第24話 魚人
あっという間にまた一日が過ぎた。どうせ無限の質問を少しづつ消化するだけだ。仕事内容の分担表を作り、秘書さんには休んでもらった。事務作業を半分肩代わりしたので、今度は私が寝不足になりそうだ。
そういえば昨日、このベッドに秘書さんが寝ていたのである。私の脳裏によくないことがよぎった。自然と周りを見渡し、誰も見てないことを確認した。ベッドの横には、きれいにたたまれた昨日秘書さんが使ったであろうシーツと布団がある。
……やめろ。国会議員だぞ?それでいいのか?
……気になるし、一回ぐらいなら。
……お前はどこまでも好奇心に忠実だな。地底で迷子になったのを覚えていないのか?好奇心というのは、邪念の一つなんだぞ?人間を破滅に導くかもしれない。
……うっ…うるさいっ!一生に一度しかないかもしれねえんだよっ!
勝てなかった。何か、強い力に背中を押された気がした。
残念ながら、洗濯洗剤の匂いしかしなかった。まあ、秘書さんのことだし考えてみれば当然である。
「加藤さんっ!おはようございますっ!」
「!?」
私はスマホを見るふりをした。ぎりぎりだ。
「おっ…おはよう」
人生で一番ぎこちない「おはよう」だ。
「気持ちのいい朝ですねっ!」
「うん…そうだね」
秘書さんの目にクマはなく、なんだかいつもより輝いている。
「?」
秘書さんがベッドの横の布団に目を向けた。”何故か”、形が崩れている。
……一瞬の沈黙が流れる。静まり返る部屋。
「すみませんっ!」
「!?」
「ちゃんとたためていませんでしたっ!」
何だか自負しか残らない結果だ。二度とこういうことはよそう。
「もう一度たたみなおして……」
「いやいいよ。このままで。私のためにも」
「私のためにも?」
「なんでもない」
……加藤、お前ってやつは、最低だよ。
「あのっ!昨日はこの部屋で休ませていただきありがとうございますっ!おかげですっきりしましたっ!」
「そ、それはよかった」
ほんとに、ほんとに、二度とするもんか。
とは言っても、数日後にはこの気持ちも薄れてしまっているのだろうか。
「なに力んでいるんですかっ!行きましょうっ!」
私はなるべく秘書さんを見ないようにして議員会館を出た。
久しぶりの国会議事堂だ。ここの前で叫んだのはたった一か月前だ。
今日は国会答弁だ。私は与野党議員の前でいろいろと言わなければいけない。緊張で手が震える。普通なら国会答弁というのは入念な準備の上で行われるが。今回は特別だ。何を話すのかもよくわかっていない。でも、野党からの質問はそう生ぬるいものではないだろう。
「では、これより加藤議員行方不明事件に対する質問会を開会します。質疑の申出がありますので、順次これを許します。斉藤浩二君」
委員長が言い、早速野党の議員が前へ出た。
「えー、皆さん、こんにちは。立憲民主党の斉藤です」
軽快に、はきはきと話した。テレビでもよく見る斉藤議員だ。
「えー、加藤議員、あなたは、第一掘削所にて緊急医療キットを盗みましたね」
……思っていた質問とは違う。
「加藤君」
委員長に指名され、私は前へ出た。
「自由民主党の加藤です。言い方が悪いです。盗んだのではなく、使用しました」
こういうのは絶対に相手に弱みを見せないことが大切だ。なるべく軽快に、はっきりとした回答をする必要がある。
「それは、地底生物に使ったのですね?」
「はい」
「っということは加藤議員、あなたは魚のために緊急用の医療キットを盗んだということですね?」
……まさか。
「人間でもない魚のために緊急用の医療セットを盗むというのは、それは重大な犯罪になるのではないでしょうか。作業場にはあの医療キット一つしかありません。誰かがけがをしたらどうするおつもりだったのでしょうか。あまりにも無責任です」
「無責任ではありません。彼らは魚ではなく人ですし、ただ盗んだのではなく、使用されました」
「あれを人と呼べるでしょうか?」
地底人は人か、それ以外か。世間で今騒がれていることだ。生物学上は魚に近い。水中にいないこと以外は魚だ。えらがあるが、形だけで退化している。私は実際には見ていないが、ヤコフ曰く卵生だそうだ。鱗もあるし、手にはひれの名残が強く残っている。そういえば、泳ぐのが得意だったような。
