第27話 森の異変

 スーリヤの神の加護の効果による治療が行われてから数分後、青髪褐色の少年ナハクと隣にいたピンクのスカーフを身に着けた二メートルほどの小さな白い狼は目を覚ました。

 ナハクが瞼を細かく震わせてゆっくり目を開ければ、霞んだ視界からぼんやりと女性のシルエットが映る。

 やがて焦点が合い、スーリヤと目を合わせた。


「おはようございます。ご気分はどうですか?」


「え......うん、大丈夫そう......」


 ナハクが目を擦りながら言った。

 彼はすぐに体を起こそうとすれば、酷いダル気に襲われ上半身を大きく前後に揺らし始めた。

 しかし、その動きはすぐにスーリヤが彼の肩を掴んだことで止まる。


「お気を付けください。今、わたくしの神の加護の効果で毒の治療を行い、毒の除去は出来ました。

 しかし、その治療までに蝕んでいた毒で奪われた体力まで戻るわけではありません。

 わたくしは敵ではありませんから、安心してハクロウに身を預けなさってください」


 スーリヤの天使のような慈愛に溢れたスマイルにナハクはまばたきを数回繰り返しながら、「うん」と頷き指示に従った。

 そこに照れや恥じらいはなく、ただ目の前の知らない少女に対してキョトンしている様子であった。


 ナハクがハクロウに身を預ければ、その姿を確認したスーリヤは小さな狼の方にも同じような言葉をかける。

 その狼は彼女の言葉を理解したのか元気よく吠えて返事をした。


「目覚めたか、我が孫よ」


 ハクロウがナハクに声をかける。

 その声にナハクはハッとすれば、すぐさま視線をハクロウに向けた。


「おじいちゃん、そっか......僕はここで......」


「あぁ、セイガと一緒に毒の霧で倒れたのだ。

 我の浄化能力でなんとか命は繋いでいたが、それも時間の問題だった。

 そんな時、貴女らが現れ、ナハクとセイガを助けたのだ」


 セイガとはここでは小さな狼を指すのだろう。

 ナハクとセイガはハクロウの言葉でスーリヤ達を見た。

 ハクロウも彼女達に目線を向ければ、目を閉じて感謝の言葉を言った。


「我が家族達を助けてくれたこと感謝する。

 それに我も心なしか体が動くようになった。

 これも貴女の神の加護の効果故であろう」


「ふふっ、元気になったのなら何よりです。

 ですが、わたくしはこの身でもって力を代行したに過ぎません。

 感謝をするならば、我が慈愛の神クロノトリア様に」


 スーリヤは笑顔で言ってみせた。

 彼女のスタンスはあくまで自分は神を崇拝する信徒であるというポジションに収まるようだ。

 それは彼女がシスターという立場上であるからの発言なのだろう。


 ハクロウとスーリヤの間で一通りのやり取りが終わるのを見計らって、リュートはそっとスーリヤの横に並んだ。

 目線を合わせるようにしゃがめば、ナハクとセイガに一度目配せする。


「初めまして、俺の名はリュートだ。君のことは少しだけ知っている。

 俺は学院の方から君達生徒をを集めるように雇われた人間だからな。

 とはいえ、君の人間性まではわからない。だから、改めて君のことを教えてくれ」


 リュートの丁寧な言い方と柔らかい笑みに、ナハクはじっと彼を見ていた。

 彼の印象について隣のセイガに目線で聞くように視線を向ければ、セイガは一言「ウォン」と吠える。

 その吠え声の内容がわかったのか、ナハクは「うん、だよね!」と太陽のような明るい笑みで頷く。

 そして、溌剌とした声で自己紹介を始めた。


「僕はナハク=ソーシャン! ナハクでいいよ!

