第11話 裏切り

 突然リュートとリゼのもとに現れた男はリゼの実の父親だった。

 そんな存在に対し、リゼはまるで不俱戴天のといった怒りの表情を見せる。

 何も知らないリュートであったら止めたかもしれない展開だが、事情を知っている今は静観を保っていた。


 リゼの父親はまるでリゼと親子とは思えない。

 それほどまでに父親はみすぼらしい格好をしていて、実の娘である彼女の「クソ親父」という発言に対してもビクッと体を震わせるほどに気が小さい。


 リゼは怒りを隠しもしないで腕を組めば、顎を上げて父親に言った。


「よくもまぁ、私の前で顔を出せたものね。家族を捨てた男が何の用かしら?」


「り、リゼ、話を聞いてくれ。僕はやり直しに来たんだ!」


 父親の言葉に、リゼはピクッと眉を寄せる。

 人差し指はトントンと動き出し、目線はそっぽ向けて。


「やり直す? 今更あんたが家族に戻れると思ってんの?」


「僕は確かに逃げ出した。だが、その選択が正しかったなんて思ったことは一度もない!

 僕はずっと苦しんで、それでも足掻いて、なんとか稼ぐ手を見つけたんだ! ほ、ほら、こんなに!」


 父親は震えた手つきでポケットから小汚い小銭袋を取り出すと、それをリゼに見せた。

 口を閉じた紐を解けば、そこからは大量の金貨が顔を覗かせる。

 汚れて何日も洗っていないような手のひらの上で輝くお金が。

 それを見たリゼは冷たい目を向け当然とばかりに言った。


「一体どこで悪事をして稼いだ金よ?」


「っ!?」


 その言葉に父親はビクッとさせた。

 体をプルプルと振るわせて小銭袋をギュッと握りしめれば、精一杯の怒鳴り声でもって言い返した。


「こ、これは僕が必死に働いて稼いだ金だ!

 毎日毎日汗水たらして、怖い上司に怯えながらも家族のことを思って!

