第12話 捨てる男と拾う男

「――にしても、本当に自分の娘を売ってくるなんてな。随分とイカれてるな」


「別に大したことじゃないよ。僕には家族よりも優先することが出来ただけさ」


「ん......ここは......」


 リゼの視界がゆっくり広がっていく。

 霞む視界の中でまず聞こえてきたのは二人の男の声。

 何かを嗅がされた影響でまだ頭がぼんやりしていて判別が難しい。


 目覚めた場所は砂埃が広がった古びた木の床の上。

 リゼがチラッと目だけ動かして確認してみる。

 かなり広めでかつてどこかの酒場のような雰囲気すらある廃屋だった。

 その中心に彼女はいる。


 意識がハッキリしてきた。

 両足は自由だが、両手が後ろで縛られている。

 複数人がリゼの周りを囲っているようで、走って逃げることは難しい。

 そんな状態、状況で聞こえていた声にリゼはすぐさま一人の男を特定した。

 自分を嵌めた憎き父親だ。

 そして、二人の会話から聞こえたのは彼女がどうやって父親に嵌められたかの経緯だった。


「で、自分の娘を騙すなんてどんな手口使ったんだ?」


 タオルを頭に巻いた男は腰に手を当てて父親に聞いた。

 父親は誇らしげな顔を浮かべ、胸を張って答える。


「僕はリゼが女であることを利用したのさ。

 獣人の女は一定周期で獣の血による発情期がやってくる。

 すると、体にとある特徴が現れるんだが知ってるか?」


 その質問に男はパチンと指を鳴らす。


「あぁ、知ってるぜ。ほのかに果実のような甘い香りがすんだろ?

