんりは近寄って背伸びをし、翔の頭に手を伸ばして花びらを取った。近い距離に翔はサッと顔が熱くなったが、しゅんりはそんな翔に気付かずに「ほら」と、言って翔に取った花びらを見せた。
「ありがとう……」
「どういたしまして。ねえ、早くお弁当食べようよ!」
お花見、お花見としゅんりは歌いながらレジャーシートを広げていた。
「しゅんり、僕、しゅんりのこと……」
「ん?」
翔はしゅんりに自身の思いを告げようとしたその時、さあっと大きな風が起こり、桜が大量に二人に舞い散った。
「いや、なんでもない……」
「そう? 翔君ほらほら、座って座って」
今、しゅんりに思いを告げるのは卑怯だ誰かに言われているようで、翔はしゅんりに告白することをやめた。
——しゅんりが日本で桜を見ていた頃。ウィンドリン国、首都リーシルド市の警察署の上階にある倍力化の総括部屋でブリッドは書類に目を通していた。
「失礼します。ブリッド補佐に訪問者です」
ノックと共に警官が入室し、ブリッドに報告した。
「誰だ?」
「出資者のシュシュ・パウエルです」
「……はあ、またか。通してくれ」
ブリッドは溜め息を吐きながらシュシュの訪問を許した。
「やっほー、ブリッドリーダー。調子はいかが?」
シュシュは相変わらず露出度の高い服を着こなしてブリッドの元へやってきた。
「ミス・パウエル。わざわざ俺の元に何の用だ。それに今は"補佐"だ」
しゅんりが居なくなってから、彼女の処分について一ヶ月もの間話し合われた。このままではしゅんりは表の世界には戻れず、下手したら処刑は免れない状況にあった。そんな人間達の話にブリッドは今のこの世の異能者に対しての扱いに物申した。
確かにこの世を脅かすのは異能者だ。だが、それは異能者を"異常者"として扱う人間のせいではないかと。そしてしゅんりはそんな人間を守ろうとしたヒーローだと擁護した。それからというものブリッドとナール総括を中心に異能者、タレンティポリスの在り方、組織の仕組み自体を大きく変えた。そんなブリッドの功績を讃えて、最年少で倍力化の補佐として就任してしゅんりがいつでも戻って来れるよう日々、仕事をこなしていた。
「えー、補佐様冷たーい」
シュシュちゃん悲しい、と言って嘘泣きをするシュシュにブリッドはこれでも忙しいんだぞ、と言いながらブリッドは目頭を抑えた。
「なによー、貴方が寂しい時は都合良くエッチさせてあげたり、銃のメンテナンス方法教えてあげたのに用がない時はそんな冷たくするわけ?」
「別にそう言う訳じゃないけど……。ほら、噂が立つだろ」
「なに、やることやって噂が広まって何が悪いの?」
実はシュシュは銃などの武器を扱う会社の令嬢であり、今はエアオーベルングズに出資していた社長の父の代わりに会社を継いでいた。そしてあの時いたほとんどの出資者はタレンティポリスに助けられた恩をにと出資している。そんな会社の中の一つにシュシュの会社があった。
そんなシュシュにブリッドは確かに、お互い酒に呑まれてあれから二回も体の関係を持っていた。
そして、しゅんりが大事にしていた銃は今はブリッドが預かっており、銃をいつでも使えるようにメンテナンスを定期的にしなければいけないのだが、しゅんりの持つ銃はとても古くてレアなデザインのため誰もその方法を知らなかった。たまたま武器を売買する会社の社長であったシュシュが唯一、その銃のメンテナンス方法を知っており、ブリッドはそのメンテナンス方法をシュシュに教えて貰っていたのだった。
シュシュの言う通りに都合良く彼女を扱っていたブリッドそれ以上言うことが出来ずにそのま黙ってしまった。
「黙らないでよ」
「すまない」
「……まあ、いいわ。今日は帰ってあげる」
シュシュはブリッドにそう言って部屋から出ようと扉に向かって歩き出した。
「……本当にすまない」
「思ってんならやんなよ、デカチン」
シュシュは振り返って、意地悪く笑いながらブリッドにそう言って部屋から退室した。
カチッとシュシュは警察署内でライターをつけてタバコを吸い始めた。警察署は喫煙所以外は禁煙なのだが、多額の金を出資してもらっている以上、誰もそんなシュシュに注意することなく見逃していた。
「ちょっと貴女。ここは禁煙よ」
そんなシュシュに怯まずある少女はシュシュに声をかけた。
「あーら、カミラちゃん。今日もかーわーいーいー」
「……バカにしてんですか?」
カミラはそう言って見下ろしてくるシュシュを下から睨み上げた。
「いや、この一年でカミラちゃん可愛くなったなーって思って」
今年で十六歳になる彼女はその歳にしては大人らしい格好をし、オシャレに気を遣っていた。しかし、シュシュのように大人の魅了はまだ無く、幼いカミラはシュシュに対して羨ましさとブリッドと親しくしている様に嫉妬し、敵意を剥き出しにしてた。
