第32話 誰かの役に立つには

 ―――時は遡り、リュートとナハクと別れた頃。


 分断されたリゼ、スーリヤ、セイガは三人で来た道を戻っていた。

 地震があった影響のせいか、天井からはボロボロと砂埃が舞い落ちて、今にも亀裂が広がって崩れ落ちそうなほどには酷い状況だ。

 故に、彼女達は足早に進んでいく。


 先頭を一人歩くリゼ。

 彼女は耳を立て、来た道にもどこかから溢れた敵がいないことを確認する。

 彼女だけ歩行ペースが若干速いせいで、スーリヤとセイガとどんどん開きが出来てしまう。


 そんな彼女の様子を後ろから見ていたスーリヤは彼女に声をかけた。


「そんなに急いだところですぐに会えるわけではありませんよ? 急ぐ気持ちはわかりますが」


 その声にピタッとリゼは足を止める。


「私は別に心配てないわよ。信じてるだけ。

 それに私は遅刻するぐらいだったら、目的地で待っていた方が気が楽なタイプなのよ」


 そう言ってリゼは再び歩き出した。

 その後ろ姿を見ながらスーリヤは一つ息を吐き、隣を歩くセイガに「素直じゃないですよね~」と言葉を投げかける。

 セイガは「全くね」とクゥ~ンと鳴いた。


 スーリヤとセイガがリゼに追いつき、三人で行動していく。

 肩を強張らせながら周囲を警戒し、慎重に歩く三人。

 その意識だけで息が詰まり、体力を消費し続ける。


 そんな三人の行動とは裏腹に特に何か起こる様子もない。

 道中で敵を倒してしまったせいか安全な経路だったようで、何事もなく三人は研究所を出た。

 リゼはチラッと少しだけ速い呼吸をするスーリヤを見る。


「さて、ここからは坑道に向かうことになるんだけど」


 リゼは左腕についている小型通信機アクシルの画面にマップを開いた。

 それにはこの場一体のマップが表示される。

 加えて、自分の位置を示すように目印までついている高い機能性付き。

 その機能に感心した表情をする彼女は言葉を零した。


「なんというか凄いわね、このマップ。一体誰がどうやって作ったのかしら?

 ついつい当たり前のように使ってるんだけど、これって誰かが作ったってことよね?

 しかも、リアルタイムで私達の居場所が映し出てるし」


「それは昔の測量士が作った地図と鳥を使った撮影技術で作り出したものですよ」


 その言葉にリゼがキョトンとした目をスーリヤに送る。


「へ~、良く知ってるわね、そんなこと。

 でも、その情報って一部の人しか知らないんじゃなかったっけ?

