三章 潜入調査

 二十代半ばだろうか。髪を長く綺麗に伸ばし、眼鏡を掛けて知的に見えるその女性はここ最近、毎朝同じ時間、同じ電車の車両に乗り合わせていた。

 近くに立てばふわりと香る石鹸の良い匂いがし、男としてはくらりと来るものがあった。小説を読みながらクイッと眼鏡を中指で直す仕草に胸がときめいた。

 今日こそは彼女をなんとかしてご飯に誘うぞと心に決めた時、彼女は電車から聞こえる「間もなく、リーシルド警察署前駅、リーシルド警察署前駅」とアナウンスが鳴ったとき、本を鞄に直した。

 ああ、また誘えずに彼女が降りる駅に着いてしまう!

「リーシルド警察前駅、到着。右側のドアが開きます」

 アナウンスと共に開くドアから出て行く彼女を見て思わず男は一緒に電車を降りてしまった。

 どうしよう、会社に遅れてしまう! 

 いや、もうどうでもいい。折角だ、彼女を追いかけてどうにかしてご飯に誘うんだ。

 改札を出て、右を曲がり、十三番出口から地上に出た彼女は警察署に向かって歩き出した。まさか、警察官なのだろうか。彼女が短いスカートの警察の制服を着ている姿を想像しつつ、ある一定の距離をあけつつ男はバレないようにこっそりと付いて行った。

 左に曲がった彼女を見失わないため、急いで同じように左に曲がると、そこは行き止まりになっていた。

「あれ? あの人はどこに……」

 キョロキョロと周りを見渡す男をタカラは行き止まりに見える壁のドアの隙間から見ていた。

 タレンティポリスの存在は人間には極秘であり、警察署に存在することを隠していた。

 警察署の周りにはこのような隠しドアを設けており、そこから直接地下に繋げたり、警察署の裏口に通じさせており、タレンティポリスとその存在を知る人間しか入れないようにしていた。

 男はタカラがいなくなり、諦めたのか駅の方へ戻って行った。

 最近、ジロジロ見てくるなと思っていたがまさか付いて来られるとは思ってなかったと思い、次から車両変えようとタカラは溜め息をついた。

 薄暗い路地を歩いてタカラは廃棄ビルのドアに設置されてるカードキーに自身のタレンティポリスの免許証をかざして入室した。

 地下一階へ降りればそこは警察署の地下にあるタレンティポリスの職場があった。

 地下一階は七人の総括の部屋と小さな図書室、訓練所があり、地下二階と三階は各チームの部屋、地下三階の端には仮眠室が設置されていた。

 各それぞれの総括の元には四から五人で形成されているチームが大体七つほどのチームがあり、多い時で三百人、少ない時で二百人程のタレンティポリスがその地下で仕事している。

 タカラは倍力化のブリッドといういけ好かない男がリーダーを務めるチームに所属している。

 地下二階分に各チームそれぞれに部屋を割り与えられているが、一部屋一部屋そんな豪勢なものでは無く、お粗末なものであった。

 そこまで広くないことに加えて壁が薄く、隣の様子を耳を澄ませばよく聞こえる状況であった。それもあるが我がチームのリーダーとその弟子にあたる少女はいつも騒がしく、廊下を歩いているだけで二人の声がよく聞こえてきた。

「また何を騒いでるのよ」

 タカラは部屋に入るなり、ギャーギャー騒ぐ二人に声をかけた。

「タカラリーダー、聞いて下さいよ! またこの暴力男がイチャモンつけてくるんです!」

「イチャモンじゃねえよ! だから何回言わんすんだ、こんなの小学生の感想文だっつってんだよ!」

「んだと!」 

「なんだよ!」

 お互い顔を近付けて睨み合う姿にタカラは溜め息を付いて、ソファに座って携帯を触るルルに話しかけた。

「今回は何?」

「しゅんりが書いた報告書があまりにも酷いらしくて、ブリッドが注意したらああなったって感じ」

 はあ、またかとタカラは呆れながらルルの横に座った。しゅんりは異能者としての才能はピカイチだが頭が悪く、学がない。以前、自身がリーダーにいた時はしゅんりに報告書なんて書かせていられなかったから自身が全部処理していた。しかし、それよりもだ。

