第24話
その日、学校の帰りに通っている受験塾が入居しているビルの入り口で、芽衣は誰かから声をかけられた。
「芽衣ちゃん、ちょっといい?」
振り向くと、それは学校の一年上の志賀悠人だった。
「はい」
そう返事をした芽衣はいったい何だろうといぶかしんだ。
最近よく話しかけてくる彼のことはよく知らなかった。そして少し警戒もしていた。もともと彼は同級生の唯の知り合いで、同じく同級生の美咲とも親しい。二年の教室に唯を訪ねてきた彼を、唯に紹介されたのが知り合ったきっかけだった。
どういうわけか悠人はよく芽衣たちの教室にやって来た。後に美咲に聞いたのだが、彼は唯の知り合いというか幼なじみで、中学の頃からよく唯に会いに一学年下の教室に来ているそうだ。なんだそれ。唯の彼氏なのかなと芽衣は思った。
「あ、違うよ。別に唯と付き合ってるというわけじゃなくて」
美咲が芽衣の疑問を察して教えてくれた。
彼女にはこういう特技がある。なにか思ったり考えても口に出さないで心の中にとどめている芽衣の考えを、美咲はすぐに理解して先回りして答えてくれる。頭のいい子なんだろうけど、芽衣にはそうぃう美咲の態度がうっとおしく感じられることがあった。
「聞いてないけど」
「でも考えてたでしょ」
中学を卒業して高校生になって同じクラスで席が隣になった美咲と知り合った。高校生になってといっても中高一貫の学校だったので、同じ敷地内の高校棟の教室に移っただけだったが、新学期の朝、新しい教室の新しい席に着いたとき、すでに隣に座っていたのが朝倉美咲だった。
多分話したのは初めてだったけど、彼女のことは知っていた。それは彼女が可愛いと校内で評判の女の子だったからだ。
顔をかたむけて男子に向かって微笑むその姿を芽衣はよく校内で見かけていたし、かわいいという噂と男の子の心を弄んでいるいやな女という噂と両方が彼女の耳に入っていた。
どちらが本当の美咲なのかよくわからなかったし、理解しようとするほど彼女に興味のなかった芽衣は、美咲についてそれ以上の情報はもっていなかった。
初めて隣の席同士になったとき、美咲はフレンドリーに話しかけてきた。そして芽衣と美咲は仲のいい友人になった。そしてさらに席の近い美咲の親友の唯とも仲良くなった。
戸羽唯も中学のときにはクラスが違っていて、芽衣にとっては顔と名前が一致しない生徒の一人だった。初日に美咲に紹介され、彼女たち三人は昼間は一緒に過ごすようになった。そして生徒会の役員をしていて放課後は忙しい唯をはずして、芽衣と美咲は二人で一緒に下校するようになった。 中学の頃から仲良かった女の子たちは、芽衣が美咲と一緒にいて中学の頃の交友関係を切り捨てたことを、ある種の裏切りだと感じたようだったけど、芽衣には正直どうでもよかった。別にその子たちに特別なシンパシーを抱いていたわけではなかったからだ。
「仲はいいけど、単なる幼なじみ」
「そうなんだ」
そっちもどうでもいい。別に志賀悠人に特別な興味があるわけではない。
その唯の単なる幼なじみは、どういうわけか芽衣に興味を持ったみたいで、昼休みに教室に来るたびに彼女に話しかけてくるようになった。
悠人が芽衣に向かって微笑み話しかけるたびに、唯と美咲が彼女に気づかれないようにいやな顔をする。いや、実際にはいやな顔はしていないけど、そういう思いは伝わってくる。芽衣にはそれがうっとうしかった。悠人なんかどうでもいいのに、なんで芽衣が彼を誘惑しているみたいな視線を彼女に投げかけるのか。隠しているつもりだろうけど、彼女たちの考えはだだ漏れなのだった。
「志賀先輩って芽衣のこと好きなんじゃない?」
その頃よく、美咲は探りを入れるように芽衣をの目を見てそう聞いてきた。
「そんなことないでしょ」
「それらしいこと言われたことないの? 先輩から」
「ないよ」
「そっか」
美咲の表情がぱっと明るくなり、唯の肩にしなだれかかった。
「じゃあやっぱ先輩は唯が好きなのかな」
甘えるような声で美咲が言った。
「あの人、彼女いるらしいよ」
「先輩のことだもん。いてもさ」
先輩が女子に人気があり、いつも彼女が側にいること、そしてその相手はしょっちゅう変わること、二股状態のこともあること。そういうことを美咲は芽衣に教えてくれた。