 発情期中の女を犯したことがあるからわかるぜ。ありゃ良い、最高に興奮する」


「獣人の女にしか現れない特徴だからね。

 他の種族と違って体調の変化が起きない代わりに体臭が変化する。

 獣人の女はそのニオイに気付いて自分にそろそろ周期が回ってくることを自覚するのさ。

 だから、僕はそこに手を打った」


 父親はそう言いながら、手を後ろに組み少しだけ歩き始めた。

 タオルを頭に巻いた男は「手を打った?」と顎に手を当て、首を傾ける。

 少しして父親の行動に察しがついたのか右拳と左手を合わせた。


「あ、わかったぜ。だから、お前はここ何日も吐き気がするようなクッセェ服を着てたわけだな」


「あぁ、そうさ。獣人はニオイに敏感だからね。リゼも例外じゃない。

 だから、強烈な刺激臭によって嗅覚を鈍らせた。

 正直、一番辛かったのはリゼが信用してくれるまで何日も着なければいけなかった僕だよ」


 その話をリゼは頭が覚醒した状態で聞いた。

 沸々と怒りを滾らせていく。

 彼女は自分の父親は家族を捨てて一人逃げたクズだと思っていた。

 しかし、まさかここまでクズのクズに成り下がっていたとは思いもよらなかった。

 彼女大きく口を歪ませる。


「......なるほど、どうりで私が自分の体調に気付くのが遅れたわけね。

 まさかクソ親父に感覚を狂わされていたなんて」


 リゼは少しでも父親を信じた自分を恥じながら、憎き男を睨みつけて言った。

 しかし、父親には暖簾に腕押しで表情一つ変わらない。


「どうやら目覚めたようだね」


 父親はゆっくりと歩くと、リゼの目の前に立った。

 そして、高い視点から両膝を床につけている彼女を見下ろした。

 その姿にかつてのオドオドとした態度、声にも声量がない男の面影などまるでない。

 同じ見た目をした全くの別人と言われても納得してしまうかもしれないレベル。


「随分と自信を持ってしゃべるようになったじゃない」


 リゼは睨む姿勢を崩さず、後ろで縛られてる手をこすり合わせる。

 その度に粗い縄が彼女の華奢な手首に擦過傷を作っていった。


「それはそうさ、僕はもう家族よりも大切にすべき存在に出会ったからね。それがこの証拠さ」


 父親はおもむろに自分の左腕の袖をまくった。

 その肌には特殊な刺青が刻まれていた。

 その刺青を見てリゼは思わず目を見開く。


「まさかそれって......魔族信者!?」


 実物こそ見たことないが、リュートから聞いた話に覚えがあったリゼ。

 よもや自分の父親が人類の敵側となっているとは思いもしないだろう。


「おや、まさかリゼがその言葉を知ってるなんてね。

 そう、僕は魔族信者になったのさ。周りの彼らもそうだ。

 かつて僕は頼る人も金も無く、日々飢えに苦しんで、なんとか一日一日を過ごしてるような状態だった。

 そんな時、僕を救ってくれたのは紛れもない魔族様さ!」


 リゼの父親は恍惚とした笑みを浮かべ、両手を広げながら高らかに言葉を並べていく。

 その姿は娘からすればあまりにも気持ち悪く映った。

 ランランとした目にしっかりとした狂気が宿っていたからだ。


 リゼは顔をしかめながら、手を床に当て何か鋭いものが無いか探していく。


「魔族様は僕に生きる力を与えてくれて、さらにこの不条理な世界に抗う力をくれた」


「抗う力?」


「娘との最後の別れだ。特別に見せて上げるよ」


 リゼの父親は大きく頬を緩ませる。

 瞬間、父親は掌の上で炎を作り出した。

 メラメラと燃える炎から確かな熱を感じる。幻影ではない。

 その光景にリゼは思わず自分の目を疑う。

 冷たい汗がスーッと頬を流れていった。


 父親は魔法が使えない一般人だったはずだ。

 後天的に魔法を使えるようになるなんてことは絶対にない。

 それが元から魔法を持たない種族からした常識だった。

 「どうして......?」とリゼの口から漏れ出る。


 その言葉を聞いた父親は大きく両手を広げ、声高らかに言った。


「これが魔族様の恩寵さ! 魔族様はこの地上に遣わした本物の神!

 故に、魔族様に抗おうとしているこの<獅子の箱庭>も!

 人族もエルフもドワーフも他の数多の民族も!

 魔族様に抗おうとするバカな奴らさ!

 そんな神に仇名す反逆者どもは我々が代わりに潰してやるのさ!」


 

 恍惚とした父親の笑み。

 正しく狂信者のそれは見るだけで不気味だ。

 そんな父親を見ながら、リゼは必死に手元を探る。

 小さなガラスの破片を見つければ、それをどうにかして縄を千切れないか試し始めた。


 どうやら周りの男達はまるで舞台演者のように動く父親を見ていて、こちらの動きに注意が向いていない。

 縛られてる小娘に今更何ができるのかとタカをくくっているのだろう。

 父親と近くにいるタオルを頭に巻いた男の視線を盗むようにしてリゼはガラスの破片を動かす。


「ハッ、よく言うわ。よく見てみれば周りにいる連中、ここ最近で婦女暴行に加え捕まえた女を性奴隷として売っている指名手配中の『悪食の爪』じゃない。

 そんな奴らとつるんでるあんたが神に選ばれた? 冗談もそこまでいけば笑えないわ」


「魔族様をバカにするな‼」


 父親は目線を合わせるようにしゃがむと、ガシッと手でリゼの口を掴んだ。

 これ以上彼女の口から自分の崇高する存在の悪口を言わせないためだ。


 瞬間、リゼの手元からガラスの破片が滑り落ちる。

 彼女は思わず手の方へと視線が移動してしまった。

 しかしすぐに、勘づかれないように視線を戻せば血走った眼とかちあった。

 彼女の手元が汗ばむ。


「お前如きが魔族様をコケにするなどおこがましい!

 この世界にいやしない人族の神でも獣人族の神でもドワーフの神でもエルフの神でも無い!

 この世界に唯一存在する現存する神の一族! それが魔族様だ!

 現に僕は使えないと思っていた魔法を使えるようにしてもらったんだからな!

