第12話
その後も唯は、以前と変らないように美咲に接するように心がけたし、もちろん彼女の恋愛対象が同性の女の子なのだということを誰かに話したりしなかった。美咲がそのことを周囲に話していない以上、彼女がそれを誰かに話すことなど論外だった。
唯は美咲とできるだけ今までどおり友だち付き合いしようと思っていた。美咲と恋人同士になる気はなかったが、いい友人同士でいたいとは考えていたから。
最初のうちはうまくいってた。美咲もあの日の告白のことは口にせず、これまでどおり友人として振る舞ってくれた。ただ問題は、生まれて初めてのカミングアウトを唯にした美咲は、今まで話せなかった自分の同性愛的な悩みをよく彼女に相談してくるようになったということだった。
これまで家族にも友人にも誰にも話せなかった悩みが、唯への告白という行為の結果彼女にだけは話せるようになったのだ。唯と付き合えなかったとしても、このことは彼女にとっては意外な収穫となったようだった。
最初のうちは彼女の求愛を拒絶したという引け目もあって、唯は真面目に相談を聞いていたのだが、その頻度が上がるにつれ正直うんざりした気持ちを抱くようになっていった。
好きな男の子の話でもこれだけずっと話されていたら嫌気がさすと思うのに、美咲から聞かされる話は、気になる女の子の話や、マイノリティであるが故に自分がこれまで悩み傷ついてきた来歴、つまり自分史についての一方的な話だった。しかも美咲は相談したいのではなく、唯には何も期待していないのだ。
要は自分の話を聞いてくれる相手が必要なのであって、美咲にとってはその相手がお気に入りのぬいぐるみではなく相づちを打ってくれる生身の人であることが重要なのだった。
その頃、美咲と二人で話すとき、七割方は美咲がしゃべっている状態だった。
さらに言えば、美咲の恋愛の話よりももっと唯の気に障ってきたことがあった。何といっていいか、唯は美咲からナルシスト的な匂いを感じていたのだ。もっとわかりやくすく言えば自分勝手。
美咲は常に自分の気持ちを最優先した。それは恋とか友情とかそういう次元でもなく、日常の、例えば放課後の過ごし方とか昼食をどこで食べるかとかそういう場面で頻繁に感じた。
そうした一見つまらない日常的な場面で、美咲は常に自分の気持ちを優先した。やりたいこと、行きたい店。美咲と唯の意向が異なると、美咲は可愛らしく笑いながらどうしようか? って彼女に聞く。唯がカラオケに行きたいならそれでもいいよと答えると、いいよ唯が行きたいならそっちに行ってもと美咲は答える。
いつもは唯が譲っていたのだけれど一度本気でイライラして、彼女の行きたい場所ではなく自分が行きたい場所を選んだことがあった。その日、美咲はだんだん不機嫌になり言葉数が少なくなっていった。それに懲りた唯は、それからは美咲の意向を尊重して折れるようにしたけど、それが重なるにつれ唯にもいろいろイライラする感情が積み重なるようになってきていた。
それでも放課後の生徒会と違って、クラスの中でほかに仲のいい子がいなかった唯は、美咲と距離を置くことはなかった。それに美咲の言動が常に鼻につくということでもなく、普段の会話は美咲主導とはいえ、ほとんどの場合それは害のないものだった。
唯と美咲は中学校三年間を同じクラスで過ごしたということもあり、相変わらず周囲からは仲のいい親友同士と思われていた。
そうした状況が変わったのは、彼女たちが高校生になったときだった。
四月のある日、富士峰の高一に進級し新学期が始まった朝、スマホ上の富士峰学園の連絡アプリに新着通知があった。昨年度までは新年度になる朝、本館前の掲示板で自分の新しいクラスを探すという結構大変な作業を強いられていたのが、今年から朝七時になればこの連絡アプリで自分のクラスを確認できるようになっていた。
朝食を中断してアプリの通知を見ると、彼女の新しいクラスはH1Bと表示されていた。高校一年のBクラスという意味だ。同時に美咲からLINEのメッセージが入った。
『わたしB組だったけど、唯はどうだった?』
今年も美咲と同じクラスだった。こんなのは彼女たちくらいしかいないだろう。中一から連続四年間同じクラスだなんて。
