4.『楽勝な仕事(ピース・オブ・ア・ケイク)』

「とにかく、俺がオリオ・ヴァーレルから問い詰めた結果はそれだけだ」

「はあ」



――オリオ・ヴァーレル、ギルドメンバー殺しの獣人の身柄は管理局の元で拘束され、依頼は完了となった。

奴が破壊した建物の残骸の処理などについては『この範囲の破壊で済んだのならば契約内容に抵触はしていないのでお話の通り報酬金は補填させて頂きます』ということになった。

一撃で仕留めたのは違いない。多少痛い目を見せたが、それを話したら、レアトレーチェの眼の奥に、少しだけ翳りのある悦びが映っていた気がする。

そのやり取りがあった翌日に、時間を改めて、またこうして顔を合わせることになったわけだが。


アデルは簡潔に、"二回目"の報告をしている。その前にも、この部屋にやってくる前に顔を合わせた時に告げたのだが。

片手に持った空き瓶を揺らしながら、依頼をやりとりしたあの部屋、その窓際で並んで立っている。

隣では、両手で持ったマグカップの中のアイスココアを揺らしながら、レアトレーチェがなんとも言えない顔をしながらアデルを横目に見つめていた。


「あの噂、まさか本当だったとは……しかし、アスラン学院の、路上……参りましたね」

「ああ、"魔邦資格管理局の御膝元"で、"黒竜の鱗"が見つかり、しかもそれが売買されている。まぁ、非公認の店を出してる馬鹿は珍しくない、けど――むしろおかしいのは噂の内容だ」

「"それが黒竜の鱗である事を鑑定出来たこと"、ですか」

「そもそも、黒竜の鱗ってモンが、本当にあの黒竜の体組織であるかどうかさえ不明だがな」


オリオが、格上の冒険者を死に至らしめる事の出来た力の元。

黒竜――この国において、その名前というもの自体が口にすることさえ正直憚られている。

約百年のペースで復活を果たしては、都度その世代における"英雄"が現れ、それと共に相討ちをされる魔物の王。

……問題は、そも相討ちになった後、黒竜の屍というのは。


「残らない、はずなのですが」

「"英雄"が産まれ、"聖剣"を握り、命を賭した"光の刃"が滅する。

……俺が産まれる前の黒竜だって、そういう形で倒されたってのは聞いたことがある。先代の英雄は、確か……」

「闃陽(げきよう)の騎士、『偉丈夫ペトロフレール』ですね。六剣聖の"四"の席から英雄として抜擢され、黒竜を"黄聖剣クリュサオル"で文字通り叩き潰しましたが――竜気の毒によって死にました。彼諸共、屍は光によって消し去られたわけです。

……こんな事を言うのは不謹慎ですが、黒竜を倒された後に残る膨大な仕事の中には、"黒竜の屍の処理"の記録はありませんでしたしね、完全に滅される事になるということは、鱗一枚だって残らないはずなんです」

「……正直に言ってくれよ、お前あの時、"黒竜の鱗"って言葉を使ったのはなぜだ?」


アデルが、鋭く刃物のように言葉で切り込む。

――あの時、あの場で、その言葉と共に話した内容は、言ってみれば"仮説"だ。

一つ、黒竜の鱗という物質の存在の証明が出来ない。

一つ、オリオの謎の力の源が鱗である事の証明が出来ない。

一つ、……そもそも、"アレ"は何なのか、未解明。


「――だって、私が手引きしている」

「あ?」

「……なんて言ってしまえば事態は単純だったかもしれませんね」

「止せよ、言われるだけでもゾッとする」


レアトレーチェが唇だけを微かに笑わせながら徐にそんな事を言う。

喉の奥がさっきまで飲んでいた炭酸飲料で潤っていたのに、掠れて乾いた声が出た。

アデルの目つきが普段の三割増しで悪くなっている姿を見て、軽く脱力させようとでもしたのかもしれないが逆効果だ。


外の陽射しはそこそこ強い、室内は空調設備――建物内部を通るように敷かれた金属の筒へと、建物の心臓とも呼べる場所に設置された"氷属性の魔粒子を発生させる装置"によって冷却・循環しているのだとか。――で冷えているのに、