「はい、人です。生物学的ではなく、存在、権利、概念が人です」
「それはあなたが決めることではありません。それに、この件に関して最も重要なのは法的に彼らが人間かどうかです」
だめだ。何を言っても反論される。
「彼らには、私たちと同じ医療を受ける権利があります!」
だんだん熱くなっていく。斉藤議員がうっとうしい。
「でも、今のところ法的には魚です」
「与党をけなすために地底の人々の権利を奪うのか?」
さらにヒートアップし、語気が強くなる。もう止められない。
「いえいえ。そういうわけでは」
斉藤議員が白々しく言う。とても真剣なようには見えない。
「……あなたは、死にかけで苦しんでいる親友を前にして、何もしないんですか…?」
「関係のない話です。加藤君」
委員長が止めた。声は小さかったが心はもう最高温度になっている。
「親友を見殺しになんてできませんっ!」
議場に私の声が響いた。「そうだそうだ」とヤジを飛ばしていた議員たちも黙った。
「…加藤君、次は退場ですよ」
委員長の言葉に背筋が凍った。ようやく我に返った。野党議員たちがあきれ顔でこっちを見た。与党議員たちも冷たい目線を向けている。
「……」
私は下を向き、言った。
「……私は、大きな大義の下キットを使用しました」
か細い声。自分がどんどんしぼんでいくのを感じる。
「そもそも、あの後使われたかどうかはわからないんでしょう?」
斉藤議員は気を取り直して、いつものように軽快に言った。斉藤議員に笑みが見える。
「不自然ですし、第一あなたの言葉はあまり信用できません。国会で寝てばかりいるんですから。国民もきっと同じことを思っていますよ。本当はあの写真も、フェイクなんじゃないですか?どうなんですか?」
「違います。フェイクではありません」
必死になって体勢を立て直そうとする。しかし、もう私に前のような勢いは残っていない。
「ふぅーっ」
斉藤議員は一息ついた。そして、視線は首相に移る。
「総理はご存じかと思いますが、アメリカとドイツの調査隊が地底人がいると思われる地域の地盤を調査しました。静岡県北東部と山梨県南部です。結果は、『地下空間に続く亀裂は存在せず、地底に湖があるというのはあり得ない』とのこと。まあ、当然のことです。加藤議員のおしゃったことはどれもまるでSFのような内容であり、あり得るわけがないのです」
……考えれば考えるほど、地底人の存在が夢に思えてくる。斉藤議員の言う通り、地底人なんて言うのは「あり得ない」のである。
……もしかしたら…私は夢を見ていたのではないだろうか……?
「さて、どうなんですか?加藤議員」
真っ直ぐにこっちを見て言った。もう答える気力なんてない。
「もしかしたら、あの写真はこの事件を隠すための偽写真かもしれないですね。実際、専門家の間でも地底人なんてあり得ないことだと結論付けられています」
斉藤議員は下を向いた。最後の一言を言う合図だ。
「地底人なんて、本当は存在しないんじゃないんですかっ!?」
ドヤ顔でこっちを見る斉藤議員。これでお前のキャリアは終わりだ、とでも言っているかのようだ。とどめの一撃だ。
それでも、私は「いる」と言い続けるしかない。それが私の言える真実だ。
「地底人もいますし…オアシスだって存在します……」
「加藤議員、もっとはっきりと、大きな声でお願いします。国民に聞こえるように」
「地底人は、いますっ」
最後の力を振り絞って言った。
なんでこうなったんだろう。なぜ神様は私なんていう人を地底人と会わせてしまったんだろう。何にもできやしないのに。責任が果たせるわけないのに。
それとも、あれは本当に幻覚だったのか?もう訳が分からない。
「皆さん。こんな小さくてあいまいな回答をするような人の言うことが信じられますか?」
議会を見渡しながら言った。視線は再び首相に移る。
「噓は早めに認めた方がいいですよ」
首相は斉藤議員を睨み返した。
「ちなみに、調査の結果、事件前に加藤議員と山本議員が二人だけで密会をしていたとか。いったい何を話し合っていたんですかね」
私はただ下を向いて黙っていることしかできなかった。
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