第41話 自分に出来ること

 リュートは目を覚ました――気がした。

 ゆっくりと瞼を開けて正面を見る。

 大きな木の下にいるようだ。

 彼は体を起こす。


「体が軽い......」


 リュートは自分の手を見た。

 毒に侵されて変色していたはずの手は元に戻っている。

 周りを見渡せば、巨大な湖に加え、大地の全てが花で覆われている。

 色とりどりの花がそこにはあり、歩くのを躊躇ってしまうほどだ。


「どこだここは?」


 過去を振り返ってもこのような景色をリュートは見たことない。

 立ち上がれば、花を踏むことを申し訳なさそうにしながら湖の方へ歩いていく。


 リュートは考えた。

 自分が最後に覚えているのはリゼに再会した時だ、と。

 体もガタガタの中、洞窟の出口の光が見えたから頑張って歩いた。

 そしたら、目の前に魔物が現れたが、それはリゼが助けてくれて、それで――


 彼の歩幅がだんだんと小さくなっていく。

 やがては前に進む一歩すら踏み出さずに立ち止まった。

 目線は遠くの何かを見る目るようにして。


「俺は......死んだのか?」


 リュートは漠然と思ったことが言葉に出た。

 しかし、その考えは存外間違っていないのかもしれない。

 見たことのない景色に、一面に広がる花畑。


 背後にあるのは一本の大きな木で、正面には巨大な湖。

 地平線の先には森や建物が一つも見えやしない。

 ここが死後に訪れる三途の川ならぬ三途の湖と思っても仕方ないことだ。


「.......」


 リュートは突然走り出した。

 向かったのは湖で、岸に滑るように膝をつけば、湖を覗き込む。

 もしここが死後の世界の一つだとすれば、ここの湖から今まで生きていた世界が見えたりするのではないか、と思ったからだ。


「っ!」


 リュートは息を呑んだ。

 湖の底にリゼの姿が見えたからだ。

 彼を抱きかかえるリゼだけじゃない、治療するスーリヤ。

 顔色が良い状態で寝ているナハク、そんな彼のそばで心配そうに寝そべるセイガ。


「俺は.......まだ完全に死んでない?」


 はたまた、死んだ魂がもう助かる見込みのない肉体を見下ろしているだけか。


 リュートは困惑した。同時に、手がそっと湖に沈み込む。

 彼は無意識に腕を伸ばしていたのだ。

 まるでその場所に戻りたがっているように。


 リュートは思った。

 そうだ、俺にはまだやり残したことがある、と。

 まだ死ねない。妹を助けなければいけない。

 それが俺の両親との約束だから。


「っ!」


 ―――ボチャンッ


 リュートは尻を突き飛ばされ、前のめりに湖の中に入っていく。

 水の中に入ったが息苦しくなく、冷たくなく温度も心地よいぐらいだ。

 彼は水中でクルッと反転した。


 水面越しに見える太陽の光で、水面が白く輝いている。

 岸の近くでは男の人物が立っているようだった。

 何かを話している。


「.....そうか、アレが貴様の」


「あぁ、自慢の息子さ。つっても血は繋がってねぇけどな」


 その声はリュートの脳内で残響し、意識を暗くしながら湖の奥へ沈んでいった。


 ****


「......ちょっと、あんた何してるのよ!?」


「え、だって、突然脱ぎ始めましたので、暑いのかと思いそのお手伝いを」


「それはコイツの単なる就寝中の脱ぎ癖よ! いいから手を放しなさい」


「へぇ~、それは面白いですね......スルッ」


「だから、脱がせようとすんじゃないって! それに、パンツに手をかけるな!」


 リュートの耳に姦しい声が聞こえてくる。

 その声と同時に意識が覚醒し始めた。

 ゆっくりと目を開ける。


 リュートが目を開けば、小さな膨らみの奥にリゼの顎下が見える。

 彼女はスーリヤがいるだろう視線を向きながら、声を荒げていた。

 その時、彼はすぐさま状況分析をした。

 なるほど、どうやら今膝枕されてるようだと。


「......リゼ?」


 リュートがゆっくりと口を動かし、声をかける。


「っ!」


 リゼがビクッと反応し、目線を下に向けた。

 彼女はすぐに目を大きくし――睨むように目を細めた。