 それなのに......例え娘の言葉であっても許さないぞ!」


「許さなくて結構。こっちも許すつもりは無いから」


 リゼが腕を組んで睨む一方で、父親は脇をしめ肩幅よりも小さい足の開きで彼女を見る。

 まるで子供と大人のケンカであった。

 子供は父親で、大人がリゼだ。

 それほどまでに見た目と態度がチグハグとした口喧嘩になっている。

 もっとも、リゼが全く父親の言葉に聞く耳を持っていないからだが。


「行くわよ、リュート。こんな人は放っておきましょ」


 リゼは父親に背を向ければ、サッとリュートに声をかけて歩き出す。

 そんな彼女の態度に「え、あ、うん......」とリュートは口ごもりながら、軽く父親に会釈すれば彼女の横に並んだ。


「待ってくれ、リゼ!」


 父親は咄嗟に叫んだ。

 まだ話は終わってないとばかりに伸ばした手でリゼの肩をガシッと掴む。

 瞬間、リゼは汚い手が自分の肌に触れていることに、ゾゾゾと触れられた箇所に鳥肌が立った。


「触らないで!」


 バシンとリゼはその手を振り払う。

「あ、ごめっ」とたったそれだけでよろけて尻もちをついてしまった父親。

 リゼは父親を一瞥しながら、触れた場所の汚れを払うように手で拭えば再び歩き出す。


 全く興味も持たれないことに父親は地面につけている指を立てた。

 指先から数センチほど跡が出来上がる。

 すぐさま立ち上がれば、震えた声で叫んだ。


「僕は諦めないからな!」


 リゼは背中から言葉を受けながらも振り返ることは決してない。

 やがて父親の姿が小さくなっていくのをリュートが尻目で確認すれば、彼女にチラッと視線を移す。

 彼は一度視線を正面に向けるも、すぐに顔を彼女の方へ向け聞いた。


「あんまりよその事情に首を突っ込むべきじゃないと思うけどさ、もう少し穏便に話しても良かったんじゃないか?」


「......あんたはあの男がどんな人間か知らないから言えるのよ」


 リゼは目線を返すことなく言った。

 先ほどの調子が残っているのか少し語意が強い。

 一方で、彼女の手は腰に巻くブレザーをギュッと握っていた。


 リュートは首の後ろを擦ると返答する。


「知ってるよ。マリーシアさんから聞いた。ま、ザックリとした感じだけどな。

 リゼの苦労を考えれば憎む気持ちもわかる。

 だからこそ、本当に憎んでるなら、そんな少し落ち込んだような顔はしないよな?」


「.......」


 リュートの指摘通り、リゼは少しだけ顔を俯かせて少しやりすぎたと表情を曇らせている。

 彼女にとって父親は家族を捨てて逃げた憎むべき敵だ。

 しかし、それでも生まれた時から憎んでいたわけではない。

 優しい時の記憶を知っている、一緒に作った思い出がある。

 それが彼女が先ほどの表情を見せる理由だ。


「......ま、本当に決別したい時は俺を呼べ。傭兵はなんでもやるからな」


 リュートは息を吐き、頭をかきながら言った。


 リュートとしてはリゼに家族との仲を取り戻して欲しいと願いっているのだ。

 せっかく家族が生きてるのにと。

 しかし、彼女にも事情があって言ったことは事実。

 故に、彼女に寄り添う言葉をかける。

 それに関わってきた彼女に比重が傾くのは当然のことだ。


 その言葉にリゼは目を開き、彼の顔に視線を向ける。


「殺すってこと?」


 リュートは首を横に振った。


「まさか。ただ、家族だとどうしてもりづらいだろ?

