第32話 運命の人

 外の様子を確認に甲板に出た。

 混乱の中で時間が音もなく流れていた。

 もう夜明けの頃だ。

 指揮官を失った海賊たちは完全に取り乱している。

 走り、呻き、絶望にも近いカオスに落ちた。

 いつの間にか、警備船の攻撃が止まった。

 海賊船の船柱は折られて、船体も傷だらけ。まだかろうじて前進しているけど、もう袋の鼠だ。

 客船はだんだん海賊船から離れて、警備船の方に向かっている。

 脱走した人たちは無事に客船に戻って、船を取り戻したのでしょう。

 海面から助けを求める叫びが聞こえる。

 海に落とされた海賊たちのものだ。


「あれはローランドの警備船。昨日の夜経由したところはちょうど彼たちの守備範囲だった。オレの信号をみて駆け寄ったけど、まだ状況を把握していないだろう」

 警備船が近寄ってこないのに疑問を感じたら、後ろから説明の声がした。

「奴隷や海賊の言葉だけではなく、国の警備船の信号も分かるの?」

 声の主が分かるので、振り返らなかった。

「生きるために、人は様々な『言語』を身に付ける必要がある」

「あんたは一体何をしたいの? 海賊に紛れ込んで、ケンを刺激して、警備船を呼ぶ。ロードの動きがいきなり速くなったのもあんたがあの『針』を投げつけた後。つまり、カンナは勝手な行動を取った結果、あんたの代わりにロードの攻撃目標になった。彼女は重傷を負って、動きがかなり鈍かった。あんたは彼女の行動に気付かないはずがないとは思う」

 もう気付いた。

 この人は全てをあっさり解決できる力を持っている。

 なのに、彼はただ見ていた。

 時を見て、一つ一つの要素を誘導しながらその結末を待っていた。

「こうなったのは、オレにも原因があることを認める。信じてもらえないかも知れないが、海賊のことはただの偶然だ。オレの目的は最初から青石……」

「と、姫様でしょ?」

 彼の言葉を遮った。

「さっきあんたは言った。『美人と秘宝を揃えば』と。秘宝は青石、その美人は天使の聖跡を持つ姫様、でしょ」

 海賊も彼も、本当に、最悪の「被り」だった。

「否定はしない」

「追いかけなくていいの? 上陸すれば、姫様を迎える公爵家の人が来るでしょう。そう簡単に悪事を行えなくなるよ」

「ふんん、悪事か」

 ウィルフリードは私の隣に移動して、両腕を垣立に置いて海の向こうを眺める。

「どんな美しい力でも、使い方によって最悪な悪事になる可能性がある」

 美しい力、姫様の天使の聖跡のこと? 

 青石の力がまだ分からないけど、この一晩中のことを経験した後、それが「美しい」と思う人はまずいないでしょう。

 怪しい「大悪党」を引き寄せたり、海賊を呼び寄せたり、呪いまで生んでしまったあのものは、むしろ災厄の象徴だ。

「姫様を追う理由は、その悪事を阻止するため?」

 思わず質問を口にしてしまい、すぐ後悔した。

 なんで自分と関係のない面倒そうなことを聞くの? 

「いいえ。ただ、姫様を救う英雄になりたかった」

「えっ?」

 またなんの冗談?

「本当だ」

 彼は苦笑交じりの目線で私を見た。

 目が会った時、胸に何かが弾けた感じがした。

 そうだった。

 あの人も、子供たちを「救おう」とした。

 ウィルフリードはまた海の方に向けて、淡々な口調で続けた。

「オレはとある教団のために働いたことがある。理想を実現させるために、教団はたくさんの子供を引き取り、いろんな『実験』をした。『神』の教えに忠実する子供を神の子として崇め、『神』の教えに背けた子供を廃品として破棄する」

 ?!

「廃品」って……?!

 まさか……私が入っていた「あの場所」は、その教団の……

「神の子になって、『幸せ』になった子供はほんの一握り。多くの子供たちは、ただ『廃品らしく』破棄された」

 その言葉に、血の温度がガクンと下がった。

 まるで、7年前のあの無惨な夜に戻ったみたい。


「ある日、自分の過ちに気付いたオレは、候補の子供たちを救い出すと決めた。そして、実際に何回も救出に成功して、かなり自己満足していた」

「けど、『ある子』はオレの手を拒んだ。オレが彼女に送ろうとした『幸せな人生』を否定した。その時、オレは初めて気づいた。オレは罪悪感を消すために、自分勝手に思った『幸せ』を子供たちに押し付けていた。結局、教団と同じことをした」

「自分の傲慢を守るために、別れる時にその子と一つの約束をした。歩けなくなった時に、オレを呼ぶがいい、と。でも、一度も呼ばれなかった。その子はもう死んだと思った。彼女を救えなかったのはオレの傲慢と無能のせいだとずっと後悔していた……」


 海賊たちは騒いでいる。波と海風の音も止まっていないはず。

 なのに、ウィルフリードの声と自分の心臓の鼓動しか聞こえない。

 彼の声は、私の意識を過去に連れ戻す。


 違うわ……

 一度だけ、呼んだことがある……

 当てにならないだと知っていた。

 でも、助け呼ぶことしかできなかった。

「あの人を助けて、皆を、助けて……」って……


「でも、あの子は死んでいなかった。再びオレの前に現れた」


 そう、私だけは死ななかった。廃棄処分されたけど、私だけが死ななかった。


「今の彼女は、もうオレのことを覚えていないかも知れないが、オレは勝手に救われた気持ちになった」

 ゆっくりと、ウィルフリードは私に向けた。

「本当のオレは、人を救う力も資格もない。オレが本当に望んでいるのは自分が救われることだ。もし、彼女はあの時の選択に後悔しなかったら、まだ選んだ道を信じているのなら、オレも救われるような気がした」

