第16話 Back
地上に戻るのか……とうとう……
死人が地底から戻ってきたら、みんななんて言うだろうか。大騒ぎどころの話じゃない。記録上存在しないヤコフと、けがをした地底人に医療品を届けるなんて言うのは意味不明だ。果たして事がうまく進むだろうか。
「……それで……カラセール島とはなんです?」
「カラセール島は、水蒸気の壁の少し前にある、小さな島だ」
「それって……」
「ああ。君が倒れていた島だよ。ここから静岡まではそう遠くないはずだ。日本のゲートから出るぞ」
三時間ぐらい進んだだろうか。途中から交代制にしたとはいえ、漁師たちはもう疲れ切っている。
「あったぞ!」
ヤコフが遠くを指さして言った。視線の先には、一か月前に倒れ込んだ孤島がある。
漁師たちも元気を取り戻し、パンパンになった腕を振りながら私も漕いだ。
十五分ほど漕ぐと、船はカラセール島を通過した。水蒸気の壁までもう少しである。
あれからさらに二十分。とうとう我々は、壁までたどり着いた。もうくたくたで動けないが、ゲートまではもう少しだ。
漁師たちには、そこでラックを見ているよう言った。船上ですでに漁師の一人にある程度の応急処置の方法は伝えてある。
少し心もとないが、医療品調達にはどうしても私とヤコフが必要だ。
私とヤコフは、水蒸気の中をひたすら走り続けた。
ヤコフのスーツにはヤコフが作ったコンパスがあるので、方向を間違えることはない。静岡県沼津市があるのはおよそ南南東。大丈夫だ、私にはヤコフがついている。
しばらく走ると、霧が晴れてきた。もうすぐ、もうすぐだ。
圧力と熱があたりを覆う。
疲れ果ててこけそうになるが、何とか耐えた。
酸欠で倒れそうだが、気合で乗り切った。
脳裏にラックとの思い出が蘇る。
……絶対に…助けてやる……
そう思うと、倒れることなんてできない。
……
気を失いそうになったその時、遠くから大きな音が聞こえてきた。
「……はぁ……はぁ……」
「……はぁ…これは、機械か?」
確かに、重機の音がする。久しぶりに聞いた、地上の音だ。
二人は音のするほうへ走っていく。
だんだん音は大きくなり、鮮明になっていく。
「これは……ドリルだ!」
やがて、無線に信号が流れる。最初はノイズが多かったが、近づくにつれノイズが減っていく。
そして…
「おい宮田、このかけらはどうだ?なかなか良さそうだぞ」
久しぶりに聞いた日本人の肉声だ。
「うーん。確かに良さそうだな。これなら使い物になりそうだぞ」
「よぉっし!いやぁ、こんなかけら一つで二十万なんて、世の中どうかしてるぜ」
「杉田君、アンパスカルは未知の新元素だ。どんな高圧力にも耐える。君のスーツにも使われてるんだぞ?二十万は妥当さ」
…どうやらアンパスカルの話をしているようだ。ここらへんで採掘をしているらしい。残念ながら私の無線機はだいぶ前に故障したので、こっちから話すことはできない。
「うっ…」
吐き気がしてきた。まだ着かないのか。
「加藤!光だ!あっちの方から光が漏れてるぞ!」
ぼんやりとだが、どこからか光が届いている。照明に違いない。
光のあるほうへとさらに歩みを進める。
……少し走ったところで、ヤコフが叫んだ。
「ついたぞ!」
……ヤコフの視線の先には、大量の重機と何人もの作業員。二十を超える照明があたりをこうこうと照らしている。まるで太陽だ。
ドリル掘削機で穴を掘り、新元素アンパスカルを取り出している。ここは紛れもない掘削現場だ。
……私はその場で座り込み、泣いた。
ここまで来たらもう地上も同然。秘書さんや山本議員にまた会いたくなった。
ヤコフも、涙を流して立ち尽くしている。
「こちらは三番。セット完了」
また無線で何かが聞こえてきた。
「一番完了」
「二番セットよし」
「OK。さあやろう。総員セーフティーエリアにいるな?」
セーフティーエリア?
