第13話

 高校二年生になっても唯は美咲と芽衣と同じクラスのままだった。

 この頃になると、唯はさすがに悠人と芽衣の仲を気にすることもなくなっていた。その頃は唯の感情は安定していたので、彼女はこのまま心を悩ますこともなく日常が続いて行くと思いはじめていた。

 悠人の浮気な恋は続いていたけど、芽衣のように遊びではなく真面目に付き合わなければいけない女の子にアプローチする様子はなかった。 そんなある日、唯は再び美咲に屋上に呼び出された。中学生のとき美咲に告白されて以来足を踏み入れていなかった屋上に、唯は少し困惑しながら出向いて行った。

 いくら何でも唯への再度のアタックではないだろうと彼女は思った。でもそれならば、こんなところに呼び出す必要はない。唯への告白ではないまでも、何か周囲に人がいて聞かれたら困ることを話そうとしているのだと彼女は考えた。そして正直不安に感じたのは、美咲が悠人を好きになったのではないかということだった。

 もちろん美咲は同性愛者だ。でも同時に美咲は悠人と仲がいい。そもそも先輩に迫られて困っている美咲を助けるために、唯が悠人を紹介してから、悠人と美咲は仲良くなった。

 もちろん悠人には常に彼女がいたし美咲が好きになるのは女の子だ。二人が仲がいいと言ってもそれは恋愛的な好意を抱きあっているわけではない。だからそれは合理的な不安ではなかった。それでも唯は美咲の久しぶりの呼び出しに少し不安を感じた。

屋上の重い鉄のドアを開くと、すぐそこに美咲がいた。美咲は前回のように緊張している様子はなく、ドアを開けた唯に落ち着いた様子で手を振った。

「こんなところに来てもらっちゃってごめんね」

「別にいいけど。美咲、屋上好きだね」

「だって誰もいないから内緒の話がしやすいじゃない」

 内緒の話。やはり悠人への恋心を相談されるのだろうか。でも彼女がゆっくりと話しはじめたのは全然別な人への恋の話だった。唯は美咲から、芽衣のことを恋愛の対象として好きになったと打ち明けられたのだ。

 正直意外だった。美咲が同性愛者だということはわかっていたし、彼女がいつまでも唯に片思いをしていると考えていたわけでもない。ただ、何となく美咲はバイセクシュアルじゃないかと唯は考えていたのだ。

 そして日ごろの悠人に対する美咲の媚びていると言ってもいいくらいの態度を見ると、美咲の現在の恋愛対象は男性で、それは悠人だろうと心配していたのだ。

「うそでしょ」唯は思わず美咲に言った。

「唯はあたしのこと知ってるのになんで意外そうなの?」

 落ち着いてそう話す美咲には、初めて唯に告白したときのような緊張や恥じらいの様子は全くなかった。

「そういやそうだね」

 唯は最初の驚きを乗り越えると、安堵のあまり体の力が抜けた。美咲は悠人のことが好きなわけではなかったのだ。悠人のことになると自分本位な唯は、安心して美咲の相談に集中できるようになった。

 それにしても芽衣のことが好きだったとは。これまで仲のいい友だち同士以上の言動を見せたことはなかったのに

「いつからなの?」

「ここ最近かなあ」

 美咲がこのとき初めて少しはにかんだ様子を見せた。

「去年とかずっと一緒にいたけど親友以外の感情はなかったんだ。でも最近ね、芽衣がほかの人としゃべっているともやもやするの」

「ほかの人ってあたしでも?」

「唯は違うよ。というか芽衣が女の子と一緒にいても何も感じないんだけど、男の子と話していると嫉妬する」

「たしかに芽衣はどんな男の子にも愛想はいいけど、内心では全くその男の子たちに関心がないと思うな」

「それはわかってる」美咲がすぐに答えた。「特定の男子の場合だけだよ」

「誰それ」

「悠人先輩」

 唯は再び聞きたくないことを聞かされそうな気がした。でも美咲は先回りして唯の心配を解消してくれた。

「大丈夫だよ。芽衣が悠人先輩のこと好きだって言ってるんじゃなから」

 美咲に上から目線で慰められた唯は正直むかついた。もとはと言えば美咲の告白のせいなのに。

 彼女の告白を断ったことに気がひけた唯は、本来言わなくてもいい自分の秘密をを彼女に明かした。そんなことまでしなくてもよかったのに。もう何度繰り返したかわからないくらい、唯は美咲に悠人への片思いを話したことを後悔していた。