こうして良くも悪くも唯と美咲は高校一年間を同じクラスで過ごすことになった。中学生時代と同じように彼女と過ごすのかなと唯は思っていたが、幸か不幸かそうはならなかった。
その朝、登校し高校の校舎に入って三階にある高一B組の教室に行くと、入り口に座席の配置表が貼ってあった。
今までの三年間美咲と同じクラスではあったけど、席が近かったことはなかった。唯が指定された座席に着くと隣に美咲が座っていた。
「おはよ。すごくラッキーだね」
美咲が話しかけてきた。
「え? マジで?」
唯は驚いた。
「隣同士って初めてだね」
「すごい偶然じゃん」
すごい偶然だと彼女は思ったけど、美咲の方をうかがうと口で言うほど興奮している様子はなかった。美咲はすぐに唯から目を離して自分の席の前の席にいる子に話しかけた。
「芽衣、この子は唯。中一からずっと同じクラスなんだ」
「二人はすごく縁があるんだね」
芽衣と呼ばれた子が唯に向かって微笑んだ。「大崎芽衣です。よろしく」
「戸羽唯です。よろしくね」
唯は慌ててこちらを見て微笑んでいる少女に答えた。
この学校は生徒数が多いが、完全中高一貫校なので高校生になって初めましてという相手はいない。少なくとも存在くらいは知っているのが普通だ。
唯はこの大崎芽衣という子とこれまで話をしたことはなかったが、その存在はよく知っていた。それはこの子が学園の人気者だったからだった。
美咲も男の子の間で人気があるけど、大崎芽衣の場合は男女問わずに好かれているようだった。芽衣も、美咲とは異なるベクトルではあるが容姿には恵まれている。美咲は見た目は、一見とにかく女らしいフェミニンな印象だけど、芽衣は明るく人なつこい。
彼女の周りには人が集まるが、その性格のなせるゆえか彼女を巡って人間関係のトラブルが起こることはあまりない。それは芽衣が自分の人気の高さを鼻にかけず周囲を気遣える子だからであり、美咲が悪気なく自分優先な性格の持ち主であることと対照的だった。
そして男女問わずに人気がある芽衣だったが、やはり男子からは恋愛の対象として見られていた。うわさで伝わってきただけで、少なくとも三人の男子から告白されたはずだが、その試みが成就した様子はない。
以上が唯が芽衣について知っていることだが、唯はこれまで芽衣と直接話をしたことはなかった。「芽衣はこのクラスには友だちが全然いないんだって」
そうかもしれないが、聞いているとおりの子だったら友だちなんてすぐにできるだろうと唯は思った。それも芽衣の方から行動する必要もなく。現に唯と同じで芽衣と話したことはなかったであろう美咲も、もう彼女を芽衣って呼び捨てにしていた。
「そうなんだ。それはきついね」
唯は話を合わせた。
「だからさ。お昼とか芽衣も一緒でいいよね。席も近いし」
「もちろん」
「唯ちゃんありがとう」
芽衣が微笑んで言った。
唯ちゃんと言われた彼女は、こういうところがこの子の人懐っこさとは裏腹な礼儀正しさなんだろうなと考えた。それでも友だちになるのならちゃん付けは不要だった。
「唯って呼べばいいじゃん」
唯がそう言う前に美咲が話に割り込んだ。確かに「ちゃん」はいらないけど、美咲にそう言われると少しいらっとする。でも目の前では芽衣がこっちを見ていた。
「唯って呼んで」
唯はあきらめて言った。
こうして高校一年の学校生活は三人で過ごすことになった。芽衣が仲間に入ることについて、唯は期待と不安を同時に感じていた。
期待していたこと。それは芽衣も一緒に過ごすようになれば、美咲の悪気のない自分本位な言動が多少は改まるのではないかということだった。
三年間慣れきった唯との関係と異なり、知り合いになったばかりの芽衣には美咲も気をつかうだろう。それに美咲は芽衣に対して一目置いているような様子も見られた。
美咲はその女らしい容姿によって特に男子生徒から人気があるが、芽衣の男女を問わない全方位からの人気と比べると少し見劣りがした。
不安の方は置いておくとして、唯の期待は裏切られなかった。美咲は確かに芽衣に一目置いていた。そして美咲の唯への態度は今までどおりだった。つまり彼女は明白に唯を芽衣の格下と位置づけたのである。例によっておそらくは悪気なく、無意識に。