「よくすぐに私だとおわかりで」


「そりゃ、顔が見えたから......」


「胸が小さくて悪かったわね」


「邪推が過ぎる」


 リュートはリゼの言葉に苦笑いしながら、ゆっくり起き上がった。

 すると、リゼが妙にじっと見て来ることに気が付く。


「どうした?」


「別に、あんたはまだ病人なんだからじっとしておきなさいって思っただけよ」


「なんだ、意外と心配してくれてるんだな」


「あんたは私をどう思ってるのよ? でもまぁ、深くは心配はしてないわ。

 あんたは必ず無事。そう思ってたから。

 それにさすがのあんたも死に際で脱ぎ癖なんてしないでしょうに」


「それもそうだな」


 リュートはリゼとの会話を終えれば、やたらパンツが引っ張られてる下半身に目線を移した。

 そこではなぜかスーリヤがパンツに手をかけて今にも脱がそうとしている。

 そのことに彼は眉を寄せて聞いた。


「何やってんの?」


「リュートさんが脱ぎたそうだったのでそのお手伝いを。

 ついでに男性の肉体構造は知識として知っていますが、実物は見たことなかったので興味本位で」


「よくもまぁ、当たり前のことを言ってるみたいな顔出来るな」


 照れた様子もなく言ってみせるスーリヤにリュートはため息を吐いた。

 彼はさすがにパンイチは不味いので立ち上がりズボンを履いていく。

 そんな光景にリゼは目線を逸らしながら、質問した。


「正直、完全に脱がされる前で助かったわ。さすがに見るのは覚悟が必要だったから。

 にしても、あんたのその癖っていつからなのよ?」


「わかんねぇ、小さい頃は無かったみたいだけど、ある日突然脱ぎ出したらしい」


「なにそれ、変な話ね」


「それは俺もそう思――っ!?」


 瞬間、リュートの膝がガクッと曲がった。

 病み上がりの状態で毒が回った体が完全に回復したわけではなかったみたいだ。

 後ろ向き倒れそうになったところをリゼが支えれば、彼女はゆっくりと近くの木に彼を寄りかからせた。


「まだ病み上がりなんだからじっとしてなさい。あんたは一番毒の進行が酷かったんだから」


「そうだな。そうさせてもらう。それと、言うのが遅れたが、スーリヤも助けてくれてありがとう」


「ふふっ、どういたしまして。それに助かったのはリュートさんの生命力あってのものです。

 一番に褒めるべきは自分ですよ。ただ、今日一日は安静にしていてください」


「わかった」


 スーリヤの忠告を素直に聞き入れたリュートは頷づく。

 スーリヤの言った通り、リュートの体はボロボロだ。

 見た目以上に内部の毒による損傷が酷く、今の彼はまともに立つことも出来ない。


 大きく一つ息を吐いたリュートは軽く周囲を見渡せば、近くにナハクとセイガの姿が見えないことに気が付いた。


「そういや、ナハクとセイガはどこにいるんだ?」


「二人なら少し向こうの方で話してらっしゃいますよ。

 なんでも話さないといけないことがあるとかで」


「そっか」


 スーリヤの言葉にリュートは意味を察した。

 きっとナハクはハクロウが亡くなった最後のことを話そうとしてるのだろう、と。


 リュートの顔が下を向く。

 そんな彼の横顔にリゼとスーリヤはおおよそのことを察していた。

 なぜなら、洞窟の中に突入したハクロウが未だに戻ってこないのだから。


「リュート、深く考えすぎないようにね」


 リゼはかける言葉が見つからなかったが、とりあえず何かを言わないといけないような気分にかられた。

 故に、声をかけたが――


「あぁ、そうするよ」


 リュートは依然俯きながら答える。

 あまり意味が無かった、と思うのはリゼから見ても当然のことだった。


 ―――数日後


 魔物使いの村ラトリレスに戻ってきたリュート達一行。

 ナハクの伝手と親切な住民達のおかげもあって、リュート達は各々個室が与えられていた。


 外は真っ暗な夜。

 窓から月光が差し込み、床の一部を明るく照らす。

 隙間風が舞い込み、カーテンがひらりと揺れた。

 そんな中で、リュートは頭の後ろに手を組んでベッドに寝そべりながら、ぼんやりと天井を眺めていた。


 彼は今もハクロウとナハクの別れについて思うことがあった。

