第17話

学園祭当日までは大変だった。十一月十日は学園祭の二日目、最終日であり、実行委員会のミスでもめた大ホールでのメインステージの公演が行われる日だった。

悠人のおかげでメインステージに登場する各部の持ち時間は修正され、それにしたがってステージの進行表も作り直したのだが、その原因を作った影山があまり役に立たなかったため、唯は二日間不眠不休でその作業にかかりきりになった。

 ようやくその作業を終えた唯は、もうこれ以上影山の後始末をする気はなかったから、学園祭二日目の大ホールでの演目の進行には関わる気はなかった。もともと影山がディレクターなのだ。事前の仕込みを手伝っただけでも影山には跪いてあたしの靴にキスして感謝を表明してほしいくらいだと唯は思った。もちろん彼にはそんな考えは思い浮かぶことはないみたいで、唯に感謝しているかどうかすら疑わしかったが。

 お昼前の大ホールのステージでは悠人率いるダンス部の公演が行われた。唯は本業の生徒会の用事もあってそのとき悠人のダンスを見ることはできなかったけど、用事を済ませたあと公演を終えた悠人をねぎらおうと大ホールのステージ裏に行った。

 薄暗いバックステージはちょうど舞台をはけてきたダンス部の出演者や音声、照明などのスタッフが入り交じっていた。

 ステージの右そでで誰かと話している悠人を見つけた唯は彼の方に寄って行った。

 タオルで額の汗を拭きながら、悠人が話している相手の手を握ってそっと引き寄せてハグし、髪を撫でるのが見えた。悠人に引き寄せられ彼に寄り添った彼女の顔にステージの照明が反射した。

 寄り添う悠人と芽衣に背を向け唯は大ホールがある記念館を後にした。

 学園祭の演目のトラブルで悠人が唯をかばったからといって、彼が芽衣と別れて自分の方に振り向いてくれるなんて本気で期待したわけではない。 悠人は唯のことを大切だと言ってくれた。だからといって、それが悠人が今までの相手にはないくらいに執着している芽衣よりも、唯の方が大切という意味かどうか、これまで唯は考えなかった。わかりたくないという意識もあったかもしれない。 悠人と芽衣の愛情が本物であるという確信的な証拠を見せつけられた唯は、真っ白になった視界をふらふら泳ぐように自分のクラスの方に歩いて行った。ここではカフェを開いている。生徒会室に避難してもいいのだけど、生徒会と学園祭実行委員会の役員ということでクラス行事に協力していなかったことも少し後ろめたい。

 それで唯は、カフェ営業をしている自分のクラスルームに向かったのだ。

「唯」

 教室というか店内に入ったら、入り口付近にいたクラスメートに声をかけられた。カフェの責任者の白井真緒だ。

「やっと顔見せたか」

「実行委員会の仕事があるんだよ。でもごめん」

「冗談だよ」

 唯はつとめて心を静めるよう努力しながら真緒の方に歩みよった。

「客少ないねえ」

「場所が悪いんだよ。周りになんの出し物もない三階までわざわざお茶しにくる客なんていないよ」真緒がぶつぶつと嘆いた。

「そんなん今になって言うなよ。出し物決めたクラス会の時に言えばいいじゃん」

「だってカフェ以外に提案なかったからしかたないじゃん」

 あのときはたしかにそうだった。唯のクラスでは誰もまじめに学園祭の出し物なんか考えていなかったのだ。

「そういや芽衣と美咲を見なかった?」真緒が聞いた。

「芽衣は大ホールのステージにいたよ。美咲は知らない」悠人に抱き寄せられていた芽衣の姿が一瞬頭に浮かんだ。

「あいつら、ここを手伝わないでなにやってるんだよ」真緒が腹立たしげに言った。

 たしかに彼女たちは学園祭の運営には何の関係もないうえ、部活にも入っていないので部の展示とかにも関係ない。つまり彼女たちはこの場でクラスのカフェの店員として働いていなければならないのだ。

 でも。唯は教室、いやカフェの店内をあらためて見渡した。客は二組。別に芽衣と美咲を招集するまでもなく人手は足りているどころか余っていそうだ。

 二組の客は両方とも男女のカップルだが、腹立つことに二組とも中学生同士だ。目立たない場所を求めて三階の高校二年のカフェに逃避しているんだろう。ここなら客が少なく人目につかないと思いついたその思考力に腹が立つ。