「あんなに素直で可愛いかったしゅんりがブリッドの悪いところまで似てしまうなんて」

 今でも十分に可愛いが、ブリッドの弟子になって早三ヶ月であの憎たらしさもプラスされてしまった。なんでも吸収して強くなっていくのはしゅんりのいいところなのだが、そこは似なくて良かったのに。

「本当にスポンジみたいになんでも吸収する奴よね」

 携帯から目を離さずそう返答するルルは騒ぐ二人に動じることはなかった。

「分かればいいじゃない! ブリッドリーダーのバカ!」

「はあ? バカ? いいか、俺は通信制だけどな、大学出てんだよ。クソガキ!」

「ねえ、二人ともいい加減にしないとまたお隣さんが来るわよー」

 どうしてただ注意するだけなのにこうもなるのかと関心しつつ、タカラは二人の言い合いを止めようと声をかけた。しかしそれは遅く、その後すぐに部屋のドアが勢いよく開いた。

「うるせえ! 何回言わすんだ二人とも!」

 倍力化のリーダーを務めるトーマスは二人に聞こえるよう声を上げた。

「ほら、出た出た」

「余計、騒がしくなるわ」

 トーマスの登場にタカラとルルは溜め息を付いた。

「邪魔しないで! それにうるさいって言う奴が一番うるさいんですよ!」

「そうだ邪魔すんじゃねえ、天パ!」

 悪びれる事なくそう言う二人に圧倒されてトーマスは不躾にいつも通り、チラチラとしゅんりの胸を見ながら口籠った。だが、後々にカチンと頭に来たのか二人に怒鳴り返した。

「この非常識バカップルが!」

 確かに師弟という関係にしては近過ぎるし、しゅんりもブリッドに異性にしては珍しく懐いている。カップルに間違われてもおかしくないなとタカラとルルは思った。

「こんなバカ、彼女じゃねえ!」

「こんな暴力男、彼氏じゃない!」

 そう同時に声を上げた二人はトーマスに向き合った。

「いっつも邪魔しやがって。今度こそ、その天パむしり取ってやる」

「本当に毎回、毎回、人の胸チラッチラと見てきて。今度こそボッコボコにしてやりますよ、トーマスリーダー」

 ポキポキと手の関節を鳴らしながら近づいてくる二人にトーマスは焦った。

「お前ら俺が先輩だって分かってる!?  俺は注意しに来たの!」

 歩く度揺れるしゅんりの胸に再びチラチラと目線を送ってくるトーマスにしゅんりは額に血管を浮かせた。

「ほらまた見たでしょ!」

「てめえのそういう嫌らしいところ直してやるよ、素人童貞が!」

「誰が素人童貞だよ! いや、まず落ち着けって! お前らがうるさいのを俺は注意してきたの、分かる!?」

 そう叫ぶトーマスの言葉を無視して二人はトーマスに向かって飛んだ。

「問答無用だ!」

「問答無用です!」

 後退りするトーマスを逃がさないように、二人は同時に殴りにかかった。もうすぐでトーマスに拳が届くというところである人物の登場でそれは邪魔をされた。

 しゅんりは後頭部を掴まれて壁に、ブリッドは床に叩きつけられ、トーマスは部屋の前の壁に蹴り飛ばされた。

「相変わらず、このチームは騒がしいのう」

 一瞬で三人を黙らせたのはナール総括だった。

「ナール総括、壁の穴増やすのやめてくださいよ。それでなくてもこの三人のせいで部屋の中ボロボロなのに」

 タカラはナール総括によって出た部屋の損害を見てそう言った。

「こやつらに直させれば良い」

「できるわけないじゃないですか。また喧嘩が始まるだけですよ」

 どうせ、ルルは面倒くさがるし、また私がやるのかとタカラは頭を悩ました。

「ナール総括、痛い!」

「ナール様、流石に酷えっすよ!」

「うるさい。いい加減にしろおぬしら」

 コツンと頭にゲンコツをしてナール総括は二人を黙らせた。

「いや、俺はとばっちりですから!」

 チラチラとナール総括のスカートから見える太腿を見ながらそう言うトーマスにナール総括は汚物を見るような目をした。

