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「気付いてなかったの?」

 講義終わりの学棟外。

 和輝の胸元の高さで、亜麻色の髪が陽気に揺れる。

 横目で向けられた視線と一緒に運ばれた、ふわりとした甘い香りが和輝の鼻孔を擽った。

「全然……もしかして、食堂に居た時から?」

 目の端だけで捕えていたであろう彼女の猫目が、和輝を見上げる。

 強気そうな目に、思わず顔を引いてしまった。

 彼女は和輝の顔をマジマジと見ながら言う。

「うん、見た事ある顔だなー……って」

 そこまで言われても、和輝には彼女の事が思い出せなかった。

 本当に同じ場所で勉強していたのだろうか。

 彼女の様子を見るに、影が薄い訳ではなさそうなのだが。

「っかしいな……俺あんまり思い出せねぇ……えっーと」

 そこで和輝は、ようやっと自分が彼女の名前すら知らない事に気付いた。

 質問を察したのか、彼女は前を向いて得意気に一言。

「ほんじょう」

 と飛ばす様に言い放つ。

本条ホンジョウマイ。舞でもいーよ」

 それで、とだけ続くマイに、和輝は一瞬何の事だか解らず言葉を詰まらせる。

「キミ。君の名前」

「あ、あぁ……和輝。相田和輝」

 妙に緊張する。

 女性とプライベートな会話をする機会は、この十九年間確かに全然と言って良い程無かったが、こんなに簡単な内容で良いのか?

 思えば、先程から会話が続かない。

 こういう時、どんな話をすれば良いのだろう。

 話題を探そうとすればするほど頭の中がぐちゃぐちゃになる。

 あぁ、気まずい。心臓の鼓動が速くなるばかりだ。

「ねぇ、相田君ってさ」

 考え込むうちに、舞が先に話し掛けた。

「幽霊とか信じるタイプ?」

「え? うーん……どうだろう」

 突拍子の無いところは瞬と似ている気がする。

 だが、『はい』か『いいえ』で答えられる質問は正直楽だ。助かった。

「俺はあまり信じてない……っていうか、信じたくないっていうか」

「怖がり?」

「……ではないと思う」

「そっかー」

 とだけ舞が言い終わったきり、また会話が途切れた。

 女性の手前、あまり頼りない人間に思われたくなかった故の返答だったが、失敗したのだろうか。

 二人の歩くスピードは、周りと比べてゆっくりしたものだったが、それでも校門はすでに目と鼻の先に迫っていた。

 折角一緒に帰っているというのに、これじゃ話下手だと思われる。

 そうなったら今後もますます話し難い。何より今夜がまた気まずい。

 校門手前数メートルで気付かれないように大きく息を吸い込んだ和輝は、拳を握りしめて何とか話を切り出した。

「あ、あのさ……今日行くって所……」

 だが、和輝の言葉は虚しくも誰にも掛けられなかった。

 口を開いた丁度その時に、舞の足が止まったからだ。

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