第40話 別れと希望

 ハクロウがついに力尽きてその場に伏せた。

 その姿にナハクは急いで駆け寄り、ハクロウの顔に手を触れる。

 彼は今にも泣きそうな震わせた声で言った。


「おじいちゃん、大丈夫!? 安心して、急いで外に連れ出すから!」


 ナハクはハクロウの毛を掴むと、ハクロウが来た洞窟の先に連れて行こうと引っ張る。

 しかし、当然ながら彼の力では微動だにしない。

 一匹のアリが人間を引っ張って運ぼうとしているのと一緒で体格差が違い過ぎるのだ。


 ナハクは運べないことがわかると、すぐに「助けを呼んで来る!」と走り出した。

 瞬間、彼は足がガクッと崩れ落ち、地面に転んだ。

 同時に口から血を吐き出していく。


「ナハク!」


 リュートが駆け寄った。

 声をかけられたナハクは「大丈夫」と自分の力で立ち上がろうとする。

 彼の地面につけた両腕は小刻みに震えていた。

 彼の毒の進行が思ったより早いようだ。


 なんとか座ることが出来たナハクの様子を見ながら、ハクロウは口を開いた。


「孫よ、本当はわかっているだろ? ここが決別の時であることぐらい」


「嫌だ! 認めるもんか! 僕は諦めない! だって、おじいちゃんはまだ生きてるんだから!」


 ナハクは即答で返した。

 力を入れるのもやっとの足でなんとか立てば、ゆっくりハクロウに近づいていく。

 途中再び足から力が抜けて転びそうになったが、リュートがキャッチして支える。


「おじいちゃん......僕はまた家族を失うの?

 今度は僕からおじいちゃんが居なくなるの?

 こんな結末を見るために僕は力をつけてきたわけじゃない!」


 ナハクは弱った体で精一杯声を張った。

 表情はクシャクシャになっていて、目からは大量の涙が溢れ出る。

 その横で肩を貸していたリュートは静かに目を閉じた。


「孫よ、あの時の貴様の選択は決して間違っていなかった。

 なぜなら、我はこうして安らかな気持ちで死を迎えることが出来るんだからな」


「だから、どうしてそんなに簡単に死を受け入れられるんだよ!」


「ならば、我が貴様が殺した家族と同じようになってでも生きることを願うのか?」


「っ!」


 ナハクは二の句が継げなくなった。

 そして、顔を下に向ける。

 強く握られた拳が震えていた。


「我が孫よ、優しい孫よ。我は貴様が家族であったこと、心から誇りに思う。

 貴様と出会えた日のこと、迎え入れ一緒に育ったこと、そして我ら家族のために強くなることを誓ってくれたこと、今も昨日のことのように思い出せる」


「.......」


「それほどまでに貴様との出会いは痛烈で、感慨深く、楽しい出来事の日々だった。

 そんな時を過ごさせてくれた貴様に心から感謝したい。ありがとう」


 ハクロウの目元がニコッと三日月形になる。

 ハクロウは顎からボタボタと涙を流したまま、顔を上げた。


「おじいちゃん......」


「あぁ、我は貴様のおじいちゃんだ。後にも先にも貴様にしか呼ばれたことのない呼び名だったが、冥途に行こうとも忘れることのない名誉だ」


「僕もだよ.......僕もおじいちゃんと出会えたこと! 本当に嬉しかった!

 辛かったし、厳しい時もあったけど、それでもずっとずっと楽しかった!

 だから、僕も――おじいちゃんとの思い出を誇りに思う!」


 ナハクは胸の内側からせり上がるあらゆる伝えたい思いをグッと堪え、ニコッと明るい笑みで言ってみせた。


 ハクロウは口元を緩めた。

 ハクロウの視界は霞み、もはやナハクとリュートの姿をハッキリ見ることも難しい。

 死期が近い。

 故に、最後の力を振り絞って言う。


「これより、叙勲式を行う。我が孫ナハクよ! 前へ!」


「はい!」


 ナハクはリュートに協力してもらい、一歩前に出た。

 彼は姿勢を正す。


「我が孫ナハクよ、貴様は我がマーナガルム一族において、家族を死に追いやった宿敵を討ち果たすという大いなる功績をのこした。

 故に、王である我が貴様に報酬を与えよう」


 ハクロウは大きく息を吸う。


「貴様には我が一族の証であるマーナガルムの名を与える!

 これより、貴様はナハク=ソーシャン=マーナガルムと名乗れ!

