五章:壁に夏あり障子に樹あり
P.97
「霊が……噴き出てるぅ?」
席に着くなり、開口一番に神谷まひろは調子のずれた声を出した。
首元を手で扇いでいる辺り、余程外の暑さに参っていたと見える。
手には彼女のバッグ……と、ビニール袋に入れられた大きめの何かが提げられていた。
まひろが店に入ったのはほんの少し前。
鈴鳥紗枝の話題に触れた直後に店の扉は開かれた。
ここまでの経緯を簡単に話すと、まひろの頭の上に複数の疑問符が浮かび上がる結果となってしまった。
「……で、相田君の中に夏樹ちゃんが入ってる?」
何で、とまひろは不思議そうな顔で和輝を見た。
こっちが訊きたい、と和輝は不満げに視線を逸らす。
「夏樹ちゃん用に従妹の家から靴貰って来たんだけど……」
まひろが自分の膝の上にビニール袋を乗せて、残念そうに眉を下げている。
「靴?」
瞬が身を乗り出してビニール袋を覗き込んだ。
半透明な袋の内側に、子供サイズの小さな靴。
瞬はそれを確認すると、再び座席に腰を戻す。
「それでちょっと時間掛かってたんスか?」
「えぇ。夏樹ちゃん、ずっと裸足じゃ可哀そうでしょ? ……って思ったんだけど、それじゃあ履けないわね」
どうやら、まひろは鈴鳥の家の後に違う家にも寄ったらしい。
通りで一番最後に到着した訳だ。
夏樹が裸足な件は和輝も気にしてはいる。
保護者のような感覚になってまひろに礼を言おうとしたが、それも何か違うよな、と言うのは止めた。
「引っ張ったら出て来れないの?」
早速、まひろの顔が興味のそれに変わってしまった。
夏樹という存在が間近に居るだけでもまたと無い機会なのに、その上更にその存在が超常現象を起こしている。
敵意が無いのを良い事に、マッドサイエンティストの如く身体のアレやコレやを調べられないか、と和輝は背筋に汗を流した。
「そうか……試して無かったな」
優弥がハッとして和輝を見る。
試すとは何だ。昔話じゃあるまいし、蕪か何かと勘違いしてるんじゃないのか。
「やってみる?」
既に乗り気の舞。立ち上がって店内の広めのスペースに移動している。
「ほら、相田君もこっちこっち!」
「い、いや……ホントにイケんのか?」
「モノは試しっしょ」
舞の元へ、瞬も旅立ってしまった。
渋々、ではあるが、和輝もそれに付いて行く。
「夏樹ちゃん、腕出せる?」
「あい!」
まひろに言われて、和輝の腕から夏樹の腕が浮き出て来た。
透けて和輝の中に入っているというのに、外に出て来た夏樹の腕は他の物体に物理的に干渉できる。
それは、机の上に置かれた夏樹の分のグラスが空になっているのがそれを証明している。
そして夏樹に対しても他の人間が触れる事が可能だ。と思う。
でなければ、和輝が夏樹の腕を掴もうとした際に彼女が避ける素振りを見せる必要が無い。
「よし、いくぞ」
事実、今まさに夏樹の手と腕を、優弥とまひろが握り締めていた。
「せー、のっ!」
綱引きの様に腰を据えた二人が、勢い良く夏樹の腕を引いた。
夏樹の軽そうな細腕が二人の方に引っ張られる。
「うおぉッ!?」
和輝と一緒に。
「ちょっ、待って、待ってくれ! 何か俺も引っ張られる!」
「駄目か……じゃあ、二人で和輝の身体支えててくれ」
優弥が和輝を挟んで反対側の舞と瞬に声を掛けた。
「りょーかい!」
「和輝ちゃん、脇とか掴んでも良い?」
掴むと言うより、ほぼ羽交い絞めに近い構図で和輝が固定された。
夏樹が蕪なら、俺は土か何かか?
と、ここまで来た和輝はなすがままに立ち尽くす他に無い。
「せー……」
まひろが切り出して。
「のっ!」
優弥が合図を放った。
舞と瞬が後ろで踏ん張っている声が聞こえる。
和輝も出来るだけの動きとして、瞬と舞側に足の力を入れてみた。
約三秒の攻防。
「あっ!」
夏樹の声と共に、ボトルからコルクが抜けたような音が和輝と夏樹、二人の間から鳴った。
引っ張られていた反動で、夏樹がまひろの胸元に飛び込んで行く。
正面からそれを受け止めるまひろと、本当に抜けるとは思っていなかった困惑気味の優弥。
「抜けましたぁ!」
弾ける笑顔で夏樹がまひろの両手を握って上下に振っている。
その反対側では、こちらも反動で飛んで行った挙句に床に転がり落ちた和輝達の姿が在った。
「和輝ィ、大丈夫?」
「何か一緒に抜けてったりしてないよね?」
「あぁ、うん……大丈夫」
目の前ではしゃいでいる夏樹を見ながら、和輝は呆然と声を出した。
「ちょっと、腰が抜けたくらいかな……」
と、疲れ切った顔で冗談だけは言ってみせた。
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