2.『魔弾の射手(アガーテ)』

――邦都・クセルトリア。


この世界における技術発展の中心地であり、夜と逢魔を知らない大魔邦都市。

その中心である此処には、天を貫かんと聳え立った銀色の塔、至る所に城の塔を思わせる造形物が折り重なるように、または円環型の施設が地上から幾らか離れた場所に複数点在していたりと、眺めはとにかく耐久性を不安に感じずにも居られないような形の建物が存在している。通称、「セントラルタワー」、この都市の中心点に突き刺さった法の剣だ。


塔の麓には、そこで働く者、またはこの都市に住みながら日々を過ごす者たちが自由に利用することの出来る巨大な広場となっており、塔が雨よけ、または日除けとなるように作られているからか、どんな日でも人の足は絶えない。

理想郷の中心たる、魔邦資格管理局の御膝元、万人の憩いを赦す。

『レクタル広場』と呼ばれている名の由来は、このカレイドスコープの創立に携わった建築家にして歴代カレイドスコープ局長の一人、レクタル・カレイドスコープから名を取られている。



夕刻、此処は何時だって人が多いのもそうだが、この時間になってみると、やっと幾らか静かな憩いの場へ変身をしていく。

理想郷の中心区『魔邦資格管理局・カレイドスコープ』は、24時間、365日。とにかく人の出入りが多い。

ただし、今の時間に限って言うならば、この施設で働いている職員たちのようやく訪れた一日の終わりの少し前、一足早くに憩う姿が主だ。


例えば、目の下に濃い隈を作った技術職員の白衣を着た小人<ピグマー>は、建物の入り口である、無数に戸を開けた大きなガラスドアのうちの一つを、蹴っ飛ばすように開けて建物から出てきたかと思うと、やれ設計図の提出の割に随分と期間が短いじゃねぇかと、光る水晶板のような物を耳に当てて怒鳴り散らしながらベンチの周りを忙しなく歩き回っているとか、


職員の制服をくたびれさせた女性の森人<エルフ>は、かなり遅めの休憩を取っているのか、隣に腰掛けた同僚らしき女性と共に、膝の上に広げたランチボックスの中のサンドイッチを食べながら死んだ目で休んでいるとか、


頭から角の生えた男性の角人<ドワーフ>なんかは、見た目に似つかわしくない黒ぶち眼鏡と着込んだ服の襟元を緩めながら、建物の影で疲れを癒せる場所を求めて座り込んで、四角い缶に入った清涼飲料水をがばがばと飲み干していたりだとか。


……今日はきっと、かなり忙しない方だったと見える。

そう思いながら足を此処へと進ませてきたのは、一際目立つ格好の女性だった。


「……この時間に仕事の話を振っといて、御本人は代理を立てて不在か」


襟程の金髪を靡かせ、紫水晶で作ったナイフみたいにキレた眼。

真っ赤なジャケットとスパッツ・ホットパンツの軽装。

幾らか立派な成長の伺える胸部が赤いジャケットに大きな山脈を作っているが、

それに鼻の下を伸ばす男性は居ない。

撫で肩に掛けたベルトホルダーによって背負った白金色の大筒が、物騒で重厚な音を立てて歩く度に揺れるからだ。

すれ違った職員がギョッとしていたが、このくらいの反応はされるのに慣れているとばかりに歩みを進めていた。


文句を大声で言っていたピグマーが気まずげに女性から顔を背け、休憩していたエルフも少し怯んだ顔で一瞬見た後、そそくさとベンチを空ける。

かと思えば、座り込んでたドワーフは何やら湿った笑いでその躰をねめつけていた。

とにかく、それくらい露骨に反応される客人ともなれば、只人ではない。

それすら気にも掛けず、建物の中へと入っていくのは、それが既に何度もこれを経験した証であり、この建物における"常連"の証左だ。


*  *  *


建物に入って広がるのは、とにかく広い一階の受付窓口広場だ。

白か、アイボリー、クリーム。『超高級な宿泊施設』と比べても遜色ない綺麗なフロア。

そしてそのスペースの広さをふんだんに用いた此処には、様々な魔邦技術に関連した展示品だとか、利用できる制度を案内する、電光"魔粒子"による映像案内表だとか。

いつ来ても此処には、この世界における技術の中心地となっていることを認識させられる。

足元を見下ろせば、用事のある窓口に向けて、それぞれ色の異なり、そして流れていく光の案内線が敷かれたりとか、並べられた待合ソファーなんかは足元からの間接照明でぼんやり光っている。

