第36話 狼の家族
ナハク=ソーシャンは捨て子だった。
アルサー山の山麓で籠に入った状態で誰に見つけられることもなく、その場に放置されていた。
アルサー山に限らず、山は魔物が跋扈している。言わば、魔物の楽園。
山の中では日々、魔物達による熾烈な生存競争と強者による捕食活動が行われていて、用も無ければまず近寄ることはない。
そんな山に捨てられたナハクは、生まれたばかりだというのに寿命はもはや風前の灯火に等しかった。
いつどんな魔物に喰われてもおかしくなく、襲われなくとも赤子では死を待つばかり。
ナハクは泣き続けていた。
いつもいる両親がおらず、お腹も減りと色々な意味で大声をあげる。
森の中で聞こえるはずもない不思議な声に多くの魔物が反応する。
そして、赤子の命を刈り取る死神は音もたてずに忍び寄った。
赤子のナハクに近づいたのは腕を左右に二本ずつ生やしたカマキリであった。
腕に生える刃はのこぎりのようにギザギザしており、大きさも二メートルを優に超えている。
その魔物が掴もうとしただけでナハクの柔らかい肌はズタズタに斬り刻まれるだろう。
カマキリは頭を動かしながら、ナハクを見る。
ナハクがカマキリを見てさらに泣き叫ぶ行動に僅かに警戒したからだ。
しかし、まるでこちらに害を与えて来る様子がないことがわかれば、腕二本を伸ばした。
「ウォン!」
その時、一匹の歩兵級マーナガルムがカマキリに向かって吠えた。
その声にカマキリがピタッと動きを止める。
そして、目線を歩兵級へと向けた。
歩兵級の声を聞きつけ、森の奥からさらに数体の歩兵級が現れる。
その後ろからゆっくり歩いてきたのは歩兵級を率いる隊長級マーナガルムであった。
その魔物達は丁度巡回中にナハクの声を聞きつけたのだ。
『隊長、人間の赤ちゃんが捨てられています。どうしますか?』
一匹の歩兵級が「ウォン」と吠えて、その内容を隊長級に伝える。
隊長級はすぐさま答えた。
『決まっている。赤子を助けない道理はない。邪魔者を排除しろ』
『了解』
隊長級が指示を出せば、歩兵級が一斉にカマキリへ襲い掛かる。
その光景を見て、カマキリの注意が消えたことを確認した隊長級は気配を消し、森の中へ消えた。
音を殺しながらナハクへと近づけば、彼の入っている籠を咥える。
その時の隊長級の姿をナハクは泣きもせずに眺めていた。
隊長級はカマキリから離した位置に籠を置く。
『ここで少し待っていろ。と言っても、わからんか』
『うぁう......』
『......ふっ、良い返事だ』
それから、隊長級もカマキリ退治に加わり、ほどなくして無事に倒した。
戦闘が終われば全員がナハクのもとへ近寄っていく。
『へぇ~、これが人間の赤ちゃんか』
『ちっちゃくて可愛いわね。どの生き物も赤ちゃんは可愛らしいわ』
『は、鼻先でちょんってするぐらいなら大丈夫かな?』
『ちょっと、見せて見せて~!』
『お前は傷もあるし、返り血も浴びたしで近寄んじゃねぇ!
