第7話 この世界の魔法

「ん......あれ、ここは......?」


 リゼは自分の上半身が何かに密着してこもる熱を感じた。

 同時に鼻孔をくすぐる嗅ぎなれないニオイ。

 両足も何かに支えられているようだ。

 彼女はゆっくり目を開け、視線を動かす。

 木々が勝手に通り過ぎ、すぐ近くには赤毛のツンツンした髪。

 両腕はその人物の首を回すようにセットされていた。


 リゼはすぐに自分の状況を理解した。

 リュートに背負われて移動中ということに。

 そのことに彼女はほのかに顔を赤らめ、目を大きく見開く。

 同時に全身の毛をが逆立つのを感じた。

 そっと拳に力が入る。

 やることは一つ――自分の身の安全の確保。


「お、起きたか......ぐぇっ!?」


「あんた、私に何もしてないでしょうね?」


 リゼは背負われていることを良いことに、リュートを背後から腕を首筋に絡めて締めた。

 腕間接を彼の顎下に挟み込み、のどぼとけを押さえつけるように。

 足は彼の身動きを拘束するかのように彼の腹の前に絡めて。


 そんなリゼの行動にリュートは目を白黒させた。

 顔のパーツが中心に集中させ、口を歪ませる。

 しかし、そんな状況でも彼は決してリゼを支えている腕を解こうとしない。

 どんどんと息苦しさが彼を襲い、顔は赤くなる。

 彼はややかすれた声で言った。


「し、してないしてない! 俺はただ助けただけ!」


「......そう、なら降ろしてもらえるかしら」


 リュートの苦しそうな表情を見ても、リゼは表情一つ変えずに自分の要求を押し通す。

 彼は「わ、わかった」と答えれば、そっとその場にしゃがんだ。

 そして、彼女を支えていた手をパッと放した。


 瞬間、リゼが下りたことで気道が確保できるようになった。

 リュートは急激に入ってきた空気にゲホゲホむせる。目には涙が浮かぶ。

 彼は首筋に手を当て、異常が何もないことがわかると肺に溜まった空気を大きく吐き出した。


 リュートがチラッとリゼに目線を向ければ、彼女は視線が合った途端に逸らす。

 その態度にはさすがの彼も険しい目つきで言った。


「何すんだ!? 寝てたから運んでただけなのに!?」


「男は信用ならない。あなたも男である以上例外じゃない。

 それに起こすならあの花畑で良かったでしょ?」


 リゼはリュートに視線を返せば、自分は悪くないと堂々と胸を張って腕を組み、淡々と言葉を返す。

 帽子の下から覗かせる目はまるでリュートの方が悪いとばかりの目つきをしていた。

 

 リゼの態度にリュートは肩を落としながらため息を吐く。これは何か事情がありそうだな、と。

 彼は頭をかけば、彼女の言った言葉に「それは違う」と首を横に振った。


「花畑にはたくさんの魔物の死体が転がってる。

 血のニオイに誘われて他の場所から魔物が寄ってくる可能性があるだろ?