そんなカミラにシュシュは本当に可愛いなと思い、同じ男を好きになった物同士仲間意識を持っていた。
「お姉さんがいいアドバイスしてあげようか」
「……なんですか」
「あいつ、やめた方がいいわよ。本命がいるのに他の女と遊べるクソ野郎、貴女みたいな純粋で可愛い子はすぐ潰れちゃうわよ」
「知ってます、それぐらい……」
カミラは苦虫を噛み潰したような顔をした。分かってんならやめたらいいのにとシュシュは思い「あ、私もか」と、自身を潮笑った。
「なら、早く諦めなさい。じゃあね」
「それは貴女もでしょ……」
カミラは自身から立ち去るシュシュを睨みながら一人呟いた。
しゅんりと翔が桜を見て一か月経った頃、しゅんりが日本に来て一年が経過した。
一年間、森と行き来してある程度自然に慣れたと大翔は判断した上で何の獣化をまず会得したいか決まるまで森から戻ってくるなとしゅんりに命じた。
「まずはこれをしろ、とかではないの?」
「ああ。なりたいと思うものを決めなさい。でないといつまで経っても獣化はできん。獣化は真似をするだけではなく、その生物の生態や気持ち、行動など全て把握せんとならん。興味ないとそりゃでけん」
「んー、そうか。だから一條総括は鳥類、翔君は爬虫類とか決まってるの?」
「決まってはおらんが一つの生き物を会得するだけでも相当時間がかかる。あやつらも少しずつ時間かけてあそこまで獣化できるようになったんじゃ。まずは一つだけでも良いから何かを会得すること。そこからじゃ」
「分かった。森で色々な動物を観察してくる」
そう言ってしゅんりは山へ行き、三ヶ月経っても降りて来ることはなかった。
翔は久しぶりに帰省して、まだ山からしゅんりが帰って来ないことを聞き、様子を見に山へと向かった。
「あれ、翔君どうしたの?」
頭上から自身を呼ぶ声が聞こえて見上げるとそこには木の枝に座り、木の実を頬張るしゅんりがいた。
「元気そうで良かった。どう? やりたい獣見つけた?」
「それがぜーんぜん見つからなくて。イメージが浮かばないんだよね」
しゅんりは枝からクルッと回転しながら降り立ち、翔の周りをぐるっと回った。
「今は修行中だからお菓子はないよ」
「べ、別にお土産期を待してた訳じゃないもんっ」
翔はいつも日本に帰省する度にしゅんりにお菓子やパズルなどの簡単なおもちゃを渡していた。そのため、今回も何か貰えるかと期待していたしゅんりは図星をつかれてそう返答した。
「ふふ、そっか」
「笑うなんて酷い……」
しゅんりはそんな翔に拗ねたように地面を軽く蹴った。
そんな二人にある動物達がこちらに向かって来ることにしゅんりは気が付いた。
「狼!?」
しゅんりも幾度か狼を見かけたが、あちらが警戒し一切こちらに近付くこともなかったし、しゅんりも鋭いあの牙や爪の餌食になるまいと距離を置いていた。
スピードを落とすことの無く向かってくる狼の群れにしゅんりは逃げようと走り出したが、翔はその場に立ち止まっていた。
「翔君、早く逃げっ……!」
何故逃げないのかと思ったその時、翔は先頭にいた狼に突進されて地面に倒れた。
「翔君!」
しゅんりは狼に襲われる翔を助けようと駆け寄ろうとしたが、しゅんりはその光景を見て歩みを止めた。
「あはは、こらそんな舐めるなって」
狼はクゥーン、クゥーンと鼻を鳴らしながら翔の顔を舐めていた。
「あれ、しゅんりどうしたの?」
驚きの余りに動けずにいるしゅんりに翔は首を傾げた。
「どうしたじゃないよ……」
しゅんりは安堵してその場に座り込んだ。
「翔君が狼に噛み殺されるかと思った」
「ああ、大丈夫だよ。ここの狼は人を襲ったりなんかしない。むしろ他の動物から人が襲われないようにこの山を統治してるんだよ」
「ふーん」
狼はそう説明する翔に頭をスリスリと擦り付けた。しかし、しゅんりが翔に近寄ろうとするとヴヴーと唸って牙を出した。
「え、襲わないって言ったよね?」
「そのはずなんだけど、なんでだろ」
翔はその狼を落ち着かせようと頭を撫でた。クゥーンと再び甘え始める狼を見てしゅんりは「いいな……」と、呟いた。
「え? 今はこの子達に触れられないと思うよ」
「え? あ、そうだよね。あはは、無理だよね」
しゅんりは翔の言葉にハッとしてそう返事した。頭を撫でたいのでは無く、撫でて欲しいと何故か思った自分に恥ずかしくてしゅんりは顔を伏せた。どうしてもこんな時に思い出すのはいつもあの人なのだ。
「翔君、いま修行中だから外のこと教えて貰うのは無理だよね?」
しゅんりは翔に伺うようにそう質問した。
「やめた方がいいと思う。獣化の修行は集中力が必要なんだ。生半可な気持ちでやればその獣そのものになって戻れなくなるよ」
獣化はその獣の能力を使用できる代わり見た目も変化し、多少性格も獣化中は似る。強い心を持たなければそれに侵食され、もう二度と元の人間の姿に戻れなくなってしまうことがあるのだ。