 本当に死に別れなければいけなかったのか、と。

 もし、あの時俺にもっと力があれば、ハクロウが助けに来る前に終わっていれば、ハクロウは助かったのかもしれない。


 今更考えたってやり直せるわけでもない話なのかもしれない。

 しかし、自分と同じような親を失う苦しみをリゼにも、ナハクにもさせてしまった自分の未熟さがとても情けない。


 俺はあの仲間達の中でも誰よりも年上だ。

 これまで傭兵団の皆に、親父ガイルに教えってもらったことを伝える立場となった。

 つまり、俺は皆に頼られる存在にならないといけないわけで、誰よりもしっかりしていないといけない。


 そして、なにより強くなければならない。

 仲間が悲しむ姿を見ないように。

 もう辛い思いはさせないように。

 もっともっと力が必要だ


「.......頑張らないと。俺は兄貴なんだから」


 リュートは右手を伸ばし、手の甲を見つめた。

 そこには四人から契約した契約紋が描かれている。

 それは言わば、信頼の証。

 その信頼に応えるためにも。


 ―――ピピッ


「ん?」


 左手首にある小型通信機アクシルが反応した。

 リュートが画面を見れば、電話マークがあり、相手はリゼからだった。

 彼は夜更けの電話に疑問を感じながらも、電話マークを押した。


「こんな夜更けにどうした?」


「少し......話したいことがあるの。あんたの部屋、行ってもいい?」


「あぁ、いいぞ」


 リュートが快く答えれば、リゼは「わかった」と返事して通話を切った。

 それから一分後、彼のドアがノックされる。


「私よ、入っていいかしら?」


「あぁ、もちろん」


 リゼが入って来る。

 普段結んでいる髪を降ろし、帽子もない状態。

 加えて、下を履いているかもわからない大き目の服を着た格好。


 普段よりもしおらしいリゼの表情も相まって、リュートは少し目を開く。

 しかし、すぐに心を落ち着けると声をかけた。


「珍しいな、こんな時間に電話なんて。いや、初めてか?」


「そうね、初めてね。そ、そんなジロジロみないでよ。

 服買うのケチってお父さんの服を寝間着代わりにしてるだけだから。色気も無くて悪かったわね」


「別にそんなこと言ってねぇだろ。好みや事情は人それぞれだ。

 だがまぁ、気にしてるぐらいなら買ってもいいんじゃないか?」


「......考えておくわ」


 リゼはスタスタとリュートのベッドに近づいた。

 リュートが気を利かせてベッドの端に寄り胡坐を組めば、もう反対側の空いたスペースに靴を脱いだリゼが三角座りする。

 ただし、背中を彼に向けてであるが。


 リゼは裸足の両足を手で擦り、口を開く。


「リュート、あんたずっと気負ってんじゃない?」


 その言葉にリュートは一瞬ビクッとした。


「どうしてそう思うんだ?」


「あんたの顔を見ればわかる。

 村の人達や私達との会話がない時のあんたはまるで焦ってるみたいだもの。

 かつての家族のために必死に頑張ってた私のような顔をしてる」


 リュートは首を擦って答えた。


「そんなにか。気を遣わせて悪かったな」


「それに病み上がりでまだ毒による体のダメージが完治しきってないのに、こっそりと一人で自己鍛錬してるのバレてるからね?」


「うっ、バレてたのか。出来ればスーリヤには内密に。割と真面目に怒られそう」


 苦笑いを浮かべるリュート。

 そんな彼の弱みを握った状態にリゼは知ってか知らずかわからないが、この状況をチャンスだと感じた。


 リゼは頬を赤く染め、両足の指先を手の指で掴む。

 ざわつく心を我慢しながら、スーッと息を吸って言葉を吐いた。


「ならさ、触ってみない?......私の尻尾」


 リゼはリュートにこうして会うまでの間ずっと考えていた。

 どうすれば自分がリュートの役に立てるのか、と。

 私は未だリュートに役に立てていない。

 一緒に背負ってくれた重荷に恩返しが出来ていない。


 リュートは凄い奴だと思う。

 強くて、カッコよくて、優しくて......でも、自分の重荷を決して背負わせてくれない。

 自分も攫われた妹を助けるという目的があるのに私の罪を背負った。