 どうせうちのクラスのカフェは人がいないよ。中坊はおとなしく中学棟のカフェに行けばいいのに。八つ当たりのような思考だったが、そう考えている間は、芽衣と悠人のことを忘れていられた。「あいつら中坊じゃん」

「そうは言っても大事なお客だからさ。文句も言えないよ」真緒が言

った。「あんたも実行委員会の仕事ないなら手伝えよ。ほら、これ持って行って」

 唯はアイスティーが二つ載ったアルミの四角いトレイを渡された。ぜんぜんおしゃれじゃない。これ絶対学食から借りたやつでしょ。唯はそう言いたかったが、結局トレイを受け取って中学生カップルのテーブルに運んだ。高二の先輩がお茶を運んできたのに彼らは何の反応も見せなかった。二人ともお互いに夢中なようだ。

「中坊のくせに付き合っているとか早いでしょ。担任にチクるか」アイスティーを出して真央のところに戻った唯は憎まれ口をきいた。

「あんた今日嫌なことでもあった?」呆れたように真緒が言った。

「別にないけど」

 嘘だ。寄り添い抱き合う二人。その光景が唯の頭から離れないのだ。これまで二人は付き合っているとはいえ学園内でいちゃいちゃしてはいなかった。悠人は前の彼女である佳奈とはおおっぴらにいちゃちゃしていたから、今回そうしないのは芽衣の意思だ。

 それは芽衣が人前でそういうことをするのが嫌な性格だということもあるけど、やはり悠人のことが好きだった美咲への遠慮もあったのだろう。

 その二人がさっきは人目をはばかることなく抱き合っていた。二人の関係が進展したのだろうか。学園祭のメインステージの時間割問題で悠人が見せた優しさはやはり幼なじみに対する友情的な想いに過ぎなかったのだろう。

「中学生同士のカップルなんて微笑ましいじゃない。邪魔することないって」

「真緒はいいよね。ちゃんと彼氏がいるもんね」

 真緒の彼氏は同い年の明徳高校の生徒で、真緒と彼は中学生の頃から付き合っている。

「彼氏はうちの学園祭には来ないの?」

「それなんだけど唯にちょっとお願いがあるの」

 真緒の猫なで声を聞いて唯は本能的に嫌な予感がした。 

「彼、今この下の中庭に来てるの」

 真緒が突然頭を下げた。

「お願い!」

「お願いってなに?」

「わたしに代わってここをお願い」

「いやいや」唯は慌てて言った。「大ホールのステージに戻らないと」

「そっちは影山が面倒見てるんでしょ」知ってるぞという表情で真緒がたたみかけた。「彼と会ってちょっと学園祭を回ったらすぐに帰ってくるから。ねえお願い」

 真緒の彼氏は明徳高校の二年生だ。学校が違うので普段はあまり会えないらしい。どうせホールに戻ってもすることはないのだ。クラスのカフェ出店準備にも全く加わらなかった引け目もある。

「いいよ。でもファイアストームの準備には行かなきゃいけないから、二時間くらいしかいられないよ」

「わかってる。二時間したら帰ってくるから」

 真緒はエプロンを外して、パーティションで客席と区切られた厨房をのぞいた。

「ちょっと一時間くらいはずすね。その間はホール担当は唯がしてくれるから」

「ちゃんと一時間で帰って来いよ」喜々として教室を出て行く真緒の後ろ姿に、唯は念を押した。

 それからは暇だった。本気で客が来ない。場所が悪いというのはあるけれど、それを何とかしようと客引きしたりビラ配りしたりという努力が行われた様子がなかった。唯はやる以上はしっかり完璧を目指してやりたい性格なので、この緩いカフェ営業には違和感があったが、これまでろくに手伝わなかった彼女がそうした感想を口に出すのも違うだろう。

 それに正直ここ数日の作業で疲れていた唯にはこの暇な場所で過ごす時間は休養しているのと一緒だ。

 それに暇とはいえ全く客が入らないということもないので、それなりに仕事はある。仕事をしているときは、先ほど目撃した悠人と芽衣のことも思い浮かばないのだった。

 教室の横にたたずんで頭を空っぽにして、たまに来る客の注文を取りドリンクを運んでいるといつのまにか一時間くらい過ぎていた。教室のドアが開いたので唯は新規の来客にいらっしゃいませと声をかけた。