 それとも、魔物が囲まれた中で目覚めたかったか?」


「うっ」


 さすがにリュートの言葉が正論だと思ったのか、リゼは目線を下にさげ、それ以上の口を閉じる。

 彼女も自分の非を全く認めないほど愚かではない。


 そんな彼女にリュートは「素直じゃないな」と小さくため息を吐く。

 空気を切り替えるように姿勢を正せば、彼は報告すべきことがあるのを思い出し言った。


「ほら、これ。魔物の討伐証明で必要なんだろ? 拾っておいたから受け取れ」


 リュートが肩に背負っている大きな巾着袋から取り出したのは、ハナヒゲモグラのヒゲであった。

 それをリゼに渡していけば、彼女は小さく「ありがと」と呟く。


 リュートに聞こえているかどうか怪しいほどの声量であった。

 素直になれない態度が如実に表れている。

 ザ・ツンデレというのはこういうことを指すのか。

 些かツン成分が多いような気がするが。


 リゼはヒゲを受け取ろうとした際、かち合いそうな視線を帽子のつばを掴んで目深に下げることで遮断した。

 そして少しの沈黙の後、彼女は軽く息を吸った吐いた。


「さっきのはさすがにやり過ぎたわ......ごめんなさい」


 リゼは目線を外し、腕を組みながら謝った。

 その態度はおおよそ謝っているようには見えない。

 しかし、代わりに彼女の本音は耳と尻尾に表れていて、耳はペタンと伏せがちになり、尻尾はダランと下がっている。


 獣人族は自分の耳や尻尾に感情が現れやすい。

 それは本来耳や尻尾に感情が出ない動物種の獣人であっても関係ない。

 全獣人が犬のように尻尾をふったり、耳を伏せたりするということだ。


 それは獣人という種に共通して言えること。

 これには理由がいくつかあるらしいが、中でも一番有力なのが人間という感情生命体が影響しているからではないか、ということらしい。


 人間は目線だったり、姿勢だったりと話し声以外のボディランゲージで感情を示す。

 その感情が現れる行き先が獣人の場合は耳や尻尾に当たるのだ。

 もちろん、体の動きに感情が現れないわけではない。

 すぐに感情が反映される箇所が耳と尻尾であるというだけだ。


 故に、リゼはリュートにきまりが悪いから目線を下げつつも、腕を組むことで感情を隠していた。

 しかし、彼女の本音が獣人族という種族の抗えぬ本能によって耳や尻尾に現れてしまっていたのだ。


 そんな彼女を見てリュートは、怒られて耳を伏せるイヌを脳内でイメージしたのか目線を上に向ける。

 しかし、そこにツッコめば噛みつかれるのか確定なので、彼はそのイメージを払拭するように頭を横に振った。


「これでリゼの仕事は終わりか?」


「えぇ、今日の分のね」


 「そっか」とリュートは呟く。

 その言葉は想定していたので彼が特別表情を変化させることは無い。

 それにリゼに学院に戻るよう伝えても、彼女にだって予定がある。

 だからこうして、彼女の魔物討伐の依頼を手伝っている。

 それを無視して勝手に連れ戻すのは、彼が彼女に信用されることを考えても悪手だろう。


「なら、他の仕事も手伝うぞ」


 リゼは帽子のつばを上げ、視界を確保すれば、そっと首を横に振る。


「いいわよ、別に。今回はちょっと油断したかもしれないけど、次からは気を付けるから。

 あんたは私の仕事が終わるまで街の観光でもしてなさい。

 悪くない場所よ、私の住む場所は」


「それは魅力的な提案だが、俺は体を動かす方が好きなんだ。

 それに今なら学院経費で俺を一銭もかけずに雇うことが出来るぞ?