どうでもいい。美咲には否定して誤魔化していたけど、多分悠人は芽衣のことが好きなのだろうとわかっていた。男の子から好意を寄せられることは、芽衣にとっては珍しいことではなかった。その相手が校内で人気の有名人というのはまれなことではあるけど、その悠人は正直芽衣のタイプではなかった。だから、あまり悠人が加熱しない程度に相手をしながら、少しずつ関係性をソフトランディングさせる。高校生にもなれば、芽衣もだいぶこの作業に慣れてきていた。それよりもやっかいなのは美咲との関係の方だ。
「芽衣は先輩のことは全然気にならない?」
「正直言うと少し気になってる」
美咲の顔色が瞬時に変わった。芽衣は自分のした小さな嫌がらせを後悔した。
「うそだよ、うそ」
「もう。マジかと思ったじゃん」
安心したらしい美咲が再び芽衣に抱きついた。
最近は、だいぶ美咲の振る舞いに慣れてきた。すぐに手をつないだり、抱きついてきたり、顔がすごく近かったり。最初はとまどったけど、女子は意外とこういうコミュニケーションには耐性がある。ただ、美咲の場合は少し違う感じを受けていた。
こういう子もいる。芽衣は男子にもよくもてたけど実は女子にも同じようにもてていた。実際に告られたことも一回ある。芽衣にはその種の恋愛性向に偏見はないと思っていたけど、中学のとき告ってきた女子の先輩から髪をなでられたり、肩を抱き寄せられたりしたときに、自分はこういうのは無理だと悟った。
それからは女子からの婉曲なお誘いはすべて円満にお断りしている。つまり芽衣は男女両性から口説かれ誘われ、そして男子からの誘いも女子からの誘いも断っているのだった。
ただ、美咲がそういう恋愛性向がある子なのかどうかはよくわからなかった。生まれついて持っている距離感が近い子というだけなのかもしれない。
なにより美咲は悠人のことが好きだというオーラを出しまくっていた。それどころか、ある日自分から悠人が好きなのって周囲にカミングアウトした。だから、自分が美咲に迫られているというのは芽衣の誤解のようだった。
「塾が終わったらさ。大事な話があるからちょっとお茶とか付き合ってくれない?」
志賀悠人はそう言った。
「え? わたしは授業終わる時間、先輩より早いですけど」
「さぼって待ってる。いいよね」
芽衣が返事するのを待たずに悠人は彼女に背を向けて塾の入り口の方に去って行った。
取り残された芽衣は立ち去る先輩を少しの間見送っていたけど、すぐに早足で塾の方に向かった。ビルの入り口にさっき別れたはずの美咲がいた。
「芽衣」
美咲は芽衣の前に姿を現した。
「美咲ここで何してるの」
芽衣は驚いた。
「借りてた本を返し忘れてた」
美咲がバッグから本を取り出して芽衣に押しつけた。
「わざわざ返しに追いかけてきたの? 明日でいいのに」
本を受け取りながら、芽衣は呆れたように言った。
「悠人先輩となに話してたの?」
美咲はそう言って探るような視線を芽衣に向けた。
「美咲見てたの?」
「うん。先輩なんだって?」
「塾が終わったら大事な話があるからちょっとお茶に付き合ってくれって」
悠人に言われたとおりに正直に芽衣は言った。
「まじか。ガチ告白じゃんそれ」
「そうかな。聞いてみるまでわからないけど」
「今まで先輩と二人きりでお茶したことなんかないでしょ?」
「それはないけど」
「じゃあ決まってるじゃん。先輩に告られるんだよ」
「心配しなくても大丈夫だから」芽衣は美咲を見て穏やかに言った。「告白じゃないと思うけど、告白だとしても大丈夫だから」
美咲の心配を解消してあげなくてはと芽衣は思った。仮に悠人に告白されたとしても、彼女は悠人の告白に応える気は全くなかった。誤解のせいで美咲と唯に嫌われたりしたら最悪だ。だから、仲のいい美咲と唯の誤解と不興は避けなくてはならなかった。
「別にわたしは」
美咲が口ごもった。
「授業があるから行かなきゃ。先輩の話が終わったら美咲に連絡するよ。気になっているだろうから」
そうして美咲に言い返す間を与えずに、芽衣は塾のビルの中に入っていった。
授業が終わってビルから出るともうあたりは暗くなっていた。出口の外の外灯の明かりの下に悠人が立っていた。塾帰りの女の子たちが平静を装いつつ、彼の方をチラ見している。その視線を意識してかしていないのか、彼は自然に女子たちの視線を無視していた。