「唯ここにいたんだ」芽衣が唯に言った。

 入ってきたのは悠人と芽衣だった。見たくもないけど二人が手を恋人つなぎしている様子が唯の目に入った。

「そりゃいるよ。うちらのクラスだもん。手伝って当然じゃない」

「手伝わなくてごめん」

 嫌がらせで言ったわけじゃなかったけど、芽衣にはそう受け取られたようだ。

「いいよ。あたしは用事もないし。芽衣は悠人とお茶してればいいよ」

 だめだ。言えば言うほど嫌がらせのようになってしまう。 

「おれがこいつを引き止めたんだよ」

 悠人が口を挟んだ。

「クラスのカフェの営業を邪魔したんなら悪かったよ。おれのせいなんだ」

 なんでこうなる。これでは唯が一方的に芽衣がクラスのカフェをサボっているのを責めているように聞こえるではないか。

「そっちの窓際の席が空いてるよ」

 唯は会話を切り上げた。

「おう」

「ありがとう」

 悠人と芽衣は唯が勧めた窓側の席に向かいあって座った。そして顔を寄せ合ってメニューを眺めだした。

 この二人の出現で、この教室カフェは唯にとって居心地悪い場所に変身した。客が少なく暇なうえ窓際の方を見たくないとなると、教室のドアの前にバカみたいに突っ立って厨房の方をじっと見ているしかなかった。唯がドアの前から動いたの二度、悠人と芽衣からオーダーを取るときと、二人のところにドリンクを運んだときだけだった。

 それが終わって再び定位置に戻ったとき、何だか静かにそうっとドアが少し開いた。客かなと思って厨房から目を転じると、十センチくらい開いたドアの隙間から顔が覗いた。美咲だ。どういうわけか彼女はそのままドアを閉めて帰ろうとしているようだった。

 美咲め。用事もないのにサボって、ようやく姿を見せたら帰ろうとするとは。そうだ。美咲に店長を代わってもらおう。芽衣がここにいる以上どうせ一人で暇だろうし、悠人と一緒とはいえ大好きな芽衣がいるなら美咲にとっても不満はないだろう。美咲のことだから唯と違って悠人と芽衣の席に割り込んで二人の会話を邪魔してくれるかもしれない。

 唯は素早くドアを開け教室の外に出て、立ち去ろうとしている美咲の肩に手をかけた。

「こら。逃げるなよ。なんでこそこそしてるの」

「びっくりした。いきなり肩を掴まないでよ」

 美咲は想ったより焦った表情だった。

「芽衣と悠人がイチャイチャしてるから、あたしの居場所がないんだって。一緒にここにいてよ」

美咲は肩に置かれた唯の手をどかした。

「あんた実行委員長でしょ。そもそもこんなとこにいていいの?」

「メインステージは始まっちゃえばあたしの用事はないから」

 とにかく美咲をここから逃さない決意を固めた唯は、振り払われた手で再度美咲の腕を掴んだ。そのとき美咲の隣に一人の男が唯と美咲のやりとりを面食らったように眺めていることに気がついた。

もしかして美咲には彼氏がいるのだろうか。美咲は自分から自らのジェンダーのことを告白したけど、唯が早とちりしていただけで、本当はバイセクシュアルだったのか。

 単に男の子と一緒にいるだけならそこまで考えはしないけど、学園祭で一緒に学内を回っていると周囲からはかなりの確率でカップルだと見なされる。この学校では隠していた交際は毎年学園祭で発覚するのだ。

「えと、ごめん美咲。ひょっとして邪魔しちゃった?」

 唯はおそるおそる美咲に聞いた。

「邪魔ってなにが」

「その人、彼氏?」

 唯は好奇心を抑えきれずに美咲に聞いた。

 そこで初めて美咲は少し慌てたようだった。「違うって」

「だって二人で学園祭を回っているんでしょ?」

「この人は秋田さん。前に話した芽衣の知り合いだよ」美咲が言った。「今日は学園祭を案内してるとこ」

それで思い出した。この人が普通ならあり得ないくらい悠人の嫉妬を引き出した人か。芽衣がこの人とはなんでもないと言っても、芽衣とこの人は二人きりで会っていたわけではなく、自分も一緒だったのだと美咲が説明しても悠人は納得しなかった。その激しい嫉妬の対象がこの人なのだ。

