第4話

 日が暮れるのが早くなったな、と思う。それに相応しく、頬を滑って海に吹く風は、乾いて冷たかった。月と星の明かりが照らす夜空は、見る間に夕方の空の赤色を飲み込んでいく。ぼんやりしている内に、日の残す赤色の名残はすっかり消えていた。

 スニーカーと靴下を脱いで、ズボンの裾をくるくると巻き上げる。裸足で、寄せては返す波に近付く。ざぷりと足が塩水に濡れてから、鞄を肩にかけたままだったことに気付いた。その中に納めた部誌の存在を、ふと思い出す。

 透明なファイルに挟んでいるそれを引っ張り出す。高校の中で受け取り、一通り読んでから鞄にしまわれ、以来気が向いた時に家の中で開かれていた部誌。ファイルから出た瞬間から、潮風に煽られてばさばさと音を立て、あっという間に無数の折り目がついていく紙の集まり。

 彼女はまだ、これを持っているだろうか。

 二人だけが持っていた冊子。

 二人だけの名を載せた紙束。

 二人だけで生きていた証拠。

 東京に出る前に、あるいは大学を卒業した折に、そうでなくとも何かの拍子に、彼女がこれを捨ててしまっていても、何もおかしくはないのだ。もともとあの部活動自体、なくなっても構わないだろうという思想が根底に流れている、その程度のものだったのだから。活動結果として残った産物に、いつまでも大切に保管しておくほどの価値はない。

 今ここで破り捨て、海にばらまいてしまっても構わないのだ。

 はためく紙束を、両手を並べるようにして持つ。右手を固定して左手を引けば、紙がねじれる。更に力を込めれば、び、と紙の破れ始める音が、潮騒に混じって鮮明に聞こえた。

 そこで手が止まった。

 無数の折り目が入った冊子。切れ目の入った紙束。今しがた破り捨てても構わないだろうと思ったはずなのに、その通りにすることができなかった。それは、この町から出てどこか遠いところに行こうと思っていたはずなのに、結局この町に残ることを決めた、就職活動の時と同じだった。

「────」

 彼女は知っているだろうか。

 私が今でさえこれを捨てられないでいることを。小鳥遊沙織と名乗る彼女の作品を、今でも時折読み返すことを。彼女が青いと称したこの町で、今も私が息をしていることを。

 きっと知らないだろう。もしかしたら、私の存在自体ですら忘れているかもしれない。

 この町で、青を描いてニキサオリは神様になった。

 忘れられていく彼女の名前を抱いたまま、彼女に与えられた青色を後生大事に抱えたまま、私はこの町で生きていくのだろう。

 それはかえらぬひとを待つ亡霊のようだった。

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神様と亡霊 酔生堂 @Suisei_333

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