第8話 深める理解
リュートは妹のことを口にした時、口を堅く結んだ。
その様子を見てリゼはすぐにそっと目線を外す。
リゼはブーツを脱いで裸足になると、川に両足を浸した。
川岸に座れば、足首から数センチ上程まで水にに包まれる。
日差しの良い天候の中、ひんやりとした水に触れるのは本来気持ちいいはず。
しかし、彼女は浮かない顔をして水面の一点をぼーっと見つめていた。
リゼは顔を上げてチラッと背後にいるリュートを見る。
視線を下に落としたり、彼に向けたりを繰り返すと、一つ息を吐いて聞いた。
「妹ね......名前はなんて言うの?」
「ネリル。年齢は十六歳だ。リゼの一つ上に当たるな。
俺と一緒で赤い髪をして、仲間の間でも美少女として可愛がられてた。
俺が言うのもなんだか気立てが良くて、愛想も良くて自慢の妹でもある」
リュートは腕を組むと、目閉じ口の端を上げた。
優しい顔つきだ。瞼の裏で妹との思い出を振り返っているのだろう。
「そう、それは会ってみたいわね。その人は今どこにとか聞いてもいい? 」
リゼはそう言うもすぐに首を横に振った。
「......いえ、違うわね。あなたが為そうと思ってる目的を聞いてもいい?」
リゼはキリッとした目つきで聞いた。
彼女は先ほどのリュートの反応からネリルという人物に何かあったと悟ったのだ。
でなければ、あんな思い詰めたような複雑な顔はしないだろうと。
リュートはそっと目を開けると、リゼを見る。
おもむろに目線を上に向ければ、彼は自分がここまで至る経緯を話し始めた。
それは彼にとって屈辱の記憶であり、自分にも相手にも恨みが残る過去であった。
その話を彼女は一切視線を外すことなく、彼を見続けた。
「――というわけで、俺はここに至るってわけだ」
「それじゃ、今は学院長が集めてくれる手掛かりを待っているってことね」
「そうだな。ま、俺も一応探しちゃいるが、
それに、手がかりってわけじゃないが、俺の魔法のおかげで生きていることもわかるしな」
そう言い切れるリュートの言葉がわからなかったリゼ。
だが、根拠となりそうなものは先ほど彼の仕草でわかったようで、リゼの視線が彼の右手に移動する。
「もしかして、その右手の甲にある模様が妹さんの生存を示してるの?」
「察しが良いな。俺の力が失われる条件は“相手の信用を失った時”か“相手が死んだ時”だからな。
この契約紋がある限り、ネリルが生きていることは確実だ」
そう言ってリュートは一つ息を吐いて自分の契約紋を見つめる。
彼にとってはそれが唯一自分を安心させる材料である。
それが無ければきっと今ここにはいない。
とはいえ、今の彼に全く焦りが無いというわけでもないだろう。
リュートは思いのほか赤裸々に自分のことを話した。
そのことに、リゼは少なからずの嬉しさが生まれているようで表情が柔らかくなる。
リュートが自分のことを信用してくれていると感じたからだろう。
それは自分のことを認めてくれたも同じ。
信じてくれていることに悪い気分を感じる人はいない。
リゼはふと目線を水面に移動させた。
水面には彼女の顔が波紋を浮かべながら映る。
瞬間、これまでの非礼についての罪悪感を感じたのか自分の顔から目線を逸らし、耳をペタンと伏せた。
そして、彼にお詫びするように彼女も自分について少し話し出した。
「私にも妹がいるの。双子の妹がね。そして、お母さんと私の
お母さんは女手一つ手で私を育ててくれてね、それに感謝してるの。
だけど、やっぱり一人で三人分の生活費を稼ぐのは楽じゃなくて、一時体を壊した時もあった」
そんな弱っている母親の姿を見たリゼは、自分が早く自立して家族の助けになることを決意する。
そこで彼女が目を付けたのが魔法工学学院の給金贈与制度だった。
