六章 春凛
1
翌朝、しゅんりはいい匂いがして目を覚ました。
トントンとリズム良く鳴る音の方へ向かうと、百合が割烹着と呼ばれる白いエプロンを着て朝食を作っていた。
「百合さん、おはようございます」
「あら、しゅんりちゃん早いわ……」
百合はそう返事しながら振り向き、そしてしゅんりの姿を見て静止した。
「か、か、髪……」
百合は驚きのあまり、しゅんりの頭を指差して固まってしまった。
「ああ、えーと、イメチェンです」
あははと、乾いた声でそう笑うしゅんりに百合さんは何となく昨晩あったであろう事を察した。そして、しゅんりの次に居間にやって来た大翔に向かって百合は持っていた包丁を投げつけた。
「この糞爺いいい!」
居間にある低い大きなテーブルを囲むように大翔、翔、愛翔、百合、そしてしゅんりは座布団と呼ばれるクッションを床に直接置き、その上に座って朝食を食べていた。
「はい、しゅんりちゃん。あーん」
「あーん。ううー、百合さんこのオムレツ美味しい!」
「卵焼きっていうのよ。もうお米がお口に付いてるわよ」
しゅんりは昨日と同じように百合にご飯を食べさせてもらったいた。
「百合さん、ワシには卵焼きはないのかえ」
「ある訳ないでしょ! しゅんりちゃんの綺麗な髪の毛バッサリ切って、本当に最低です!」
百合は雇い主である大翔にそう言い、しゅんりに向き合った。
「怖かったわよね。よしよし」
「えへへ。百合さん、好きー」
「ああん、しゅんりちゃん可愛いー!」
百合はしゅんりにメロメロになっており、それを見ながら大翔と翔は溜め息を付いた。そして愛翔は昨日と変わらずしゅんりを睨みつけていた。
「おい、おっぱい星人」
「な、私はしゅんりっていうのよ!」
不躾な事を言う愛翔にしゅんりはそう言って胸を張った。
「何偉そうにしてんだよ。百合おばさんにご飯食べさせてもらってるお子ちゃまのおっぱい星人。ほーら、箸も持てないなんてだっせー」
愛翔はしゅんりに箸を上手に持って食べる様を見せつけてそうバカにした。
「ムキー! ハシぐらい使えるもん!」
そう言ってしゅんりは百合から箸を奪い取り、ご飯を食べようとして味噌汁を豪快に溢したのだった。
翔は朝食後、再び任務に戻るため身支度を整えてからしゅんりを探しに居間へ向かった。
「……何してるの、しゅんり」
「箸の訓練」
しゅんりはプルプル震えながら箸を持って豆を皿から皿へと移動させていた。翔はそんなしゅんりを見て苦笑した。
「まだ腕の怪我が治ってないんだから安静にしないとでしょ」
「これぐらい大丈夫。それに愛翔君をギャフンと言わしてやる」
箸を使えるようになったぐらいでギャフンはしないだろうなと思いながら翔はしゅんりの隣りに座った。
翔は自身の想い人が実家にいるこの幸福感に浸りながら、昨日しゅんりが蛇に運ばれてる時、助けを求めてブリッドの名前を呼んでいた事を思い出した。
「……ねえ、翔君。皆、大丈夫かな」
こちらを伺うように見るしゅんりに翔は申し訳なさそうに視線を外した。
「ルビー総括の連絡が来てすぐここに来たから僕もあんまり状況を分かってないんだ。大丈夫だよ、またあっちに戻れるようになるから。それよりもしゅんりは箸の訓練は一旦やめて安静にしなよ」
翔は箸を持つしゅんりの手の上に自身の手を重ねて、テーブルの上に手をゆっくりと置かせた。
「今度来る時はフォークとスプーン買ってくるよ」
「いい、ちゃんと使えるようにする」
「もう、頑固だなー」
しゅんりは口を膨らませ、翔の言葉を否定した。
フォークとか使ったらまた愛翔君にバカにされる。
「やーいおっぱい星人、箸は使えるようになったかー?」
「でたな、マセガキ!」
しゅんりは居間を覗きに来た愛翔にそう言って追いかけた。
「うわー! おっぱい星人が来たー!」
「待ちなさい!」
まだ痛む足では子供である愛翔には追いつく事なく、愛翔は玄関付近にいた百合に「行って来まーす」と言い、出掛けて行った。
「ちくしょう、あのマセガキめー!」
しゅんりは玄関で地団駄を踏んで怒りを露わにした。
「もう、しゅんりちゃんったら。あら、愛翔坊ちゃん、体操服忘れてるわよー」
玄関に置いてある袋を持って百合は愛翔を追いかけるように出て行った。
「体操服?」
「愛翔はまだ小学二年生だから学校に行ったんだよ」
「そういえば変わった鞄を背負ってたな」
黒くて四角い鞄を背負っていた事をしゅんりは思い出していた。