 機密情報の保持のためって理由で。

 普通一般人には降りてこない情報のはずだったと思うけど」


 リゼの言う通り、この世界において映像技術の製造は比較的限られた技術者にしか知られていないのが一般的だ。

 それは魔族や魔族を崇拝する魔族信者に出来るだけ情報を渡らないようにするための策であり、人類側が科学技術においてアドバンテージを得続けるための策でもある。


 リゼの怪訝な目にスーリヤはサラッと答える。


「製作者とちょっとした顔見知りがいまして、たまたま話を聞いただけですよ。

 ほら、わたくしシスターですし、時折愚痴を聞いてあげてストレスを発散させてあげてるんです」


「なるほど、その過程で聞いてしまったってわけね。

 なら、私も聞いてしまったついでに聞くけど、さっき言ってた鳥を使った撮影って私達が出会ったあの魔物使いテイマーの村の人のおかげなのかしら?」


「ふふっ、さすがリゼさんですね。どうやらその村出身の方に協力して貰ったみたいですよ。

 その魔物使いさんも凄いと思いますが、やはりわたくしは立派に仕事をしてくる魔物の方が凄いと思うんですねよ~」


 スーリヤはそう言いながら、そばにいたセイガの頭を優しく撫でる。

 眉間の間を撫でたならば、手は自然とセイガの顎下へと動きさわさわ。

 その感触に気持ちよさそうにセイガは目を細める。


「ちなみに、現在地が表示されるのは小型通信機のレーダー機能とリンクさせてるからだとか。

 詳しいことは覚えてませんが、ともかく便利なものには感謝しないといけませんね」


「そうね、そのおかげでこうして迷わずに進めてるんだから。

 それじゃ、そろそろ私達も行きましょう。

 あんまりここに留まっておくのも時間もないし」


「ウォン!」


「ちょっと、セイガ。変なこと言わないで。

 別に“全員がずっと緊張しっぱなしも疲れるから”って意味で雑談をしたわけじゃないわよ。

 単に普段から思ってた疑問が口から漏れただけ。ほら、とっとと歩く」


 リゼは帽子のつばを少し下げれば、一人先を歩き始める。

 そんな彼女を見たセイガが「素直じゃないわね」と吠えれば、その吠えた意味がわかったのかスーリヤは「そうですね~」と微笑ましい表情で彼女の背中を見つめる。


 三人が再び行動し始めれば、森の中からは変異したマーナガルムとは別のウサギだったり、ネズミだったりと小型の変異種の魔物が現れた。

 その魔物達に対し、三人は特に苦戦する様子もなく倒し、先へ進む。

 当然だ、それよりも強くて速いマーナガルムを相手にしていたのだから。


 小型が徒党を組んで来ようともなんのその。

 リゼが二丁拳銃で素早く数体を射撃し、スーリヤがまとまってきたところでショットガンの算段でまとめて蹴散らし、最後にセイガが口に咥えた両刃でもって残りの魔物を掃討していく。