 リゼが信用している学院長から雇われたんだしな」


 まるでリゼの性格に合わせた交渉。

 どうやらリュートはリゼの事情に関して少しだけ察したようだ。


 リゼはリュートに背を向ければ、ため息を吐いて歩き出す。


「......ハァ、好きにしなさい」


「よっしゃ、交渉成立!」


 それから、二人は箱庭に戻ると闘魔防衛施設へと向かった。

 そこで討伐した魔物の依頼処理するのだ。

 この施設で出来ることは依頼や剥ぎ取った魔物の一部を素材として売ること。

 また、建物内の一部の食事スペース。

 所謂、冒険者ギルドのような場所と思ってもらっていい。


 二人は依頼の報酬金を受け取ると、施設を出た。


「意外と高い報酬だな」


「森の深部なんて誰も行きたがらないからね。あと、はいこれ」


 リゼに渡されたのは彼女の受け取ったお金であった。

 全額ではないが、五割は確実にあるほどの金額であった。

 「こんなに!?」とリュートが目を丸くさせるのも当然の反応だ。

 そしてすぐに遠慮するように受け取った小銭袋を突き返す。


「いやいや、こんなの受け取れないぞ。

 それに俺は学院側からある程度のまとまった額は受け取ってるから要らない。

 だから、安心して受け取ってくれ」


「だとしても、今回はあんたのおかげで魔物を倒すことが出来た。

 それにあんたがいなかったら危なかったのも事実。

 であれば、あんたは受け取る権利があるわ。

 迷惑料とでも思えばいい」


 こういうところは意外とキッチリしているリゼ。

 何かとお金が要りような言葉を言っていた割には律儀な姿勢を見せる。

 加えて、このお金には詫びの気持ちも含まれているのだから尚更。


 リゼはリュートの小銭袋を持った手を無視するように視線を外し、自身の小銭袋を腰のポーチに入れる。


「そこまで言うながら受け取るが......」


 リュートは渋々お金を受け取っていくが、呟く言葉の語気はあまり強くない。

 彼としてはやはり受け取ることに引け目を感じているのだろう。

 自分が正式に依頼を受けたわけじゃないからと。


 その考えは傭兵としては異質だ。

 傭兵なら貰える金は貰っていくの精神が一般的だから。

 しかし、こういう考えに至るのは、リュートの所属していた傭兵団があまりお金にがめつかなかった影響かもしれない。

 もしくは、ガイルがリュートが傭兵を辞めて争いごとのない世界に足を踏み入れやすい様に倫理観を授けたか。


 リュートは気まずそうに眉を下げがちにしてリゼを見た。

 何も気にしていない彼女。

(自分が使うお金とは別で保管しておこう)

 リュートは大切そうに自分の荷物に入れた。

 

 報酬金の山分けが済めば、リゼは「それじゃ」と簡単な別れの挨拶で一人歩き去っていった。

 そんな姿が小さくなるほど見ながらリュートも自分が泊まる宿へと戻って行く。


―――一週間後


 リゼがリュート共に行動し始めてから早くも一週間が経過した。

 その期間で最初はトゲトゲが強かったリゼも、少しだけリュートのことを信用したのか口調が柔らかくなった。


「避けたと思ったけど、思ったより派手についちゃったわね......」


 そんなある時、目標の魔物討伐を終えたリゼはしゃがんで近くの川で手についた返り血を流していた。

 冷たく透き通るような奇麗な川に手を浸せば、ゴシゴシと汚れを落とす。

 手がどんどんと奇麗になっていく過程を見ては、彼女は柔らかく頬を緩ませた。

 僅かに変色した水が流れに沿って移動する。


 天候が良くて暖かい日差し、ほどよく涼しい風、そして清らかで冷たい川。

 こんな良い天気の日は久々ね、とリラックスしているリゼは、手を軽く振って水気を切れば立ち上がり、大きく伸びをする。


 リゼはチラッと背後を振り返る。

 彼女の数メートル後方には木を背もたれ代わりにして寄りかかるリュートがいた。

 彼女は視線を戻して水面に揺らめいて映る自分の顔を少しだけ見つめる。

 もう一度だけチラッと見ればリュートに聞いた。


「ねぇ、聞きたいことあるんだけどいい?」


「ん? あぁ、なんだ?」


「あんたって魔法は使えるの?」


 リゼから聞かれたのは凄く素朴な質問であった。

 リュートは考えるまでも無くサッと答える。


「あぁ、使えるぞ」


「使う場面みたことないんだけど。もしかして、身体強化系の魔法?

