第8話 覗きは堕落への第一歩

 ウィルフリードは何かを言おうとする様子でしばらく私を見つめていた。

「病気」のことだったら話すつもりはない。

 他人の好奇心を満たすために嘘をつくのはもう疲れたから。

 そもそも、本当のことを話しても信じてくれる人はそうそういない。

 信じてくれたとしても、何にもならない。

「これからどうします? 今日はもうお休みになりますか? 歩きにくなら、お姫様抱っこで部屋まで送ってあげましょうか」

 ……こいつ、なんでいつも空気を読めないの……

「余計な気遣いはいらない、もう完全に治ったわ!」

 姫様の部屋で藍が入れた薬草茶を飲んでから、痛みは大部消えた。

「それはなによりです。これからすることは体力を消耗するから、無理しないでくださいね」

「体力を消耗するって?」

「怪しいと言っても、犯人が姫様の部屋にいるという決定的な証拠はまだない。軽率に無礼なまねをしたら、明日の新聞でスキャンダル記事になるかもしれません。姫様ご本人は気にしなくても、ほかのうるさい奴がたくさんいるでしょう」

 ウィルフリードは自分の顎を撫でいて、何かを企んでいるみたい。

「まだ船員と他の乗客たちに教えないと言いたいの?」

「そのほうが慎重でしょう」

 彼の口元に薄笑いが浮かんだ。

 きっと何かを企んでいる。

 しかも、悪巧に違いない。


 物事は頼りそうに見えるほど、頼りにならないこともある。

「これがあんた曰く――安全性抜群、実用性と便利さが一位、広く愛用されて、世の真実を明らかにするとっておきの方法なの?」

「そして、欠点は体力と集中力を多く消耗することです。何かが起きる前にこうして気を引き締めて待ち続けなければなりません」

 痛みも痒みも感じない口調で悪の張本人は返事した。

「ほら、気を散らしてはいけませんよ。見て、男爵は泣いています。奥様の説教はすごいですね」

「誰が見るの、そんなもの!」

 こんな状況で、怒っていても大声で抗議できない。

「けっこう面白いと思うけど」

「あんた、慣れているのね。いつもこんなことをするの……」

「いいえ、たまたまです。必要な時だけ」

 窓の下に蹲っていて、マントで体を包めた。

 私たちは今「覗き」をしている。

 道徳と法律、どちらにしても卑劣というべき行為だ。

 あの道徳心ゼロの理不尽嘘つき野郎はともかく、どうして私までこんな恥ずかしいことをしなければならないの!

 ***


 時間を少し遡る。

 集合場所に戻ったら、ウィルフリードは手掛かりなしとみんなに嘘をついた。すると、船員たちは下の船室の見回りに行った。

 その隙に、ウィルフリードは私をこの一等船室の窓側の通路に連れてきた。

 乗客たちに海の景色を楽しませるために用意された小窓が、プライベート侵害の便利道具になるのは、設計者が思いにもよらなかったことでしょう。

 右側一番目の窓から、やつは「偶然」にも「偶然」に、お嬢さんの着替え、恋人のラブラブシーン、酒癖の悪い某国王子を鑑賞してきた。そして今は、奥様に怒鳴られ、慟哭している某男爵の姿を楽しんでいる。

「毒盛り、脅迫、嘘つき、覗き、その辺のことに随分慣れているのね……」

 こんな人はどうしてまだ逮捕されていないの? 

 正義の味方と自称する法律の執行者たちはどこに行ったの?

「とはいえ、カーテンを締めないほうも大きな責任があると思わないですか?」

「言い訳しなくていい。本当は覗きのために来たんでしょう」

「ただの覗きのためなら、窓を移動する必要はないでしょう。良い場面を捕まえたら、最後まで見ればいい。たとえば、さっきのお嬢さんの着替えや、キスシーンの続きとか」

「恥という言葉を知らないの!」

「事実を述べただけです」

 だめだ、こいつと真面目に話しをすると、神経が切れそう……

「まあいい、ここに『あれ』がないから、男爵様の涙を見るのも時間の無駄です」

 やっと移動する気になったようだ。


「次は姫様の部屋です」

「……青石の在り処を探すために覗きをしたの?」

「でないと、どうしてこんな損ばかりのことをすると思いますか?」

「単なる趣味と思ったけど。そもそも、覗きの短い間で青石の在処を確認できるかどうかも疑問だ」

「なるほど、待機の時間がまだ足りないということですね。貴重なアドバイスをいただきました」

「もう、黙っていい」

 あんたのような堕落ものと一緒にしないでよ!