 倒された魔物からは総じて赤と緑色が混じった血液が飛び散り、その血液や魔物胴体からピンク色の毒霧が発生する。

 その光景を見て、リゼは顔をしかめた。


「相変わらず嫌な色ね。この煙を吸って皆おかしくなっているかしら?」


「いえ、恐らくそれは違うと思いますね」


 スーリヤはショットガンに弾を詰め、フォアエンドに左手を添えてガシャンと動かす。

 弾が無事に装填されたことを確認すれば、続きを言った。


「わたくしの神の加護がこれを毒と判定している以上、これは単なる毒でしょう。

 もしこの霧に感染能力があるのなら、それは状態異常と別の細菌兵器ですので、とっくにわたくし達は悲しい結果を迎えていますから」


「ということは、この魔物に見られる感染って......」


「ウォン!」


「そうね、あんたの言う通りこれは“食事による感染”でしょうね。

 もしくは、噛まれたことによる感染とか。

 もし後者も感染経路として成立するなら、私達は絶対に噛まれてはいけないってことになるわね」


 リゼは腕を組み、魔物死体を見ながら感染条件を分析する。

 そんな彼女の表情は一点を見つめ、悲しい目を浮かべていた。


「まさか自分がこうなってしまうことを想像してしまったのですか?」


「まぁ、考えなかったと言えば、嘘になるわ。実際に人間がなっていた姿も見たわけだしね。

 どれだけ考えないようにしても、現実が目を背けるなって直視させてくるんだもの」


「そう考えるってことは、逆を言えばそうなりたくないほどの強い理由があるってことですよ。

 ならば、わたくし達が取るべき行動は一つ。無事にこの場を生き延びましょう。

 リュートさんとナハクさんに再会するためにも」


 スーリヤの言葉にリゼは目を瞑り「そうね」と頷き、セイガも同意するように吠えた。

 それから、再び三人が行動を始めれば、スーリヤがおもむろに口を開く。


「そういえば、リゼさんとリュートさんの出会いってどんな感じだったんですか?」


「何よ急に」


「ふと気になっただけですよ。

 女性だけの丁度いい機会ですし、せっかくならリゼさんをよく知りたいと思っただけです。

 ほら、今ならリュートさんもいませんし、話しやすいと思いますよ?」


 スーリヤのにっこりとした三日月形の目にリゼは眉を寄せる。

 そして、彼女は大きくため息を吐けば、口を開いた。


「別に大したことじゃないわよ。まぁ、その時の私は少しだけ男の人に対して気が強かったけど」


 リゼはリュートと過ごした数日間の話をし始めた。

 その時の自分の態度を少しオブラートに包んで。

 もっと言えば、初対面の時にリュートに金的したことに関しては完全に伏せた。

 そして、話したのはリゼが父親に騙される直前までの話だ


「なるほど、そのような時期が。となりますと、リゼさんがそういうキッカケを抱くことがあったんですよね? そのことについて伺っても?」


「単に気の小さいお父さんがメンブレ起こしたってだけの話よ。

 あの人には今でも言い足りないぐらい伝えたいことがある。

 ま、おおよそ説教のようなものだけど」


 リゼは少し目線を俯かせるとスーリヤに聞いた。


「ねぇ、人間ってやっぱり脆いと思う?」


「脆いでしょうね。もっとも、わたくしが強い人間なんていないと思ってるだけでしょうけど」


「セイガはどう思う? 魔物でもそうなの?」


「ウォン」


「そう、あんた達の場合は案外近しいのね」


 先を歩くリゼの顔をスーリヤは確認できなかった。

 しかし、リゼのややトーンの下がった声色から彼女は思った。

 どうやらリゼさんのお父様は亡くなられてるようですね、と。


「わたくしが思うに、精神的に強い人や弱い人はいるでしょう。

 ですが、それはあくまでどれだけストレスに耐えられるかという許容度の大きさでしかありません。

 心が弱っている人に対し、他の人が平然とした顔をしているのはそれだけまだ空き容量に余裕があるからです」


「あんたもそうなの? まぁ、こんな所についてくる時点で大きそうね」


「ふふっ、単なる恩人の受け売りの言葉ですよ。

 若干十五歳の小娘がこんな達観したこと言えるわけないじゃないですか。

 わたくしだってこれでも一杯一杯ですよ?」


「そうなの? 表情に随分と現れてないようだけど」


「あら、知らなかったんですか?

 精神が強い人は人に弱みを見せまいと隠すのが上手なんですよ?」


 スーリヤの言葉を聞いた瞬間、リゼはその場を立ち止まった。

 彼女が思い浮かべたのは普段リュートが自分に見せる笑み。


 リゼはずっと思っていた。

 リュートは精神が強いから、妹の手がかりを信用できる人に託し、自分に出来る仕事をこなしているんだと。

 しかし、それが違うとすれば?

 多くの人を見て来たシスターの言葉が正しいとすれば、リュートもまた上手く隠しているだけとすれば?

 自分はリュートを信用してるけど、リュートからは本当の意味で信用はされてないのかもしれない。


「それもこれも私が弱いせいなのかもね」


 リゼは右手に握る銃のグリップを眺め、呟く。

 そして、グリップを力強く握れば、右手を下ろした。


「スーリヤ、私はどうしたら精神的に強くなれる?」


 リゼは振り返りスーリヤを見る。

 彼女は思った。

 肉体的にはすぐに強くなれずとも、精神的なら何か術があるのではないか、と。


 スーリヤはニコッと笑みを浮かべれば、右手の人差し指掲げて答える。


「簡単な話です。たくさん地獄を見ればいいのです」


「っ!?」


 リゼはハッと息を呑んだ。

 初めてスーリヤという少女を怖く感じたからだ。

 スーリヤの雰囲気からは全く重圧がないのに、その言葉からおおよそ言葉では表せない圧がある。

 その得も言えぬ言葉の重みはセイガでも尻尾巻いて怯ませるほど。


「それも受け売り......?」


 緊張の汗を額にかくリゼを見て、スーリヤは淡々と言った。


「あら、もしかして一朝一夕で精神が強くなる方法があるとでも?

