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 閉めた扉から廊下へと振り返った和輝は、校庭の見下ろせる窓の縁に器用に腰を落ち着かせた優弥を見つけた。

 和輝のすぐ傍では瞬が扉に片耳を密着させている。

 そんな事をしなくても、後で訊けば良いだろうに。和輝も相談の内容は気になるが。

 こちらの冷ややかな視線など気にもしていない瞬を横目に、和輝は優弥に近付いた。

「なぁ、さっきからどうしたんだ?」

 彼の様子が掴めないのはいつもの事である。

 例えば、今日このサークルの部屋に入った時に和輝に大した反応を示さなかったのも、別に彼らの間では何らおかしくない事だ。

 顔に出て判りやすい瞬とは裏腹に、見た目でも言葉でも優弥の機嫌を察するのは至難の業なのだ。

 しかし、先程はどうだ。

 鈴鳥紗枝が部屋に入ったあの時。あの瞬間だけは明らかな変容が見えた。

 それがどうしても気になって、和輝は不愛想な男に詰め寄る事にした。

 優弥は近付く和輝に顔だけ向かせ、じっと彼の顔をそのまま見つめ返しながらやっと口を開いた。

「……和輝。背後霊って知ってるか?」

 突拍子も無く問う優弥に、和輝は返す言葉を失う。

 霊の事など知りもしないが、その単語だけなら聞き覚えが有る。

「あ、あぁ……背後、霊……ね」

 質問の意図が解らずに、和輝はただ繰り返した。

「守護霊でも良い……まぁ、知ってるなら話が早いな。つまり、生きてる人間の後ろに付き纏ってる霊の事だが……」

 察した。何となくだが、鈴鳥紗枝と何かしらの関係が有りそうだと。

「あの子、それが憑いてる。あぁー……いや、噴き出てるっつった方が良いか?」

「ふっ……!?」

 噴き出ている。

 和輝はまたも優弥の言葉を復唱しようとして、自分が何を言うべきか解らなくなってしまった。

「な、何だそれ! 憑りつくってそういうモンなのか!?」

 想像していた以上の事象に、和輝は声を荒げて慄いた。

 そんな和輝に対して、優弥は人差し指を口に当てて静まるようにジェスチャーをする。

 そして、瞬へ向くと静かに響く低音で彼に言葉を投げた。

「おい瞬。何か聞こえるか?」

「へい兄貴! 何も聞こえやせん!」

「よし、じゃあお前もこっち来い。作戦会議だ」

 呼び寄せられた瞬と一緒に、三角形の円陣を組んで三人は額を寄せ合った。

「で、何だよ。作戦って」

 まず和輝が進行役を務める。

 部屋の中でも相談が行われている筈だが、いつ終わるか判らない。出て来る前にこの謎の会議を終わらせなければ。

「良いか。さっきはしっかり確認しなかったが、一つ確かめたい事が有る。そうだな……チャンスが有った時で良いから、俺が今から言う事をやってみてくれ」

 優弥の口から『作戦』の内容が伝えられる。

 二人は、それを聞いて共に困惑した表情を浮かべた。

 何の事は無い。難しい工程を踏む訳でも無い。意図しなくても、そう成りそうな作戦だ。

「何の意味が有んの、それ」

 思わず、瞬からも疑問が投げ掛けられた。

「まぁ、取り敢えずやってみろ。変に探りを入れても警戒されるからな」

 優弥の言葉が終わった直後、扉の近くで籠った声が聞こえて三人は一斉に扉を向いた。

 中での相談が終わったらしい。

「会議終了! 全員定位置!」

 バッと顔を上げた優弥がそのまま号令を出すと、何事も無かったかの様にまた窓枠に腰を落とした。

 瞬も颯爽と扉の耳当て作業に戻り、和輝は何処に居ようかと混乱してしまったが、取り敢えず優弥の近くに留まる事にした。

 それから数秒と経たずして引き戸が開かれる。

 そこに姿を現したのは変わらず伏し目な鈴鳥紗枝。

 建付けが悪くなっているのか、途中で止まってしまう引き戸を彼女は力一杯押しやった。

「ぶッ……!?」

 のが、扉に密着していた瞬の顔面に綺麗に入った。

 まだ部屋の中の鈴鳥からは、瞬の位置は死角になっていたのだろう。開き切らなかった引き戸を見て何かが引っ掛かっていると思ったらしい。

 もう一度引き戸を戻して、再度両手で扉を開く。

 一度目の打撃で星でも出していそうな瞬は、二度目の衝撃を防ぐ事叶わず。

「ゴっ……」

 外の様子を見た鈴鳥の顔が途端に青ざめている。

「ゴメンなさい! 大丈夫ですか!?」

 瞬は精一杯の笑顔で背筋を伸ばして応える。その鼻から血が滴っている事には気付いているのだろうか。

「あー! 大丈夫大丈夫、これくらい何にも問題無いから! 優弥、ティッシュ有るゥ!?」

「無い」

 慌てふためいた鈴鳥が鞄の中からポケットティッシュを取り出しているのを見て、和輝は呆れた様子で言った。

「霊の事は置いといてさ……」

 何事かと部屋の中に居た二人も様子を見に出て来た。彼の行いがバレるのは時間の問題だろう。

「あの子、本人とは仲良くなれそうな気がするな……俺」

 優弥は、ただ黙って頷いていた。

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