血生臭いニオイが移ったらどうすんだ!』
「う、うっ、うわああああああん!」
『『『『あ~あ、やったわお前』』』』
『え、嘘、ごめん、ごめんて! 泣き止んでほら!』
一匹の血濡れた狼がナハクに近づこうとするが、残りの四匹が鉄壁のディフェンス。
赤ちゃんを泣かしたことにカマキリに向けた以上に鋭い眼光で四匹は睨んでいた。
血濡れの一匹は今にも涙目である。
『こら、お前達、くだらんことしてる前にとっとと行くぞ。
それにこの赤子をどうするかは俺達が決めることじゃない。王が決めることだ』
隊長級がビシッと鶴の一声でその場を鎮めた。
ナハクの入った籠を咥えれば、颯爽と歩き出す。
歩兵級五匹は隊長級を囲むようにして警備しながら住処へと戻った。
隊長級が住処に戻れば、周りにいたマーナガルム達は早速注目を向けた。
人間の赤子を初めて見たものが多かったからだ。
加えて、ナハクが先ほどから手を伸ばして隊長級の毛並みに触れてる様子で、恐れてる様子もまるでないことにも。
全員が耳をピンと立てて、顔を伏せていたマーナガルムは顔を上げ、興味津々に赤子を見る。
しかし、誰もすぐに動き出すことはなかった。
なぜなら、そこはすでに王の御前だからだ。
開けた場所に隊長級が一匹で前に出る。
両サイドにはそれぞれ四体の将軍級マーナガルムがいて、正面には巨大な石の上で寝そべるマーナガルム王――ハクロウがいた。
隊長級は籠を降ろし座れば、ハクロウに事のあらましを説明した。
その内容を黙って聞いていたハクロウは全てを聞き終えれば口を開く。
『赤子か。それも生きている者は珍しい。
過去にも何度か見たことあるが、その時はすでにただの肉塊であったな。
して、ここにわざわざ連れてきたのにはそれ相応の理由があるのだろう?』
『ハッ、恐れながら提案させていただきたいことがあります。
この赤子を拾ったのも何かの縁。どうか王の叡智をお借りして我らで育てる許可をくださりますでしょうか?』
ハクロウがじっと隊長級を見る。
隊長級はゴクリと生唾を呑み込んだ。
『良いだろう、許可しよう。我とて生きた赤子を見るのは初めてだしな。興味がある』
『ありがとうございます!』
隊長級は頭を下げる。
その様子を見て、ハクロウは続けて言った。
『ただし、それはあくまでお前の覚悟のほどを見てからだ』
隊長級は顔を上げ、首を傾げる。
ハクロウは石から降り、隊長級を見ろした。
『提案することは簡単だ。だが、行動には必ずリスクが伴う。
今回の場合では、まず人間の赤子という時点で我らと生態が違う。
我が持つのはあくまで魔物として生きる知恵であり、それをそのまま人間の赤子に当てはめて上手くいく保証がない』
『そんな! 王の叡智であってもですか!?』
『我を信ずる気持ちは大いに結構。だが、過信するな。
我とて間違うことがある。生きている限りな。
それに、過信は己の責任から逃れる行動も同じだ。
この提案はお前の意志であろう?
つまり、お前の判断でこれまでのその赤子の生死は決まっていたわけだ。
お前はすでにその赤子の生殺与奪の権を握っているのだ。
その権を放棄することはお前が赤子を見捨てると同義だ』
ハクロウの言葉に隊長級は歯を食いしばり、頭を下げた。
『ご忠告痛み入ります。そして、思慮の浅い行動をお許しください』
『そこまでかしこまらぬくてよい。お前の判断は間違っていない。
だが、我らの知識で赤子が無事に育つかどうかはわからないことは覚悟しておけ。
加えて、仮にその赤子が捨て子でなくどこかの王族であるならば、多くの人間が挙兵してこの森に攻め入る可能性もあることもな』
『っ! ハッ、わかりました』
『では、その覚悟を――』
「うあ~、う~! キャッキャ!」
ハクロウが隊長級の覚悟を知ろうとした時、シリアスな空気を切り裂くようにナハクが笑った。
その声にハクロウの王としての威厳がたちまち崩れていく。
『たくましい子だ。こんな状況でも笑うか。どれ、もっと笑ってみせよ』
ハクロウが鼻先を近づける。
鼻息がナハクの髪をブワッと上げた。
そのことにナハクは嬉しそうに笑い、さらにはハクロウの鼻に手を伸ばしていく。
小さな手が鼻に触れた。
ハクロウは感触に大きく目を開けば、その場に伏せてまじまじとナハクを見る。
そんな王の好々爺とした雰囲気に、将軍級は顔を見合わせれば同じように近づき伏せた。
そこから隊長級、たくさんの歩兵級と全員が集まってナハクを取り囲んでいく。
ナハクはたちまちマーナガルム達のアイドルのような存在になった。
それからは全員が協力してのナハク育児大作戦が始まった。
