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 予想通りの店内。

 明かりこそ点いているが、人っ子一人居やしない。

 そこまでは予想していたが、座っている筈の人間まで居ないのには困惑を隠せなかった。

「……本当にここで良いんだよ、な……?」

 何処かの角の席に長身長袖の男が影と同化していないかと見回してみるが、何回見ても店内には無機質な備品しか見当たらない。

「あの、すみませーん……」

 遠慮気味に、舞が店内に声を掛ける。

 誰も居ない客席からは勿論何の応答も無く。

「お、来たか」

 聞き慣れた声が聞こえたのは、バックヤードの方からだった。

「城戸さん? 何やってんの、そんな所……で……」

 振り向いた舞が固まっている。

 和輝にとっても、信じられない光景だった。

 あの優弥が。

 いつも上下ヨレヨレの服を着て年中長袖で「ズボラだが、何か?」といった顔でちっとも自分の意思を曲げようとしない、あの城戸優弥が。

「まぁ、その辺の席に適当に座っててくれ。何か適当に飲みモン持ってくる」

 キッチリとした丈の合った服を身に纏っている。

 黒地のスラックスに薄いグレーのワイシャツと、色合いは普段の名残が有るが、部屋着にしか見えなかった前より格段にカジュアルで清潔感が出ている。

 腰から下には足首までのサロンエプロンを巻き付けており、その格好はまるでこのカフェの店員のようだった。

「その格好……どうしたんだ……?」

 店内の席は一人用カウンター席の他に、ファミリーレストランのような対面式になった複数人用の座席が設置されている。

 和輝達は一番奥の複数人用の座席に陣取り、カウンターの向こうで飲み物を注ぐ優弥に話し掛けた。

「どうしたってお前……そりゃあ着るさ、一応店開けて貰ってんだからな」

 黙々と準備をしていた優弥が背中越しに答える。

「ンじゃあなくてさ!」

 舞の大声が他の客が居ない店内に響く。

「何で店員さんみたいな格好してんのかってコト!」

 それに対しても優弥は落ち着き払った様子で、舞よりも手元のグラスから飲み物が零れないようにする事に注意を向けて、和輝達の座席に歩いて来る。

「みたいな、じゃなくて。店員なんだよ」

「てっ……」

 彼の放った一言が和輝にとって強烈過ぎて、変な間が空いてしまった。

「店員!?」

「優弥、清掃屋と本屋の掛け持ちっつってなかったっけ!?」

 配られたグラスのスペースを空ける為に、スケッチブックを座席に避けながら瞬も驚いて訊ねる。

「辞めた。こっちの方がな……実入りが良いんだ」

 彼が幾つかのバイト先を持っているのは、和輝と瞬も知っていた。

 先に上げた二つのアルバイトも、彼曰く「他より人の目を気にしなくて良さそうだ」という理由で選ばれている。

 それが、いつの間にカフェの店員なんかになっているんだ。

 収入の面は知らないが、どう考えたって人の目しかないぞ。

「な、なら……表にクローズって出てたのは何だったんだよ」

 呆気に取られて半開きの口のまま、和輝は彼を見つめて問う。

「今日は店はやってない。閉まってんのは本当だ。店長に無理言って開けて貰ったからな」

 そう言って、彼はグラスをそれぞれの前に置いていく。

 先程もそんな事を言っていたな、と和輝は思い返す。『開けて貰った』のは本心から助かる。何せこの蒸し暑い気温だ。大学の中だって何時までも居られる訳では無いし、誰かの家に六人箱詰めは余計に暑い。

 程良く冷房も効いて水分も補給できるこの空間は、まさに天国と言っても差支え無いだろう。

 場所を提供してくれた店長にも感謝すべきなのだが、それを差し置いて、和輝は最初に「変わった店長さんなんだろうな」という感想は抱いてしまった。

 持って来られたグラスは優弥の分を除いて全部で四つ。

 当然と言って良いのかは判らないが、和輝の前には二人分のグラスが置かれた。

「夏樹ちゃん、まだ中に居るのか?」

「あ、あぁ」

 流し目で優弥に問われて、相槌のように和輝は答える。

 夏樹もそれに応えるように和輝の腕から腕だけを出して手を挙げた。

 駅での光景が蘇る。

 咄嗟に掴んでやろうかと思ったが、弄ばれるように夏樹の腕が器用に避けるもので苛立ちが募るだけであった。

「その状態で飲めんの? 夏樹ちゃん」

 訝し気に、瞬は猫背になって机に突っ伏して和輝に問う。

「瞬君!」

「はい!?」

 夏樹の声が元気良く響く。

 しかし、いつもは耳元から聞こえていた彼女の声が何だか下側から聞こえるような気がして、和輝は目線を下げた。

 すると、どうだ。

 夏樹の顔面が、和輝の胸元から生えて来たかのようにポコンと身体の中から飛び出して来たではないか。

「飲めます!」

「お、おう……そっか。良かったね……」

 全くもってとんだ化け物になってしまったもんだと、和輝は自分を嘆いた。

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