さっきのやりとりで過剰に冷え込んだ気さえしてくる。


「……まぁ冗談は置いておいて、現状それしか――噂の名の通りを表現する方法が無かった、ともいえます。ですが、そうなると……」

「そこだ。噂の出どころから探ってみる……というのも手だろ」

「私の耳に入ってくる噂の内容通りであれば、私が預かっている講義に参加している、魔邦学校の生徒たちということになりますけれども、それについては私が調査するべきでしょうね」

「……ああ、お前、魔邦教授とか言ってたな」

「臨時、ですけどね。……職員として正式な仕事を持っているのですが、どうしてこうして、書籍の番人は頭も良いだろうなんて話から始まった副業です、酷いじゃないですか?」

「頭が良くなきゃ出来ねえ仕事をふたつも掛け持ちしてそのツラが維持出来てるなら立派にインテリだよ、テメーは」

「……顔を褒めてます?それなら自信はありますけどね」

「ナルシストが」


空の瓶をつまらなさげに弄ぶアデルとレアトレーチェの会話は続くが――正直、これ、という結論が出る空気もない。

言えることがあるとするならば、不穏な噂は"真"を帯び、国を揺るがすかもしれない一大事の片鱗が埋まった謎という沼は深まり、これを、一人のハンターと一人の職員だけでどうにかするというのは、余りにも荷が重いということか。

ココアを一気飲みしたレアトレーチェが、唇に残る甘い残滓を赤く舐め取って、眼鏡の向こうの瞳でアデルを見ていた。


「……時にアデルさん、あなた、"調査"って出来ますか?」

「……は?」

「調査です。聞き取り、現場検証、何でもいいです。"クソ野郎をブッ飛ばす"以外の仕事は出来るか、ということを確認したいんですけども」

「お前、今ちゃんと録音は切ってンだろうな」

「今日は"仲良くなった友人との会合に場を借りる"という名目ですからね、仕事をなすりつけられた事から生じた特権を遺憾なく行使しました」

「勝手にお前なンかと友人にするなよ、エルフってのはフレンドリーとは聞いてるが、友好の押し売りをわざわざ買うかよ」

「失敬な。"綺麗なエルフとの友好配布"と言って下さい」


――本能的に面倒毎の気配を察知したアデルの顔が曇る。さらに言うなら、今後これからこのレアトレーチェとの仲良しごっこから産まれるプライスレスな仕事に忙殺されることになるだろうという事も自ずとついて理解が及んだ。