「相変わらず、おぬしは気色悪いな」

 ナール総括の言葉にトーマスはショックだったのか静止した。

「それよりもブリッド。おぬし、大学出てるのか?」

「え、まあ。通信制ですけど」

 そう言ってブリッドは鼻を擦って、えっへんと言いたそうに腰に手を当てて胸を張った。

 乱暴な性格だが、ブリッドは意外としっかりしており、かつ器用に何事も行動する奴だった。

「ほー。そして、ルルとしゅんりはまだ十五歳だったのう」

「はい、そうです!」

「え、そうですけど……」

 元気よく返事するしゅんりに打って変わって、ルルは嫌な予感がした。なんだ、この確認する時間は。

 ルルの嫌な予感は的中し、ナール総括は口を弧を描くように満面の笑みをした。

「三人ともわらわの部屋に来い。任務だ」

 この三人で任務⁉︎ ルルはこの騒がしい二人とするのかと項垂れた。

 相変わらず言い合いを続けるブリッドとしゅんり、そして先程から黙りつつあるルルと共にナール総括と共に総括室へと移動した。

「着いていたか、トビー」

 総括室に着くとそこには眼鏡を掛けた小柄な中年男性がいた。トビーと呼ばれたトビー・ラミレスはソファに座っていたが、立ち上がって四人に向き合った。

「ラミレス先生!」

 しゅんりはトビーにそう言って駆け寄った。

「おお、しゅんり君。オーリン君のチームに来ていたとは聞いていたが本当だったんだね」

「うん! ラミレス先生どうしたの? 遊びに来たの?」

 トビーはしゅんり達がいた学園で非常勤で来ていた教師であり、そして学がなく、よく授業をサボっていたしゅんりのために学園長に取り合って、なんとか卒業させてくれた教師の一人だったのだ。そして物腰が柔らかく、どの生徒にも平等に優しく接するトビーは生徒から人気があった。

「先生に失礼な事を言うなバカ」

 そう言ってブリッドはしゅんりの頭に手刀を入れた。

「なにすんの、この暴力男!」

「こらこら、しゅんり君。年上で上司のオーリン君にそんな言葉を使ってはいけないよ」

「あう……」

 しゅんりはブリッドにいつも通り噛みつこうとしたが、それをトビーは注意した。

「それにオーリン君もすぐに暴力で片付けようとするのはいけないよ」

「う、分かったよ、先生。すまなかったな」

 トビーの言う通りを素直に聞く二人にナール総括とルルはなんか納得いかないな、と思いながら三人を見た。

「しゅんり、ラミレス先生は学園の非常勤しつつ、私達のチームのメンバーなのよ」

 話が進まない事に苛立ったルルはぶっきらぼうにそう言ってナール総括を見た。

「ええ、そうなの!?」

「ああ、そうじゃ。もともとブリッドがリーダーをする前はトビーともう一人、一応所属している療治化二人でリーダーをしておったが、掛け持ちしておる仕事の方が忙しくなり、ブリッドがリーダーになったんだ」

 しゅんりはナール総括の言葉にふーんと、言いながらブリッドを見た。

「なんだよ」

「おさがりか、と思って」

 しゅんりのその言葉にブリッドは自分も思っていたことだが、カチンと来てしゅんりを睨みつけた。

「しゅんり君、君は本当に大人に対してちゃんと尊敬する姿勢を見せなさい。あと、卒業する時に約束したお勉強はしてるかな?」

 余りの言い草にトビーは流石にしゅんりを怒った。確かにトビーのおさがりと言えばおさがりかもしれない。しかし、ブリッドは倍力化の異能者の中でも群を抜くぐらいの力の持ち主で、周りを冷静に見れ、二十歳とまだ若いが上に立つ人間としては申し分ないのだ。

 そして、トビーはしゅんりが卒業する条件として、卒業後も勉強に取り組むというものがあった事も指した。しかし、しゅんりは一切勉強せずに来ており、トビーの言葉にしゅんりは誤魔化すように口笛を吹いて部屋から出ようとした。