「ランドセルって言うんだよ」
「へー。日本は他と全然違うんだね」
「まあね。昔は日本も洋式を取り入れていたらしいけど、千年前にほとんど海に沈んで、こんな田舎の土地だけ残ったらしいよ。それでこんな田舎に逆戻り。元気になったら街を歩いてみたら面白いと思うよ。ほとんど和式なのにたまに洋式なところあるから」
「ワシキ?」
「うーん、日本風的な?」
「ふーん」
翔の説明にしゅんりはそう返事して翔が腰に剣を挿している事に気付いた。
「……翔君、行っちゃうの?」
「うん。任務の途中だったからね」
寂しそうに顔を俯かせるしゅんりに翔はここに残りたい気持ちをなんとか飲み込んだ。
「少しでも空きが出来たらまた戻るよ。そんな顔しないで」
「うん、ありがとう……」
翔はしゅんりを抱き寄せたくなる腕をなんとか抑えて靴を履き始めた。
「あら、翔坊ちゃん、もう行くの?」
「百合さん、坊ちゃんはもうやめてよ。僕もう十八歳なんだよ」
「私からしたらまだまだ子供です」
百合は翔の服が歪んでないか確認して、胸にぽんっと優しく手を置いた。
「お気をつけて」
「ありがとう。しゅんりのことよろしくお願いします。じゃあしゅんり、またね」
「うん、またね」
しゅんりは手をバイバイと、軽く振って翔を見送った。
「さあさあ、しゅんりちゃん。お体冷えちゃうからお布団に戻りましょうね」
「はい……」
しゅんりは百合の言う通り布団に戻って再び眠りについた。
——あれから約二週間、しゅんりは百合と大翔の看病のおかげで跡も残らずに火傷などの怪我が治った。
そのタイミングで大翔はしゅんりに獣化の修行を受けるかどうか質問した。
「是非、やらせてください」
しゅんりは日本式の土下座というポーズをして大翔に弟子入りをお願いした。
「よし、修行をつけてやろう。ではしゅんり、これに着替えなさい」
大翔はズボンに着物のような上の服を渡した。
「これは?」
「作務衣じゃ」
「サムエ?」
「うーん、着物のズボンバージョンと思いなさい」
「わかりました。着替えて来ます」
しゅんりはいつも部屋着として着せてもらっている浴衣はいつも百合に着付けしてもらっていたが、作務衣は一人でも着替えられる容易なものだった。
「おお、サイズぴったりじゃな。では、来なさい」
しゅんりは髪を隠すために和柄のバンダナを頭に巻き、草履を履いて大翔と共に初めて外を歩いた。
「ほっほっ。周りを見るのもいいが、転けないようにな」
「あ、はい」
物珍しいのか、キョロキョロと周りを見るしゅんりの姿に大翔は笑った。そして物珍しそうに見るのはしゅんりだけではなかったことに気付いた。
「なんか見られてる気がする」
「まあ、他とは違ってここは純潔の日本人ばっかだからな。外人さんが珍しいんじゃよ」
「ガイジン? なんかその響きやだなー」
「まあ、許してくれんか。そういえば翔や愛翔もハーフで同じような思いしとるなー」
「ハーフ?」
翔と愛翔と顔を思い出しながらしゅんりは周りにいる人を見た。
「うーん、確かにそう言われると純潔の日本人とやらではないのかも」
日本人の顔に比べたら二人は少し目鼻立ちが立ち、目は深い青い色をしている。
「そう言えばお母さんはいないんですか?」
二週間ずっと世話になってきて翔と愛翔の母親を見なかったなとしゅんりは不思議に思い、大翔に質問した。
「うーん。まあ、内緒じゃ」
大翔の言葉にしゅんりは首を傾げた。まあ、他人には言えない家庭の事情はあるかと思い、それ以上しゅんりはその事について質問しなかった。
「ほれ、着いたぞ」
山の中に入る為にある、長く続く階段の入り口には真っ赤な木のアーチのような物があり、その前で大翔は立ち止まった。
「これは鳥居と言ってな、神様が住む神社へ入る入り口じゃ。この山はそれ自体が祀られておって神の住む神社とされておる。まずはこの山にある本殿へ行くぞ」
「ジンジャ? ホンデン?」
「ほっほっ。そうじゃな、この山が教会の建物で、本殿はイエスキリストの像とでも言おうか」
「ほーほー」
しゅんりにそう説明した大翔はしゅんりを置いてスタスタと階段を軽々と登っていった。予想以上に速いペースにしゅんりは大翔を心配しつつ、後ろを着いて言った。
「ちょ、大翔さん。休憩しよう!」
「なんじゃお前さん、倍力化もってんだろう?」
「いや、そうだけど!」
まさかこの階段が山の頂上まで続くものなんて聞いてないから!