それは魔法工学学院における優秀な生徒に対して行う制度で、闘魔民間企業部隊のように街の依頼を聞いてその依頼を達成すれば、学生でありながら学院側から給料が貰えるというものだ。
一言で言えば、学院が公式に行っているバイトである。
しかし、その制度を受けられるのは“魔法を使えるほどの適正のある人間”という学院でも三割にしか届かない貴重な存在であり、さらにその中の優秀と評価されるほどの成績を収めなければならないという狭き門であり険しい道のりであったのだ。
故に、リゼは一縷の望みを抱くように適正検査を受けた。
“適性検査”とはエルフ、ドワーフ、獣人と種族問わず人間が六歳の時に受ける、魔法が使えるかどうかを調べるための検査である。
それで魔法が使えるほどの魔力回路がしっかりしていれば、“適正者”として魔法を学ぶことが許可される。
その検査でリゼは雷魔法についての適性があることがわかり、その事実は彼女にさらなる希望を抱かせた。
そこからは、十歳まで各箱庭にある初等教育施設でこの世界のことや魔法についての基礎知識を学び、その施設を卒業すると<修学の箱庭>にある魔法工学学院で魔法と戦闘技術についてより専門的に学び始めた。
給金贈与制度を受けるために必死に努力し続けたリゼは、結果学院側から優秀生徒と評価され、ここ<獅子の箱庭>における魔物討伐の依頼を任されるようになったのだ。
「十五歳になれば成人だしね。色々な制約が解除されるの。
それに優秀生徒になった私はほとんど学院に通う必要が無くなったから、今は家族がいる<
給料は闘魔民間企業にある銀行から受け取れるしね」
リゼは上を向いて言った。
輝く空が眩しいのか目を細める。
何を思ったのか自分が被っていた黒いキャップ帽を手に取ったリゼ。
視線をそれに合わせ、両手に抱えて見つめた。
彼女の顔つきが優しく変化した。
「ずっと被ってる帽子だけどこれはね、私が学院に行くときにお母さんが作ってくれた唯一無二の宝物なの」
「多少手直ししてるけど、長年使っててやっぱりボロボロね」とリゼは頬を赤く染めながら、両足を小さく水面付近で上下させた。
水面が水の流れとは別の波紋を広げる。
「あんたのその契約紋? が妹さんとの繋がりとすれば、これが私にとっての家族の繋がりのようなものね」
リゼは後ろを振り向けば三日月形の目で言った。
しかし、すぐにハッとした表情になれば、顔をさらに赤く染める。
彼女は自分が余計なことを言ったことに恥ずかしくなったのだろう。
それは行動にも表れ、「はい、もうおしまい!」と強制的に話題を終わらせれば、目深に帽子を被った。
リゼは立ち上がり地面に上がる。
足の水気を払うようにサッサッと軽く足を揺らし、何も考えず川に足をつけたため拭くものがなにもないことに「あっ」と口を開けた。
そんな様子を見て、リュートは自分の荷物からタオルを取り出した。
彼女に渡そうと歩き出せば、先ほどの彼女の言葉に優しい目つきで返答する。
「リゼは優しいんだな」
「っ!? なんでそんな話に――っ!?」
その言葉にリゼは真っ赤に下顔のまま、目深に被った帽子の下から睨むような目つきで見た。
せっかく終わらせたのに掘り返すんじゃないと言いたげな目つきだ。
リュートに文句を言おうとしたその時、濡れていた足を滑らせた。
「キャッ!」
リゼの体が後ろ向きに倒れ、重力のままに背中から川に落ちそうになる。
瞬間、リュートがサッと近づく。
左手で彼女の咄嗟に伸ばした手を掴み、右手で腰をかかえ止めた。
「危なっ! 大丈夫か?」
「~~~~~っ!」
リュートが心配の声をかければ、思いのほか顔が近いことにリゼは瞬く間に顔を赤くした。
彼女は目がかち合ってしまったならば、左手でさらに帽子のつばを下げた。
この世界では十五歳になれば成人という扱いだが、心が立派に成長した大人という意味ではリゼはまだまだ思春期真っ盛りの乙女である。