 だから、代わりにガツンと言ってやるのさ。もう二度と近づくんじゃねぇって」


 リゼは思わずリュートをじっと見た。

 両手でブレザーをさらにギュッと握る。

 しかし、すぐに視線を下に向け、次に顔も俯かせれば聞いた。


「......あんたはどうしてそこまで私を気にかけてくれるの?」


「そりゃ単純な話だ。俺はリゼの仲間だからな。

 あとは......年齢が近いせいか妹に重ねてる部分もあるかもな。

 年上であり、兄として守ってやんなくちゃって」


 頬をかきながらリュートは言った。


 リゼは頬を緩ませる。

 あんたみたいな兄が欲しかったわ、と。


 その声がやんわりと聞こえていたのかリュートは聞き返す。


「ん? なんか言ったか?」


「なんでも。仲間として頼りにしてるわ」


 リゼは横に並ぶリュートとの距離をそっと縮めた。


―――数日後


「ハァ......」


 リゼは大きな切り株に座り、頬杖をつきながら大きくため息を吐いた。

 そんな幸せが逃げるぞとでも言いたくなるため息に、リュートは思わず視線を向ける。


 リゼのため息はこれが初めてではない。

 今日に至るまでに何度か吐いていたが、今日はその最多記録なのだ。

 もはや聞いている方にも気が滅入るようなため息の数に、巨大なイノシシの牙を剥ぎ取り中のリュートは声をかけた。


「どうした? そんな大きなため息を吐いて。ここ最近そんなんばっかりだぞ」


「そりゃ、疲れるってものよ。ここ最近ずっとクソ親父が家の付近で私を待ってんだもの。

 そして、私を見つけるやすぐに飛んできて色々とアピールしてくる。正直、ウザったい」


 リゼは切り株に手を付け、顔を真上に上げて軽く体を逸らす。

 お疲れ気味の彼女に代わって一人剥ぎ取りをしているリュートは、視線を巨大イノシシへと向けて手を動かしながら言った。


「そこまで来たら本気ってことじゃねぇか?」


「だとしたら、どうして私だけなのかしら?」


 リュートは思わず振り下ろそうとしたナイフを切りつける寸前でピタッと止める。

 手を止めてでも気になることが出来てしまったからだ。

 彼は視線を再びリゼに向ければ、「どういうこと?」と首を傾げた。


 それから、リゼが話す詳しく聞けば、どうやらリゼの父親は彼女だけにずっと話しかけてるのだ。

 確かに、それはなんともおかしな話である。


 リゼが依頼のために外出中であるなら、その間にマリーシアに話をしてもいいものだ。

 しかし、彼女が確認してみれば、母親は自分の夫に会っていないという。

 本当にヨリを戻そうと思うのなら、自分の娘だけではなく妻にも説得にも行くべきはずなのに。


 リュートはその場に座り込むと、リラックスした状態で体の向きをリゼに向けた。

 そして、両手で頬杖をつくリゼにさら詳しく聞く。


「確かに、それは変な話だな。他に父親に関して疑問に思ったことはあるか?」


「そうね......これは疑問というより、不快というべきことなんだけど。

 毎度のことなんだけど、本当に臭いのよね。

 様々なニオイが混じってまるで汚物に全身つけたような。

 獣人の嗅覚が鋭いせいでクソ親父が話しかけてる間、ずっと鼻が曲がりそうよ」


 リゼはその時のことを思い出したのか顔をしかめた。

 しかし、すぐに記憶から振り払うように頭を振れば、その場からピョンと跳ねるように立ち上がる。


「ま、でも、私も成人したことだし、そろそろ大人の対応ってものを見せるべきよね」


 切り株の近くに置いてある荷物に手を伸ばせば、そこから剥ぎ取り用のナイフを取り出す。

 それを持ってゆっくり歩いていく方向はリュートのいる場所。

 リゼは彼の横に並び、「ちゃっちゃと終わらせるわよ」とナイフを巨大イノシシに突き立てた。

 その行動に合わせるようにリュートも立ち上がれば、同じく剥ぎ取りを始めた。


「ってことは、家族に会わせるのか?」


 先ほどのリゼの話の続き、リュートは気になったのか聞いた。

 その質問にリゼは何度目かのため息を吐きながら、コクリと頷く。


「そうね。ただ、あんなくっさいしボロボロな格好で会わせるわけにもいかないし、公衆浴場にぶちこんで新しい服も買って最低限の身だしなみでもって会わせるつもりよ。

 まさかこんな形で余計な出費をするとは思えなかったけど」


「その割には意外と嬉しそうに見えるぞ?」


 不満を漏らすリゼの口角が僅かに上がっていた。

 そこをリュートが指摘すれば、彼女はすぐさま眉を寄せて言い返す。


「冗談よしてよ。私が今更父親が戻ってくるってことに喜ぶはずないじゃない」


 そう言う割にいつもより尻尾の揺れが速いような気がする、とリュートは思いながらもあえて言葉にはしなかった。

 剥ぎ取りが終われば、二人並んで歩いていく。

 その時、リゼは思い出したかのように彼に言った。


「あ、今日は一人で換金して貰えないかしら?」


「いいけど、俺が代理でやっても大丈夫なのか?」


 リュートが首を傾げて聞けば、リゼはポーチから運転免許証のようなカードを取り出した。

 それを彼に手渡した。


「学生証を見せれば大丈夫よ。貸してあげるから無くさないでね」


「わかった」とリュートは失くさないように大事に自分のポーチにしまう。

 その行動とほぼ同時に彼女の言葉について詳しく聞いた。


「にしても、どうして急に? 父親と会うためか?」


「それもあるけど、理由は別で.......」


 リュートの何気ない質問に、リゼはなぜかどんどんと顔を赤らめていく。

 彼はその変化に首を傾げ、いつもは帽子のつばであまり視線が合わないので、合わせるように少し屈んで覗き込んだ。


 チラッと目が合えば、彼女はサッと帽子を目深にして俯いた。

 さらに「......ない話よ」と彼女は酷く小さな声で呟く。

 その聞き取れない声にリュートは当然聞き返した。


「なんて?」