「おい、しゅんり。話は終わっとらんぞ」

「……あはは、はい」

 ナール総括にしゅんりは首元を掴まれ、逃げる事は叶わなかった。

「はあ、埒があかないので任務の説明をするぞ」

 溜め息をつきながらナール総括は自身の机の椅子に座って、四人をソファに座らせた。

「ここ一、二年で学校を狙った爆発テロが二件あったのは知ってるな」

「あー、ニュースの」

 ウィンドリン国のニュースでは度々そのニュースはよく取り上げられていた。

「多くの死者も出ている。調査した結果、不審な点も多くて未だにまだ解決できておらぬ」

 ナール総括の言葉にブリッドは「異能者の仕業ということですか」と、聞いた。

「ああ。それにその爆弾はザルベーグ国で使用された物に似ていた」

「エアオールベルングズ……」

 しゅんりはそう言って顔を伏せた。本国に敵が潜入していることに以前行ったアルンド市の任務を思い出して恐怖した。

「その可能性が高い。そして次狙われる可能性が高い学園が絞られた」

 ナール総括は四人の顔を一人一人見た。

「マールン学園。リーシルド市にある私立の学園だ。そこにしゅんり、ルルが学生として、ブリッドは教育実習生として潜入してもらう」

「な、俺もですか!?」

 話の流れ的に未成年の二人が学生として潜入するのは分かっていたが、まさか自身も潜入するとは思っておらず、ブリッドは動揺した。

「なんだ、おぬし大学を出ておるのだろう?」

「いや、まあ、出てますけど……」

「得意科目はなんだ?」

「ナール総括、オーリン君は数学が得意ですよ」

 トビーはブリッドに構わず、ナール総括にそう伝えた。

「ちょ、先生!」

「オーリン君なら大丈夫ですよ。学生の時から優秀でしたし、僕がリーダーを務めていた時も勉強を教えていましたが、飲み込みがよく、予定より早く通信制の大学はすぐに卒業資格を得られましたから」

 トビーはニコッとそう言って、ブリッドが反論できないようにした。

 しゅんりとルルはトビーが言うなら嘘ではないだろうが、その事実に声を出さずに「何かムカつくな、こいつ」と、心の中で思っていた。

「ふむ、なら数学だな。ホーブル総監にはそう言っておこう」

「そんな……」

 自分の同意なく話を進められ、ブリッドは項垂れた。

「ナール総括、ブリッドリーダーが先生で、ルルちゃんと私が生徒に扮するのは分かったけど、ラミレス先生は?」

 しゅんりの質問にナール総括は「ふむ、そうだったな」と、言って説明をし始めた。

「トビーが武操化と武強化を扱っておるのはおぬしらは生徒だったのだから知っておろう?」

「はい、ラミレス先生から教わりました」

 しゅんりは自身が学生の頃、トビーに武強化を教わっていた事を思い出した。誰にでも分かりやすく教えてくれるトビーの授業をしゅんりはいつも楽しみにしてた。

「トビーは当分、向こうでは長期の休みが貰えたらしいのでな。おぬしらが学園に潜入中は近くのビルで待機し、もしもの時は狙撃して敵を撃ってもらう予定だ」

 なるほど、と三人は思ってトビーを見た。

「そういうことです。よろしくお願いしますね」

 そう言ってトビーはニコッと笑った。

 

 

 

 学園に潜入する為に手続きを諸々と今はサマーホリデーのため、任務実行は一か月後のとなり、それまで各々準備を進めていくこととなった。

「準備って何したらいいんだろう? 筆記道具とか用意しといたらいいのかな?」

 しゅんりは四人揃って、自身達の部署の部屋へと戻っている道中だった。

「お前、バカなんだから勉強しとけ、勉強」

「な、そこまでバカじゃないやい!」

「いや、バカよ、本当にバカ」

「しゅんり君、お勉強しましょう。今のままでは潜入どころじゃないですよ」

 三人に揃ってバカ、バカと言われ、しゅんりは本気で落ち込んだ。

 うう、そこまで言わなくてもいいじゃんか。

 とぼとぼと落ち込みながら歩いていたら、「あ、しゅんり」と、自身を呼ぶ声にしゅんりは顔を上げた。

 しゅんりの名を呼んだのは翔だった。

 それに気付いたしゅんりは咄嗟に近くにいたいたブリッドの背に隠れた。

「お前な、いつまでそうしてんだよ」

「黙って、隠れてるんだから」

 まさか、これで本気で隠れてるつもりなのかとブリッドとルルは呆れた。

 三か月前のあの倍力化の試験からしゅんりは翔を見かければ反射的に隠れていた。あの時の悔しくい気持ちやら泣いてしまった恥ずかしさからか、しゅんりは翔とまともに顔を合わす事ができなくなっていたのだ。