 だったら、あんたが片手でそんな大振りの剣を振るってるのも納得できるんだけど」


「そうだな。確かに俺は身体強化系の魔法をちょろっと使ってる。

 だけど、それ自体は副効果的なもんだ」


 リゼはリュートの言葉に疑問を感じたのか首を傾げた。


「なら、あんたはどんな魔法を使ってるのよ......いいえ、踏み込み過ぎたわ。自分の手の内バラすようなものだしね」


 リゼが首を振って自身の言葉を否定する。

 それは魔法というのが攻撃手段において非常に強いアドバンテージを得ていることを知っているからだ。


 よく魔法と科学ではどちらの方が上かと論争が上がるが、この世界の場合では圧倒的に魔法だ。

 人間は必ず戦う時に剣然り、銃然り武器を取る。

 それは生身一つでは敵を相手にする時に不利であると理解しているからだ。

 しかし、魔法は違う。


 魔法における武器とは体そのものだ。

 手を向ければ敵を切断でき、風穴を開けることだってできる。

 魔力枯渇するというデメリットこそあるが、科学武器と魔法との戦いでそこまでの長期戦になることはまずない。

 それは圧倒的な火力の差が原因だ。


 簡単にイメージして欲しい。

 銃は一発の鉛玉を放つ。それだけでも十分な殺傷能力を持つだろう。

 しかし、魔法においては同じ大きさの弾丸を放ったとしても、着弾すれば爆発する炸裂弾なのだ。

 加えて、爆発だけとは限らない。斬り刻まれるかもしれないし、感電するかもしれない。

 凍りついたりするかもしれないし、破片手榴弾のように弾けるかもしれない。


 たった一発の弾丸でもこれだけの威力の差が出るのだ。

 加えて、銃はそれが壊れでもしてしまえば、それだけで攻撃手段を失う。

 対して、魔法は使用者が死なない限り放つことが出来る。


 しかし、知られてしまえば対策できる。

 それはどんなことにおいても変わらぬ真実。

 故に、基本自分の魔法は隠しておくことが大事とされている。

 とはいえ、それを意識して動くほどの意識高い系は少ないが。

 なぜなら、どうせ戦いでバレるから。


 リゼの言葉にリュートは特に深く考えた様子もなくサラッとに明かした。


「俺の魔法は少し特殊で<契約コネクト>ってものだ」


「結局、言うのね。別にいいけど。

 それにしても、特殊魔法......そういえば、あんたは覚醒魔具を使ってないとも言ってたわね。

 ということは、純覚醒者なの?」


 その言葉にリュートは「あぁ」と頷いた。


 “純覚醒者”とは簡単に言えば、覚醒魔具を使わずに任意で魔法を使える人のことを指す。

 それは覚醒魔具を使うリゼのような“覚醒者”とは違い、魔法を使うための覚醒魔具が無くても魔法を使えるため、魔族に対抗したい人類としては是非とも確保したい貴重戦力である。


 リュートの言葉でリゼはとある単語に興味を引いた。

 それは七系統と呼ばれる火、水、風、土、雷、光、闇とは別の“特殊魔法”と呼ばれることが多い条件付き魔法であった。


 条件付き魔法とは“特定の条件を満たした時に発動できる魔法”もしくは“発動後に多少のデメリットを負う魔法”のことを指し、それは限定的故に強力な魔法効果を有することが多い。


 しかし、その魔法はそれ故に相手に条件を知られれば不利となることが多い。

 故に、条件付き魔法もとい特殊魔法は普通は隠して当たり前の魔法であるということだ。

 当然だ、魔法によっては条件を満たせず魔法が発動できないことがあるからだ。


 リゼは聞いてしまったことに気まずさを感じたのか、腰に巻いている制服のブレザーを指で弄り始める。


「あんた、それ話しても大丈夫なやつなの?」


「あぁ、問題ない。それにリゼの魔法を知っておいて教えないのは不平等だしな」


「私のはありきたりな七系統魔法だから全然レベルが違うんだけど......」


「で、俺の魔法は――」


「心配してやってんのに勝手にしゃべり出すじゃん」


 意外とペラペラしゃべりだすリュートに、リゼは「自分が心配したのがバカみたい」とため息を吐いた。

 彼女はふと太陽に煌めく川へ視線を移しながら、耳だけはしっかりリュートの声が聞こえる方を向けた。


「リゼの言った通り特殊魔法だ。それ故に、ルールが存在する。

 で、俺の魔法の条件と内容は“相手の信用を得て契約出来た時、相手の魔法を使うことが出来る”ってやつだ」


「ってことは、仮に私があんたと契約した時、あんたは私の雷魔法が使えるようになるってこと?」


「契約中はな。ちなみに、今の所契約の制限はないな。上限まで届いてないかもしれないけど」


「ヤバいわね、それ」


 リゼが驚くのも無理はない。

 それはリュートが契約を結べば結ぶほど、多種多様の魔法が自在に使えるようになるということだ。

 強くなるなんてものじゃない。

 人類の英雄にだって成れるだろう。


 リュートは「それほどじゃないさ」と首を横に振った。


「俺が魔法を使えるようになるには契約相手に信用してもらう必要がある。

 だが、現に俺は未だリゼから信用を得られているような結果には至ってない。

 だから、使えれば強いだろうけど、使うまでの工程に時間かかる魔法なんだ。

 それに魔法をたくさん持ったところで、手段が増えるだけで使いこなせなきゃ意味がない。

 ほら、良く言うだろ? 色んな武器に手を出したって一つを極めた人間には勝てないって」


 その言葉に納得したように頷く。


「なるほどね、さすがに特殊魔法というわけね。

 それじゃ、さっき身体強化系の魔法を使ってるとか言ってたけど、誰か一人とは契約してるの?」


 その質問にリュートは途端に静かになる。

 ゆっくりと目線を落とし、眉が下がった。

 下がった視線が移動した先は右手の甲に浮かび上がっている契約の際に出来た紋様。

 彼は顔ををしかめ、言った。


「俺の......妹さ」

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