「そう、だよね……」
「ごめんね。今から本番なんだから集中した方がいいよ」
「分かった。ありがとう」
そう言ってしゅんりは今だに翔に甘える狼を見て決意した。
「私、狼にする!」
それから更に一ヶ月、しゅんりは狼の生態を学ぶべく、山に籠って狼を観察した。最初は警戒してしゅんりに唸っていた狼達だったが徐々にに慣れてきて、しゅんりに甘えることは無かったが食べ物などを与えるようになった。
私、狼にさえも保護対象なのかな、と思いながら狼の群の中、雌狼のお腹を枕にしてしゅんりは眠りながら考えた。
「もふもふして暖かい……」
狼に囲まれながら人にはない暖かみを感じてしゅんりは眠りについた。
一ヶ月後、しゅんりは久しぶりに一條家に戻り、大翔の部屋へ来ていた。
「しゅんり、狼に決めたと翔から聞いていたぞ」
「うん、狼がいい。戦闘にも適した獣だし」
「そうか。にしても今回あんなに長く山にいて大丈夫だったか? 寂しかったろうに」
人間は人と関わらないと精神的に病むもの。そんなしゅんりに大翔はずっと気にはかけていた。
「大丈夫。山はどこにいてもこの子達がいて暇はしなかったし、"この子"も語りかけてくれたよ。それに狼達も私を歓迎してくれていたから」
しゅんりは小さな小人のことを指して話をした。基本、植物の周りには小人や妖精と呼ばれる者は存在し、育緑化の能力をもつしゅんりはそんな者達が話し相手になってくれていたのだ。そして、しゅんりが"この子"と差した物、ルビー総括から借りていたターコイズブルーの石をポケットから出した。
このターコイズブルーの石は大翔が小人の力を借りて念を込めて作った物だった。
これがなければ大翔が育緑化の力で張ったバリアを通り抜けて日本へ入ることは出来ない仕組みになっている。そして育緑化にしか聞こえないのだが、この石は時々語りかけてきたりと意思が存在していた。
「ほー、話までできるまでになったか。結構、結構」
「それより、早く獣化の修行しようよ。次の試験まで七ヶ月しかないんでしょう?」
「まあ、今の調子なら間に合うかもな。よし、次の春にある試験までに仕上げよう」
一年に一回ある異能者のグレードを決める試験は学生の卒業試験と共に基本は行われる。しゅんりはそれに合わせて獣化と育緑化の試験を受けようと考えていた。
「獣化の修行は厳しいぞ。覚悟はいいか?」
「山に籠ってから覚悟はとっくに決まってるよ。ばっちこい!」
それから七ヶ月間、今まで味わったことない過酷な修行が始まった。それはブリッドと行った倍力化の訓練がちっぽけなものに感じる程だった。一週間、獣化が解けず耳と尻尾が生えたままの時もあれば、無意識に月に向かって遠吠えしたりなどど、それはそれは大変だった。
試験を控えて一週間程前のある昼下がり。ある程度形になり、グレード3を会得出来る程まで成長したしゅんりは翔と愛翔と共に山菜を取りに出掛けていた。
日が沈みかけた頃、しゅんりと愛翔は翔より先に帰路に着いていた。
「翔君も帰ったらいいのに」
「兄ちゃん、松茸食わしたいとか言ってたけどそんな簡単に見つかんないんだから諦めらいいのに」
「松茸食べてみたいとか言わなかったらよかったな」
二人は翔の話をしながら一條家の扉を開けた。その時、いつもと違う食べ物の匂いに二人は鼻をクンクンとさせた。
なんだろ、この懐かしいトマトの匂い。
「母ちゃんだ!」
愛翔はそう言って玄関にさっき取った山菜を置いてキッチンに向かって走り出した。
「母ちゃん!?」
気になっていた翔と愛翔の二人の母親をとうとう見れると思い、しゅんりは愛翔の後を追って急いでキッチンに向かった。
「母ちゃん、母ちゃん!」
「おお、愛翔。大きくなったのう」
母ちゃんと呼ばれた人物は愛翔を抱き上げ、大きくなった息子に感動していた。
「な、な、なななな!」
しゅんりは二人の母親を見て、驚きの余りに言葉が上手く出ずにその人物を指差して固まってしまった。
「おう、しゅんり。大分髪を切ったな。今夜はナポリタンだが良いか?」
金髪で青い瞳をし、相変わらずスタイル良いその女性はしゅんりにそう言い、愛翔を抱き上げながら器用に調理を再開し始めた。
「ごめんよ、しゅんり。松茸がなくて……」
翔はキッチンに入るや否やそうしゅんりにそう声をかけた。そして翔はキッチンにいる母親の存在に気付いて、驚きの余りに山菜を床に落としてしまった。
「しゅんりがいる間は帰って来ないでって言ったじゃないですか、ナール総括!」
「日本ではママと呼べとあれ程言っただろう、翔!」
ナール総括はそう言ってお玉を翔に向かって投げつけたのだった。
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