 そんなしゅんりに翔は傷付きながらもめげずにしゅんりに声をかけ続けていた。

「しゅんり、その……」

 声をかけたものの、相変わらず隠れて出てこないしゅんりになんて声をかければいいか分からず、翔はそのまま口籠もってしまった。

 ブリッドはそんな二人の様子を良くは思っておらず、どうにかならないかといつも頭を悩ましていた。

「しゅんり、いつまでそうしてんだ」

「きゃっ!」

 自身の背に隠れるしゅんりの腕を掴んで無理矢理に翔の前に連れ出した。

「いい加減拗ねてんなバカ」

 翔がしゅんりを想っていることを知っているブリッドは翔を不憫に思ってそのような行動に出た。

「あらあら、一條君と喧嘩したのですか? ちゃんと仲直りしないと駄目ですよ」

 事情を知らないトビーはそう言ってしゅんりを嗜めた。

 トビーとブリッドに言われてしゅんりは頭を悩ませた。確かにいつまでもこんな態度は駄目だよね……。そう思った時、しゅんりはピコンとある事を閃いた。

「翔君、私と決闘して」

「……ええ!?」

「……はあ!?」

 思っても見なかった言葉に翔とブリッドは声を上げた。

「お前、勉強しないとだろ!」

「勉強⁉︎ いや、なんか分からないけどそうだよ。それに決闘なんてそんなこと僕は出来ないよ」

 二人の言葉にしゅんりは「決闘して!」と声を上げた。

「このままモヤモヤしたまま勉強なんて出来ないし、次の任務に集中できない! 私、ずっとずっと翔君より弱い私が悔しくて悔しくてたまらないの。あれから私、一生懸命に訓練したの!」

 しゅんりはキッと翔を見てそう言った。

「真剣勝負だ!」

「しゅんり、落ち着いて、僕そんなこと出来ないよ」

 興奮するしゅんりを落ち着かせようと翔は宥め始めた。

「出来ないじゃないだろう。翔、やりなさい」

 そう言って新たに登場したのは一條総括だった。

「な、父さんどうしているの!」

「部屋の前で騒いでおいて、何がどうしてだ」

 たまたま居たのが一條総括の部屋の前だったのかとブリッドは開いたドアの表札を見て思った。

「よし、しゅんり。明日の十四時はどうだ? 俺が審判をしよう」

「ちょっと、父さん!」

「一條総括、ありがとうございます!」

 しゅんりは翔の否定の言葉を無視して一條総括に礼を言った。

「翔、しゅんりのためだと思うなら決闘してやった方がよいぞ」

 翔は納得出来ずにいたが、翔は父にそう耳打ちされた。

 しゅんりのため、か……。想い寄せている女の子の為になるなら断ってはいけないのかと翔の気持ちが揺らいだ時、しゅんりはキッと翔を見た。

「翔君、逃げないでよ。じゃあ!」

 翔に否定の言葉を言わせないようにそう言って逃げるようにしゅんりはその場から走り去った。

「そんな、言い逃げみたいなこと……」

 そう言って項垂れる翔にブリッドは肩をポンと叩いた。

「まあ、相手してやってくれ」

 困った顔で翔にそう言うブリッドの言葉に翔は頭を悩ませた。もう断れる雰囲気じゃない。

「これ以上、嫌われたくないのに……」

 翔は盛大な溜め息をついて明日が来ないことを本気で祈った。


 

 