「……言っとくが、金は出せよ」

「私の財布から出しますよ、稼いでますが使い道がないんです。こういう時に使う為に取っといてたと考えれますね」

「ほンっとにろくでなしだなお前。……ンで、何となく何を頼まれるか察したぞ」

「答え合わせとしましょう、どうぞ?」


首を微かに捻っているレアトレーチェ、その眼鏡を今すぐ奪って叩き割ってやろうかと思ったが、代わりに空き瓶をミシリと鳴らすだけに留めた。

"友人の職員の私物を狩人が破壊した"なんていうことになったら此処を出る事は一生無くなってしまうだろう。

からかうのが余程楽しいと見えるレアトレーチェに対し、頭の中に浮かぶこれからやるべきことをありのままに告げた。



「……『ノースタウン・アカデミアスクエア』、アスラン学院周辺、つまりカレイドスコープ学区内を虱潰しに調べまわる。人、痕跡、物流、全部だ」

「70%くらいは正解ですね」

「三割は何だよ」


どうやら完全解答とはいかなかった。


「……"本当にそれが黒竜の鱗なのかも含めて調べ上げる"、です」

「……現物を見つけろってことか?だが、言っとくが俺は――」

「あなたは別に見つけて拾って来ればいいですよ、物質の鑑定については適任の方が一人いますから」


現物の回収。まぁ、確かにそうだ。本当に黒竜の鱗が、由来そのまま黒竜から剥がれ落ちた物だった場合、『これまでの歴史を揺るがす異変が生じている』ということになる。

……今出来る事は、その異変が、"『黒竜の鱗』という名前を得た未知の物質"によってもたらされている事の証明。


「……は。楽勝だ、ヴァーレルをぶっ飛ばすのも簡単だったがな」

「楽勝の割に少し逃げ回ったようですが?」

「何で知ってンだよ。一撃で戦闘不能にしてやったンだ、別にいいだろ」

「ええ。……では任せますよ、アデルさん」

「……」


話は決まった。頭の後ろで腕を組んで頷くアデルの顔に、レアトレーチェが笑った。

……何か言いたげなのを察して、瓶を指差す。


「今日は暑いですからね、もう一本奢りましょう。ドリンク片手に、学区の賑わいを楽しみながら、どうぞ」

「……おう」



*  *  *



「ッぷは」


喉を突き刺すキツめの炭酸に、丁度真上から差し込んでくるようになった陽射しの暑さが和らぐ。

――ノースタウン・アカデミアスクエア。魔邦資格管理局が、資格取得支援の為に設立した『アスラン学院』を中心に発達した学区。

専ら資格取得の為に励む若い魔邦遣いや、魔粒子の研究者の道を選んだ魔邦遣い達がこの学院に通っている。

道を往く人々はその大半がアスラン学院の制服を着た学生たちだが、中には学区への物資を運搬してくる馬車だとか、此処で商いをしている商人たちが店を開いているのも目に映る。

学院付近の広場には魔邦に関する学問書を販売する書店や、学生用に加工された教材としての魔法触媒を売る魔邦学院公認の販売店が点在していて、こういった店で働いている人の多くは、この街で腰を据えて店を営む道を選んだ者か、魔邦資格管理局から派遣されている職員だ。


基本的にこのエリアでは、魔邦資格があれば管理局公認の施設についての利用は無料だ。

研究者の道を選んだ人にとっては、資格を保有さえしていれば衣食住、全てに困ることがない。ここの中心となるアスラン学院には男女別の学生寮も存在している。

だから、昼は学院で学び、夜は宿で自己勉強。何も不自由することのない生活をすることが出来るわけだ。


――正直大盤振る舞いにも思えるが、ここで資格の勉強をして、資格を得た後には、魔邦資格管理局への就職をする。

職員の大半は此処での学歴を持っている魔邦遣いだ、著名な者が実際にこの学び舎で青い春を謳歌したという話も多いし、それだけ実績があるからこそ、廃れることがない。魔邦資格管理局側にとっても、優秀な職員の土壌を育てる事には金目を厭わないということだろう。


……そんな賑やかで平穏な学区内で、あんな物騒な物が見つかっている事を、どれだけの学生が知っていることか。


「……」


何気なく周りを見渡してみると、時々こちらを好奇の目で見る若い学生がいたり、

新たな客と見た商人たちがじろじろと視線を返してくる。

居心地の悪さに軽く睨みを効かせる事もするが、仕方ないといえば仕方ない。

既に冒険者として邦都の外に出て世界中を廻る者だとか、邦都の中で"狩り"をしているアデルは、珍しい人であることは違いない。

……あと、明らかに見惚れるような顔をしている男子学生については、何も感想を抱かないことにした。


道行く半ば、ある露店の品ぞろえを見て足を運ぶ。

魔邦触媒――魔邦を使う為に消費する事で効果を増大したり、魔邦によって性質を変化させる鉱石や液体といった物の総称だ。――を珍しく感じながら、屋根の奥から景気よく「ようお嬢さん!!何かお買い求めかな?」なんてドデカい声を叩きつけられる。

こういうのを買い求めるのは、研究者の道を選んだ魔邦遣いが重宝するのだろうが。


「なあ」

「お?どうした、何を買うか決めたかい?」

初老の角人(ドワーフ)が変わらず溌剌とした声と顔で返事を返してくる。

このツラなら普通は武具なんかを扱ってる奴に似合いそうなものだが。


「この店の触媒は、全部魔邦資格管理局からの輸入か?」

「あ?いや、まぁそういうのもあるな、魔邦触媒液と鉱石は大体そっちからだぜ。どうだい、今ならお嬢さんの別嬪さに免じて仕入れ価格とほぼ変わらない特価で売ってやってもいいぜ?」

「いや、別に買うつもりはねえンだけど」

「……冷やかしか?」

「聞きたいことがあるだけだ。邪険にしてくれンなよ、管理局側から請け負った仕事でな。何か情報をくれたら、そこそこ"贔屓"してもらえるよう話をつけられるが」

「……」


難しい顔で唸る店主に、続けて言う。


「最近、ここらへんで"ある噂"が流れてるんだが、こういう商品を取り扱ってるなら何かしら知ってないかと思ってな」

「噂ぁ?」

「……妙なもんが道端に落ちてて、それが物騒な力を持っているって話だ。見た目はそうだな――黒い鱗、みたいな」

「鱗……鱗ねえ。竜人(レプタリアン)たちから提供されるっつー竜鱗(りゅうりん)って言う触媒の話しは聞いたことがあるが、道端にそんなもんが落ちてるってのは聞いたことがないな。脱皮不全を引きずって脱げながら歩き回る変態でもいるってか?」