 ナハクの時もずっと気を遣っていたということをセイガから聞いた時も思った。


 きっとリュートは自分が年上だからとかそんなんで私達には背負わせようともしない。

 それはリュートから見て私はまだ本当の意味で信用されてないからじゃないからだと思う。

 だって、私の右手の甲にある契約紋はあくまで“私からリュートへの信頼”の証なんだから。


 私はまだ自分からしてもリュートからしても役に立てるような力はない。

 だから、すぐにでも早く助けになれるよう強くなる必要がある。

 でも、それだけじゃきっと彼の方が限界を迎えてしまうかもしれない。


 故に、私は考えた。リュートから甘えてもらう形にすればいいんじゃないかと。

 自分ながらなんだかバカな発想のような気もしなくもないけど、今の私に出来るはきっとこれぐらい。

 これで少しでもリュートの心が穏やかになるなら。


 そこでやるのが、私がまだ小さかった頃にお母さんにあやしてもらった方法。

 私はお母さんの柔らかい尻尾に抱き着いて寝るのが好きだった。

 つまり、あのお母さんの血を継ぐ私ならリュートを癒せる可能性はある! はず!


「え?」


 そんな気合の入ったリゼに対し、リュートの反応は至極当然のものだった。

 彼は目をパチクリさせて、聞き返した。


「俺が? 触るの? この尻尾に?」


「え、えぇ」


 困惑するリュートに対し、リゼは顔だけ振り返り彼の出方をじーっと見る。


 リュートは返答に困りながらも確かに思ったことがあった。

 めっちゃ触ってみたい、と。

 それを考えたのはいつだったか。

 あ、前にリゼの実家で一緒に寝た時だ。


 あの時、たまたま手に触れてしまって触るのは遠慮したけど、感触はめちゃくちゃフワフワだった。

 それ以降、時折尻尾を目に追ってしまうことは多々あった。

 それがある、目の前に!


「ど、どうかしら? 今なら手入れした後だからフワフワもフワフワよ?」


 リゼが誘うように尻尾を揺らす。

 その動きをリュートの視線はしっかりと追って左右に振れた。

 彼はツバをゴクリと飲む。

 耐えがたい欲求が彼を襲った。

 彼の手がワキワキと動き出す。


「ほ、本当にいいんだな?」


「えぇ、覚悟は出来てるわ」


「よ、よし、行くぞ」


 リュートは腫れ物でも触るように慎重に手を動かした。

 瞬間、彼の研ぎ澄まされた手のひらにフワッと感触が走る。


 直後、リュートとリゼの脳内に電撃が走った。


 リュートは思った。

 や、やばい、この感触はやばい、と。

 いつまでも触っていたくなる。

 湯上りで仕上がっただろうこの完璧はフワフワ。

 ダメだ、我慢できん! 顔が吸い寄せられる!


「ひゃっ!」


 リュートが顔をくっつけて抱き着いたことにより、リゼは口から変な声が漏れ出た。

 咄嗟に彼女は口を手で押さえるも、ずっと尻尾から感じるゾワゾワした感覚に悶えていた。

 両足の指先はキュッと丸くなり、両手で顔を覆う。


 リゼは思った。

 か、顔が絶対変になってる、と。

 自分で勧めた手前、こっちからやめろなんて言えないし。

 それ以上にこんなゾワゾワするものなんて!

 加えて、あのいつも男らしいリュートが私の尻尾にだらしない姿になってる。

 この感覚に妙なゾクゾクとした感情が芽生えてきて......やばい恥ずかしいのに顔がにやける。


 リュートが“フワフワは至高”という扉を開き、若干拗らせたリゼが甘えられることにゾクゾクとした感覚を覚えるという扉を開き始めた。

 その直後、妙な胸騒ぎを感じた一人の乙女が飛び込んでくる。


「えっちな気配がします!」


 ガタンと勢いよく扉を開けたスーリヤ。

 彼女は見た――目の前の異様な光景を。

 一瞬、面食らった彼女だが、すぐに状況を分析するとキリッとした顔で言った。


「これから苛烈な夜が始まるという認識でよろしいですか?」


「よろしくないわよ!」


 それからしばらくの間、リュートと途中参戦したスーリヤによって尻尾をモフられまくるリゼだった。

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