見渡せば無料で水が飲めるだとか、魔邦資格管理局に提携して製造されているジュースを加工された硝子瓶に入れて提供する機械まである。


そんな至れり尽くせりの施設群を前に、女は真っ直ぐに窓口へと歩いていき、既にこちらを視線で捉えていたショートヘアのエルフの職員に声を掛ける。


「こんばんは、ようこそ魔邦資格管理局へ。本日はどのようなご用件でしょうか?」

形式的案内文言、張り付けた笑顔。

入口の外にいた職員たちと違い、一切の動揺は無かった。

そういう窓口にいる職員だから、そういう相手を見ることになれているらしい。


「……ハンター・アデル。"狩猟(ハンティング)"の依頼の斡旋を受けた。予約は『レアトレーチェ』って職員の名前で取られてるはずだ」

「畏まりました、それでは本人確認を致しますので、"魔邦資格刻印"の提示をお願い致します」


"魔邦資格刻印"。

要するに、この世界における身分証明書のようなものであり、

この世界のありとあらゆる施設群の利用パスであり、戦う為の必須品。

これを刻印された場所は眼に見えない"タトゥー"が入る。

これを提示さえできれば、少なくともこの邦都内では、飢えることも路頭に迷うこともない。

そして、この資格刻印を持っている女性の名前が、『アデル』である事は、この資格を通じて管理局側に登録される。


余談だが、今現在での技術の進歩を以てしても、これを刻む際に発生する『激痛』は解消出来ずにいるため、ある意味冒険者や、この街で過ごす為の登竜門のような儀式と化している節もある。

昔、これを過激な場所に刻もうとして意識を失った馬鹿がいたらしい。それからというもの、余程の理由がない限りは『腕』に刻むように推奨されるようになったそうだ。



軽くジャケットの袖を捲り、左手の手首を差し出す。

窓口のエルフが指先でその部位に触れ、


「資格の提示」

エルフの声。


「示せ」

女性の声。


……手首の先から、肘の辺りまで、そこに変化があった。


真っ赤なタトゥーが、粒子状の光と共に現れる。

それが、"魔邦遣い"の証だ。

これさえ見せてしまえば、この魔邦資格管理局内における登録情報から、その資格刻印を持っている人物の照合が直ぐに完了する。


「確認出来ました。ハンター・アデル様、フロア右手のエレベーターより、15階・1324番専属受諾窓口へお進み下さい」

「どうも」


袖を戻し、案内を受けるままに背を向ける。


「……ああ、そうだ」

「あ?」


何時もとは、少し違う出来事だったのかもしれない。

何時もように依頼を受けるとき、受付の人間から話しかけられる事は無かったはずなのだが。

振り返って怪訝な声を出すアデルに、受付の女性が意味深に微笑んでいる。


「本日の"黄昏時"も、ご覧にならないんですか?」

「……見るのは別に義務じゃねェだろ」

「……なかなか、変わってますね」

「テメェもな。二度と聞くな」

「……失礼致しました」


――――ひどく不愉快な思いをしたように、アデルは顔を顰めながら足を進めていった。

受付の女の顔を、一刻も早く視界から消すための早足で、だ。



*  *  *



「……」


乗り込んだエレベーター――正式名称は『粒子回路反応斥力式昇降装置・B箱型』らしい。――は、一面が硝子張りになっている。

重力の変化による違和感もない、驚くほど速く地上が遠ざかっていき、目の前に広がる、じきに訪れる黄昏時への、これから眠りにつくような、或いは何かを待ち望んでたまらないような、せわしない朱色の空が見えている。