ハクロウが過去に人間達が立ち寄って落とした本であったり、昔気まぐれに助けた人間の話だったりを思い出し、指示を与えていく。
その行動に将軍級以下のマーナガルム達が行動し、食べ物を与えたり、襲い来る魔物を排除したりと奮闘した。
しかし、人間と魔物では勝手が違う。
ハクロウの予想した通り、ナハクはどんどん衰弱していき、もはや泣く元気すらなくなっていた。
その様子が深刻であったことはハクロウ達も気づいていた。
だが、これ以上は手の付くしようが無かった。
そんな時、顔に傷のある将軍級が襟を咥えて一人の男の老人を連れてきた。
その老人はたまたま森の近くを歩いていたところを拉致られたのだ。
これから巣に持ち帰られて喰われる、と覚悟していた老人は自分を捕まえた魔物よりもさらにデカい魔物がいることにビックリ。
しかし、それ以上にビックリする展開が老人の身には起こった。
「どうかこの赤子を助けてくれ」
明らかに王であろう魔物が頭を下げたのを見たからだ。
そして、多くの魔物が見つめる中心には籠の中で衰弱する赤子の姿が。
老人はすぐさま近寄りナハクの様態を確かめた。
「まだ辛うじて息がある。この子の生命力次第だが、まだ助けられるかもしれん」
「そうか。ならば、出来る限り足掻いてみてくれ。それでダメなら仕方ない。
安心しろ、赤子が死んだとしても貴様を恨むことはない」
「いいや、そん時は是非ともワシを殺してくれ。こう見えてもワシは医者だった。
赤子を助けられなかったのなら、どのみち死にたくなるだろうしな」
その老人――ダズマ=ソーシャンは赤子の入った籠を持つと、隊長級の背に乗せて貰いすぐさま森を離れた。
それから数年の月日が経ったある日。
一切の音沙汰がないことから「赤子はダメだった」と全員が受け入れ始めた頃、一匹の隊長級がハクロウの下へ走ってきた。
『王よ! 火急知らせたいことがあります!』
『なんだ騒々しい。貴様の部隊がやられたか?』
『いいえ、我らが赤子が帰って参りました!』
『なんだと!?』
隊長級が横にズレれば、歩兵級の背乗ったナハクとダズマが現れた。
そのことにハクロウは大きく目を開く。
口を僅かに開いたまま、大きな尻尾を激しく揺らした。
しばらくの間、小学一年生ぐらいのナハクが他のマーナガルムと遊んでいる光景をハクロウは眺めていた。
すると、彼の隣にダズマが座った。
「悪いな、連絡するのが遅くなっちまって」
「気にするな。連絡が無ければ、それはそれで覚悟を決めていたところだ。
なんにせよ、我らは再び家族の元気な姿を見ることが出来た。それだけで結構だ」
「狼の王にそんなこと言われるたぁ、人生何があるかわかったもんじゃないな」
ダズマはカラカラと笑った。
彼の数メートル前では、まだ生まれて数か月しか経っていない小さな狼がナハクにじゃれついている。
その光景に彼は目を細める。
「随分と可愛い赤ん坊じゃないか。まだ生まれて間もないな」
「我が配下の配偶者が生んだ娘だ。元気で少々大人びた所がある我らが家族だ。
一年もすれば、ナハクの良き理解者となるかもしれんな」
ダズマはハクロウをチラッと見れば呟く。
「......そいつはいい」
ダズマがどこか寂しそうな表情をしていることに気付いたハクロウは彼を横目で眺めた。
すると、彼の近くに荷物をもった歩兵級がやってくる。
「その荷物はなんだ?」
ハクロウが尋ねれば、ダズマは「あぁ、これか」と荷物から本を取り出す。
「これは俺が街から買ってきた色んな本だ。
んでもって、こっちは俺がまとめた人間界の常識だったりマナーだったり、そんなもんだ」
「そんなものを我らに託してどうする?......いや、託すということかそういうことか」
ハクロウの言葉にダズマは頷く。
「もともと長くない命を更に短くしてまで助けたのがあのナハクだ」
「ナハク?」
「あぁ、悪いな。生活に不便だったから勝手につけちまった。
ちなみに、ナハクというのは古代にいたと言われる獣と一緒に戦った英雄の名だ」
「英雄、か。ふっ、良い名だ」
ハクロウは一度目を閉じる。
少しすると目を開け、ダズマに聞いた。
「死に場所は決めているか? 今なら好きなとこへ連れてやってやる」
「なら、もうすでに連れてきてもらってる。俺の場所はナハクの見える場所ってな」
「......王として手厚く弔ってやろう」
それから一か月後、ダズマは逝去し、ナハクはハクロウ達に育てられることとなった。
ハクロウがダズマの本を解読しナハクに言葉を教えたり、将軍級が気配の消し方や狩りの仕方を教えたり、隊長級や歩兵級が戦闘訓練や遊び相手になったりとマーナガルムという種全体でナハクを育てた。
