第18話

 悠人は唯の手を振り払って手近なところにある席にどしんと腰かけた。芽衣のいる席には戻らずに。

「いったい何が不満なの。秋田さんは芽衣とじゃなくて美咲と一緒にいただけでしょ。それなのになんであんな態度を取るのよ。まさかあんた美咲にも気があるの? 美咲を取られたとか考えたんじゃないでしょうね」

 実際はわかっていた。大輝の姿を認めた瞬間に芽衣は悠人の手を振り払った。多分悠人の直感は正しい。芽衣は悠人に手を取られ撫でられているところを大輝に目撃されたくなかったのだ。

 これまで唯が悠人を諭していたことは全部意味がなかったことになる。大輝に対してなんの感情も持たない芽衣を責めると、芽衣から嫌われるよと唯は悠人に話してきた。でもその前提は間違っていた。芽衣は大輝のことが好きなのだ。でもなければさっきの彼女の行動は理解できない。

 そう考えると芽衣への怒りが唯の中にわき上がってきた。多分芽衣は悠人を利用したのだ。幼なじみへの恋を忘れるため。そして大輝に再会した芽衣は動揺し後悔したのだろう。自分が悠人と早まって恋人同士になってしまったことを。

 唯は間違っていた。悠人の感じていた危機感は正しかった。そして唯の恋心を最悪の形で邪魔してうらぎったのは芽衣だったのだ。

「美咲ちゃんを取られたなんて考えてねえよ」

「じゃあなんで」

 芽衣に手を振り払われたからだろう。答えはわかっていた。ただ彼の次の言葉は唯を混乱させた。芽衣への反感を吹き飛ばすくらいに。  

「唯。おまえあいつと手をつないでたろう?」

悠人は突拍子もないことを言い出した。

「なに言ってるの」

唯は芽衣のことを忘れ腹を立てた。なんでそんなことを言うのか。自分はあたしの目の前で平気で芽衣の手を愛撫していたくせに。だいたい手をつないだわけではなく、彼の腕を掴んで引っ張っただけだし。だが目の前では悠人が困惑していた。自分が何を口走ったか気がついたらしい。

「なんでもない」

言葉を失った唯の目の端に、芽衣がそっと教室を抜け出していくのが見えた。

「芽衣待てよ」

 悠人も慌てて彼女の後を追っていった。

 それからいらいらして考えがまとまらないうちに一時間あまりが過ぎて、唯はにこにこしながら教室に戻ってきた真緒にカフェ店長の仕事を引き継いだ。

「ありがとう。おかげで久しぶりに彼とデートできたよ」真緒が本当にうれしそうに言った。「ここは変わりなかった?」

「なにもなかったよ」

 唯は真緒にそう言った。


 店番を真緒に代わった唯は大ホールのメインステージに戻ってみたけど、そこではすでに全ての演目を終えており、ステージのセットを片付けているスタッフがいるばかりだった。唯が片付けを指揮してる影山に聞くと、メインステージの出し物は急な持ち時間変更にもかかわらず無事に終わったとのことだった。

「迷惑かけてごめんな」

 影山はそう言ったけど、唯の頭の中はもうそんなことどころではなくなっていた。

 後夜祭のファイアストームの会場の校庭に行くあいだ、夕暮れの中を校庭に向かう生徒たちの群れも気にせず、唯は考え続けていた。

芽衣の気持ちは、悠人の手を振り払うという彼女の行動から推察できた。おそらく悠人も芽衣の振る舞いから彼女の気持ちを疑い嫉妬したのだろう。では美咲の行動の意味はなんなのか。美咲は大輝と二人でカフェに姿を表すことで何をしたかったのか。

 客観的に見れば今日の騒動は唯の余計な行動のせいかもしれない。悠人と芽衣の姿を見てあわてて立ち去ろうとした美咲の方が正しい。だけどよく考えれば、悠人と芽衣に姿を見せたくなければ、クラスのカフェを避ければすむことだ。カフェの営業なんか、出し物を真剣に考えるのが面倒くさいクラスが思いつく典型例で、うちのクラスのほかにも美咲が大輝を案内できるカフェなんていっぱいある。