 貴様の名が後世に残り続ける限り、我ら一族の死は永久に不滅だ!」


「はい!」


 ナハクはグッと拳を握り、力強く返事をした。

 その態度にハクロウは僅かに目を細める。


「そして、これは貴様のおじいちゃんである我の言葉だ。

 これから貴様はさらに色々な経験を重ねていくだろう。

 しかし、貴様はもうすでに一人ではない。

 助けてくれる、力になってくれる仲間がいる。

 だから、いつまでも元気でな」


「っ.......はい‼」


 ナハクは泣きながら再び返事をした。

 そんな彼の様子に安心した様子のハクロウはリュートに視線を移した。


「リュート」


 ハクロウに呼びかけられたリュートは目を開ける。


「なんだ?」


「貴様は長になる器だ。我の直感がそう告げている。

 これから貴様には数々の辛苦が待ち受けているだろうが、それでも歩みを止めてはならない。

 貴様の後ろに仲間が続く。希望の星であり続けろ。

 最後に、ナハクを......どうかよろしく頼む」


「あぁ、任された」


 リュートはハクロウをじっと見つめ、ゆっくり頷く。


「悪いな、背中を乗せて走れそうも無くて」


「気にするな。さっきの戦いはハクロウの王としての器におんぶにだっこだったからな。

 そう考えれば実質乗ったようなものさ」


「ククク、面白いことを言う。最後に笑わせてもらえるとはな。では――またな」


 ハクロウの言葉に、リュートとナハクは背を向けた。


「あぁ、またな」


「行ってくるよ、おじいちゃん」


 リュートはナハクの肩を支えながら、ナハクは手で目元を覆いながら、歩き始めた。



 そんな姿を小さくなるまで見つめ続けるハクロウ。

 もう目に映る視界は境界線すら曖昧になっている。

 しかし、ハクロウには見えていた――立派になった二人が帰って来るのを。


「思えば数奇な運命かもしれないな」


 ハクロウはふと走馬灯のように過去を思い出した。

 その中でも数奇な運命と呼べるものが、ナハクとの出会いの他にもう一つあった。

 それはとある男との出会いだった。


 ハクロウが夜道を散歩していると、一人の傷ついた男が倒れていた。

 その男は辛うじて生きているようであり、気まぐれに助けてみた。

 すると、その男の生命力もあってか男は生還し、数日の間家族として群れに引き入れた。


 その男との出会いは別段大したことではなかった。

 にもかかわらず、リュートの姿を見ていれば、なぜか助けたその男を思い出す。

 その男は今生きているのか、死んでいるのか。

 もしかしたら、あのリュートは.......。


「名はなんといったか......忘れたな。だが、その男が我らの月夜に輝く毛並みを見て“銀狼”と言っていたのは覚えているな」


 ハクロウはゆっくり目を閉じる。

 

