『ハート・オブ・シティ』 中の3号


 あねがさばあは、らーめんの帰りに、約束通り、市街地の中心部にある丘に上がった。


 市街地を一望できる絶好の場所である。


 ただし、あまりに、情報が錯綜しすぎるから、いささか、やりにくい場所でもある。


 むかしは、お城があったらしいが、きれいさっぱり無くなっていて、いまは、公園になっている。


 かつて、一部の、ラディカルなオカルトファンたちが、集会場所兼心霊ポイントにしようとする動きがあったのだが、市民が警戒して活動したため、結局、阻止してしまった。


 しかし、真面目なファンは、今もたまに、静かに見学にやってくる。


 ここには、かなりの昔、つまり、戦国時代にだが、処刑場があったという、やや、伝説めいた話があった。


 ただ、行政から、そうした表示はなされておらず、また、財政難から発掘もされていなくて、公式な資料も見当たらない。


 あねがさばあは、自身の精神的探究や、埋もれた古い資料などからも、それは、実在はしたが、使用頻度は低く、なにか秘密の意図が見えかくれしていると感じていた。


 

 いま、改めて、両手と胸を広げて、明るい天に向かって延び上がる。


 思い切り、腹式呼吸をして、すべての精神を周囲に解放する。


 すると、あらゆるものから、ささやきや、つぶやき、記憶の断片、断片にもならない欠片、が、押し寄せてくる。


 ここまでは、いつもの事だが。


 しかし、これを、仕訳して整理するのは、大変な作業になる。


 そのなかから、なにか、格別な情報を見いだすのは、さすがの、あねがさばあであっても、楽ではない。


 散歩に来る人もあるし、走り回る子供たちもいる。


 さいわい、ここでは、太極拳や、ヨガ、芝居の練習、瞑想、昼寝、さすらい、天体観測、など、いろんなことをやる人たちがいて、あまり目立ちはしないが、そのぶん、様々な想念が介入してくるから、仕訳は楽ではない。


 昼間と夜中では、ささやくものたちの種類が違ってくる。


 だから、両方でやってみる必要がある。


 しかし、人間の想念は、ある種の危険要素だ。


 つまり、意思が強いから、目指す情報を阻害しやすい。


 とくに、夜はそうだ。


 遥かな昔、処刑された人たちの想念も、夜はなおさら強く介入してくる。


 害は及ぼさないが、理解を求めている。


 つまり、人間は、いつまでも、理解を得たい、あわれな生き物なのだ。


 

       


        🙏


 


 

 

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