誤解されるが、これだけハイテクなのは、"ここ"だけだ。

大都市の外縁部に広がる白い隔壁のような建造物の外は、一面の大自然となっている。

その大自然の中で、当たり前のように魔物が闊歩する世界だし、

何よりも、その森の中、そのはたまた先では、こことは別の国が発展し、この邦都との貿易や政治的な交流が行われている。

"ここ"の良いところは、そういう窓口の中心点だから、古今東西の依頼が自動的に集まるし、受けてさえしまえば現地までの移動手段の手配まで終わる。

そんなもんで、依頼の受諾という部分については、ここが近いなら最善。

近く無ければ現地へ直接依頼を受けにいくかの二択だ。


――――次第に高くなっていく視界がようやく止まったのは、鈴のような音と共に、目的地の15F『専属受諾窓口・依頼委託室』への到着を告げた頃だ。


長い廊下と、番号の振られたプレートが貼り付けられた扉が無数に並んでいる。

……1324番の部屋を探すのには、普通なら少し骨が折れそうだったが、アデルが依頼を請け負う事になる部屋はそこで大体決まっている。

歩き出し、その扉を探すまでもなく、迷うことなく、暫く歩いて見つけた扉の前に辿り着くと、軽く扉をノックした。




「どうぞ」




聞こえてきた何時もの相手とは違う声に、一息入れてから入室する。


殺風景な部屋の中は、ちょっとした会議室のようなところで、長テーブルを挟んで座る女性の職員がいる。

紫水晶に水色の差し色が綺麗な、耳の長い女性。

眼鏡を掛けた向こうの瞳が、無感情にこちらを見つめている。

――一瞥したのは、その職員が首に掛けている職員の名前の入ったプレートだった。


「……あンたが代理の人か」

「ええ。普段貴女に依頼を斡旋している職員、トーガ・ミウラは別の案件のため、現在魔邦資格管理局の外に出ております。ご迷惑をお掛けしてしまい、申し訳ございません」


謝罪と共に頭を下げる女性に、何となく苦手な空気を感じ取りながら、

背中に背負った大筒をテーブルの上に降ろし、

目の前に向かい合うような席へと腰掛ける、座り心地の良い背もたれに無遠慮に寄りかかりながら、相手の職員の顔を窺った。


「……本日代理を務めさせて頂きます、レアトレーチェです。普段は臨時にのみ教鞭を振るっている魔邦教授ですが、本来業務は魔邦資格管理局内における書籍の管理人です、よって、何か至らぬ点など御座いましたら、忌憚なく仰って下さい」

「ハンター・アデルだ。別に誰がどう依頼を回してこようが、実入りに問題がなきゃ不満は無え。いいから始めようぜ」

「……そうですか。では、早速依頼内容についてのご説明と手続きに入らせて頂きます」


手元に手繰り寄せられた書類の束のうち、数枚がこちらに渡される。

顔写真が乗せられた手配書を見て、眉間に皺を寄せながら凝視する。


「……こいつァ、魔印(レネゲイド・ザイン)持ちの案件か」

「ええ。魔邦資格調停法の基礎法令項に抵触する魔邦の運用が認められた為、資格を剥奪、追放された魔邦遣いです。

もともとは冒険者ギルドの一派に属する者だったとのことですが、ギルド内乱により複数名の死傷者を出した事で指名手配犯となりました」


魔印――これは、言ってみればこの国が定めた法律における魔邦の使い方を守らなかった事によって焼きつけられる、罪人の証。

ここに入ってくる際に提示した魔邦資格、そのタトゥーにおける表示は、この烙印を押されることによって遠隔で破壊される。

人道的な理由から、この破壊によって身体に出る影響は最小限となるものの、言ってみれば資格刻印を用いた『魔邦』に大きな制限が掛けられ、同時に、常にこの資格刻印は捕縛されるまでその現在地をピックアップされ続ける。

理想郷において逃げ場は存在しない、何より、理想郷が『理想に反した魔邦資格を認めない』からこそ、こうして依頼の斡旋まで行われる。


実のところ、仕事として割り振られる『魔印持ちの捕縛依頼』はそんなに珍しい物じゃないし、私みたいな"狩り"を生業としてるような奴以外だって普通に請け負ったりしている。

『おたずねもの』とか『わるいやつ』とか、軽い言い方をして出回ってることも多いが、ここでこういう扱い方をされる奴の場合――――相当、腕の立つ人間である事が多い。

だから専門の駆逐者があてがわれる。それが今回、アデルというわけだ。

向こうからしてみれば、恐ろしい札付きの猟犬が襲い掛かってくるようなものだ。


「指名手配犯の氏名は『オリオ・ヴァーレル』。獣人<スロープス>の男性、用いていた魔邦資格は、中位、一部高位の粒子による広範囲破壊型の魔邦が特徴。死傷者を出されたギルド『バイズオーグ』の長、ヒルダ・バイズオーグからは、『生死は問わない』とのことで、我々に正式な依頼の外部斡旋を申請しました。誰でもいいから仇を取れという事でしょう」