「やめろ、なんか聞いてて気持ち悪くなるだろ」

「おっと悪い。……はて、黒い鱗な……んん……」


竜人(レプタリアン)。邦都ではかなり珍しい種族ではある。ここ最近、邦都の遥か南にある、その竜人たちの国があり、そこからやってきた奴等が、魔邦資格管理局で近衛兵を務めている、という話もある。

見た目は完全に二足歩行のトカゲ。魔物と勘違いされて、過去には大規模な迫害がされた歴史もある種族。知性を持ち、文化的だが、人間を専ら嫌っている。その理由は先の歴史にあるが、今はそういった意識改革の為に魔邦資格管理局との交流を進めている一派もあるという。

どの道言えることだが、"ここ"で見かけられる事は極めて少ない。

そんな竜人の脱皮不全――奴等の身体から剥がれた鱗が、皮と一緒に道端に転がっているなんていうのは、現実的な話じゃない。


「……悪いなぁ、とにかく、そういった部分についての話は、こっちも聞いてねえんだ」

「そうか。悪かったな、協力には感謝するぜ、"美人には気前のいい”ドワーフの魔邦触媒店の事は伝えとく」

「ッておい、それじゃあ勘違いされちまうじゃねーか」

「安心しろ、伝える相手が自分を美人だと思っているエルフの"魔邦教授"だからな」

「レ、レアトレーチェ教授か?!」

「は?いや、あ、ああ、そうだけど、知ってンのか?」


まさかここで名前が出てくるとは思わず、面食らうアデルに興奮したようにドワーフが言葉を続ける。


「知ってるも何も、学区でレアトレーチェ教授を知らない奴ァモグリって言われるレベルで有名だぞ!偉大な魔邦図書の管理者で、教授の講義には講堂一杯に学生が押し寄せる位人気なんだよ!しかもすっげぇ美人のエルフ、齢20、現在独身!!」

「……」


この場で今すぐぶん殴っとこうかと思った。

独身。そこが一番重要なように話してるが、本人からしたら無礼も甚だしくないかと。


「くううッ、そうか、教授の耳に俺の店の話が……!!来てくれっかなぁぁ……ッ!!」

「……来るんじゃねぇの。知らねえけど」

「ありがとよお嬢さん!!宜しくな!!是非っ、宜しくな!!」

「……おぅ」


――この店で得られたのは、友好の押し売り眼鏡女が独身であるという情報くらいだった。

要らない事を耳にし過ぎた苛々を忘れるように、瓶の中身の残りを飲み干した。

気の抜けた甘ったるい味のする温い液体の後味を、溜息で忘れ去る。

大手を振って見送ってくれる店主をこれ以上見てられることもないので、背中を向けて足早にその場を離れていく。



それからは、何も進展のない探索が続いた。

道行く学生の一人に声を掛けたり、別の出店や、魔邦資格管理局の公認の宿。

あちこち聞き回ってみたものの、これといって目ぼしい情報もない。

……気が付いたら、日は傾きだし、それなりに学区内の入り組んだ道に来ていた。

少し道を外すだけで、表の喧騒が随分と遠くに聞こえる気がする。

時間も時間のせいなのか、歩き回るのに疲れた足がそこそこに抗議を訴えてきている。

あと少しだけ探索をしたところでいい加減出直そうかと思っていた。


「……ここいらとなると、後は……」


静まり返った路地の幾つかを覗き込んだとき、

――――物音が聴こえた。軽い音じゃない。


「ッ」


咄嗟に音の聞こえた方を睨みながら足を進ませ……ようとして、とまった。


……誰かの話し声が聞こえ始めていた。それは、小さな鈴の音のような声と、

――誑かす悪意の声の交わす会話の声だった。


「……はあ」



足は文句を言っている。身体は気を向けもしない。

頭は仕事を優先しろと言っている。こういうところで、そういうふうに、ああやってなることは珍しいものじゃない。

これから先、その声の主がどういう悪意と策謀に巻き込まれるか、どうなっていってしまうのか。

別に――どうでもいいっちゃ良い事だが。




「……畜生。らしくねえな、お前」


全部が否定をしていても、アデルの足は、その小さな鈴の音が、今にも握って壊されそうな。

……それを止めようと走っていた。

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