 確かに、精神に関してはその時の気持ちの持ちようでどうにでもなると思います。

 ですが、それを乗り越えられる時は、心にその気持ちを受け入れられる空き容量がある時だけですよ」


「地獄って......どういう意味?」


「ふふっ、ごめんなさい。わたくし、つい強い言葉を使ってしまうことがあるの。

 言葉って強い力ですから気をつけなければいけないのに。

 地獄といっても、人によって様々です。

 ですから言い換えれば、あくまで自分の精神で許容できるストレスを遥かに超えたストレスを一度に経験する時、ですね。

 それをどんな形であれ、受け入れ前に進めた時、人は初めて精神的許容量が増えるのです」


「そう、なの......」


 落ち込むように目線を下げるリゼに対し、スーリヤは息を吐く。


「しかし、そんな経験したいと思う人はいないでしょう。

 受け入れたくない現実を受け入れるなんて正気じゃないですから。

 それにわたくしの立場的にも到底助言できるような言葉ではありません。

 故に、わたくしが提案するのは、やはりどうやって空き容量を確保するかでしょう」


「どういう意味?」


「簡単な話ですよ。精神の強い人、弱い人の違いは心の空き容量の違いなら、総量が違くとも空きさえあればその人は強い人と言えます。

 では、その空きをどうやって作るか。

 答えは一つ、幸福を感じる何かを見つける。これしかありません」


 スーリヤはそっと上を向く。

 上には空など見えず、ピンク色の霧が充満しているだけ。


「幸福を感じる何かは人によって様々なのでわたくしから提示出来ることはありません。

 ですが、人であれば多かれ少なかれ熱中する何かがあると思います。

 幸福は大きく言えば生命エネルギーです。故に、それを得れれば人は生きていける。

 ですからリゼさん、今のあなたに一番必要なのは幸福ですよ」


「どうしてそこで私の話になるの?」


 訝しむ目をするリゼにスーリヤは視線を合わせるとハッキリと言った。


「あなたが今、焦っているからですよ」


「っ!」


「人間はどうあがいたってストレスを感じるものです。

 環境、状況、人間関係、善悪の判断、好みの判断。そして、他人を思いやる心も。

 そこにあるのはストレスの多い少ないしかありません。

 というわけで、リゼさんは一度肩の力を抜きましょう」


「けど! 私が休んでる間にリュートの心が壊れてしまうようなことがあれば!!」


「自分を救えずに誰かを救えると本気でお思いで?」


 スーリヤのデフォルトのように浮かべていた笑みがスッと消えた。

 真顔の彼女の目線から来る威圧感にリゼはビクッと体を震わせる。


「自己犠牲の精神はとても高尚で気高いものだと思いますよ。わたくしは嫌いですけど。

 だって、それって自分に酔ってるだけじゃないですか。

 自分が犠牲になることで誰かが救われる。そう思うことで自分の死にも意味があると。

 そう思い込むことで、目の前しか見ないことで周りを蔑ろにする姿勢。

 ほんとイカレた精神してると思いますよ、嫌いです」


 目線を下げていたスーリヤはハッとすると「失礼」と笑みを浮かべた。

 もとの温和な笑みに冷えた空気に温かみが戻る。


「あぁ、でも、別に命を懸けるという姿勢を軽視したわけじゃありませんよ?

 そうすることでしか成し得ないこともきっとあるでしょうから。

 わたくし個人が“死にたくない”と泣き喚きながらも、仲間を助けに行く姿の方がよっぽどドキドキするというだけの話です」


「.......それじゃあ、私が助かれば、リュートの役に立てるの?」


「命があればいくらでも。リゼさんが必死に足掻くのであれば、わたくしも協力は惜しみません。

 わたくしからしてもリュートは少し心配なので」


「そう」


 その言葉にリゼは笑みを浮かべる。頬がほんのり赤く染まった。

 にやけた面をしたスーリヤの視線が来ているのに気が付けば、彼女は帽子のつばで視線を遮断した。


「それにしても、随分と達観した回答をするのね。それもシスターとして鍛えられた成果なの?」


「まさか、シスターがこんな鍛えられ方したら全員精神がおかしくなってますよ。

 わたくしの考えも多くの人を見て感じて、そして受け売りの言葉を思考することで導き出された答えです。

 もっと言えば、今回の言葉はリゼさんを納得させるためだけに作った言葉でしょうか。

 最終的に本人を納得させられればなんでもいいんですよ、言葉なんて」


「その言葉で今この瞬間のあんたに対する評価が下がったけどいいの?」


「それは困りますね。上げ直してください。

 リゼさんとは一生のお付き合いになりそうな気がしますので」


「考えとくわ」


 リゼはスーリヤに背を向け歩き出す。

 その後ろ姿にセイガが「ウォン」と吠えれば、スーリヤはうんうんと頷いた。


「セイガさんの言う通り、本当に素直じゃないですよね~」


「な、あんたセイガの言葉わかるようになったの!?」


「どう考えても今のはわかるでしょう」

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