 んで、隣にいるのが相棒のセイガで、後ろで大きいおじいちゃんがおじいちゃん!」


「ナハクよ、それでは我の説明になってないだろう......」


 ナハクの紹介の仕方に不満を見せるハクロウ。

 一方で、年齢よりも若干幼い明るさを見せるナハクに対し、同じ性別ということで一方的に親近感が湧いている様子のリュートはそれはそれはいい笑顔で返答した。


「ナハクにセイガ、そしておじいちゃんか。とりあえず、よろしくな!」


「うん、よろしく!」


 リュートが手を差し出せば、ナハクは元気よく手を握った。

 心なしかナハクに獣人のような耳と尻尾が見えるのは気のせいだろうか。

 元気よく尻尾を振ってるような感じがする。


「相変わらず、元気そうね」


 リゼが腕を組みながら言った。

 目つきと動作でどうにも威圧感が溢れてしまうのは彼女のデフォルトである。

 そんな彼女にナハクは今気づいたような態度で口を開く。


「あ、キツネちゃんじゃん!」


「その言い方はやめなさいって何度も言ってるでしょ」


 ナハクの名前の呼び方にリゼは肩を諫めながら呟く。

 彼に呼ばれるその雑な仇名は学院にいる頃からである。

 そのせいか彼女はすっかり慣れた様子だが。


 リュートはは男嫌いであったリゼが、学院で同年代の男と関わりがあったことに興味を示した。


「なんだ、交流あるのか?」


「少しだけね。ナハクの場合は男というよりだったから。後、彼というより彼女との方が多いけど」


「彼女?」


 リュートがリゼの視線を追って見てみれば、そこにいたのはセイガであった。

 どうやらセイガはメスだったらしい。

 名前の雄々しさはどこから来たのやら。

 