流石のしゅんりでも息を上げてる中、腰を曲げた老人とは思えないスタミナで速く階段を上がる大翔の姿にしゅんりは驚きを隠せないでいた。
「大翔さんは幾つですか……」
「七十六歳じゃ。ふう、最近の若者は弱っちいのお」
はあ、と溜め息を吐く姿にしゅんりは言い返す元気なく、そのまま項垂れた。
「ほら、足を動かせ。まずはここの神さんに挨拶もでけんやつは修行などやらさんぞ」
そう言ってしゅんりを置いて再び階段を登り始めた大翔にしゅんりは歯を食いしばって再び足を動かした。
「やっと、着いたっ……!」
「情けないのお」
階段を登り切ったしゅんりは汚れることを気にせずにそのままにへたり込んだ。
そんなしゅんりに大翔はそう言って、目の前にある本殿へと歩き出した。
「あう、待ってよお」
ふらふらとしながらもしゅんりは大翔の後ろを着いて歩くと、そこには木造の大きな建物があり、その前には四角い木の箱とその上には鈴が着いた大きく太い紐が垂れ下がっていた。
大翔はその前で立ち止まってお辞儀を二回してから四角い箱の中にコインを入れて、紐を左右に揺らして鈴を鳴らした。そして二回手を叩いたかと思ったら目をつぶって静止した。
しゅんりは何をしてるんだろうと見ていたと思ったら大翔は再び本殿に向かって再びお辞儀をした。
「ほら、しゅんり。お前さんも神様に向かって修行をさせてもらうことをお願いしなさい」
「今のはお願いするための儀式?」
「んー、儀式。そんなもんかのう。さあ、やりなさい」
しゅんりは大翔に教えてもらいながら同じことをし、心の中で「お邪魔します。修行させてもらいます」と、そう唱えた。
「よし。じゃあワシは帰るが、一週間ここで過ごてしから帰ってこい」
「ん?」
しゅんりは大翔のその言葉が理解出来ずに首を傾げた。
「……えーと」
「獣化はな、自然の中にいて初めて会得できる能力じゃ。そのため、都会にいた者は山の中で自然の素晴らしさや厳しさを知ることから修行が始まるのじゃ。まずは山の中でとりあえず一週間過ごして慣らしてこい」
「まさか、手ぶらで過ごすの?」
「ピクニックかなんかと勘違いしてるんか? そんな邪道な物を使用する事は許さん。それにこの山は色々な木の実や生き物、川もあるから困らん」
まさかサバイバル生活を強いられるとは思ってなかったしゅんりは冷や汗が止まらなかった。
いやいや、そんな虫とか私、駄目なんですけど!
