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 一同が外窓に注意を奪われたその背後。

 四人にとっては半日ぶりの、和輝にとっては数十分ぶりの彼女の声は、その場全員の言葉を少しの間奪うには充分過ぎた。

 見間違いではなかった。

 振り向く際に、対面の舞、優弥と目が合う。それ位には皆が「まさか」と思う時間はゆっくり流れていた。

「んな……ッ」

 瞬が口を金魚のようにパクパクさせている。開閉する回数と出て来る音が合っていない。

 舞が改めてその人物の存在を認識し、誰より先に席を立ち上がった。

「夏樹ちゃん!? 何で!?」

 夏樹は机の上に置かれた写真を覗くのを止めると、舞に対して堂々と言い放つ。

「何でって、そりゃあ幽霊ですから! 壁抜けなんてチョロイもんです!」

 舞が訊きたかったのは、恐らく『どうやって入ったか』ではなく『何でこんな所に居るのか』だった筈だ。

 和輝の家に居座っていた時と同じく、相変わらず夏樹は後者に対しては『皆が居るから自分もここに居る』とさも当然の態度で答える事は無かった。

 こうなって来ると気まずいのが和輝。

 この幽霊、何を喋り出すか解らない。一体何処から説明したものか。

「また……」

 突然の来客。まひろはおぼつかない口を開いた。

「会えて嬉しい……わ? 取りあえず、お茶でも飲む……?」

 その傍らで「だから、何で気配が無いんだよ……」と優弥が小さくぼやいていた。

 休日の昼下がり。

 とある一室に、五人の大学生と一人の幽霊。

 一度目の遭遇から一変して誰一人として逃げ出す素振りも見せないのは、ひとえに夏樹が敵意じみた感情を見せない事が大きい。

 何を仕掛けて来る事もせず、やった事と言えば写真を見て感想を述べ、まひろから受け取ったペットボトルの冷茶を一気に飲み干したくらいだ。

 そんな幽霊にこちらから攻撃的な態度を取る訳にもいかず、日の当たらない部屋の隅では四人程が顔を突き合わせていた。

「何であの子がここに居るの!?」

 ハッキリとしたウィスパーボイスで舞が囁く。

「知らん。瞬じゃないのか?」

 小声で優弥が返す。

「いやいやいや、俺だって知らねぇよ! ホントだって!」

 二人より若干ボリュームを高くして、瞬は目を引ん剥いて否定した。

「皆が知らないなら……」

 どうする、今ここで言うべきか。

 和輝は続きを詰まらせる。

 躊躇ったのは、この会話が犯人捜しをしているようで嫌だったからだ。

(何だよ、俺だって不可抗力なんだぞ……)

 会話の先で、何故連れてきたのかを責められる未来を勝手に想像してしまい、声の勢いは落ちた。

 勿論、三人は『夏樹が何故ここに居るか』一点のみの解を求めているのであり、連れて来た和輝を責めるつもりは無いのだろう。

 無意味な想像だ。そんな自覚も有るから、ますます自己嫌悪に陥ってしまう。

「……皆が知らないなら、取りあえず様子を見たら良いんじゃないか?」

 つい、口走ってしまった。

 これでは和輝自身も理由を知らない人の一人みたいだ。

 沈黙が流れる。

 制してくれたのは、優弥だった。

「……まぁ、悪意は無さそうだし、な」

「あぁー! 人心地つきましたぁ!」

 優弥の言葉尻に被さるように、部屋の中央から爽やかな息が吐き出された。

「それは良かったわ。暑かったものね」

 縁側に揃った親戚同士の会話みたいだ。

 見れば見る程、話に聞く幽霊とは程遠い。

 普通に歩き、うたた寝し、喉の渇きを潤す。

 何だか幽霊という概念が覆されそうな気分になる。

「ところで、まひろさん」

「うん?」

「この人誰ですか?」

 夏樹は空のペットボトルを片手に、テーブルに置かれた写真を指差した。

「あぁ、その男の人……籠飼カゴカイショウ君ね」

 そう言えば、貴方達にもまだ言ってなかったわね、とまひろは和輝達に振り向いた。

「あ、いや、そっちじゃなくって」

 夏樹がすぐさま否定と共に写真を一枚、手でスライドさせた。

「こっち!」

 鈴鳥紗枝の奇妙なバストアップ写真を。

「そっちは……鈴鳥さんね、鈴鳥スズトリ紗枝サエさん。その子がどうかしたの?」

 まひろが訊ねると、夏樹は部屋の外を向いて答えた。

「さっき、下で見掛けたもんで。ボーっとベンチに座ってたから何かあったのかなって」

「え、まだ大学に居るの?」

 舞は不思議そうな顔で疑問を吐いた。

 確かに、用事が済んだのであれば、日差しの強い外にいるくらいなら早く帰りそうなものだが。

「……何にせよ」

 優弥が、ポツリと呟いた。

「こっちを先に何とかした方が良さそうだな」

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