 さらに言えば、悠人と芽衣に姿を見せたくないなら最初から学園祭なんかに大輝を招待しなければいいのだ。そう考えると美咲の行動の目的は、大輝とのツーショットを芽衣に見せつけることなのではないか。

 美咲の恋愛対象は芽衣だ。悠人も大輝もどちらも彼女の恋人にはなり得ないのだ。おそらく美咲は芽衣の気持ちに気づいていたのではないか。芽衣が本当は悠人ではなく大輝のことを好きなのだと。

 唯はかなり美咲の心理に近づけたのではないかと思った。美咲にとっての恋のライバルは今では悠人ではなく大輝に代わった。だから美咲は悠人と一緒にいる芽衣を見ても嫉妬しないのに、大輝のことは芽衣から離そうとしていた。そのために彼を誘い学園祭に連れてきたに違いない。

 芽衣に大輝と親しくしている自分を見せつけ、芽衣の大輝への気持ちを牽制しようとしたのだ。芽衣には前科がある。かつて彼女は美咲が悠人のことを好きだと知りながら悠人の告白に応えた。その芽衣が美咲が大輝を好きだと知ったら、美咲の邪魔をすることはできないだろう。二度にわたって美咲の恋を邪魔することになるからだ。

 美咲の一番目の目標は、自分と付き合い出した大輝のことを芽衣に諦めさせること。

 二番目の目標は、これはそれほど真剣に実現することを信じているわけではないだろうけど、あわよくば芽衣が大輝に好意を抱いていることを悠人に気がつかせ二人の仲を揺さぶること。つまり芽衣の恋愛を邪魔し彼女を独り身にすることだ。たとえそれによって美咲と芽衣の恋愛的な距離が近づかないとしても。

 この仮説を確かめるには一つだけ方法があると唯は考えた。美咲と大輝のツーショットを見て、一度は美咲がバイセクシュアルかもしれないと思ったけど、やはり中学からの彼女の行動を鑑みるとそれは違う。

 だからこの後、男に興味のない美咲と大輝が付き合い出すようなことがあれば、それは美咲が芽衣を恋人がいない状態にしておくための偽の恋愛のはず。

 考えごとをしながら校庭にたどり着くと、もうあたりは暗くなってたけど、校庭の真ん中では大きなキャンプファイアが火花を散らし、瞬きを繰り返すその灯りが、集まっている生徒たちの横顔をちらちらと照らし出していた。

 結論は意外と早く、あっけなくわかった。校庭の片隅でいろいろと考えていた唯は、芽衣が一人でぽつんとたたずんでいるのを見かけた。悠人は近くにはいないみたいだった。悠人と芽衣はあのあとどんな話をしたのか。あるいは話なんかできなかったのか。

「唯」

 そのとき唯は突然後ろから声をかけられた。悠人の声だった。

「何してるの」

 唯は振り返って薪の灯りに照らされた悠人を見た。

「さっきは騒ぎをおこしちゃって悪かったな。芽衣にも美咲ちゃんにも謝ったから」

 唯は驚いた。この短い間でその二人によく謝れたということもあるが、ついさっきまで芽衣の態度にショックを受けていた悠人が、よく謝ろうと考えるところまで立ち直れたなと思ったからだ。

「ええと」

 言ってもいいのか唯は迷った。

「あんたもう落ち着いたの?」

「うん。自分が恥ずかしいよ。二人からは許してもらったし、秋田って人にも謝っておいてって美咲ちゃんに言ったら、そうしてくれるって」

 いったい悠人の内心に何が起こったのか何が生じたのか。悠人が自分の行動を反省して恥ずかしいと口にしたのはは初めてなのではないか。わずかな時間にいったい彼に何がおきたのだろう。「いったいどうしちゃったの」