「強くなりたいんだっけな? しゅんり」
そう圧を掛けてくる大翔にしゅんりは諦めて、ガクッと力なく頷いた。
「一週間したら戻って来なさい。そしたらまた一週間休み、また一週間山に篭る。これを一年続けれたら獣化の修行をしてやろう」
獣化の修行までの道のりは長いなと、大翔のその言葉にしゅんりは目の端に涙を浮かべながら、階段を降りていく大翔の姿を見つめ続けた。
一週間山に籠り、一週間一條家で休む修行を四回繰り返して、アサランド国の任務から早二ヶ月程経過した。
最初の頃は森の中でまともに食べるものを見つけれず餓死寸前で戻ってきては、一週間寝込むなどを繰り返していたしゅんりだったが、徐々に山のことを自力で学んでそれなりに過ごせれるようになってきた。
先日、日本に戻ってきた翔からタレンティポリスの今の状況を聞いたが、獣化の修行中は出来るだけ外と遮断された状況の方がいいと言われて何も教えてくれなかった。すぐにまた任務へと戻っていった翔にしゅんりは寂しく思いながらも、翔が買ってきてくれたジグソーパズルをしながらチョコを口に含んだ。
「レディの部屋を覗くなんていい趣味してるじゃないの、愛翔君」
「うるさい、おっぱい星人」
しゅんりの部屋を覗く愛翔にしゅんりはそう言い、相変わらず生意気な態度を取ってくる子供にしゅんりは「私、子供が苦手だったんだな」と、思いながら溜め息をついた。
そんなしゅんりに愛翔は近寄り、いきなり膝の上に座ってきた。予想だにしなかった行動にしゅんりは目を見開き、身動きせずに愛翔の後頭部に目をやった。
「皆、俺からいなくなる。父ちゃんも母ちゃんも全然帰ってこないし。兄ちゃんはたまに帰ってくるけど。しゅんりも修行だって言ってすぐどっかに行く」
寂しそうな声でそう言う愛翔にしゅんりは胸が締め付けられた。そう言えば愛翔がしゅんりを敵意するようになったのは、翔が久しく帰って来たのにしゅんりのことばかり構っていたのが原因だった。
「私、家族いないんだ」
「え、お父さんもお母さんもいないの?」
しゅんりの言葉に驚いて愛翔は振り向いてしゅんりを見上げた。
「うん、だから寂しいの分かるよ」
そう言ってしゅんりは愛翔を優しく抱き締めた。
「よしよーし」
しゅんりはそれ以上何も言わずに愛翔の頭を撫で続けた。
「うう、しゅんり、俺、寂しいっ……!」
子供らしく泣くその姿にしゅんりは優しく微笑んだ。そして愛翔のその姿を見て、ブリッドリーダーもこんな気持ちだったのかなと考えていた。
それからというとの、愛翔は何かとしゅんり、しゅんりと声をかけてしゅんりに日本のことを色々と教えてくれた。
できるだけ修行の時以外は外に出ないようにし、修行に出かける時も朝方など人気のない時に出ていたしゅんりからしたらとても新鮮で楽しい時間となっていた。
そして二人はしゅんりの精神年齢が低いこともあってか話がとても合い、一條家には二人の楽しそうな姿に和やかな雰囲気が漂っていた。
「ねえ、しゅんり! 俺がこの日本を案内しやるよ!」
夕飯時、胸を張ってそう提案した愛翔にしゅんりは困った顔をした。
「いや、私がここにいること隠した方がいいと思うからやめようかな……」
一條家の人間以外に見られると異能者だと知られて白い目で見られるんじゃないかと怖く思い、しゅんりは愛翔の提案を断った。
「何言ってんのしゅんり」
「そうじゃ、今更」
「そうね」
しゅんりの言葉に各々そう言う三人にしゅんりは頭上にはてなマークが浮かんだ。
「どういうこと?」
「いや、こんな狭いところじゃ。お前さんがいることなどとっくに日本全体に知れ渡っとるっちゅうに」
「学校でもガイジンが来たってみんな噂してるぜ!」
二人の言葉にしゅんりはガクッと力が抜けた。今までの努力はなんだったのだろうか。
「ねーえー、しゅんり行こうよー」
「えー……」
日本中に知れ渡ってると知っても抵抗感が拭えないしゅんりは愛翔の誘いをどう断ろうと考えていた。
「しゅんりちゃんがお出掛けするなら、うんっとお洒落しなくちゃね! 私が若い頃に着ていた着物持ってくるわね」
