第6話 Meet them

気づくころには、走っていた。

絶望して、濃い霧の中をただひたすら走っていた。自分がどこへ向かっているかもわからない。

「くそっ…なんでこんな……」

歯を食いしばっても、愚痴を言っても助かりはしない。わかっているのに、やってしまう。


……十分ぐらい走ると、ぼやけていた視界がだんだんと鮮明になっていくのを感じた。霧が今までよりも薄くなっている。それに、何だか霧がキラキラと光っているように見える。光が霧で反射しているんだ。

……もしかしたら、このまま進めば出口につくかもしれない。霧を抜ければ、運よく捜索隊と出くわすかもしれない。今の私に根拠なんて必要ない。必要なのは希望ただそれだけだ。


……霧を抜けた。




……先には、綺麗な湖が広がっていた。明るく光る鉱石がそこら中に埋まり、地底をこうこうと照らしている。

「は……は……?なんだ…ここは……?」

思わず声が出た。明らかに帰り道とは違う方向へ進んだことはわかる。

なんだ…ここは……どこなんだ……?

地底に湖があるなどという話は聞いたことがない。いや、ありえない。

地底海…?

ジュール・ベルヌの「地底旅行」にあった地底にある大海である。

……まさか。

しょっ、小説じゃないんだから。そんなものあるはずないんだ。

カシャッ

私は無意識にカメラのシャッターを切った。

フィルムには美しい地底の湖。青く地平線の彼方まで輝いている。


……普通ならここで引き返すはずだが、なぜだろうか、引き返せない。まるで体がそれを求めているかのように、私は何かに押されて湖に入った。スーツのせいか、水の冷たさは感じない。遠浅といった感じで、腰ほどの深さしかない。底には海藻のような藻のような何かが生えている。

気づけば、どこかに向かって湖を歩いていた。特にあてがあるわけではない。おそらく好奇心の一つなのだろう。しかし、スーツの動きにくさと水とが相まってなかなか進まない。多分泳いだ方が早いが、このスーツで泳げるかどうかは微妙である。

「はぁ……」

私は無意識に大きくため息をついた。何だか、地上に戻ったような、ファンタジーの世界に入り込んだような、とても言い表せない感覚だ。

“地底に迷い込んで、霧を抜けると美しい湖があった”なんて、まるでおとぎ話である。


……果てしなく続く湖を、私は少しづつ進んでいった。

一時間ちょっと進んだところで、遠くに孤島が見えた。なにも生えていない、小さな砂の島だ。

このまま当てもなくさまよってもどうにもならない気がしたので、とりあえず孤島に行くことにした。


また一時間ほど歩き続けて、ようやく孤島にたどり着いた。足の疲労が限界だったので、陸に上がるや否や座り込んだ。

太ももがパンパンだ。息も相当上がっている。


「……はぁ……」

私はまたため息をついた。

私はどこにいるのだろうか…何をしているのだろうか……

なんでこんなところに湖があるのだろうか…なんでここだけ気温も気圧も正常なのだろうか……

そんな答えが出もしないような問いをするうちに、眠くなってきた。

…きっと、寝ている途中に酸素がなくなって死ぬだろう。まだ若いが、どうせ心残りもない。

こんな幻想世界で死ねただけいい人生だったろう。


……最後に一回だけ、神にお願いでもしておくか。


ああ、神よ。どうか、この私を救いたまえ。




………

何時間寝ただろうか。少なくとも四時間は寝たであろう。

何かにゆすられているような気がする。声のようなものもする。

天国から迎えでも来たのだろうか。

いや……まだ生きているような気がする。手の感覚も、足の感覚もある気がする。

それでも体は動かない。

まあ、何か起きているのであれば……今よりはましなことにはなるだろう。


……?

なにかに乗せられた…のだろうか。

もしかしたら、どこかの探検隊や調査隊が私を見つけたのかもしれない。

は…はは……よかった…助かったんだ……

何か不自然な感じもするが、ひとまず何者かに見つけられたことは確かだ。こんな、倒れている人間を何かに乗せて運ぶ動物なんて人間しかいない。

安堵に包まれたからか、目を開ける前に私はまた寝てしまった。


数時間の間、揺れる何かに乗せられたまま私はどこかに運ばれた。

起きるときには研究所の医療室か…はたまた休憩室のベッドか……

あぁ。秘書さんたちに謝らないとな……


また少しして、段々と体が動くようになってきた。

「Мы нашли его на острове Каласале」

周りから声が聞こえる。なんて言ってるかはわからない。

でも、聞き覚えのある言葉だ。

これは……ロシア語だ。

……やっぱり、ロシアの調査隊が私を見つけてくれたんだ。じきに研究所か何かに運び込まれて、地上へ戻り、晴れて帰国。その後はかなり大変なことになるが、命が助かったのだから文句は言えない。

今はゆっくり休んで、体を癒そう。それが私にできる最大限のことだ。助かった。そう助かったんだ。




あれから何時間たっただろうか。暗闇の中、頭の中で再び人の声がこだまする。

「Вы слышите мой голос?」

男の声だ。どうやら興奮しているようだ。

「Откуда вы пришли?」

人の声がはっきりと聞き取れるようになっている。意識がちゃんと戻ってきているようだ。

体も十分休まったので、目を開けてみた。

見えるのは一人のロシア人の男。半袖を着てこちらを見つめている。

一人だけのようだ。

「Я проснулся!」

私と目が合い、彼はそう叫んだ。なんて言ってるかはわからない。

……?

ここでふと、数時間前の話を思い出した。

“このスーツには、外国の研究者とも円滑にコミュニケーションが取れるように音声翻訳機能が付いています。聞く側も聞き取れるように、外側にスピーカーまでついてるんですよ!ね?すごいでしょう?それでこの……”

私は操作盤をいじり、一か八か翻訳機が作動しないか試してみた。ワイパーやら無線のチャンネル切り替えやらいろいろ作動したのち、とうとう翻訳機がついた。するとロシア人の言葉が日本語になって流れてくる。

「起きたぞ!人だ!人が来たぞ!彼は生きてるんだ!」

人が来たぞ……?ただの翻訳ミスだろうか。

「ど、どうも…」

「はぁ…はぁ…生きてる、生きてるんだ!」

「ええ。おかげさまで。ありがとうございます」

「私がこの日をどれだけ待ち望んだことかっ!」

「良かったですね…あの……」

「ん?なんだ?気分でも悪いか?」

「いつごろ日本に帰れそうですか?」

「え?」

……?

「え?」

どういうことだ……?まさか日本に帰してくれないのか!?

「あの…とっとりあえず大使館の方に……」

「何を言ってるんだ。ここにそんなものはないぞ」

「え……?いや、あるでしょ」

「ないぞ」

私をからかっているのか?それとも軽いジョークなのか?

「どういうことです」

彼はへへへと笑い、白い歯を見せた。


「迷える旅人君。君は今“オアシス”にいるんだよ」


……?どういうこと……?

「え……?」

「“オアシス”へようこそ」

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