P.135

 異変に気付いた他の客が騒然としている。

 それもその筈だ。視えない人間から見れば、優弥と和輝が勝手に苦しみだし、更に和輝の身体は数センチ浮き上がっているように見えるだろう。

 どうしたって目立ってしまう状況だが、今の和輝はそれよりも、ただひたすら来るべき声を待って耐え続けた。

 こっちでどうにか出来ないのなら。

『相田君、聞こえる? 見つけたわ』

 向こうに賭けるしかない。

 和輝の胸元から希望の音が発されて、和輝は抜けてく力に喝を入れて携帯を取り出そうとした。

(クソ……力が……入らない……!)

 身体が弛緩する。頭も回らない。

 苦しむ和輝を目の前にして、腕に掴み掛かっていた夏樹は決意を下したように顔を引き締めた。

 もしかしたら、今度こそ出られなくなる可能性が有る。

 だけど、それがどうした。

 今この場で殺されるよりかは、ずっとずっとマシな筈だ!

「和輝さん! 私が……!」

 夏樹は自分が物体を貫通する事も忘れ、テーブルの上を足場に和輝側へ跳び移った。

 隣に鈴鳥が居る。関係無い。見られた良い訳なんて後で考えれば良い。

 和輝は視えている。だが触れはしない。夏樹は触れられる。だが力が足りない。

 夏樹は、和輝の身体に自身の身体を重ねるように憑りつくと、身体の内側から和輝の肩から先を操って、籠飼の腕に抵抗した。

「私も、一緒に!」

 夏樹の入った和輝の手が、僅かに青白い腕を押し戻す。

 しかしそれでも足りない。既に朦朧としている分、和輝の筋力は半減してしまっている。

「こ、これでもダメです……!?」

「なら……」

 夏樹が苦悶の表情を浮かべた直後、籠飼の背後から再び腕が伸びた。

「……三人だ!」

 優弥は右手の拳を握り締めて、それを青白い腕へと叩き落した。

 青白い腕が痛む様に歪む。そして。

「優……弥……!」

 声を絞り出した和輝の目の前で、優弥は今度こそ床に崩れ落ちた。

 僅かだが、和輝の首に掛かった負荷が消える。

 その隙を突いて、和輝は呼吸を整えるより先に自分の携帯を取り出した。

 今からやる事は向こうの気遣いを無駄にしてしまうかもしれない。それには申し訳無さを感じてしまう。

 しかし、これでハッキリとする筈だ。

 父親の霊と箱との繋がり。そしてその箱をどうすべきかの結論が。

『相田君? どうしたの?』

 まひろの声に緊張が走っている。無事を届ける事が出来ない和輝は、代わりに携帯の音量を最大まで上げて籠飼へと向けた。

『見つけたわよ、籠飼君が持ってた……鈴鳥さんの木箱!』

 和輝は、それに応答する事が出来なかった。

「……どうかしたの?」

 まひろの隣で舞が心配そうに訊ねる。

 カミーラ側の音声を拾えているのは、イヤホンを差しているまひろだけだ。

 彼女は、頬に汗を伝わらせながら答えた。

「……返事が無い。いえ、待って……」

 まひろは、イヤホンに指を当てて向こう側の音に集中した。

「さっきから騒がしいけれど、もしかして……」

「何か遭ったのか!?」

 動揺して、瞬はまひろに詰め寄った。

「判らない……待って、もう一度訊いてみる」

 音声以外の確認が出来ない事にもどかしさを覚えつつ、まひろは再度マイクのスイッチを入れる。

『相田君? 何か遭ったの!? 箱を見つけたわ。城戸君にどうすれば良いか訊ける?』

 スピーカーから漏れ出すまひろの声を、和輝はただ聞く事しか出来なかった。

 緩みかけた霊の腕が、また和輝の首を絞め始めたからだ。

「箱だと……!?」

 籠飼の顔に初めて焦りの色が浮かんだ。

「そりゃ、いけねぇな。下手な事される前に戻るか」

 籠飼が和輝に背を向けた。

 家に……戻るつもりだ。

 駄目だ。それだけは、させてはいけない。

 こんなに暴力的に変貌した男を、あの三人と会わせる訳にはいかない。

 籠飼がそういう行動を取るだろう、という危惧はしていた。だが、和輝もそれに対抗する策は講じてある。

「させ……るか……!」

 意地だ。

 和輝はテーブル上のグラスを薙ぎ倒しながら、歩き出そうとした籠飼本人の腕を掴んで、ありったけの力で握り締めた。

 蚊が止まったような力だ。こんなもので籠飼が止まるとは思えない。

「死に損ないが出張ってんじゃねぇ!!」

 和輝の真上から霊の腕が振り下ろされる。

 テーブルの上に叩きつけられ、今度は背中側から首を圧迫される。

『相田君、応答して! 何が起こってるの!?』

 和輝の手から落ちた携帯が、鈴鳥の足元に転がった。

(声が、出せない……!)

 今直ぐ優弥を助け起こして問うしかない。

 それか和輝が叫んでも良い。この首の呪縛が取れるなら。

 身動きの取れない和輝の顔は、床に投げ出された優弥の安否を祈る事しか出来ない。

 彼の表情は前髪で隠れているが、歪んだ口元は尋常ではない状態を和輝に理解させた。

 その彼の口元が、微かに、動いた。

「……わせ……」

 まだ意識は失っていない。項垂れた四つん這いの姿勢で、息も絶え絶えに片腕を震わせて自身の身体を和輝の携帯へと近付かせる。

「……壊せ……! 神谷……!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る