「それは良いのお。いつも作務衣や寝巻きばかりじゃ気が滅入るだろうからな」
「ちょっと、二人共!」
しゅんりの気を知れずか、三人は何処にしゅんりに案内しようか盛り上がっていた。
うう、あの日のことバレたらどうするのよ……。
しゅんりは不安に駆られながら三人の言う通りに翌日の昼に愛翔の案内で日本を巡ることとなってしまった。
日本の人達は着る物が様々であった。
大翔や百合のように着物を着る物もいれば、翔や愛翔、そしてしゅんりがいたウィンドリン国と変わらない洋服を着る者もいる。
「いわゆる和洋折衷ってやつさ!」
そう言ってふふんっとしゅんりが知らない言葉を得意げに言っていた愛翔をしゅんりを思い出していた。
翌日、しゅんりは百合によって袴と呼ばれる上下に分かれた着物を着せてもらっていた。
「はい、あとはこのベレー帽を深く被れば髪の毛は隠せるわよー」
もう隠す必要ないと思うけどねと、百合は心の中で思いながらしゅんりにベレー帽を被せた。
「うぐっ、お腹も胸もキツい……」
帯でキツく締められた腹に入り切らなかった胸を小さくする為にサラシで巻かれ、しゅんりはキツそうに呼吸を荒くした。
「直に慣れるわ。あと、しゅんりちゃんは靴の方が歩きやすいと思ってブーツを用意したわよ」
そう言って百合は茶色の紐結びされたショートブーツをしゅんりに見せた。
「ブーツだとありがたいです。ゲタだと歩き辛くて」
百合の持ってきたブーツを既に懐かしく思いながらしゅんりは玄関でブーツを履いて、愛翔が来るのを待った。
「しゅんり、待た……」
愛翔はドタドタと玄関に向かって、しゅんりに声をかけながらその姿を見た時、ピタッと足を止めた。
「あ、遅ーい」
ぷくっと頬を軽く膨らませながらそう言ったしゅんりに愛翔は頬を赤く染めて俯いた。
「あらあら」
「ほっほっほっ」
そんな愛翔の様子に大人二人はニヤニヤと笑った。
「ん? どうしたの?」
「な、なんでもない! 行こうぜ!」
愛翔はしゅんりの顔を出来るだけ見ないようにして、しゅんりの手を引いて二人から逃げるように家から出たのだった。
「いやあ、兄弟揃ってしゅんりの虜とはな」
「やっぱり兄弟って似るんですねー」
ふふふっと笑い、二人の後ろ姿を見る大人二人はそっと玄関の扉を閉めるのだった。
愛翔に手を引かれながらしゅんりは日本を案内してもらっていた。
「ここがじいちゃんが主に育ててる畑。すげーおもしろいんだぜ。にょきにょきーって一気に生えてトマトとかポンってできるんだ」
「育緑化って凄いなー」
「で、ここが俺が通う学校!」
五十メートル先にある大きな建物を指差して愛翔は言った。
「ウィンドリン国とあんま変わんないな」
白いコンクリートに覆われ、建物の中心には大きな時計がある作りはどこの地域でも共通なんだなと思っていた時、「わあ、外人さんだー!」という声が聞こえてきた。
五人の愛翔と同い年であろう少年少女達はしゅんりを見つけるや否や、周りを囲むように集まってきた。
「よう!」
「いえーい、さっきぶりー」
愛翔の友人だったであろう少年、少女達はしゅんりを置いてわいわいと話し始めた。
「愛翔が外人さんと手を繋いでるー」
「ひゅーひゅー、お熱いね!」
「そんなんじゃないやい!」
愛翔はしゅんりの繋いだままでいた手を見てからかわれたのが恥ずかしかったのか、勢いよくしゅんりの手を振り解いた。
傷付くな……。
振り解かれた手を見ながら悲しみに暮れるしゅんりの前に少女が駆け寄り、ジロジロと下から見上げてきた。
「外人さん、お人形さんみたいで可愛いね」
ニッコリと笑いながらそう言う少女の目線に合わせるようにしゅんりは屈んだ。
「私はガイジンじゃなくて、しゅんりっていう名前があるの」
「しゅんり? 素敵な名前ね! しゅんり姉ちゃんって呼んでもいい?」
「もちろん!」
しゅんりの手をとってぎゅっと握りながらそう言った少女は、しゅんりの手を引いて立ち上がらせた。
「しゅんり姉ちゃん、私達と遊ぼうよ! いまから公園に行って鬼ごっこするんだ!」
