第5話 未知

「私にとっては小さな一歩だが、国会議員にとっては大きな飛躍だ……!」

ついかっこつけたことを言ってしまった。

「……」

誰も反応しない。寒気がする。しかし、月に行ったかのアームストロング船長もまさか地球に新しい世界があったなんて思わなかっただろう。新しいものは、案外近くにあるものだ。


「おぉ……」

外の世界は、想像を絶していた。

辺りには白カビのようなものが生えている。それ以外は冷却用の海水とその水蒸気しか見当たらない。小学生のころ読んだジュール・ベルヌの“地底旅行”のような世界を想像していたが、全く違う。

あまりにもファンタジーからかけ離れていたので、少しがっかりした。

とはいえ外はかなり開けていて、巨大なドームの天井部分にいるような感じだ。研究所の周りだがまだ手付かずな部分も多く、まさに未開の地といった感じだ。

それでも、岩をどかしてラインっぽいのを引くという本当に最低限の道の整備はしてある。

「どうしたんです?その顔」

「いや……もっとこう……ファンタジーというか、きれいなものだと思っていました」

「フフッ。何言ってるんですか。ここはリアルですよ、リアル。おとぎ話じゃないんだから」

「す…すみません。そうですよね……」

「なに、謝ることはないですよ。誰しもその目で見るまで想像でしか見れないんですから」


三人は少し進んだところで止まり、“訪問しているアピール”のための記念写真を撮った。

秘書さんは顔がひきつっていたが、写っているのが誰かさえ分かればいいのである。

「はいっチーズ!」

「はは……」

カシャッ

一応、これでやることは終わりだ。あっさりとした訪問だ。もはや訪問ともいえないかもしれない。スケジュールは知っていたが、これほどとは思わなかった。


……

「あの……もう少し見ていってもいいですか?」

今すぐ帰りたそうな秘書さんなど知らずに、私はつい言ってしまった。

「え!?」

ガイドも秘書さんも“噓でしょ?”という表情で私を見る。

ガイドは少し考えこみ、結局、

「別にいいですよ」

よかった。まあ、写真は多いほうが“訪問した感”はあるだろう。一石二鳥というやつだ。

「……た・だ・し、絶対に電波の届くところで行動してください。本当に」

研究所の時とは一変、真剣な声だ。

「わかってますよ。一時間ぐらいしたら帰ってきます」

ガイドからカメラをもらい、私は歩き始めた。振り返ると、帰っていく二人の背中が見える。


ここは未開の地。それに私しかいない。

カメラを持って、私は歩く。知らない世界を、誰も見たことのない世界を。


カメラを岩に引っ掛けて、写真を撮った。自分一人しか写っていないが、「撮ってもらった」と言えば大丈夫だろう。


「なんか、楽しいな」

知らない間に、好奇心というのが芽生えていた。

私は夢中で進んでいく。研究所から離れていくにつれて植物やカビの仲間が姿を消していく。研究所の前の照明の光はもう届かない。明かりは頭についたヘッドライトただ一つだ。

そして、次々とカメラのシャッターを切っていく。SDカードが入っているので、何千枚写真を撮っても大丈夫だ。それに、”アンパスカルスーツ”のおかげで熱さも圧力も感じない。


しばらく歩き続けると、向こうのほうにやけに白い霧がかかっている場所を見つけた。


濃い霧だ。計測器を見ると、温度が異常に低くなっている。溢れる水蒸気のせいか、気圧もそこまで高くない。


かなり進んだところで、時計を見た。出発してからもうすぐ一時間だ。そろそろ帰ったほうがいい。秘書が心配しているだろう。

……?

……こっちは……どっちだ……?

嫌な予感がする。

辺りは霧に包まれている。どっちが正しい方向なのかわからない。

……そんな…嘘だろ……?

こうなれば、もう立ち往生するしかなかった。


冷や汗をかき、私はすぐさま電話をかけた。繋がれば、まあ何とかなるだろう。

ツーツーツー

ツーツーツ

……

つながらない。次だ。

周波数を変える。

ツーツーツー

……

噓だろ?

ツーツーツー

……

呼吸が荒くなり、平常心がなくなっていく。周波数のネジを回し続けて、心を落ち着かせる。

大丈夫だ。そんなことにはならない。お前は産まれてこの方ラッキーな奴だ。大丈夫…大丈夫……

ツーツーツー

ツーツーツー

……

ツー……

ははは……

そんなわけ……ないだろ……?


無線機の画面が変わった。

“圏外”


……

私は膝から崩れ落ちた。完全に脱力して、何も考えられない。

「はぁ……はぁ……」

地底《ここ》で……死ぬ……?


……いっいや。落ち着け落ち着け。そんなわけないじゃないか。こんな死に方、あるわけない。何か、脱出方法があるはずだ。

……探せ……探せ……絞りだすんだ。どんなものでもいい。どんな手を使ったって今よりは良いんだ……

……お前は冒険家なんだろ?それぐらい、いくらでも思いつくはずだろ?


………

ない。

これが私が五分考えて導き出した唯一の答えだった。私は国会議員。雑用しかできない最低議員だ。冒険家なんかじゃない。

ここは人類未踏の地だ。頼れるものも、食べ物もない。ここは地上ふるさとじゃない。生まれたときからコンビニがあって、交番があって、町の人たちがいる。そんなのじゃない…


「は、ははは…」


精神がおかしくなっていくのを感じる。まるで見えているものすべてが幻覚のような気がする。

私は、我を忘れた。

「ははは……」

死ぬんだ。地底で、訪問中に勝手に遭難して、戻れなくなって死ぬんだ。

状況が飲み込めない。わけが分からない。


助けは来ない。


ここには誰もいない…


わけもわからず、早歩きする。突っ立って死ぬよりかはましだ。

時間がたつにつれ、だんだん早くなっていく。目にはようやく涙がこぼれ始めた。パンクした頭の中では、いろいろな思い出がよみがえる。いろいろな人の顔が見える。

数日前の今頃、私は何をしていただろうか。缶コーヒーを片手に、ベンチで青空を眺めていた。何気ない日常。平凡で、思わずあくびが出る日々……

こうこうと照らす太陽、小鳥たちのさえずり。セミの声が聞こえ、子供たちがカラフルな服を着て遊んでいる……

戻りたい。地上へ帰りたい……


ここは新しい世界じゃない。未知の世界だ。

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