 リュートが確認するようにセイガの股下に視線を移せば、グギッと首が曲がり、突然視線が九十度横を向いた。

 彼が痛みに首を擦り背後を見てみれば、リゼが睨むように見下ろしている。

 そのことに首を傾ければ、隣にいるスーリヤからも「今のはリュートさんが悪いです」と声がかけらる。

 どうやら例え相手が動物であっても、そういうエチケットは気にしなければいけないらしい。


 リゼに促されるままに、リュートはセイガに謝った。

 セイガが一つ吠えて許しを貰ったところで、彼は改めてナハクに学院の事情を説明する。

 それに対し、ナハクの反応はあまりにもあっさりだった。


「いいよ!」


「まぁ、さすがにすぐに受け入れて貰えるとは......っていいの!?」


「うん、おじいちゃんに『群れ助け合い』って言われてるし。

 僕は人間だし、学院にいる学院長おじいちゃんにもお世話になったからね」


「そっか、それは助かる」


「でも......」


 ナハクは越えのトーンを一つ下げた。

 そして、すぐさま視線を向ける先は周囲に満ち満ちているピンク色をした毒の霧。

 彼はズボンをギュッと握れば、リュートに視線を向ける。


「その前に家族が住む場所をなんとかしないと!」


 ナハクの目に燃えるような意志が宿っているようで、その視線は真っ直ぐリュートに突き刺さる。

 リュートは目を閉じ、「家族か」と呟けば、頬を緩ませた。


「わかった。なら、俺にも手助けさせてくれ。俺も家族のナハクの助けになりたい」


「ホントに!」


 リュートの言葉にナハクは彼の手を掴み、キラキラした目で笑った。

 その屈託のない笑みは背後からも後光が見えるようだった。


「何が『俺にも』よ。また勝手に人の事情に首突っ込んで責任を一緒になって背負おうとしちゃって。

 そういう勝手は私が許さないっての。あんたやるなら私も当然やるわ」


「ふふっ、こうしてリュートさんの歪さは形成されてるのですね。素敵です。

 ということで、わたくしも同じく手伝わせていただきます」


 リゼとスーリヤの力強い言葉に、リュートは熱が込み上げたのかほんのり頬を赤くする。

 ナハクも二人のことはすっかり信用しているのか「ありがとう」と元気よく言った。

 その光景を嬉しそうに目を細めて見ていたハクロウは、リュートに右手が光っていることに気付く。


「リュートとやら、貴様の右手が輝いているがそれはなんだ?」


 指摘されて「お、いつの間に」とリュートは自分の右手に視線を送る。

 そして、返答した。


「これはナハクが俺のことを信じてくれた証みたいだ。

 まさかスーリヤに引き続き、ナハクまでも俺のことをあっさり信じてくれるとはな」


「それはリュートさんの人徳あってのものですよ」


「うんうん、僕だってそんなにすぐ信用しないよ。狼は警戒心が高いからね。

 でも、セイガが言ったんだ『リュートは信用できる』って。

 それにおじいちゃんも信用してるみたいだしね。だから、信用したんだ。

 もちろん、僕自身もリュートが信用できる人だって思ったからだよ」


「ハハハ、そう真っ直ぐ言われるとなんだかむずがゆいな」


 リュートは後頭部を触りながら、抑えきれない様子の緩んだ笑みを見せる。

 普段、こんな真っ直ぐな感情を向けられる機会が無い彼には対処の仕方が分からないのだ。

 自分自身で自分の行動はそこまで評価されることではないから余計にといった感じだろう。

 そんな彼を見てリゼは自分のことのように頬を緩ませた。


 リュートはフワフワした気持ちになりながら、ナハクと契約を繋ぐ。

 二人の間で契約が為されれば、リュートの右手の契約紋が再び少しだけ変わった。

 ナハクもまた自身の右手に契約紋が浮かび上がったことに驚いた様子であった。


 一方で、ついに男との間にも契約紋が出来たことにスーリヤがどことなく不満そうに頬を膨らませ、そんな彼女をリゼが鼻で笑っていたという。 


 リュートは気持ちを切り替える意味でパンと一回手を叩く。

 緩んだ顔を手で戻しながら立ち上がり、ハクロウに真面目な顔つきで聞いた。


「ハクロウ、この森で一体何があった?」


 その質問にハクロウは一度目を閉じれば、瞼の裏にその時の光景を思い出したように語り出した。


 それはリュート達が来る数日前の出来事だった。

 その時の盛りの状況は今のようになっておらず、どこにでもある緑に溢れた普通の森であった。

 様々な魔物が跋扈し、日々自然の摂理が行われる当たり前の日常。

 その中で一大勢力を誇っていたのはハクロウ率いる白い狼マーナガルム軍団であった。

 マーナガルムとは白い狼の魔物名である。


 マーナガルムは一言で言えば、この森においての王族であった。

 王であるハクロウが群れを成して森を闊歩すれば、他の魔物はたちまち恐れをなして逃げ出し、時には供物を捧げて敵対しない意思を見せる魔物すらいた。

 それほどまでにこの森においてマーナガルムは影響力が強い存在であった。


 また、マーナガルムはただ立場にふんぞり返っているだけではなく、この森の治安も維持していた。

 ハクロウを筆頭に、一回り小さい将軍級の狼、二回り小さい隊長級の狼、セイガほどの大きさの歩兵級狼と軍隊のようになっていて、基本的に隊長級と歩兵級の狼が巡回騎士のように他所から縄張りに侵入してきた魔物や敵対意志を見せる人間の排除をしていた。

