第2話 優と樹理先輩

 ほどなく、さっきの優と同じように廊下をきしませて近づいてくる足音がした。

 どんどんどんというせわしいノックとともに

ゆう、いる?」

という声がする。

 少しかすれた、せっかちそうな声は、寮委員長の橋場はしば樹理じゅり先輩だ。

 「あ、ちょっと待ってください」

 すぐに出られるのに、そう声をかけて、ゆっくりと靴をつっかけてからドアを開ける。

 「どうしました?」

 「あいがまだ帰ってないみたいなんだけど」

 やっぱりあのひとの……。

 愛の。

 「お姉ちゃん」のことか。

 予想通りだ。

 「ええ」

 でも、予想していたなんて思われないように、答える。

 「たしか、箕部みのべまでアクリル絵の具買いに行ったと思いますけど。明日の美術の授業で使うからって」

 「ああっ!」

 樹理先輩は苛立たしそうに声を立てた。

 「べつにアクリル絵の具なんかなくったっていいのに!」

 あのひとのことだ。

 たぶんそんなことだろうと思った。

 箕部まで電車で二十分ぐらいはかかる。

 それでも、アクリル絵の具もあったほうがいい、と先生に言われると、あのひとはそれをわざわざ買いに出かけるのだ。

 限りある時間を使い、電車代まで使って。

 「それで、お姉ちゃんに何か用ですか?」

 「用じゃないけど……」

 威勢いせいのよい樹理先輩がふと口ごもる。

 「雨降ってきたでしょ? 愛、傘、持ってないんじゃないかと思うんだけど」

 即答する。

 「ええ、たぶん、持ってないです」

 雨が降っていればもちろん傘をさしていくが、降っていなければ、確実に降るとわかっていても傘は持って行かない。

 あのひとには傘に対するこだわりがあるのだ。

 樹理先輩が言う。

 「迎えに行かない? 傘持って」

 「ああ、はい」

 これも予想通りだ。

 うれしい。

 でも、同時に、胸の底から熱い感じも湧いてくる。

 その「感じ」とは、ねたみ。

 樹理先輩にこんなに思いを寄せられて。

 それにまったく気づかないのだ、あのひとは。

 でも、そんな気もちは、もちろん顔には出さない。

 軽く言う。

 「じゃ、いっしょに行きましょうか」

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