「芽衣ちゃん」
「ごめんなさい、お待たせしちゃいました」
「ちょっと歩くけどいい?」
「あ、はい」
よくはない。こんな時間に男と二人で知り合いだらけの道を歩きたくない。あまりこだわりのないように思われているらしい芽衣だけど、実はかつて彼女は脅迫的なまでにこだわりが強かった。幼少の頃、心配した母親に小児精神科に連れて行かれたくらいにだった。年を経るにつけ、彼女は自分のこだわりと周囲の期待との間で折り合いをつけることを学んでいった。
その結果、今の彼女はめったに他人に異を唱えない。表面的には。ただ、不満や不安がないのではない。胸の中ではいろいろと抱えているものがあるのだが、あえて周囲の意向に異を唱えず、抱え込んでいるものを外に解放しないようにしているのだ。
「じゃあ行こうか。その店紅茶がこだわっていておいしいんだ。芽衣ちゃんに飲ませてあげたいな」
心が沈んだ。お店で向き合ってしまえばどうしたって一緒に過ごす時間が長くなる。なんでそんな手の込んだことを考えるんだろう。ここで告白すればいいのに。そうしたら「考えてみます。少し時間をください」って返事をする。いきなり拒否するのは感じが悪いから。それで、翌日か翌々日にお断りする。感じよく断れるように気を遣いながら。
断る理由はいつも決まっていた。「わたし好きな人がいるんです」そして誰? とか踏み込んでくるような相手だったら大輝君の名前を借りる。「幼なじみの男の子なんですけど」って。
しばらく歩くと、悠人は商店街の端にある一軒のカフェの前で立ち止まった。
「ここ」
彼はそう言って店のドアを開けた。
「どうぞ」
もうしかたがなかった。芽衣は覚悟を決めて重苦しい心を抱えたまま店に入った。
その店は女の子が好きそうなカフェではあるが、店自体はこじんまりしている。こんな狭いところで告白はないだろう。周囲の人に会話がだだ漏れなのだ。
ところが驚いたことに悠人は隣の席の二人連れの女の子が聞き耳を立てている横で、芽衣に告白を始めた。
「芽衣ちゃん、おれと付き合おうよ」
芽衣はため息を押し殺して驚いた表情を作った。
「最初に会ったときからずっと好きだったんだ。芽衣ちゃんもおれの気持ちに気がついていたでしょ」
「ぜんぜんわかりませんでした」
こう答えるべきなんだろうなと思ったとおり答えながら、芽衣はこの場の切り抜けるために、大輝のことを話すか、とりあえず時間をくださいと言うか考えていると、
「断り方を考えているでしょ?」
悠人が芽衣の目を見て微笑んだ。
「どういうことですか」
彼の意外な言葉に芽衣は警戒しながら聞いた。
「おれ、なんとなくそういうのわかっちゃうんだよね。今芽衣ちゃんはおれの告白を断る理由とタイミングを探してるでしょ」
「そんなことないです」
一応そう言ってみたが、どうもいろいろこちらの手の内を見抜かれているようだった。
「君のそういうところ好きなんだよね。ただおとなしく唯や美咲ちゃんの後ろをついて行ってるだけの子じゃないと思ってた」
「なんかわたしのこと勘違いしてませんか」
芽衣は一応そう言ったけど、知り合って初めて悠人に興味を覚えた。彼女に面と向かってこういうことを話したのは、男女問わず彼が初めてだった。
「してないと思うけど」
「でも先輩、彼女いますよね」
悠人がにこっり笑った。引っかかったと思ったのかもしれない。
「いないよ。いたけど別れた。彼女いるのに芽衣ちゃんに告白するわけないでしょ」
「別れたんですか」
さすがに芽衣も驚いた。
悠人の彼女は演劇部の部長をしている悠人と同学年の背の高い細身の美人で、ついこの間までよく二人で校内を歩いているところを目撃したものだ。
「彼女って佳奈のことでしょ? 別れた」
悠人が話を続けた。
「おれは本気で芽衣ちゃんと付き合いたかったし、芽衣ちゃんには今まで付き合ってきた女の子たちと同じように接したらだめだって思ったから。だから君に告白するにはまず佳奈と別れないといけないと思ってね」
芽衣は悠人の表情を覗いながら判断に迷った。男の子の告白にこんなに困ったのは初めてだった。