 今晩初めて、ウィルフリードの笑顔は寂しいと悲しい色に染められた。

 心臓が数本の細い糸に引き締められたように、鼓動がだんだんきつくなる。


 違うわ。

 私は、誰も救えなかった。


「あの人」と出会った日は、私の運命が始まる日だった。

 彼が私に別れを告げたその日、ある男爵の令息とその奥様は子供を引き取りに修道院に来た。

 娘になるはずの女の子が居なくなったのを聞ったら、二人はひどく怒って、修道院に厳しく問い詰めた。

 謝る言葉も見つからない院長は扉の外で室内を覗く私に気付いて、救いの糸でも掴んだように、私の肩を掴んで二人に差し出したーー

「まだ一人! まだ一人が残っています! きっと神様のご恩恵です! この子なら、きっとお二人の望みを叶えてあげます!」

 そこで、あの人の言った「最後のチャンス」の意味が分かった。

 でも、すべては私自身の選択。

 彼が約束した平穏と幸せの未来より、自分が選んだ道こそ、望んだ未来に辿り着けると信じたから。

 そして、いままでも信じている。

 だから……


「私は後悔していない」

 静かに口を開けた。


 あの日から、男爵令息の家で教育を受けて、彼たちの「娘」として「教団」の教育施設――「ユートピア」という場所に入った。

 そこで「兄」を見殺し、

「友達」に手をかけ、

「仲間」たちの「破棄」を目にした。

 そして、自由になった今も、さまようように望んだものを探し続けている……

 でも……


「後悔と思ったことは一度もない。私は私が選んだ道を信じている。いずれ、欲しいものを手に入れる。ほかの人から決してもらえない、『本当の私』のもの――たとえ……」


 たとえこの手で、もう一度、誰かの命を奪うとしても……決して、後悔は……


 震えそうな手を抑えるために、思わず拳を握った。


「その手を憎めないでください」

 囁きながら、ウィルフリードは私の手を広げて、指先に軽く口づけをした。

「あなたの手はとても美しい。本当に綺麗なのは、泥や血に触れることのない、真っ白なものではない。闇や残酷の意味を知りながら、なおそれを真っ直ぐ見つめられるものだ」

 その声は、心の一番深いところに滲みていく。

 時間が止またように、話すことも動くこともできない。

 海風の中で舞い上がった髪の一部は視線を遮ったけど、振り払うこともできない。

 ただ佇んでいて、彼の話を聞いていた。

「貴女の手は、命の重さを知っている。つい先ほど、ある魂を呪縛から解放したのではないか——」

 一晩中、嘘ばかりのこの人の言葉なのに、なぜか真実だと信じたい。

 自分にとって都合のいい話、だから……でしょう……


 目の焦点を集めて、彼の顔をもっとはっきり見ようとすると、その深海色の目に合った。

 ――最初から不思議と思っていた。

 どうして、この人はいつも私の考えを見通せるのでしょうか?


「貴女は歩み続ける。何があっても、きっと歩み続けていく。これから、貴女の手は想像もつかない闇に触れかもしれない。だがその先に、きっと貴女の望んだ幸せと喜びを掴める。それだけを、信じてください」

 さっきより深く、ウィルフリードはもう一度私の指に口づけをして、腕の自由を返した。

 その長細い指は私の顔に伸ばされる。

 視線を遮った髪を分けてくれると思ったら、彼はただ軽く笑って、手をコートの懐に収めた。

「そういえば、さっき、これのことが気になったようだが、貴女の落し物?」

 ウィルフリードは懐から何かを取り出して、掌に載せて私に見せた。

 金色の百合の花のペンダントだった。

「……」

 ……違う。

 落としたものとそっくりだけど、 私のではない。そのくらいは分かる。

「持ってて」

 ウィルフリードはもう一度私の手を取り、手心にそのペンダントを置いた。

「もういらないなら、捨ててもいい」

 この景色は、過去の記憶と重なる。

 記憶の中の朧な面影はだんだんはっきりとなっていて、やがてウィルフリードの顔になった。

 やはり、ウィルフリードは修道院でペンダントをくれた人なの?

 でも、その変わらない姿は一体どういうこと……彼とその教団は一体どんな関係……?


 心の底から何千何百の疑問が湧いてくるが、すべては凍らせたように、口から一つも出られなかった。

 手に落ちた金色の花をぼうっと見つめることしかできなかった。


 意識が戻って再び海を眺めると、不思議なことが発生した。

 三艘の警備船はともにゆっくり方向を変えて、海賊船から去ろうとしている。

「彼らはこないの……?」

「……これは、ふん、なかなか興味深い」

 ウィルフリードに聞いたら、彼は少し驚いたように口元を上げた。

「おいて行かれる前に、早く海賊船から降りろ」

 警備船の行動は謎だけど、昨晩からもうたくさんの不思議があった。

 一つが増えても大した変わりはないでしょう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る