「芽衣が悠人への恋愛感情を持ってないなら嫉妬することないじゃん」

「そうなんだけど、悠人先輩の方は芽衣が好きなんじゃないかな」

 そう言ってから唯の顔を見た美咲は慌てて付け加えた。

「もちろん単なる想像だし、芽衣の方に先輩への気持ちがないから、たとえそうだとしてもどうなるわけでもないけど」

悠人が芽衣を好きな可能性は確かにあると唯は思った。というか唯はそのことにずっと悩んできたのだ。

 それにしてもこの子の相談は何なのだろう。これ以上悠人への気持ちを話題にされたくなかった唯は、美咲に続きを促すことにした。

「それはわかったけど、それで相談って? 芽衣が好きですってあたしに言いたかっただけ?」

 美咲は少し嫌な顔をした。自分の気持ちを上から目線で触れられたことが気に障っていたため、唯の言葉も少しきつくなったようだった。

「ごめん。唯だって生徒会で忙しいのに、わたしの相談なんて聞かされるの迷惑だよね」

 こうなると、美咲は手がつけられなくなる。その前に美咲の感情を修復してあげなければならない。そうまでして美咲に気をつかう必要はないのだが、これを怠るとそれ以上に面倒なことになる。今までそれに懲りてきた唯はすぐにフォローの言葉を入れて彼女の気持ちをこちらに向けさせた。

「全然迷惑じゃないよ。それで美咲はどうしたいの? 芽衣に告白するの?」

 多分それは無駄だろうと思いながら唯は美咲に聞いた。

「ううん。芽衣が女の子と付き合ってくれるわけない。あの子はストレートだし」

 自分の恋愛に話が振られたことで、少し機嫌が直ったのか美咲は答えてくれた。そして、意外にと言ってはなんだけど彼女にしては冷静に相手と状況を判断しているようだった。

 あたしに告白したときも同じように冷静に判断してくれたらよかったのにと唯は内心思った。「そうか。つらいね」

「慣れてるから。それに好きになってもらえなくても、自分が芽衣を好きでいるだけでも、それはそれで幸せかも」

「そうなんだ」

 それならなぜわざわざ屋上に呼び出してまでこんな打ち明け話をするのだろう。

 美咲が次の言葉を出すまでに少し間があった。何かを口にするのをためらっているようだ。

「わたし、芽衣に警戒されているかも」

「警戒って?」

 どういうことだろう。同じクラスになった高一の頃から、この二人は心を許しあった親友だと思っていたのに。

「わたしってわりとフレンドリーな性格じゃない。だからよく誤解されるっていうか」

「どういう風に誤解されてるの?」

「芽衣と二人で歩いていて手を握るとか、疲れたーて言って芽衣の肩に顔を乗せるとかすると、なんか最近芽衣が避けたり逃げたりするんだよね」

 ああ、そういうことか。唯は腑に落ちた。美咲は気を許した相手との距離の取り方が近すぎるのだ。最初はそういう子だと思って調子を合わせていた芽衣も、さすがに何かおかしいと感じ出したのだろう。