そのおかげかナハクは元気にすくすくと育ち、一番仲が良かったメスのマーナガルム――セイガをと共に二人で狩りをすることも増えた。
やがて人間界に戻すことを考えていたハクロウはナハクに対し、街に買い物をするようにもなった。
そのおかげでナハクは自分以外の人間や森の外の環境を知り、偏りの少ない常識やマナーを身に付けるようにもなった。
そんなある日、街から戻ってきたナハクは石の上に座るハクロウに街であった出来事を伝えた。
「おじいちゃん、そういえば街で『学院に来ないか』って学院長? って人に誘われた」
「学院? あぁ、人間が魔族や魔物と戦うために教育する機関か。
ナハクをスカウトするとはその人物も中々見る目があるじゃないか」
ハクロウが笑うのに対し、他のマーナガルム達は困惑した顔を浮かべた。
それは彼らが学院という存在をあまりよく思っていないからだ。
彼らは学院の生徒ではないが、似たように魔物を討伐する組織の闘魔隊に仲間が殺されたことがあった。
仲間を殺した組織と似たような場所にナハクが行ってしまう。
つまり、ナハクも同じように思想を歪められて自分達を殺しに来るのではないかと考えたのだ。
そんなことは無いと願っても、一度芽生えた不安はすぐには拭えない。
全員が疑問にしてても口に出さないのは、そこが王の御前であるからだ。
王は怒らせてはいけない。ダメ、絶対。
将軍級以下マーナガルムの共通認識だ。
「ナハク、貴様はどうしたい?」
ハクロウの問いかけに、ナハクは胡坐をかく足に両手を乗せる。
そして、ズボンをグッと握れば、ハッキリと伝えた。
「僕は行ってみたいと思ってる!」
「ほぅ、そうか。何故、そう思うのだ?」
「
僕は今だって皆からすればまだまだひよっこレベルだ。
でも、強くなれるのなら行ってみたい。
僕は――皆を守れるぐらいに強くなりたいから」
その言葉にハクロウは目を開き、大きく尻尾を振った。
石の上で立ち上がれば、全体に声をかける。
『聞いたか、我が家族達よ!
我れらが家族の一人ナハクは我々を守れるために強くなりたいと宣言した!
この強き想いに口を出す者が我らにいるか? 否! いやしない!
我らの誰もが高みを目指すなかで、ナハクもその高みを目指そうとしているのだ!
それを祝わずにして我らがマーナガルムは存在しない!』
王の言葉に全てのマーナガルムが姿勢を正した。
ハクロウも椅子の上で座れば、ナハクに言葉を授ける。
「ナハクよ、貴様の想い、しかと受け取った。
好きに学んで貴様の望むままに強くなって来い。
そして、いつでも我ら家族のもとへ帰ってこい。
我らは貴様をいつでも歓迎する」
「うん、わかった! ありがとう、おじいちゃん!」
それから数日後、ナハクは学院へと去っていった。
******
―――現在
「それが僕のこれまでの過去の話。おじいちゃんや皆から聞いたのを僕なりにまとめてみた」
「そっか良い家族だな」
「うん、最高の家族だよ。でも、家族を守るための強さを家族を殺すために使うとは思わなかったけどね」
「......」
円形の台が地下へと下がる中、
ナハクはあぐらをかきながらぼんやりと床を見つめる。
まるで自分の選択を攻めてるような顔を見たリュートはガシッと彼の頭に手を置いた。
「辛気臭い顔すんな。じいちゃんに怒られるぞ」
「だけど!」
「確かに、お前の身に付けた力はお前の望む方向には振るえない。
それでも、お前がこうして強くならなければ、未だに苦しんでいる仲間がいたはずだ。
それにこれはお前のじいちゃんの願いでもあるだろ?」
ナハクは目を開く。
「辛い時は俺を頼れ。お前は一人じゃない。俺という仲間がいるじゃねぇか」
リュートは笑って言った。
その表情にナハクは目頭が熱くなるのを感じた。
「ありがとう、リュート。君も同じように家族を亡くして辛い目に合ってるはずなのに、僕を励ましてくれて」
「気にすんな。男同士、遠慮は無しだ」
「わかった」
―――ガコン
台が少しだけ大きく揺れる。
同時に、それ以上台が下がることは無くなった。
リュートとナハクは立ち上がる。
「どうやら着いたみたいだね」
「さて、ここからは尚更どうなってるかわからない。慎重に進むぞ」
「うん、それに家族をめちゃくちゃにした元凶も潰さなきゃだしね」
二人は正面にある先の見えない入り口に向かって歩き出す。
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