「あんたには関係ない話って言ったの!」


 そう大きな声で言い返すと、リゼは一人突っ走って先に帰ってしまった。

 そんな彼女の反応にリュートは体を大きく逸らし、しばし彼女の背中が小さくなるのを見つめた後、再び首を傾げるのは当然のことだった。


―――リゼの家周辺


 時は夕暮れ。オレンジ色に染まった道を影を伸ばしてリゼは歩く。

 一人先に帰ってきた彼女は先ほどの火照った顔を冷ますように手で仰ぎながら、ボソボソと呟いていた。


「今日が獣人の性欲が高まる日発情期とはリュートアイツには口が裂けても言えないわ。

 それにアイツの近くには居たくなかったし......居たらちょっとヤバかったかも」


 リゼの顔が再び熱を帯び、薄まった頬の赤みが再び濃くなる。

 脳内では妙な想像が浮かんでしまうが、それは全て獣人の発情期のせいである。

 悶々とした気持ちを拭うように頭を振った。 自分は悪くない、と。


「それにしても、いつもならもっと早くに気付くはずなのに。

 私が見逃すなんて珍しい......あっ」


 その時、彼女の目線の先にここ最近見かける男の姿がある。

 彼女はため息を吐くと、仕方なく近づいて声をかけた。

 頬の赤みが途端に薄まった。


「毎日毎日、飽きないわね。だけど、その頑張りに免じて家族に会わせてあげるわ。

 だけど、その前にその鼻が曲がるニオイと薄汚い格好をどうにかするわよ」


 相変わらず腕を組み高圧的な口調だが、一番最初に会った時よりはトゲが少ない声色だった。

 一方で、リゼの父親は何かに気付いたように目を大きくすれば、一人顎に手を当て呟く。


「頬に僅かな薄紅色の紅潮、ミミの先が僅かにピンク色になっている......そうか、やはり今日か」


 酷く小さな声であり、父親自体に感心が薄いリゼにはその内容が聞こえなかったし、聞く気もなかった。

 自分を目の前にして一人の世界に入る父親を見て、彼女は人差し指をトントンと動かしながら言った。


「何? ボソボソ言って何も聞こえないんだけど。

 獣人の耳でも聞こえないぐらいってどんだけ小さい声なの」


 その言葉に父親はハッとして「あ、あぁ、ごめん」と頭をかいた。


「それで、どうしたの?」


「あんたを特別に家族に会わせてあげようと思ってね。でも、そのままでは行かせられない。

 だから、早くそのニオイのもとをどうにかするわよ!」


「あ、それなら良い所があるんだ。実は仕事の時に見つけてね。こっちだ」


 父親はニッコリと笑って、案内するように先を歩き始める。

 リゼが背後からついてきているのを確認すればスッと目を細めた。

 口角は下がり、顔から一切の感情が消える。


 歩き始めてから少しして、リゼは周囲をせわしなく見始めた。

 なぜなら、父親が向かって言った先は都心部とは真逆の方向だから。

 彼女の家よりボロボロな家が多く並ぶ。

 薄汚い瘦せこけた男達が彼女を見ては目をギラつかせる。

 こんな場所に公衆浴場なんてあるとは到底思えない。


 リゼの歩幅が小さくなり、少しずつ父親との間に距離が開いていく。

 その距離が三メートルほど開いた時、彼女は立ち止まって声をかけた。


「ちょっと、ここのどこに店があるのよ」


 そう聞けば、父親は真顔で振り返る。

 その表情にこれまでの弱弱しい父親の表情とのギャップに彼女は一歩後ろへ後退した。

 明らかに不審感を抱いてる彼女に、彼は「ここまでか」と呟けば、手を掲げた。


「リゼ、この手を見てくれ」


「は? その手がなん――っ!?」


 瞬間、リゼの背後から二人組の男が抑え込む。

 咄嗟にホルスターにしまっている銃に手を伸ばす彼女だったが、それは二人組の男に邪魔される。

 そして、後ろ手を組んでゆっくりと歩いてくる父親が彼女の前に立てば、そっと銃を引き抜いた。


「これが無ければ何も出来ないんだっけね」


 父親のその行動にリゼは眉に大きくしわを作った。

 そして、前のめりになりながら叫ぶ。


「クソ親父、これはどういうこと!?」


「どうもこうもないさ。僕は初めからこのつもりだ。

 仕事を無くし、家を無くし、食べ物すら困って泥水をすするような生活しながら、なんとかお金を作り出しては日々生きていた。

 売れるものはなんでも売っていたが、とうとう僕の手元には何もなくなってしまった。

 もう僕に売れるものがない.....そう思っていたが、とっても売れるものを忘れていた――家族さ」


 父親はリゼを見て嘲笑した。

 瞬間、リゼは大きく目を見開く。

 口元は次第に歯が見えるほど歪んでいき、収縮した瞳孔で睨んだ。

 そして、口から飛び出すのは裏切った者に対する悪意の塊。


「この......! ぶっ殺す!」


 そんな娘の態度に父親はヤレヤレといった態度を取りながら、ニヤニヤ笑いながら言った。


「相変わらず口の悪さが目立つけど、今はそれだけのただの小娘だ。

 所詮は道具が使えなければ何も出来ない。もう君の未来は決まった。

 安心してくれていい。後で家族も送るから」


「クソ野郎おおおおぉぉぉぉ!」


「丁重に頼むよ。ただの商品だから」


 リゼは腕を振り回して必死に抵抗を試みる。

 しかし、覚醒魔具もない状態では魔法を使うことは出来ない。

 加えて、自分よりデカくガタイ良い男がガッチリと両腕を拘束している。

 全身を前後させてもビクともしない。

 必至に暴れている最中に命のように大事な帽子がフワッと頭から離れ、地面に落ちる。


「ちょっと黙ってろ」


 リゼは一人の男に口と鼻を覆うように布を押し当てられる。

 その布には特殊な催眠薬のようなものが塗られており、それを嗅いだ彼女は急速に意識が飛んでいった。

 その時、彼女が微かな思考で願うは一つ――リュート、助けて。

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