 同じ経験は唯もしていた。彼女の場合は考えすぎとかではなく、美咲がガチの告白に到ったため、それが考えすぎではなかったことに気がついたのだが。

「芽衣が好きだとしても過剰なスキンシップはやめといた方がいいよ」

「わかってる。これからは気をつけるけど。問題は芽衣がもう誤解しちゃっていることなんだ」

 いや誤解じゃなくて真実じゃない。

「相談はね。芽衣の誤解を解くにはどういたらいいかってこと」

「スキンシップを控えるだけじゃだめなの?」

「芽衣がわたしのことを疑いだしちゃったとしたらそれだけではだめだと思う」

「そうかなあ。でもそれだともう何もしようがないじゃん。いっそダメモトで芽衣に告ってみたら」

「そういうこと無責任に言わないでよ。唯に続いて芽衣にまで振られたら、わたしはもう耐えられない」

「ごめん」

 謝る必要はないと思ったけど、話をこじらせないためには必要なことだと唯は割り切って言った。「じゃあどうするの?」

「あのね」

 美咲がやや声を小さくして言った。唯にアドバイスを求める気はなく、自分が考えた方針に同意して励ましてもらいたかったみたいだった。

 なんでこの子と友だちでいようと思ったんだろうという考えが、一瞬唯の頭をよぎった。

「誤解を解くために好きな男の子がいる振りをしようと思うんだけどどうかな」

 唯はそれまで感じていた困惑が吹き飛ぶほど笑い出してしまった。

「健気だね美咲は」

 笑いすぎて出てきた涙を唯は拭き払った。

「少し考えすぎじゃない? 芽衣と友だちでいるだけで我慢できるなら何もわざわざ好きな男なんてでっち上げる必要ないじゃん」

「わたし、芽衣に少しでも変な子だって思われたくない。周りのみんなが好きな男の子の話してるのに、わたしだけこれじゃレズの子だって思われるかもしれないし」

 美咲は唯に笑われたのがいかにも心外だという表情を見せた。

 ・・・・・・思われるかもってあんた実際にそうじゃん。唯はそう思ったけどそれを口にしないだけの理性は保っていた。

「だけど、それをしたら美咲が芽衣と付き合う可能性はなくなるんじゃない?」

 それは当然の疑問だった。芽衣に同性愛者だと思われないようにする。そのために好きな男の子がいるように偽装する。そうなれば芽衣は美咲を同性愛者だと思わないだろうが、逆に美咲と芽衣が付き合える可能性も潰れることになる。

「芽衣には女の子と付き合う気がないと思うから付き合えなくても仕方ないけど、せめて芽衣の側にいたいの。親友としてでもいいから」

 美咲が言った。

「だからあの子に警戒されたくない」

美咲がそこまで言うのなら、彼女は本気で芽衣のことが好きなのだろう。無理強いして芽衣の気持ちを自分に向けさせるよりも、恋人としてでななくてもいいから彼女の側にいたいと思うくらいに。

 ただ、美咲は男子に人気がある。美咲が好きな振りをされる男子の気持ちはどうなるのかと唯は考えた。美咲の片思いなら問題はないが、相手の男子が美咲の演技にその気になってしまったら。

「それで美咲はいったい誰を好きなことにしたいの」

「悠人先輩」

 美咲は平然と口にした。唯がどう思うかなんて全く気にしていないように。

「え?」

 唯は一瞬血の気が引くような感覚に囚われた。美咲が好きな男の子がいるふりをする、その相手がなん で悠人でなくてはならないのか。

「わたしが好きって噂が広がって、その男の子がわたしに本気になられても困るじゃない? そうなったらその男の子に恥をかかすことになるし」

「それはそうだけど」

「悠人先輩ならわたしに興味ないみたいだし、そもそも女の子慣れしてるから、わたしに本気になることはないと思う」

 美咲の偽りの思い人が悠人だと聞いて頭に血が上った唯は少し落ち着いてきた。

 確かに悠人以外の男子が、美咲が自分のことを好きだと知ったとしたら、彼は平静ではいられないだろう。近くにいるといろいろ欠点も多い美咲だが、そんなことは美咲をよく知らない子には理解できないだろう。美咲の見た目はフェミニンでとにかく可愛いのだ。男子の好みとしては美咲と芽衣とで好みが割れると思うけど、仮に芽衣のことが好みだという男子でも美咲が自分のことを好きだと知ったら、確実に美咲のことが気になるり出すだろう。

そういう意味では、悠人はよく選ばれた相手だった。悠人が美咲に全く興味がないかどうかは定かではないけど、中一のときに悠人と美咲が知り合って以降、悠人が美咲に積極的に誘ったりしたことはない。芽衣に対する悠人の態度とは対照的だった。だから美咲が密かに自分のことを好きらしいと言う噂を聞いたとしても、悠人が今付き合っている女の子を振ってまで美咲に迫ることはないだろう。

 そこまで考えて、一気に感情のボルテージが下がった唯は、むしろそこまで自分が男子に人気があると何の疑いもなく宣言している美咲に飽きれた。

「でもまあ、そうか。あんたと芽衣はかわいいし、学園で男子に一番人気同士だもんね」

「かわいいなんてそんな」

 どういうわけか美咲は顔を赤くした。美咲の整った顔を見ながら唯は続けた。

「話はわかったけど、別にあたしに相談したかったわけじゃないでしょ? なんであたしに打ち明けてくれたの?」

「わたしにとって唯は大事な親友だから」

 美咲はあっさりと言った。

「わたしが本気で唯の大好きな悠人先輩のことを好きになったんじゃないってあらかじめ言っておきたくて」

 なるほど。美咲の今日の言動の理由を、放課後の屋上に自分を呼び出した理由を唯は理解した。そして理解できたそのことが彼女をイライラさせた。

 唯は自分の悠人への気持ちをいじられたくなかった。たとえ美咲に悪気がないとしても。今まで何度も美咲に自分の悠人への気持ちを打ち明けたことを後悔したことか。再び唯は自分の悠人への気持ちを上から目線の美咲に触れられたのだ。