 翌日、しゅんりと翔は訓練所で向き合っていた。すぐ側には一條総括、そして少し離れた所にはブリッドがいた。

 噂を聞いて他の者も観戦しようと来ていたがしゅんりが「真剣勝負なんだから見ないで!」と、追い払ったのだった。

「では、始め」

 一條総括のかけ声と共にしゅんりは勢いよく走り出して翔に向かった。

「翔君、覚悟を!」

 なんでこんな事に、と思いながら翔はしゅんりの攻撃を避けた。

 攻撃を避けて反撃してこない翔にしゅんりはイライラしながら一旦距離をとり、周りをぐるぐると周り始めた。一発一発の攻撃はさほど強くないしゅんりの強みは軽やかな動きに加えてスピードだった。翔の隙を見て攻撃をしようとしゅんりは機会を伺っていた。

 ここだ!

 そう思ってしゅんりは翔へと勢いよく足を振り下ろした。翔はもう終わらそうとしゅんりの足を掴んで引っ張り、床に倒した。あのベニート総括の時と同様に翔はしゅんりへ拳を下ろし、寸前の所で止めようとしたのだった。

 あの光景を見ていたしゅんりはベニート総括と同じことをされると理解し、そしてあそこまでベニート総括が怒っていた理由を理解した。

「な、しゅんり!」

 寸前の所で止めようとした翔の拳にわざわざ顔を突き出して敢えてしゅんりは翔の攻撃を受けた。ゴンっと大きい音と共にぶつかった拳にしゅんりは一瞬クラッとしたがなんとか意識を保ち、翔の腕を掴んだ。

「舐めないで! 本気で来てくれなきゃ、ずっと負けたまんまなんだから!」

 グイッと翔を自身に引き寄せ頭と頭をぶつけて翔に頭痛を食らわした。思っても見なかった反撃に翔は後ろに倒れた。

「さあ、立って!」

 しゅんりが仁王立ちで見下ろしてくる姿に翔は沸々と怒りが込み上がってきた。

 確かにあの時、しゅんりが頑張って取得した倍力化のグレード3を軽々しく取得した僕は無神経だったかもしれない。でもそれは父さんがやれって言ったからやった訳だし? そもそも僕にその実力がにあった訳だし。あれ? 僕なんにも悪くなくない? 

 色々と考えて馬鹿らしくなった翔は勢いよく立ち上がり、しゅんりの横腹に蹴りを入れた。

「ぐっ……!」

 しゅんりにこれ以上嫌われたくない。なんとか前みたいに、いやそれ以上にお近付きになりたいと下手に出ていたが、もうそれも馬鹿らしくなった翔は全力でしゅんりに攻撃を仕掛けた。翔の攻撃を見事に受けたしゅんりは横に吹っ飛ばされ、床に転がって行った。