「実は、人の表情を見ていたのです」

 私の忍耐がもう限界と気づいたのか、ウィルフリードの口調は少し真剣になった。

「貴重な秘宝を持ち歩いているなら、警戒心が通常よりも高まるはず。個室でなにか微妙な行動をとるのもおかしくないです」

「そう、なの……」

 やり方は認められないけど、その説明だけ、一理があるかも。

「そういう理屈で説明したら、貴女は認めてくれるでしょう」

「やはり言い訳か……」

「でも、せっかく協力してくれたから、本当のことを教えてあげましょう」

「本当のこと?」

 ウィルフリードの表情は更に真剣になった。

 なにか裏でもあるのか……

「この前に、すでに確認しました。青石はカルロスの姫様のところにあります」

「! 姫様のところ? そんなの、何時から知ったの?」

「船に乗る前から」

「ということは……」

 本当のことを聞いて、やっと分かった。

 この人がしたことの意味を--


「青石は姫様のところにあるのを知ったから、殺人犯探しを言い訳にして、人を慰めるふりで女性たちの部屋を廻した。その後自分の目的を優先するために、慎重という理由で犯人の手がかりをひねる潰して、覗きを実行。さらに、目標の在処が分かったのにもかかわらず、どの窓口も見逃しなく覗いてきた……この、変態覗き魔……」

 私の言葉に対して、ウィルフリードはニコニコしながら軽く拍手をした。

「さすが、お分かりが早いですね。フィルナちゃん」

「その口で私の名を呼ばないで!」

「今年お幾つですか? 18?」

「それはどうしたの」

「信仰は?」

「あんたに関係ないことだわ!」

「別に、聞いてみたかっただけです。出身はどこですか?」

「そんなことはあんたと関係ない! やりたいことがあればさっさと真面目にやればいい! 協力を承諾したのは情報収集のためよ! あんたの遊びに付き合う暇はないのよ!」

 彼に会ってから数時間のなかで、数年分の怒が燃え尽きたような気がした。淑女のイメージが崩れるだけではなく、このままでは、変態犯罪者の類に引きずらされてしまう。

「貴女の怒る理由はよく分かりませんが、ひとつだけ、忠告として受け取ってほしいことがあります」

 ウィルフリードは目を細くして、とても大事そうなことでも話すようにゆっくりと口を開けた。

「真面目過ぎると、人生の楽しみは半分以下になります」

「……あんな問題行為は、人生の楽しみだと……ッ?!」

 次の反発をしようとすると、いきなり彼に口を遮られて、壁の影に押し込まれた。

 その同時に、一等船室の入口の方から騒ぎの声が届いた。


「なぜだ! なぜ入らせてもらえないんだ! 犯罪者の逮捕は俺の責任だろ!」

 聞き覚えのある声。

 その特徴的な宣言をする人はこの船にほかにいないでしょう。フランディールからの探偵とかで自称する少年だ。

「クソ! 三日月クレセントムーンめ! あいつじゃなかったら、あいつじゃなかったら……俺、俺はこんな……」

「三日月」に一体何の恨みがあるの?

「待ってろよ! 窃盗脅迫殺人犯を捕まえるのは俺様だ! フランディール帝国皇帝陛下に直属する特別秘密探偵の……」

「よっ! 坊ちゃん、まだお母さんのところに帰ってねぇのか」

 船員たちは大きに笑った。

「黙れ! 俺様を舐めるな!」

「あーはっはっはっは!」

「ちっくしょう!」

 

「……」

 ウィルフリードに対する怒りは、少年の茶番劇によって散らされた。

「文句があるなら後で聞こう」

 ウィルフリードは私を壁際から解放して、落ち着いた声で言った。

「お互いも欲しいものがある以上、協力し合うこそ両得になれる」

「……あんたは本当に協力する気があるならね……」

 密かにため息をついた。

 両得、か。

 彼が欲しいのは青石、目の前にある。手を伸ばせば届くかもしれない。

 私の欲しいものは、一体どんな形で、どこにあるのか……

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