 この目で見たんだ! この目で! えぇ!?」


 怒号のような声で父親は言った。

 リゼは首を大きく横に振って父親の手を振り払うと言い返す。

 彼女の手元は再び希望を探り始めた。


「そんな目で見りゃなんでも神に見えるでしょうね。

 もっとも見えたものは正常な目で見れば邪悪な何かでしょうけど」


「っ! もうそれ以上の言葉は聞くに堪えん! 死んで悔い改めろ!」


 激情に身を任せて父親は腰からナイフを引き抜いた。

 それを逆手に持てば、頭上に掲げリゼに突き刺そうとする。

 彼女はナイフの先端が急激に近づいて来ることにギュッと目を瞑る。

 瞬間、「ちょっと待った」と声がかけられた。


 リゼは来るはずだった死を迎えなかったことにそっと息を吐けば、ゆっくり目を開ける。

 そこには父親の凶行を止めるタオルを頭に巻いた男がいた。

 彼が父親が振り下ろした手を掴んで止めたおかげで生きていたらしい。

 しかし、彼が助けに入ったのは決してリゼを助けるためではない。


「おい、こいつは大事な商品だろ? そこんとこ履き違えんな」


「だが!......クソッ!」


 父親は激しい怒りを堪えて、男が掴む手を振り払う。

 彼は立ち上がると、リゼから距離を取っていった。

 代わりに先ほどの男がしゃがんで覗き込んでくる。

 その男はニヤニヤとした表情を浮かべ、時折舐めまわすように視線を下に向けた。


「随分と威勢のいい女だが、どうせお前も最後は快楽に身をゆだねて腰を振るだけの機械になんだよ」


 その言葉にリゼが睨み返せば、男は鼻で笑った。

 その男のせいで彼女は希望を手繰り寄せる行動ができない。


「なんで俺達が発情期の女を捕まえるか知ってるか?」


 男は立ち上がれば、数歩歩いて言った。

 そして、リゼに答えを言わせることなく、頭に指を当てて言葉を続けた。


「強制的に意識を支配するためだよ」


「どういう意味?」


 リゼは言葉の意味がわからず首を傾げる。

 緊張のせいか先程から彼女は額の冷や汗と手汗が止まらない。

 彼女の反応に男は再び鼻で笑った。


「ハハッ、学院に通ってるって聞いた割には頭の中は幼稚だな。

 いいだろう、社会勉強の前に座学としゃれこもうじゃないか」


 そう言って話し始めた男の話はこうであった。

 獣人にある発情期は獣の血による生存戦略の一つである。

 それは言わば本能で、血筋が絶えないように必ず子を成すようになる時期――それが発情期。


 それ故に、その発情期には特徴があり、その時期にまぐわえば高確率で子を宿し、さらにまぐわった女性は行為に及んだ男に対して従順になりやすいのだ。


 それは自分の意識というより本能的な感覚に近い。

 相手がどんなに最悪な男であろうとも、宿した子供を守っていくという意味で離れられないような体になるのだ。


「――ってことで、俺達は発情期の女を狙って襲ってるわけだ。

 もちろん、発情期の女との行為は女の方が繁殖という意識に捉われて最高に盛り上がってくれるってのもあるが。

 ちなみに、商品だから孕まないような処置もしてる。どうだ? 利口だろ?」


「......ゲスが」


 リゼは口元を大きく歪ませ、低い声で吐き捨てた。

 しかし、男にはあまり効果が無いようで、むしろ面白がられていた。


「ひゅー、怖い怖い。俺達、ゲスだってよ!」


 話していた男が周りにいる男にそう声をかけていけば、男達はニヤニヤした顔で笑っていく。

 所詮は捕らわれた生娘の精一杯の強がりだ、と。


「安心しろよ、どうせお前もそうなる。

 どんなに強がったところでお前が女という時点でな」


 リゼは睨んだ。小刻みに唇を震わせて。

 その態度は筋違いだと男は首を横に振る。


「言っておくが、お前が発情期の時に捕まえるようにしたのは他でもないお前の親父だぜ?

 今回ばかりは俺達は何も関与してない。

 あっちから勝手に売ってきただけだ。それを俺達は買っただけ」


 男は親指を立て、その指で父親を指して言った。

 俺達は何も悪くない、と。

 全面的に悪いのはお前の親父、と。


「恨むなら自分の親父を恨みな!

 そして、せいぜいか弱い乙女のように王子様でも願ってな。

 ま、現実はそう甘くないけどな! ガハハハ!」


 男は立ち上がると、近くの男に「本番前に用足してくる」と伝えこの空間から出ていった。


 その姿を見ながら、リゼは目を強く瞑り、頭を下げていく。

 何も出来ない無力さがひしひしと伝わってくるようで、まるで心臓がギュと握られてるようで。


 リゼは気づいている。

 どれだけ強くなろうともそれは覚醒魔具があって初めて成立する強さだと。

 両手を縛られてる状態を解除できたとしても、周りにいる十人近くの男達に敵うはずもない。

 だとすれば、先ほどの男が言った通り出来ることは願うことなのだろう。

 男嫌いだからと何度口の悪い言葉を並べようとも、怒ることなくそばに居続けてくれた男のことを。


 その男は自分が見て来た中で誠実だった、優しかった、頼もしかった。

 年齢が近かったこともあり、親しみやすくもあった。

 そうあろうとその男自身が望んでなった姿であったとしても、それが心地よくていつの間にか一緒に行動することが多くなった。


 生まれた時から一番信じていた父親おとこに裏切られておきながら、別の男を信用するのは虫のいい話かもしれない。

 それでも、たとえ一縷の望みであろうとも願うのは一つ。

 一番に信じる男がここに来てくれることを。


「助けて」


 ポツリと本音が漏れた。

 耐えて耐えて耐えてきた感情が限界を迎えた。

 目に浮かぶ涙がついに溢れ出そうになったその時――大きな音が響き渡った。


――バンッ


「がっ!」


 突然扉が乱暴に開かれた。

 直後、用を足しに行っていたタオルを頭に巻いた男が吹き飛んできた。

 その男はリゼの前まで転がってきて、ぐったりとした様子で気を失う。

 そんな男の姿など視界に入らないほど、リゼはただ一点を見つめていた。


「落とし物を届けに来たぜ、お嬢さん」


 リゼが落としたキャップ帽を片手に持ったリュートは気さくに言ってみせた。

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