「来いよ、しゅんり。そんなもんじゃないだろう?」

 クイっと手のひらを上にし、指を動かして挑発してくる翔にしゅんりは口の端を上げた。やっと本気でぶつかってくる翔にしゅんりは心が踊った。

 猛スピードで翔に向い、一発頬に拳を当てたしゅんりに翔は攻撃を敢えて受け止めて、しゅんりの肩を殴った。

 お互い本気でぶつけ合う姿に一條総括とブリッドの二人は満足気に頷きながらそれを見ていた。

 どれくらい時間が経っただろか、お互いふらふらになりながら戦い続けていた時、翔の拳がしゅんりの顎にクリーンヒットした。

 見事に下から吹っ飛んだしゅんりは床に倒れ、そのまま意識を失った。

「勝者、翔」

 父のその言葉に翔はそのまま後ろへ倒れ、上がった息を整えた。

「ダメだったか」

 ブリッドはそう言って翔に手を差し伸ばし、翔を立たせた。

「一條、すまなかったな」

「本当ですよ……。身内同士でこんなのおかしすぎる」

 ふらっとしながらなんとか立ち上がった翔はしゅんりの元へ近寄った。

「はっ!」

 翔が近くに来た時、しゅんりは意識を取り戻し、勢いよく上半身を起こした。

「目を覚まして良かった」

 翔はほっとしながらしゅんりを見下ろした。そんな翔を見てしゅんりは自身が負けたことを悟った。

「あー、私の負け?」

「うん、僕の勝ち」

「そっかー、そっかー」

 しゅんりは再び床に倒れ、天井を見上げた。

 負けたのになんだろ、なんかモヤモヤと突っ掛かってたものが無くなったこの感じは。

「ふふ、ははっ。やっぱり翔君は強いなー」

 清々しい気持ちになり、しゅんりは笑いながら翔を見た。

 そんな可愛い顔で見られたら文句の一つも言えないよ。

 そう思いながら翔はしゅんりに手を差し伸ばした。

「ほら、しゅんり」

 しゅんりは翔から差し出された手を今度は素直に手に取った。

「ありがとう」

「どういたしまして」

 翔に引っ張ってもらい、立ち上がったしゅんりは一條総括の元へ向かった。

「一条総括、審判ありがとうございました」

「うむ、二人共良かったぞ」

 腕を組み、うんうんと頷きながら一条総括はしゅんりと翔を見た。

「おう、おつかれさん」

 ブリッドはしゅんりの肩を叩きながらそう言い、しゅんりを優しい眼差しで見た。しゅんりはそんなブリッドに負けたけど褒めて欲しくて甘えるように見つめ返した。

 しゅんりとブリッドは実は付き合ってるのではないかとタレンティポリス内ではもっぱら噂にはなっており、翔は嫉妬に駆られながらいつも二人のその様子を見ていた。

「ねえ、ブリッドリーダー。次の任務までまだあと一ヶ月以上あるし、訓練つけてよ」

「無理だ。俺だって数学の勉強しなくてはいけないんだよ。それにお前は勉強しろ、勉強」

「ちぇっ」

 口を尖らせそう言うしゅんりは拗ねる様に床を蹴った。

 ブリッドは学ぶことは得意だが誰かに教えた事は無かったため、これから任務のない日は教える立場になるための勉強をしなければいけないのだ。ブリッドだって本当はしゅんりの勉強を見てあげたいがそんな余裕はない。

「ほう。なら、翔を貸してやろう」

 話を聞いていた一条総括は翔の背を押した。

「え、父さんどういう……」

 また何を急に言い出すのかと顔を歪める翔に一条総括は「しゅんりと仲良くなるチャンスだぞ」と耳打ちされた。

 父の言葉に恥ずかしさからか顔を赤くして翔は目を見開いた。まさか、父さんにもしゅんりに好意があることがバレてるのか!?

「一条総括、どういうこと?」

 首を傾げてそういうしゅんりに一条総括は翔を勉強を教える相手にどうかとしゅんりに持ち掛けた。

「本当にいいの!?」

「ああ、親の俺が言うのもあれだが翔は成績が良かったからな」

「本当だよ、親馬鹿」

 確かに成績はいつも上位だったが、それを親が言うのも如何なものか。

 しかし、しゅんりと同じ空間に居れるチャンスを得れたことに翔は舞い上がった。しゅんりと二人っきりで会えるなんてことは今までなかったのだ。こんなキラキラに輝くように可愛いしゅんりと二人っきりで会えるなんて、なんて素晴らしいことなのだろうか!

「頼むわ。こいつまじでヤバいらしいから」

 遠い目をしながらそう言うブリッドを見て翔は思い出した。そうだった、しゅんりは本当に勉強ができなかったことに。

「は、はい……」

 これはしゅんりと戦闘するよりも過酷かもしれないと翔は勉強を教える事になったことに後悔し始めた。

 

 

 