「……殺された冒険者のリストはあるか」

「記載済です」


――名前のリストを見て、すぐに気づいた。

初級の魔邦資格を保有する冒険者が複数と、高位の魔邦資格を持つ冒険者が二名。

うち、高位の魔邦資格者の氏名は……『パドワン・バイズオーグ』と、

『フリーダ・パドワンⅡ・バイズオーグ』。


「夫と、娘か」

「はい。既に遺体は回収されています」

「……」


一気に依頼の内容に重みが出てきた事に、げんなりとした溜息をつかずにはいられない。

内情で関係が破綻したことによる、ギルド構成員の家族殺しの憂き目を見た長の気持ちは察するが、アデルに言わせれば。


「家族の仇討ちとギルドのケツ拭きをわざわざこっちに頼むのかよ」

「……そういった面も含めて、我々カレイドスコープは市民と私営ギルドへの支援も行っておりますので」

「復讐も、金さえあればか?」

「理想郷では、"復讐"は存在しません。我々は、我々のルールに則って、魔印持ちを"処分"しなければなりません。それに、危険な依頼を遂行する相手には、相応の褒賞が与えられるべきです」


冷たく言い放つレアトレーチェの横顔を、窓から差す夕陽の黄金色が照らす。

――レアトレーチェが外へと目を遣ったとき、ふと何か思い出したように口を開いていた。


「……黄昏時ですよ、見ないんですか」

「……入口の奴にも言われたが、生憎そういう殊勝な人種じゃなくてな」

「そうですか」


鼻先を羽虫が飛んだような不愉快な気持ちが蘇る。

吐き捨てるようなアデルの返事を聞いたレアトレーチェが、またこちらを見る。


「これから人を殺すのに、そういう感傷に浸る訳ないだろ」

「生死は問いません、その辺りはご自由になさって下さい」

「……」


気に入らない。


「……で、依頼の報酬は?」

「こちらになります。およそ……540000CR(クレジット)。此処から資格管理局による依頼代行手数料、依頼の事後処理代行手数料等を差し引かれます。なので」

「手短に」

「480000CRです」

「……低いな、相場600000だろ」


そう言った途端、明らかに顔が陰る。

まぁ、普段専属の相手だって依頼料の時にゴネるとこういう顔をしている。


「妥当、と思いますが」

「現場の経験が無ェのか、お前」

「実戦経験はそれなりにありますが」

「……じゃ、理解を示して欲しいもンだな」


そこからはちょっとした駆け引きのようになる。


「代行手数料はまァ、こっちの便利の代償には仕方ない、だが、依頼の事後処理代行の値段はもう少し譲歩できねえのかよ」

「……では、広範囲を破壊する魔邦を用いる相手との戦闘が万が一激化した際、周囲への被害を最小限に抑えられる、ということであれば、ここを差し引く事も出来ますが」

「……」

「既に、ギルド内乱における被害ではこのギルドが賃貸契約をしていた管理局の貸し出し拠点には甚大な破壊被害が及んでいます、現在逃走中の対象が、同様の破壊行為を行わないとも限りません。それに」

「"何もやらせない"、ならどうだ」

「……詳しく」


テーブルに置かれた大筒を手元に引き、銃身を見せる。

――――白金色の巨大な大筒、個人が携帯する大砲のようなこの道具が、アデルの武器である。

それを見せつけるようにすれば、レアトレーチェが目を細めてそれを吟味する。


「……ハンター・アデル、貴女の魔邦武装、『アガーテ』ですか」

「正式名称を省くな、その方が伝わる」


一層顔を険しくしている。


「カレイドスコープ制式個人携帯粒子砲筒、製造部番CCL-RRR-07570。

『レギオンバスター』をベースにショートバレル軽量化改良、外部粒子補充装置による実弾倉部品の撤廃、魔粒晶スクリーンによる照準装置の追加。ハンター・アデル、貴女にしか使えないようになっている……魔邦兵装」