「点火ぁ!」
え?
……すさまじい爆音とともに、三十メートル先の大岩が吹き飛んだ。辺りは煙で覆われ、前が見えない。爆薬だ。
「よおし。大丈夫だ。宮田、見に行ってくれ」
「了解」
声がした後、誰かがこっちに歩いてきた。煙でシルエットしか見えないが、私は叫んだ。
「おーーーい!おおおおい!ここだーー!」
手を振り上げ、シルエットに向かって進む。耐圧耐熱強化ガラスによって声は六割ぐらいしか届かないが、お構いなしに叫んだ。
その声を聴いたシルエットは一瞬立ち止まり、今度は走ってこっちに向かってくる。
「おい…嘘だろ……?いったい誰が……」
……しばらくして煙が無くなり、お互いの目が合った。
宮田は口を覆い、一瞬放心状態になり、
「か…加藤っ……?おま…お前…何でここに……?もしかして…幽霊……?」
「……」
今思えば、私の愚行でこうなっている。多くの人に迷惑をかけただろう。なんて返せばいいだろうか。
「はぁ?……はぁ?」
「……すみませんでした」
「ええ…どういうこと…?」
「加藤!」
ヤコフがそう言って、はっとした。謝罪よりも先にしなければいけないことがある。
「み、宮田さん…医療キットって、ありますか?」
「医療キット?……お前ケガしてるのか?」
「いや私じゃなくてっ!とにかく、どこかに医療キットはありますか?」
「確かそこの休憩所にあったと思うぞ」
宮田が指さす先には、小さめの長方形の小屋。わざわざ地上に出る必要はなさそうだ。
「ありがとうございます!」
「あの…色々と聞きたいことが……」
宮田がしゃべり始めるころには、私は走っていた。ヤコフについてくるよう合図し、小屋の前まで行った。ドアの上には、“休憩所”の文字。
「ここの中にあるそうです」
「よし行くぞ」
二人はドアを開け、中に入った。中では数人の作業員が弁当を食べている。壁には8月のカレンダーがある。やはり一か月いたようだ。
突然見知らぬ人が入ってきたため、作業員たちの目線が一斉にこっちへ向く。
「……あんたら誰?」
「医療キットは…ありますか……?」
既に息切れしていて声があまり出ない。
「ああ」
作業員たちの緊張が何故だかほぐれた。
「あれか、設備のチェックだろ。ってことは、おたくら公務員?」
職業は違えど、公務員である。
「はっはい」
相手に合わせたほうが早くたどり着けそうだ。
「こっちですよ」
作業員が一人立ち上がり、救護用ベッドまで連れて行ってくれた。
「ほら。ちゃんとあるでしょ」
ベッドの隣の棚には医療キットが入っている。
「ここは公務員には危ないぜ。早く事務所に帰りな」
私はすかさず
「すみません!ちょっとお借りします!」
そう言って医療キットを棚から引き出し、入り口に走った。
「え!?どういうこと!?これってまさか、検査失格!?」
「事情は後でじっくりとお話ししますんでっ!今はほっといてください!弁償しますから!」
ドアを開け、外に出た。
「おい。どういうことだ?」
目の前には、何人もの作業員がいる。ドアの前で出待ちされていた。
「医療キット?何に使うんだ?」
現場監督らしき人が前に出てきた。
「事情は後で……」
「今、ここで、話せ」
「…命がかかってるんです。お願いです」
「誰のだ。負傷者が出たなんて報告はないぞ」
「…私の……友達です」
監督の表情が曇り、あきれたように顔を手で覆う。
「加藤、俺に渡せ」
ヤコフが小声で言った。時間がない。後々めんどくさそうだが、今は強行突破しかない。
「わかった。行くぞ……」
私はキットを素早くヤコフにパスし、ヤコフは全速力で作業現場を走っていった。
何人かがヤコフを止めに行ったが、誰も追いつけない。まるでラグビー選手だ。あっという間にヤコフの姿はどこかに消え、追いかけていた作業員は地団太を踏んだ。
私はというと、案の定作業員に取り押さえられ、休憩所に押し込まれた。
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