加えて、彼女はこれまでここまで異性と接近する機会が無かった。
故に、心を開き始めた相手にドキドキしてしまうのは仕方ないことなのだ。
リゼはしっかりと地面に足が着いたことを確認すれば、タオルを受け取りすぐさま背を向ける。
恥ずかしさで顔を合わせづらいのだ。
リゼは濡れた足を拭きながら聞いた。
「さ、さっきの言葉......どういう意味? なんでそんな話になるわけ?」
リゼは先ほどのリュートの言葉に対して理由を聞くほどには興味があるようだ。
それは興味が湧くような間柄になったということでもあり、信頼関係の進展が覗ける場面と言える。
その証拠に彼女はチラチラと見ては耳はピクピクと、尻尾はゆらゆらと動かしている。
一方で、リュートは何も考えてない様子でサッと答える。
「別に大したことじゃねぇって。ただ話を聞いてそう思っただけ。
前に闘魔隊を雇わないことにお金を一銭も払いたくないって言ってたじゃん?
それは家族のためにお金を出来る限り残しておきたいってことだろ?」
「......守銭奴って思わなかったの?」
リゼは靴を履けば、、手の帽子のつばを掴んだまま少しだけ視界を確保して振り向いた。
しかし、まともに視線を合わせるのはまだ恥ずかしいのか、視線がぶつかりそうになれば顔を下げる。
そんな彼女にリュートは頬を綻ばせて言った。
「若干思った」
「くっ......あんたねぇ!」
「ハハハ、悪い悪い。だが、あの時は知らなかったからそう思っただけで、知った今はリゼは家族を大切に思ってるんだなって感じた。そういう奴は好きだかな」
「す、好き!?」
リゼは体をビクッとさせ、目は丸くし、耳と尻尾は重力に逆らうようにピンと立った。
異性からこれほどまでの刺激の強い言葉を言われる機会が無かったのだろう。
故に、こんな些細な言葉で動揺してしまう。
一方で、リュートは明るいトーンでありながら、表情に小さく影を落として言った。
「あぁ、家族は大切にしないとだからな......」
「あ......」
その表情と言葉の違いリゼはすぐに彼が語った過去のことが脳裏に過ったのか口を小さく開ける。
そして、自分が浮かれた感情を持っていたことに目線を下げた。
リゼはおもむろに帽子を外した。
それを少し見つめ「これ、持ってて」と帽子をリュートに預ける。
顔が熱いのか川の水で顔を洗うと、彼に向かって言った。
「あんたのことは男だけど......少し信用するわ」
リゼが渡したのは宝物と言っていた母親から貰った帽子。
それを預けるということは、彼女はリュートを認めたということ。
もっと簡単に言えば――信用したということだ。
「これで少しか。意外と審査厳しいんだな」
その言葉に目を見開くリュートであったが、手元に持つ帽子を見て頬の筋肉を緩め、言った。
リゼはせっかく冷やした顔に再び熱を帯びたのか顔を赤くさせる。
咄嗟に振り向けば、彼女は言い返した。
「うっさいわね! こっちだって色々あんの!
ともかく、あんたが悪い男じゃないだけはわかったから......これからはもう少しあんたを信用できるように頑張ってみる。
だから、あんたも私に信用されるような言動を続けること! いい? 」
頬赤らめながら険しい目つきでビシッと指さすリゼ、
「了解だ」とリュートは短く返事した。
それからすぐに、彼は彼女の前に右手を差し出す。
「それじゃ、改めてよろしくな」
「えぇ、よろしく」
リゼは彼の手を一秒だけ見つめ、濡れた右手を伸ばしギュッと握った。
二人は互いの目を見て、軽く微笑む。
「ほら、カッコつけ終わったから顔拭け」
「か、カッコつけてないわよ!」
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