「その通り」


小難しい事が述べられたが、要するに――この銃は、実弾を使わない。

魔邦。この世界における便利な能力を、銃から撃ちこむ。

そうなるように改造されている。

本来、この銃は『魔物』を駆逐するために作られたカレイドスコープ制式の武器。

対人を想定してはいない。

"こんなもん"を人に向けてぶっ放す事自体、理想郷内じゃご法度だ。

ならばどうするか、"対人兵器"に改造してやること。


――魔邦自体は個人が自在に使えるものだ。だが、それだけじゃあ仕留めるには足りない。

"狩人"として、武装する必要がある。こういう武器が、アデルには必要だ。


「……貴女が言いたいのは、"絶対に周りに被害を出さずに一撃で対象を駆逐する"ということ、でしょうか」

「理解したかよ」

「……では、その誓約を、しっかりと、果たして頂けたことが確認出来ましたら、考慮して依頼料金を追加で補填します」

「…………」


強調するような物言いをするレアトレーチェに、軽く鼻を鳴らす。

納得こそしてないが、了承はしてもらえたらしい。


「それと、もうひとつ」

「……あ?」


次に口を開いた時には、レアトレーチェがテーブルに肘をついて手を組み、アデルを睨んでいる。


「……もし、追加の条件を呑んでいただけましたら、代行手数料の差し引きも無くすことが出来ます」

「……おい、最初に話してたのと随分違うじゃねェか。"便利"は呑むぜ、癪だが」

「ええ、ですからその"便利"はそのままお受け取り下さい。それに加えての条件です」

「……話してみろよ」


少しきな臭くなってきた気がしながらも、相手の仕草が目につく。

仕方なく、少し腰を据え直して向き直ると、レアトレーチェはテーブルの下に手を降ろしていた。何かしている、のかもしれないが。

やがて落ち着いたように手をもう一度テーブルの上で指を絡めて、ゆっくりと口を開く。


「指名手配犯、オリオ・ヴァーレルは、"中位冒険者として非常に凡庸"、でした」

「……何が言いてェンだよ」

「――魔弾の射手(アガーテ)……いいえ、『アデル・ターナー』」


――――レアトレーチェの一言で、室内の空気が凍り付いた。

あくまで、比喩だ。だが、確実に外の黄金の黄昏が陰ったような気がする。

……アデルが、冷たい眼を向けている。


「……俺を、その名前で呼ぶな。幾らテメェがカレイドスコープの職員だとしても、

――その名前で呼んだ相手は」


レアトレーチェが視線を落として目を逸らす。

だがそれを追い詰めるように顔を近づけ、目の前で。


「確実にブチ殺すぞ」


今にも掴みかかり、その場で引き倒して一発二発は殴ってもおかしくない。

怒気を孕んだ声と、無遠慮に射殺すような視線と、明らかな殺意。


「……ギリギリでしたね」

「あ?」

「ここの部屋の会話、記録されてるんですよ。……さっき録音装置を一時的に止めて無かったら今のでしょっ引かれてますよ」

「……」


――――纏う空気を変えたのは、アデルだけじゃなかった。

言うなれば、職員として毅然としつつも事務的だったレアトレーチェが、ここに来て初めて、大きな溜息と、大きな伸びをしてみせる。


「……此処からはオフレコで話しますから、気楽にして下さい。ええ、ブチ殺すとか何べん言ったって良いですよ」

「……は、はは」


気に、食わない。


「おい、レアトレーチェっつったか。このクソ尼、一体全体どういうつもりだ、俺の名前を呼んだ時点で一回死ンでっからなテメェ」

「口悪いですね、どうりで私の同僚が怯えていたわけ。……ああ、謝りますよ、すいませんね、念の為確認したかったので。貴女が私に"ブチ殺す"って言った時点で警報装置でも鳴るなら失敗だったんですが、上手くいったようです」

「……トーガっつったっけか、普段俺の相手してるやつ。アイツとはまた違った意味でお前はムカつくな」

「彼を責めないであげて下さい、私より忙しい身の中にあって危険な依頼の面倒な斡旋業務に対応してるんです、私だって押し付けられたような立ち位置でここに居るんですよ」

「へえ、そうかよ。悪かったな、ハンターは礼儀知らずで有名なンだ、覚えておけよ」

「共有済み、ですよ。……話の続きをしましょう」


隠し事なしの、本音の打ち合わせがそこからは始まる。


「凡庸な中位冒険者が単独で、下位冒険者複数名と高位冒険者2名を死傷させられるような魔邦を使った。可笑しいと思いませんか?」

「別に、身内だから油断して不意打ち喰らったンだろ」

「少なくとも、実績のある冒険者でしたよ。高濃度粒子帯の探索成功記録も残ってる、極めて優秀な冒険者たちでした。不意打ち程度で中位の冒険者が勝てる見込みはないでしょう。ですが、実際、殺されてしまった」


――状況を考えれば、頷けるようで、頷けない。

本家本元のカレイドスコープの眼が行き届く施設内で、周りには自分以外の仲間、そして自分より格上の冒険者。

オリオ・ヴァーレルは凡庸な魔邦遣いで、相手と口論になり――先に手を出したんだろう。

先に下位の同胞に対して攻撃し、動揺のうちに高位のギルド長家族たちへと。


……出来るか?それが。


「……」

「――ところで、最近管理局には妙な噂話が聴こえてきてるんですよ」

「話の腰をへし折る気かよ、次から次へと……」

「"黒竜の鱗"」

「ッ!!」


息が、止まった。

今、レアトレーチェは何といったか。


『黒竜』――この国で、安易にその名前を出してはいけない名前だ。

それの、鱗?