 カチカチと静かに時計の針の音が響く図書室に翔としゅんりは二人きりでいた。

 右耳に綺麗な髪をかけ、んーと悩みながらシャープペンシルを唇に当てる仕草をするしゅんりを見て、翔は幸福感に浸っていた。

 もし、しゅんりと同い年であればこのように一緒に勉強することもあったかもしれない。

 ああ、幸せだ。

「分かった! 答えは三だ!」

 そう、しゅんりが異常な程、頭が悪くなければ本当に幸せだった。

 黙って見ていれば幸せ。しかし、しゅんりが分かるように説明しても理解されない時は大変だった。

 いつも一言目は「分かんない」から始まり、分かったと言ってみたと思えば、いつも不正解なのだ。

 翔は父が言っていた通りに学生の時は成績も良く、人に教えることも得意としていた。しかし、こんなにも飲み込みの悪い者を教えた事はなく、任務以上に翔は疲労していった。

 翔との勉強をし始めて一週間経った頃、翔が長期任務に行ったタイミングでブリッドから招集がかかった。

 久しぶりに自身の部署の部屋へ行くと中にはブリッドを始め、ルルにタカラ、そしてトビーの姿があった。

「ラミレス先生、今日は授業はないんですか?」

 トビーの姿を見て、しゅんりはそう声をかけた。

「はい、今日はないんですが、ちょっと予定が狂いまして……」

 申し訳無さそうにそう言うトビーにしゅんりは首を傾げた。

「先生は学園で来月から休みをもらえる筈だったんだが、他の先生が病欠になったらしく、一か月丸々の休みはなくなったんだ」

「ええ!? じゃあ誰が監視してくれるの?」

 唯一、外からフォローに回る予定だった人員がいなくなり、しゅんりは不安になった。

「そこでだ、俺から提案がある」

 ブリッドはそう言って、部外者だと思って余裕の気持ちでコーヒーを飲んでいたタカラを見た。

「ん?」

 ブリッドに習って皆して見てくる状況にタカラは困惑した。

「おい、タカラ。来月までに武強化を取得しろ」

「は、はい!?」

 あまりの無茶振りに驚いて、タカラは手に持っていたコーヒーを床に落とした。

「わっ! コーヒーが!」

 そう言ってしゅんりはタカラの下に落ちたマグカップを拾い、床をティッシュで拭き始めた。普段ならそんなことしゅんりにはさせないタカラだったが、余りの衝撃に動けずにいた。

「おい、聞いてんのか?」

 未だに動かないタカラにブリッドは顔の前で手をひらひらと振った。そのブリッドの行動にタカラはハッと気が付いた。

「やばいわ、余りの衝撃で気を失ってたわ」

「おお、そうか……」

 タカラの反応に少し引きつつもブリッドはそう返事した。

「いや、無理でしょ。そんな短期間でやる荒技はあんたとしゅんりぐらいよ」

「え、荒技なのあれ」

 タカラはしゅんりが一週間で倍力化のグレード3を得たことを指し、しゅんりはタカラのその言葉に少し傷付いた。

「バーリン君、武操化と武強化は他の能力と違ってとても性質が似てるんですよ」

 ごほん、と咳払いをしてトビーは授業で生徒の前で話しているかのように説明し始めた。

「オーリン君から君はとても優秀な武操化だと聞いています。そんな君ならすぐに武強化を取得できるでしょう。この僕が教えてあげますので、大船に乗った気でいて下さい」

 ニコッと最後は笑いかけたトビーにタカラは反論することができなかった。

「えー、いいなー。私もラミレス先生に教えて欲しいー」

 いや、それなら全然代わりますけども! 

 そう思いながらタカラはしゅんりを見た。

「おい、しゅんり。そんな暇はお前にはないだろうが」

 腕を組みながらブリッドはそう言ってしゅんりを見下ろした。

「知らないのー? 翔君は今、長期任務だからいないんだー」

 ふふふっと笑うしゅんりにブリッドは翔から来たメールをしゅんりに見せた。

「な、な、なんで!」

「お前、一條から宿題出されてるよな? それが終わるまで先生からの修行は無しだ!」

「そんなー!」

 翔は正直、しゅんりに勉強を教えるのはお手上げ状態だった。それでもなんとかしゅんりのためにとわざわざ本屋に出向き、しゅんりでも分かりやすそうな教科書を何冊か見繕ったのだ。しかし、あのしゅんりだ。もう九割以上の確率でやらないだろうと見込んだ翔はブリッドにしゅんりが宿題をするよう見てほしいと事前に依頼していたのだった。

「話はまとまった? 私、もう行くわね」

 相変わらず最低限なことしか話さないルルはそう言って部屋から出ようとした。

「ま、待ってよ、ルル! あんたもこんな短期間で武強化が出来るようになるなんて思わないって言ってよ!」

 タカラはルルに縋るようにそう声をかけた。しかし、ルルは「大人なんだから、やる事はちゃんとしたら?」と、冷たく突き放すように言い、部屋を出て行ったのだった。

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