 時には将軍級の狼が出張ることもあったが、それほどまでの緊急事態はよほど稀な場合のみ。


 そんな一国を築き上げていたマーナガルムに異変が起きたのは、一つの隊が戻ってこなかった時だった。

 一つの隊が全滅することは珍しかったが、無いことは無かった。

 特に百年以上生きているハクロウからすれば、数えられる程度には前例があった。

 故に、その時はあまり気にしていなかった。どうせ将軍級が片付けるだろうと。


 それにその時には、たまたま森に捨てられていた赤子だったナハクが久々に戻って来るということに心を躍らせていたのだ。

 しかし、一つの隊を潰した何かを討伐するよう命じた将軍級の狼が戻ってこなかった。


 そのことにはさすがのハクロウも違和感を感じたという。

 なぜなら、将軍級が死んだのはたった一度。

 魔族が自分達を再び支配下に収めようと集団で襲ってきた時だけだ。

 魔物とのいざこざで将軍級が死んだことは一度たりともない。


 ハクロウはそのことに苛立ちを見せ、自ら動いて将軍級が向かったところへ移動した。

 するとそこは謎のピンク色の霧がうっすらとありるではないか。

 その時、ハクロウの浄化能力が勝手に発動した。

 それはつまりこの霧には毒が含まれているということである。


 ハクロウは家族が死んだ要因を察しながらその毒の発生源を向かえば、毒を発生させている原因を特定した。

 それは全身緑色をした一部人間の容姿をした“何か”の死体であった。

 “何か”の死体はいくつかあり、それぞれ人間サイズで食いちぎられたようにバラバラであった。


 その光景にハクロウは思わず目を疑った。

 “何か”の死体に対してではない。

 それを飢餓状態の動物の時のように貪り喰っている歩兵級の家族達に対してだ。

 家族達はハクロウに気付かず、緑色に唾液をダラダラと流しながら一心不乱に喰っている。


 それは普段見る兵の姿ではない。

 ただ食べるものに飢えた理性無き獣の姿だ。

 固まっているハクロウの後ろ足にチクッと痛みが走る。

 原因を探るように見てみれば、歩兵級の家族が噛みついていたのだ。


 マーナガルムは一大軍団組織であり、王には絶対的な忠誠を誓い、決して裏切ることはない。

 裏切るぐらいなら捨て身で殺しに行くぐらいには家族内で争いの無い魔物なのだ。

 故に、そのまさに王に噛みつく行為をする兵士に対して、ハクロウはまるで悪い夢でも見ているよかのような表情になる。


 一匹が噛みついたことに“何か”を喰っていた他の狼も気づく。

 そして、あっという間に集まれば、鋭い牙でハクロウの足に噛みついた。

 ハクロウに対したダメージは無い。それほどまでの力の差がある。

 ただ、心のダメージは凄まじかったようでその場から全く動けなかったようだが。


 すると、森の奥からのそのそと魔物がやってきた――将軍級の狼だ。

 その狼は口に咥えた動かない隊長級の狼を放せば、大きな口を開けてハクロウの首筋に噛みついた。

 瞬間、大きな痛みにハクロウはハッと意識を戻し、怒りに大きな口を歪めながら家族を殺した。


 その異変がこれで終わればハクロウも心穏やかに戻れただろう。

 しかし、ハクロウの気持ちとは裏腹に家族達は日々数を増して姿を消していく、否、変えていく。

 そこにかつての家族意識も忠誠心もない。

 ただ敵を殺し、肉を食らう殺戮マシーンがそこにはいた。


 加えて、“何か”こそ姿は見えないが、森に発生した毒の霧は着実に勢力を広げていった。

 やがてそれは屈強な肉体を持つハクロウさえも蝕み始め、彼はこの森に戻って来る予定のナハクを探しに急いで森を下りれば、ナハクとお目付け役のセイガはすでに毒で瀕死の状態であった。


 それからはリュート達と出会った時の状態に戻る。

 それでもハクロウがナハクとセイガを見つけてから一日と数時間は経過しているが。

 故に、ナハクとセイガはそれよりももっと前の時間から毒に侵されていたことになる。


 ハクロウが持つ浄化能力、ナハクとセイガの生命力、そしてリュート達の到着。

 そのどれもが低かったり、遅れたりしたのなら今頃ナハクとセイガは助かっていなかっただろう。

 まさに軌跡のような生還劇である。

 ハクロウからすれば、唯一の心の救いであったかもしれない。


 ハクロウの壮絶な話を聞き、リゼは腕を組んだまま視線を下に向け、スーリヤは手を腹部の前で組みながらじっとハクロウに向ける。

 セイガは耳をふせて悲しそうな表情を浮かべ、ナハクは脳裏に浮かべた仮想の宿敵に対し強く握った拳を地面に叩きつけた。

 そして、リュートはそっと顔を俯かせ両手の拳をそっと握れば、ハクロウに言った。


「ごめん」

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