「……何、言ってンだ、お前」

「……災厄の化身、禁忌の魔女が産み出した魔物の王。この世界を幾度となく危機に陥れ、英雄によって討伐されてきた存在。それだけの存在の、肉体のほんの一部。鱗の破片一つでも」


レアトレーチェは、あくまでも声のトーン一つ変えずに話し続ける。


「……その鱗を体内に取りこんだ人間は、大いなる黒竜の力の一部を得る。

その力を行使すれば、自分より格上の魔邦遣いですら、容易く凌駕出来てしまう。そんな代物が、実は此処最近、違法な取引の元で流通している、とか。

……言ってる意味、分かりますか?」


こんだけ話されれば、嫌でも話の流れが見えてくる。


「――オリオ・ヴァーレルは、『黒竜の鱗を取り込み、その力で二人のバイズオーグを殺した』。

……俺に、その黒竜の鱗の出どころと流通を探れ、ってことか?」

「正解です」


にこりとレアトレーチェが笑う。だが、……冗談じゃない。

話の規模が変わってくる。

テーブルを殴りつけ、レアトレーチェを睨みつける。


「ふざけンな、それは俺の"管轄外"だ」

「……無論、そこも考慮します」


あくまで、そうされて尚涼し気に笑ったレアトレーチェが、書類の数枚のうち、一枚をこちらに提示する。

先程と同様の依頼書だが、さっきまでは決して見せようとしなかった別の内容のものだ。


――そこに書かれた依頼の報奨金は、度肝を抜くような額だ。


「……正気かよ、お前」

「危険分子は放ってはおけません、しかし、カレイドスコープは腰が重い。特に、禁忌に関わる事ともなれば、尚の事。

……それに、本音を言うなら私、結構この案件については"思い入れ"があるんです」

「……思い入れ、だァ?」


そこまで話してアデルが書類の金額部分から、レアトレーチェへと視線を移したとき。

そこで気づく。

もう笑って無かった。むしろ、少し悲し気な顔で、だ。


「……バイズオーグとは、交友がありました。特に、優秀な私の生徒だったからです」

「……そいつは」

「フリーダ。私と同じ種族の女の子で、私に憧れていて、よく話したんです。とても、優秀な子でした。

両親のような冒険者になると、猛勉強して、高位へと私より早く上がり、その吉報を、親よりも私に先に伝えに来てくれました。

……或いはもしかしたら、次の英雄は、彼女だったかも、しれなかったんですけどね」


――この依頼の概要が、そこでようやくまとまった。

『レアトレーチェの愛し生徒』であり、『ギルド・バイズオーグの未来ある若者と、その父親』。

その、復讐。


「…………最初から、言えよ」

「……私情は挟まないつもりだったのですが、話が熱くなりましたね」


眼鏡の位置を直しながら、また無表情、幾らか少し柔らかくて、哀しそうに戻ったレアトレーチェの顔を窺う。


「……指名手配犯の駆逐、加えて、黒竜の鱗の流通調査。報酬金は合計、3,000,000CR。ギルド・バイズオーグの活動資金から提供される依頼量と……私の自腹です」

「――乗った」


諦めのような一声で、依頼の受理は行われた。

そこでレアトレーチェが、テーブルの下に手を入れる。

……小細工は此処で戻したのだろう。


「……では、正式な依頼の斡旋は完了しました。頼みましたよ、ハンター・アデル」

「……」

「……アデルさん?」


――テーブル越しに手を差し出していた。

顔は真っ直ぐに向けている。


「……、資格の提示だ。読めよ、早く」

「……」


レアトレーチェが、くす、と笑ったような気がする。気分が悪い。

細い指先としっかり握手が交わされたことで、正式な受諾となる。

別に握手をする必要はない。資格を持つ者が職員と何らかの形で手を接触させればいいのだが、

……アデルにとっての握手は、そういう礼を尽くす意味がある時の仕草だった。


「承認しました」

「……話は終わりだ、行ってくる」


ぶっきらぼうに席を立ち、大筒『アガーテ』を背中に背負って出ていく背中に、

レアトレーチェは、扉が閉まるまで、深く頭を下げていた。

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