「いいな。行こうぜお姉ちゃん!」
「ちょ、引っ張ったら転けちゃうよ!」
自分より低い身長の少女にいきなり引っ張られながら走られ、しゅんりは前のめりになりながら百合から借りた袴を汚さないように少女に合わせながら走った。
「おい! 今は俺がしゅんりに日本を案内してるに!」
「何言ってんだよ、愛翔も遊ぼうぜ!」
愛翔は不満気な顔をしながらも、友人の言葉に素直に従ってしゅんりの後を追うことにしたのだった。
それからしゅんりは修行の時以外はほとんど愛翔とその友人達と一緒に遊んでいた。
「まーけて悔しい、はないちもんめ!」
「あーの子が欲しい、はないちもんめ!」
しゅんりは子供達と一緒に"はないちもんめ"という遊びをしていた。
はないちもんめとはお互い肩を組んで横並んで立ち、前後に動きながら歌ってお互い指定したもの同士がジャンケンをし、勝った方のチームに負けた者がチーム入る。人数が多い方が最終的に勝ちというゲームをしていた。
毎回それにしゅんりが選ばれる度にジャンケンに負けるという進展しない勝敗を何度か繰り返したところで、ある人物がしゅんり達の前に現れた。
「ジャンケンポンッ! よっしゃ勝ったー!」
「……しゅんり、何してるの?」
やっとジャンケンに勝てたことを喜んでいたしゅんりに翔は呆れた顔をしながら声をかけた。
「ああ! 爬虫類のお兄ちゃんだっ!」
「兄ちゃんだ!」
翔の姿を見た子供達は一斉に翔に寄っては「おかえりなさい!」、「爬虫類のお兄ちゃん遊ぼう!」と、各々声をかけた。
やっと勝てたのにと、子供達の注目の的になった翔に嫉妬してしゅんりはジトっと睨んだ。
「ど、どしたのそんな怖い顔をして」
「べっつにー」
プイッと拗ねたように顔を横に向けたしゅんりに翔は困ったように笑いながら、甘えてくる愛翔と少女を器用に片手で抱き上げた。
「拗ねんなよ、しゅんり姉ちゃん!」
一人の少年がしゅんりの背中をドンっと押した。
「おお」
驚きつつも一歩も動かないしゅんりに少年はムキになったのかグイグイとしゅんりの背中を押し続けた。
「くうっ、全然動かねー!」
「ほっほっ、弱っちいのお」
しゅんりは大翔の真似をしながらガハハッと声を出し、腰に手を当てながら笑った。
「ちくしょう、倍力化を使うなんて卑怯だぞー!」
「使ったもん勝ちだしー」
自然とそう会話した後、しゅんりは違和感に首を傾げた。
何かおかしくない?
しゅんりはその後、一條家に戻って夕食を食べてる時に一緒に食卓を囲んでいた大翔、百合、翔に質問した。
「日本ってさ、異能者の存在を隠してないの?」
「またまた何を今更……」
そう言って大翔は溜め息を吐いた。
「日本では異能者って知られても差別する風習がないんだ。むしろそれを使って日本に貢献する仕組みになってるから尊敬されてるんだよ」
「そうなんだ! 凄いね!」
翔の説明を聞いて納得し、かつ日本は異能者にとって素晴らしいシステムにしゅんりは素直に感動した。
「あ! そういえば兄ちゃんに見せたいものがあったんだ!」
愛翔はそう言って食事中にも関わらず、席を立って自身の部屋へと向かって行った。
「こら、愛翔! 行儀が悪いぞ!」
「はーい」
大翔の注意を軽く受け流して戻って来た愛翔は背中に翔に見せたいものを隠しながら戻ってきて、翔の前に座ってある物を「じゃじゃーん!」と、見せた。
「この前のテスト頑張ったんだ!」
そう言って翔に差し出したのはテスト用紙を数枚を翔に見せた。
「どれどれ。凄いじゃないか、愛翔。どれも高得点だし、日本語は九十六点だ」
偉いぞーと言って翔は愛翔の頭を撫でた。「えへへへ」と、照れる愛翔にしゅんりはいいな、と素直に思ったことに「ん? なんで?」と、自問自答していた。
「ねえ、日本語って科目はなんなの?」
しゅんりの素朴な疑問に翔は説明した。
「日本では今は英語で会話するけど、昔は日本語という言語を話してたのさ」
「へえ。ああ、フランス語とか中国語的なやつ?」
「そうそう。それと一緒さ」