「美咲ちゃんと秋田さんが付き合い出したって聞いてさ。最初からわかってればあんなみっともないことはしなかったのな」

 付き合い出したって、ついさっき美咲自身がそれを否定していたのに。ただ学園祭を案内しているだけだって彼女は言っていた。 

 やはり思っていたとおりだったが、それにしてもさっき付き合っていないといった言葉が嘘でないなら、二人は教室を出て行った後に付き合い出したということだ。

 どちらからどうアプローチしたのか気にはなるけど、今はそれどころではない。

「芽衣に謝ったって言ってたけど芽衣も秋田さんとのことを知ってるの?」

「知ってるよ。さっき芽衣を追いかけて」

 彼はそこでちょっとためらった。

「つまり芽衣を問い詰めてやろうとして芽衣を捕まえたら、美咲ちゃんに声をかけられてさ。芽衣と一緒に彼女から二人が付き合い出したことを聞いた。なので俺も誤解してた、ごめんって芽衣と美咲ちゃんに頭を下げた」

「芽衣はなんて言ってた?」

「気にしてないよって言ってくれた」

 唯はいらっとした。あんたへの言葉なんか聞いてないよ。

「そうじゃないよ。芽衣が美咲になんて言ってたって聞いてんの」

「よかったねって言ってた。二人のことなんとなく怪しいって思ってたんじゃねえかな」

「美咲はどこにいるの?」

「唯を探してたよ。彼氏ができたっておまえにも話したいんじゃねえの」

「それじゃ、美咲を探しに行こうかな」

「俺は芽衣のところに戻ろう。おまえに謝ろうと思って芽衣を一人にしちゃってるし」

 悠人は優しい目で一人たたずんでいる芽衣の後ろ姿を見た。

「じゃあね」 

「またな」

 そう言いあって別れるとき、偶然に悠人の手が唯の手に触れた。もちろん意味なんかない。唯は自分にそう言い聞かせた。

別に美咲に会いたいわけじゃなかった。今の話を聞いたあとではむしろ芽衣と話したい。大輝を美咲に取られたと知った芽衣の心中はどうなのだろう。謝って仲直りしたつもりになっている悠人の相手をするのも苦痛だろう。でも、今は二人の間に割り込めない。

 とにかく美咲を探すか。唯はそう思って赤々と燃え盛っている大きな薪を囲んでいる人ごみを抜け出した。

ファイアストームを後にして学校の正門の方に向かいながら、唯は周囲を見回して美咲がいないか探した。後夜祭は全員参加ではないから、悠人と芽衣に大輝と付き合い出したことを話して学校から帰ってしまった可能性はある。もうあたりは暗くなっていて、帰宅しはじめている生徒の姿も目立ってきていた。美咲も帰ってしまったのか。ひょっとしたら校門で待ってもらっていた大輝と一緒に帰ったもかもしれない。もう今日は諦めるかと思ったとき、背後から美咲の声がした。

「唯、唯ってば」

「美咲?」

校門近くまで来た唯の肩に手が置かれた。振り向けば美咲の笑顔が前にあった。

「やっと見つけた」

それはこっちのセリフだが、今は美咲の方から話させたい。

「どしたの?」

「ちょっと話したくてさ。今時間ある?」

「いいよ」

「じゃあ屋上に行こうか」

「また屋上? あんた本当に屋上好きだな」

「だめ?」

「あそこまで行くの面倒くさい」

「じゃあ中庭でいいや」

 唯は先に立って進む美咲の後に付いていった。なにかはねるような足取りだ。芽衣から大輝を取り上げられてよほどうれしかったのか。

「空いててよかった」

 やがて美咲は中庭の隅に置かれた目立たない小さなベンチに腰を下ろした。

「ここにさっきまでずっと座ってたんだ」

「教室から逃げ出したあと?」

「そうそう。大輝さんと二人でずっと」

「男女がこんなとこで一緒にいたら目立ったんじゃない?」

「わたしはお付き合いしてるの隠す気ないから別に気にしないし」

「付き合いって秋田さんと? あんたさっき付き合ってないって言ったじゃん」

 唯は知らなかった風を装った。

「それを話したかったのよ」落ち着きはらって美咲が答えた。「さっきはまだ付き合ってなかったから嘘じゃないの。わたしここで大輝さんに告白したの。そうしたら彼も付き合おうと言ってくれて」