見かけは普通の人だ。悠人みたいに見るからにイケメンというのではないが、別に変な男という感じもしない。良くも悪くも普通の男の人だった。それにしてもこの人は芽衣の幼なじみのはずだった。なんで美咲と二人で学園祭を回っているのだろう。

「なんで芽衣じゃなくて美咲が芽衣の知り合いの人を案内してるの?」

 唯は素直に疑問を口にした。

「なんでって」

 どういうわけか美咲が赤くなって答えに詰まった。そのとき美咲の隣にいた彼が初めて唯に話しかけた。

「初めまして。芽衣の知り合いの秋田大輝といいます」

いきなり話に割り込んできた彼は、どうも答えに詰まった美咲を助けようとしたらしい。いったい芽衣と美咲とこの人はどんな関係なのだろう

「美咲と芽衣のクラスメートの戸羽です」

 唯はとりあえずその秋田という人にあいさつしたが、 彼が返事をする前に、美咲は大輝の手を取ってその場から離れようとした。

「わたしたちもう行くね」

「ちょっと待って。うまく芽衣だけ呼んでくるから」

 唯はこの場から逃げようとしている美咲を引き止めた。

秋田さんは悠人の嫉妬の対象だから、顔を合わせないようにするのが正しい。美咲が教室を覗いて悠人を見つけると、この場を去ろうとしたのもそういうことだろう。それにしても何かおかしかった。そもそもなんでこの二人が一緒にいるのだろう。芽衣を呼んで二人を見せよう。芽衣だけ呼ぶなら問題はないはずだ。唯はそう思った。

「いや、わざわざ芽衣をここまで呼んで先輩と芽衣の仲を邪魔しちゃ悪いから」

 美咲が焦ったように言った。

「そう? じゃあ、せめてここから姿だけでも見せようよ」

 考えてみれば悠人は大輝の顔を知らないのだからそれで問題はないはずだ。そう考えた唯は大輝の腕をつかんで教室の中に彼を引っ張った。彼が反射的に抵抗したせいで、唯たちの体はドアにぶつかりがたんという音を立てた。室内の注目が半ば体を教室の中に入れている唯たちに集まった。

 その中に悠人と芽衣もいた。一瞬、唯の視界にテーブルの上に置かれている芽衣の華奢な白い手と、それを愛撫するように覆っている悠人の手が映った。悠人に両手を撫でられていた芽衣がこちらを見て目を見開いた。

 そのときの芽衣の表情は今でも忘れられない。何かを恐れ何かを後悔しているような一瞬の複雑な表情。あれは単純に驚いただけではない。それから芽衣は慌てて悠人の手を振り払い自分の手をテーブルの下に隠した。

唯がその様子を見て最初に考えたのは、芽衣はまだ美咲の目の前で悠人といちゃいちゃしていることを気にしているのかなということだった。

 しかし、芽衣に手を振り払われた悠人はそこにいる男性の素性に思いあたったようで、彼は立ち上がり唯たちの方に向かってきた。芽衣が慌てて悠人の腕を掴んで彼を止めようとしたが、彼女の手は空振りした。

「もう。あんたのせいだよ。悠人先輩を止めて」 こちらに来ようとしている悠人を見た美咲が切迫した声で唯に言った。

たしかにこれは唯のミスだった。最初考えていたとおり芽衣だけを呼び出せばよかったのに、なんとなく勢いで大輝の腕を握って教室に引っ張っていってしまった。そして思っていたより芽衣は動揺した。

「わかった。あんたは秋田さんを連れてここから逃げな」

 唯は美咲に言った。そして大輝にも言葉をかけた。

「余計なことしちゃった。秋田さんすいません」

唯はこちらに向かってくる悠人の前に立ちはだかった。幼なじみの唯にとっては悠人を止めるのはそれほど難しくない。

「いい加減にしなよ。美咲と二人で学園祭を回っているだけの人になんでけんかを売るようなまねをするの」

 悠人にそう言いながらも唯は芽衣の方を見た。芽衣は全くこちらを見ようとせずじっとうつむいていた。

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