なぜなら、さすがの芽衣もここまでハイスペックな男子に告られたのは初めてなうえ、その彼が、芽衣に告るために美人の道下佳奈先輩を振ったのだという。そこまでされると、いつものように気軽には断りづらい。
また、どうも悠人は芽衣の性格や考えていることをある程度見抜いているらしい。芽衣の見た目以外の部分も見てくれているということなのか。こういう男の子に会うのは初めてで、付き合うかどうかは別として、悠人がどうして彼女と付き合いたいと思ったのか聞いてみたい気もした。そうしたことがあいまって、珍しく芽衣はどう返事をするか、どう行動するか迷っていた。
「美咲の気持ちを考えると、先輩とお付き合いしますとは言えないですよ」
しばらくしてようやく芽衣はそう言った。これも時間稼ぎにしかならないことはわかっていたが。
「美咲ちゃん?」
先輩は、美咲が彼に恋しているといううわさを聞いてないのかな。悠人が知らないなら芽衣が教えるわけにはいかない。自分の発言をどう誤魔化すか芽衣が頭を働かせていると、悠人が自ら話をそらしてくれた。
「美咲ちゃんじゃなく唯のことでしょ。それ、みんなに言われるけど誤解だよ。ただの幼なじみなんだ」
「本当ですか」
「本当だよ。もしかしてそれでいい返事をしてくれないの?」
「そういうわけじゃないですけど」
悠人から唯の名前が出るとは驚いた。唯は美咲のように悠人が好きだと広言しているわけではない。冗談でも悠人が好きだとか友人に話したことがなかったはずだ。美咲を除いては。
なぜだか知らないけど、唯は美咲には心を開き、自分が幼なじみの悠人のことを小さい頃から好きだったと打ち明けたそうだ。唯としては美咲だけに打ち明けたつもりだったのだろうけど、それは人を見る目がないとしかいいようがない。芽衣にぺらぺらと唯の秘密を漏らした美咲は、その後、唯の気持ちを無視して悠人が好きだとか言い出したのだから。
芽衣が唯からその話を聞かされたのは、ちょうど悠人と知り合った頃だった。美咲は世間話をするように気軽に、唯は本当は志賀先輩のことが大好きなんだってと教えてくれた。今から思うと美咲は、悠人が芽衣にばかり話しかけていたのを憂慮して芽衣に釘を刺したつもりだったのかもしれない。
「佳奈とは別れたし、唯とは別になにもない。芽衣ちゃんが好きだ。だからおれと付き合ってくれ」
「先輩すいません。少し」
「考えさせてくださいはなしね」
「先輩・・・・・・」
「断るなら今断って。告白待つのってストレスだし、だめなら次行きたいし」
芽衣は思わず笑ってしまった。
「ずいぶん誠実な告白ですね、志賀先輩」
「でしょ。おれほど誠実な男って富士峰中探したっていないと思うぜ」
「確かに。だめなら次行くって人、初めて見ました」
「でもさ。振られて傷ついたアピールしている女々しいやつよか、振った方だって気が楽でしょ」
悠人は、芽衣の皮肉にもめげず悪びれない態度のままだ。
「まあ確かにそうかもしれないですね」
「そんなことより、芽衣ちゃんっておれに向かって笑ってくれたの初めてだね」
「そうですか」
「意識してないの? いつもどうやって早くおれとの会話を終わらせようかって顔してるじゃん」
そこまでわかっていて芽衣に声をかけていたのか。確かに悠人は自信家だ。ただ、相手のことを気にせずに突き進むだけの自信家ではないようだった。
というか、芽衣に声をかけ誘ってきた男の子の中では、他に類を見ないほど芽衣がなにを考えているのか洞察しようと試みている。
「先輩って面白い人ですね」
「知ってるよ。で? どうする」
「お試しでもいいなら」
「お試しって?」
「先輩のことよく知らないので、とりあえず試用期間みたいに付き合うのでもいいですか」
「おれのこと君が一番よく見ていると思うけどな。これまでのおれの彼女たちより」
悠人が笑った。
「でもまあ、それでいいや。おれも君のことよくわかってないし。お互いに試してみるか」
芽衣もそこで笑った。
「先輩こそ今までわたしに告白してくれた人たちの中で、一番よくわたしをわかってそうですけどね」
「なるほどね」
悠人が言った。
「たしかに俺たち気が合いそうだ」
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