P.90
表札は書かれていなかった。
階段を上った一番手前に、目印も無く彼の部屋が佇んでいる。
扉の傍にはインターホン。和輝は、手癖でそれを二回押した。
数秒して、扉の向こう側でチェーンロックが外される音がした。続けて鍵が回る音。
「……念のため、本条さん少し下がってて」
鬼が出るか蛇が出るか。気分はそんな感じだ。格好をつけたつもりは無い。
もし理解不能な存在が出てきたら、その時は舞と一緒に逃げよう。
扉に少しの隙間が開く。心臓が高鳴る。
顔は否応なしに強張って、額から緊張の汗が流れた。
扉が完全に開いて、中から現れたモノ。
それは、鬼でも蛇でもなく。
「よぉ、相田君。久しぶり」
小鳥遊雄介、その人であった。
「久……しぶり」
電話口そのままの声で、彼は虚ろな笑みを和輝に向ける。
短髪は変わらず、和輝より高い背丈も少しも縮んじゃいない。
あの校庭で見た彼の虚ろな姿がそっくり現れたようで、和輝は少し息を呑んでしまった。
「ごめんな、わざわざ……それで、提出物有ったんだって?」
記憶の彼より、少々痩せたか?
と思う位、彼の身体はほっそりとしている。特に頬の肉だ。
それよりも。
(……生きてる)
安堵の方が和輝の感情を占めた。
チラリと横目で舞を見ると、気付くか気付かないかの振り幅で頭を横に振っている。
「あぁ……そう。本条さん」
「はーい」
舞が自分のバッグを漁り出す。その手が、わざとらしくも慌ただしくなるのに時間は掛からなかった。
「……あれ!? 何処いったんだろ」
彼女はバッグに目を落としながら、上目遣いで和輝をチラと見た。
和輝達の主な目的は小鳥遊の安否確認。ここから先はノープランである。
目的が達成された今、速やかにこの場を立ち去った方が良い。
「あー……忘れて来た?」
「いや、ちゃんと持って来たんだけどなぁ」
バッグの中を漁りながら、舞はまだ続けている。
まぁ、あまりに速く退散したら相手側からすれば「何しに来たんだ」という話ではある。
和輝もそれで今後に変な溝を作りたいとは思わない。少し、フリに付き合っておくべきか。
「もしかして、相田君が持ってない?」
いや、舞が持って来ていると言ったのに自分が持っているのはちょっとおかしいだろ。
和輝が返事に困っていると、小鳥遊の方から声が掛かった。
「……良かったら、中で探す? ちょっと汚いけど」
どうする、深入りするべきか。
危険をおかしたくなければここで帰るのが得策だ。
「お、マジで!」
慎重な和輝を他所に、舞は快く反応した。
「じゃあ、中入れて貰おうよ!」
「え、あ、うん……」
断り切れずに、和輝は舞の提案を受け入れた。何か、策でも有るのか。
「なら、ちょっと待ってて。片付けてくる」
舞は、小鳥遊が先に部屋の中に消えて行くのを確認して、小声で和輝に顔を寄せた。
「ちょっと、中見せて貰おう」
小鳥遊に届かないように、和輝も声を潜めて返す。
「なんか気になる?」
「少しだけ……違和感」
「死んじゃってる訳じゃなさそうですけど」
和輝の中から聞こえる声も、やや小さな声で囁いた。
「確かに生きてはいるんだろうけど、だからこそって感じ?」
舞の疑問が理解出来ずに、和輝は首を傾げた。
生きてるなら、それで良いじゃないか。
「と、に、か、く。話でも聞いてみてよ。何かあったら宜しくね」
「はい! 私が舞ちゃんの事も守ります!」
「バカ、声デカいって」
対象が見えない為に正面を向いて夏樹に警告しながら、和輝は暗い部屋の中に足を踏み入れた。
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