そういえば学生の時に習ったなと思いながらしゅんりはズズーッと味噌汁を飲んだ。
「たのもー! たのもー!」
そんな時、一條家の玄関から女性の声が響き渡り、なんだなんだと一同は立ち上がって玄関まで様子を見に行った。
「たのもう!」
味噌汁の入ったお椀を持つしゅんりを睨みつけながら、翔と同年代だろう黒髪のボブヘアをした少女は片手に薙刀を持っていた。
「
翔はそう言いながら幼馴染である咲蘭に声をかけた。
「だからたのもうって言ってんのよ。ほら、そこの外人、私と決闘よ!」
敵意剥き出しでそう言う咲蘭にしゅんりは困ったように翔を見た。そんなしゅんりに翔は「気にしなくていいよ」と、優しく微笑みながら言った。そう優しく接する翔は誰が見てもしゅんりに好意があることは一目瞭然だった。そんな翔に更に怒りの感情が出た咲蘭はしゅんりに向かって薙刀を向けた。
「ほんっとムカつく! ぶっ倒してやる!」
「困ったなー」
ズズーッと立ちながら行儀悪く味噌汁を飲むしゅんりに「いいから味噌汁置いて来なさいよ!」と、咲蘭がそう言った時、「いい加減にしなさい!」と、大翔が声を上げた。
「お前さんら、今は食事中だ! 余りにも行儀が悪いとお仕置きするぞっ!」
腕を組んでそう怒る大翔にしゅんり、翔、愛翔は恐怖したのか急いで居間に戻って黙々と食事を再開した。
「ちょ、ちょっと!」
置いてけぼりを食らった咲蘭に百合は「そんなとこにいないでお上がりなさいな」と、言って咲蘭を居間に案内した。
咲蘭は百合にお茶を出してもらい、それを飲みながら大翔の機嫌を伺いながら黙々と食事するしゅんりを睨みつけた。
そんな咲蘭に「なんでそんなに嫌われてるんだ……」と、理不尽に思いながら理由を求めて愛翔を見たが、愛翔は「さあ?」と、言うかのように肩をすくめた。
「ごちそうさま」
手を合わせてそう言ったしゅんりを待ってましたかと言いたげに咲蘭は立ち上がって、再び薙刀を手にとり、「外に出なさい!」としゅんりを指差した。
「おい、咲蘭、いい加減にしろよ。しゅんりが何したんだよ」
しゅんりを庇うようにそう言った翔に咲蘭は更に顔を歪めて「黙っててちょうだい!」と、声を張り上げた。
「大翔さん、私どうしたらいい?」
「んー、そうじゃのう。怪我させない程度に倒したらいいんじゃないか?」
「舐めないでちょうだい! 私、薙刀の大会で優勝したことあるんだから!」
そう言い張る咲蘭にしゅんりは「めんどくさいな」と、思いながら咲蘭とともに中庭に出た。
「覚悟をー!」
勢いよく向かってくる咲蘭の後ろに瞬時に回ったしゅんりは薙刀を持つ咲蘭の手に手刀を軽くかけて薙刀を落とさせてから、脇の下に両手を入れて軽々く持ち上げた。
「ちくしょう、離しなさいよっ!」
空中で足をバタバタとしながら抵抗する咲蘭に困ってしゅんりは再び大翔に目をやって指示を待った。
「咲蘭、お前の負けだ。ほら、しゅんり離してやれ」
しゅんりは大翔の言葉に従ってゆっくりと咲蘭を地面に降ろした。
「くっ、負けた!」
そう悔しがっていたと思えば、咲蘭は落とした薙刀を持ってしゅんりを睨みつけた。
「明日は負けないから!」
そう捨て台詞を吐いた咲蘭は一條家から逃げるように走り去って行った。
「ええ……、明日も来るの?」
げんなりとするしゅんりに大翔と百合、そして愛翔は「可哀想に」と、思った。
「咲蘭のやつ。しゅんりの何が気に食わないんだろ?」
首を傾げながらそう言う翔に愛翔は「兄ちゃんって鈍感だなー」と、馬鹿にしたような顔をした。
「こりゃ、愛翔。余計なことを言うでない」
「へーへー」
二人のやり取りにハテナマークを頭上を浮かべた翔に百合はクスクスと笑った。
「ほら、順番にお風呂に入って早く寝なさい。しゅんりは明日から山に行くんだろ?」
「うん、分かったー」
しゅんりはそう大翔に返事してから、自身の風呂の順番が来るまで部屋で待機し、明日の修行に向けて準備を始めたのだった。
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