 でも今それを言っても何で唯が不機嫌なのか美咲には理解できないだろう。彼女の行動原理は「唯のため」になりたいという動機によるものだから。そして、「唯のため」だと本当に美咲が思い込んでいるにしても、その背後には常に自分の感情を優先する思考がある。

「わかった。話してくれてありがとう」

 美咲にばれないよう心の奥底で唯はため息をついた。

「唯は親友だから」

 一仕事を終えて安心したらしい美咲が可愛らしく微笑んだ。


 美咲が悠人に片思いをしているという噂はすぐに校内に広がった。

 唯はあとで芽衣から聞いたのだけど、美咲は芽衣やクラスのほかの女の子と一緒にカラオケに行った際、そこでその場にいる友だちに打ち明け話をしたのだという。それも女の子たちが恋バナを始め、一通り話が済んだところで、誰かが美咲に好きな男の子はいないのって話を振ったらしい。事実だとすれば美咲は自分から仕掛けることなく自然に悠人が好きだという打ち明け話ができたのだ。

 そのとき居合わせた子たちが周囲に広めたのだろう。やがてその噂は悠人本人の耳に入ったらしいけど、それを聞いた悠人が喜んだり動揺したりしている様子はうかがえなかった。

 いつものように用事もなく唯のところを訪れた悠人は、唯とたわいもないおしゃべりをしつつもさりげなく芽衣を見つめたりしていた。だから美咲のアピールは悠人には全く響いていなかったけど、それも含めて美咲の思惑どおりだった。美咲のアピールは、本当は悠人にではなく芽衣に向けられているのだから。

 落ち着いて今回の美咲の自己アピールを考えてみると、そこにはある仕掛けが施され、ある意図を持っているようにも唯には見えてきた。

 美咲が唯に話したその目的は、芽衣が疑いを抱きだしたことに対して、自分が同性愛者なのではないかという懸念を解消することだった。だがよく考えると、美咲はもっと直接的で現実的な効果を同時に狙ったのではないか。

 美咲は芽衣が悠人と話をしているところを見ると嫉妬すると言っていた。芽衣が悠人に好意を持っている様子はないし、そのことは美咲も理解していたけど、嫉妬というのは理屈ではないだろう。一緒にいる二人を目の当たりにして心が傷つき痛みを感じているのなら、それをなんとかするしかない。美咲のアピールはそちらが主目的だったのではないだろうか。

 美咲は自分が悠人を好きだということをほかの誰にでもなく芽衣に知らしめることによって、万が一にでも悠人と芽衣の仲が発展しないように釘を刺したのだ。芽衣は自分の親友である美咲の気持ちを裏切ってまで悠人に接近することはないだろうから。

 そう考えだすと、唯にはこれが真実なのではないかと思えた。美咲は悪気なく人の気持ちにうとい一方で、このような心理戦を仕掛けることができる程度には頭がいい子だったから。

 そう考えだしてから美咲を観察すると、教室を訪れた悠人が芽衣に話しかけていても、そして芽衣が控えめに返事をしていても、美咲は動揺している様子を見せなかった。芽衣の気持ちに釘を刺したことで心の平安を得たのだろう。

それにしても、仮に芽衣が悠人に対して少しでも気があるのだとしたら、これはひどく卑劣な行いだった。本当は好きでもない悠人を利用することで、また、親友の恋愛感情を尊重する芽衣の気持ちを利用することで、美咲は悠人と芽衣の仲が恋人同士に発展する可能性を潰したのだから。

 仮に芽衣が悠人に対して恋愛感情を抱いていないとしても、悠人が芽衣を想う気持ちを無視した行為であることは間違いなかった。

こうした意図を本当に美咲が抱いていたか証明することは不可能だったから、唯はこの話を自分一人の中に封じ込めておいた。もちろん芽衣に話すこともなかった。

 そして唯の不穏な推測をよそに、美咲や芽衣の周囲は平穏な時がゆっくりと流れているようだった。

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