「少し......眠るか」



「でさ、その時バカでっかい骨付き肉を食ったのよ。自分の顔と同じぐらいの。

 あの時の口いっぱいに広がった肉汁は今でも思い出せる」


「それは......美味しそう......だね.......」


「あぁ、確か極東にある島国では肉と一緒にお米を食べるのが最高に上手いんだとか。

 その組み合わせは試したことないから今度一緒に試してみようぜ」


「うん.......」


 リュートとナハクは話しながら歩いていた。

 とはいえ、リュートの方が一方的という感じだが。


 ハクロウと別れ、しばらく時間が経った。

 未だ先の見えない洞窟の中を、小型通信機アクシルの光を頼りに突き進んでいく。

 一歩、また一歩と亀のような遅い歩みでもって。


 原因は明らかだ。

 彼らの全身にはこの森を襲った毒が巡っている。

 もう何度目かの吐血も起こした。


 症状が一番酷いのはナハクの方だ。

 足取りが重たくなり、返事もなんとか返しているような感じ。

 目線はずっと下をぼーっと眺めているような感じで、手先が緑色に変色している。


 ナハクの肩を担いで歩くリュートも同じようなものだ。

 もっといえば、リュートは手首まで緑色に染まり始めている。

 しかし、意識は彼の方がハッキリしていて、足取りもしっかりしている。

 理由はわからない。なぜか彼の方が頑丈であった。

 されど、それもどんぐりの背比べ。


「がはっ」


 リュートの口からビシャッと鮮血が漏れ出る。

 首元の外套が赤く染まり、彼の命が刻一刻と削れているようだった。

 それでも、彼は歩みを止めない。


「ナハク、大丈夫か? 俺の武勇伝を聞く元気はあるか?」


「.......うん」


 リュートが声をかけ続け居るのはナハクの意識を途切れさせないようにするためだ。

 頑張って耐えている状態を下手に解除してしまえば、死まで一気に進んでしまう。

 しかし、そんな彼の頑張りもついには限界を迎えた。


 ほとんど足も上がっていない状態でリュートが小石に躓けば、ナハク共々地面に転ぶ。

 なんとか立ち上がるリュートであったが、ナハクに声をかけても、揺さぶっても起きる気配がない。


「ナハク? しっかりしろ、ナハク!」


 リュートは咄嗟に左手で首筋を触り、右手を口の前にかざした。

 僅かに呼吸がある、脈もある。

 完全に力尽いてしまったわけではないらしい。

 ただもう歩く力が残っていないという感じだ。


「安心しろ、俺は見捨てねぇから」


 リュートはナハクを背負い、背負っていた大剣を右手で引きずりながら歩き始める。

 ゆっくりだが着実に一歩を踏み出して前に進む始めた。

 終わりの見えない洞窟の中を。


 リュートは思った。

 一体、いつになれば辿り着くんだ、と。

 もう呼吸が辛い。手先の感覚はないし、視界もだいぶ前からぼやけている。

 ナハクに声をかけることで自分も意識を紛らわしていたが......不味い。

 後ろからコツッコツッと死神が歩いてきているような幻聴が聞こえる。


 今の俺は前に進めているのか?

 さっきからずっと景色が変わらない。

 小型通信機のライトも点滅し始めた。

 十分な魔力供給が出来ていないからか。

 ここで光を失ったら......いや、弱気になるな。


 俺はまだ妹を助けるという大事な目標がある。

 その目標がある限り俺は死ぬことなんて出来ない。

 前へ、とにかく前へ足を進めろ。

 少しでもいい。血反吐を吐いても足だけは止めるな!


「やれる、俺は出来る子だ。頑張れ、俺」


 リュートは自分に言い聞かせた。

 必ずこの先に出口が見えてくる。

 洞窟の入り口の前で仲間が待ってくれている。

 それだけが今の彼の心に残っている希望だった。


 そんな時間がどれだけ経過しただろうか。

 荒い呼吸がさらに荒くなり、踏み出していた足は小刻みに震えだす。

 もはやナハクを背負って立っているのが精一杯の状態だ。

 それでも足を止めることだけは許されなかった。


「今.......何か見えた......ような......?」


 霞む視界の中で、遠くからライトの光とは違う白い輝きを見た。

 洞窟の出口だ。ついにそこまで辿り着いた。


「ハハッ、ナハク.......やったぞ、出口だ......」


 リュートは笑みを零した。

 少しだけ力が湧いたような気がした。

 足が完全に動かなくなる前に足を踏み出す。

 少しでも前に進み続けた。


 もはや小型通信機からライトは出ていない。

 魔力を供給する余裕がなくなったからだ。

 しかし、それが無くとも正面に段々と大きくなっていく光が見える。

 ただ真っ直ぐそこに向かえばいいだけだ。

 他のことは考えなくていいい。


「?」


 リュートの霞む視界に何かが走って向かって来る。

 逆光のせいで黒い影にしか見えない。

 その後ろにも何体かいる気がする。


「リゼか......?」


 リュートはさらに力強く足を踏み出した。

 黒い影が近づいて来る。

 思っていたよりも小さい。

 それになんとなく四足歩行の気がする。


「ウギャー!」


「っ!?」


 リュートの前に現れたのはツタを体に纏わせたサルの魔物だった。

 彼の視界で相手が魔物と判断できた時には、その魔物はすでに飛び掛かっている。

 彼が避けるにはあまりにも数手遅れすぎている。


「不味い――」


―――バン


 一発の銃声が鳴った。

 直後、サルの魔物の勢いは失速して、頭を地面に擦りつけながら伏せた。

 その光景を見ていたリュートはゆっくり顔を上げる。


「ハァハァ......良かったわ、間に合って」


 呼吸を乱しているリゼ。

 ここまでサルの魔物を追って走ってきたようだ。

 魔力を使い過ぎてるのかだいぶ顔色が悪い。


「リゼ......」


 ぼんやりしていた視界のピントが一瞬だけ合う。

 リュートは口元が緩んだ。

 そして、言葉を零す。


「ただいま」


 リュートはリゼが来た安心感から力が抜けて前に倒れる。


「リュート!」


 リゼは慌ててリュートに駆け寄った。

 脈を測れば気を失っているだけのようだった。

 ナハクの方も確かめれば辛うじて息がある。


「スーリヤ、急いで! 早く!」


「わかっています!」


 セイガの背に乗ってやってきたスーリヤもすぐさま二人に駆け寄る。

 そして、彼女による治療が始まった。

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