「でもさ」

 唯は今度は本当に言い淀んだ。

「あんたって」

「うん。自分では今までわからなかったけど、わたしバイなのかも」

美咲は本人にとって重大なことをさらっと言った。一応念のため唯は周囲を見回したけど、こちらの会話を気にしている人は誰もいなかった。

やっぱり美咲は大輝のことが好きなのではなく、今後の芽衣の行動に縛りをかけて足止めしようとしているのだ。自分がバイかもと言っている言葉も軽くふわふわしている。自分の性的指向が自認していたものと異なるとわかったら、もっと悩むのが普通なのではないか。

 美咲はそれほど危機感を感じたのだろう。本来は美咲にとっては悠人も敵だけど、その悠人と芽衣の仲を固めるかもしれないような手段を強行するほど、美咲は芽衣の大輝に対する恋心に危機感を感じ取ったのだ。

「じゃあ今美咲が好きなのは秋田さんなの?」

「付き合ってくださいって頼むくらいだもん。そうに決まっているじゃん」

「もう芽衣のことは諦めた? なんとも思っていないの」

 美咲は少し黙り込んでからまじめな声で言った。「ずっと好きだった子だから、そんなに簡単には割り切れないけど。でも今大輝さんのことが好きなのは間違いないよ」

 その言葉がすごくまじめに聞こえたから、唯は自分が間違っているのではないかと少し迷った。

「おめでとう。よかったじゃん。あんたの初彼氏だね」

「ありがと。さっき悠人先輩と芽衣にも報告したの」

「芽衣、何か言ってた?」

 よかったねって芽衣は美咲に言われされたのだ。「よかったねって言ってくれてさ。美咲と大輝君はお似合いだと思うよって言ってた」

 お似合いだよと言ったとは聞いていない。悠人が省略したのか美咲が嘘をついているのか、さっき悠人と聞いた話と違う。

「芽衣って大輝さんをあたしに紹介しようとしていたからね。だからあたしも大輝さんも芽衣にくっつけられたことになるのかな」

 彼女は前にもそう言っていた。いずれにせよ美咲の真意を探るのには、これ以上美咲と話すよりは芽衣と話した方が早い。

「じゃああたしは後夜祭の締めのあいさつがあるから」

「うん。頑張ってね唯」

 唯が美咲の真意を知りたいのは、芽衣のためではないことは本人にもわかっていた。

 美咲が芽衣の恋を邪魔しているのなら、それを阻止できないだろうか。そして芽衣の大輝への恋を成就させられないだろうか。その結果として悠人は失恋することになるが、彼には唯がいる。頭の中でそれを考え出すと、自分で思っていたよりだいぶリアリティがある話かもしれないと唯は思った。

 もちろん悠人が好きな女の子は芽衣であって唯ではない。でも、唯が影山と二人で学校から帰ったことや、さっき唯が大輝の手を引いたことを彼は気にしていた。だから唯にも全くチャンスがないわけではないのではないか。

 いずれにせよ芽衣の気持ちをどうにかして探らなければならない。大輝に見られて悠人の手を振り払ったというだけで、芽衣の気持ちを決めつけるわけにはいかないだろう。

 ファイアストームのところまで戻った唯は悠人と芽衣の姿を探したが、人が多すぎて見つからなかった。今夜は二人きりで過ごしているのだろうから、いきなり唯が邪魔をして、芽衣って本当は秋田さんが好きなのって聞くのも難しそうだ。

 今日はやめておこうと唯は思った。本当は少し怖気づいてもいたのだ。

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