それでも期待が裏切られなかったのは、唯に対する芽衣の気遣いのおかげだった。唯の意向を全く気にしない美咲と異なり、芽衣はいろいろと気をつかってくれた。美咲が無視した唯の意向にそっと寄り添って、自分もそこがいいなとさりげなく美咲に話し、援護射撃をしてくれたのだ。
おかげで以前よりだいぶ唯のストレスは軽減された。そして、芽衣が上手に会話を回してくれたおかげで、自分の意向が通らなくても、以前と異なり美咲が不機嫌になることもなくなった。
学校の日常生活を芽衣と一緒に過ごすようになると、唯はだんだんと芽衣のことを理解できるようになった。
芽衣は、とにかく年齢・性別を問わずに周囲の生徒からの人気がすごかった。美咲ももてる子だけど、本人にとっては不本意なことに言い寄ってくるのは男子ばかりだった。
美咲は興味や関心のない男の子に対しては、ほとんど無視に近い態度を取っていた。
中学一年のときの高三の男子からの告白事件だって、今にして思えばもう少しうまく対応していればあそこまでもめなかったのではないか。中一の女子に無視に近い態度で拒絶されれば頭に血が上る男子だっているだろう。
それに対して芽衣は、近づいてくる男子に対しては、明るく開けっぴろげで隔意ない態度で接している。本気の告白に対しては結局は断るのだけど、拒否する際の態度には相手の感情を気遣う思いやりがあった。
芽衣は人当たりはいいけど、本当に好きな人は男女問わずこの学園にはいないのではないかと唯は思った。多分、唯や美咲も芽衣にとってはその他大勢と同じだったのではないか。
それでも表面上は、唯たちは仲良く一緒に過ごしていた。校内では三人で、放課後は生徒会室に向かう唯を除いた二人で。
一見平穏なそうした学園生活も、いつまでもそのまま過ぎていってはくれなかった。芽衣と会って感じた不安の方も、やがてその正体を現した。ある昼休み、悠人が気まぐれに唯に会いに来た。以前からたまにあることだったけど、いつもは、悠人は唯をからかうように他愛もない話をしてすぐに消える。それは唯にとってとても大切な時間だったし、めったに姿を現さない悠人が来ないか、唯はいつも気にしていた。
ただ、その日唯に会いに来た悠人は、そこで初めて芽衣と出会った。悠人は唯に声をかけ、美咲にもあいさつしたが、やがてその視線は唯たちと一緒にいた芽衣に釘付けになった。しばらくして悠人は芽衣から視線を外し唯を見た。
「この子は初めましてだよな?」
「悠人初めてだっけ。この子は芽衣だよ」
そう言う以外にどんな選択肢が唯に与えられていただろう。
「こんにちは」
いつものように明るく、しかし特別な意味は込めていない声で芽衣が悠人に言った。他の女の子と違い、芽衣が悠人の外見や言動に感銘を受けている様子はなかった。
「唯の友だち? 俺は悠人って言うの。よろしくね」
さりげなく下級生に話しかけているようでいて、悠人の声にはある種の熱が込められているのが唯にはわかった。そして、彼の視線は芽衣から離れなかった。
芽衣は悠人に軽く頭を下げた。それで彼への義理は済んだと考えたのだと思う。それは芽衣がよくする、自分に言い寄って来た男子への接し方だった。悠人の方はそんなことで芽衣とのやりとりを打ち切る気はないようで、唯と芽衣の間に割って入った。
芽衣は自分の目の前に無遠慮に割り込んだ悠人に戸惑ったようだった。自分に自信のある悠人らしい距離の取り方だったけど、こういう振る舞いは芽衣には逆効果なようだった。
「何してるのよ。芽衣が驚いてるでしょ」
「悪い。芽衣ちゃんってどこかで会ったかなって思ってさ」悠人が芽衣を見つめながら言った。「俺たちどこかで会ったっけ」
「さあ」
芽衣が悠人の強い視線から目をそらし困ったように笑った。
「芽衣はあんたと会ったかどうか覚えてないって」
唯は口を挟んだ。困惑した様子の芽衣を助けるためだった。唯は美咲との関係における芽衣のアシストに恩義を感じていた。だからここは困っている芽衣を助けようと思ったのだけど、唯の動機はそれだけではなかった。唯は芽衣に嫉妬し、これ以上悠人が芽衣に興味を抱いている様子を見たくなかったのだ。
「ほら、そろそろ昼休み終わるって。自分の教室に帰りなよ」
「どこかで会ったと思うんだけどなあ」
悠人は首を傾げた。芽衣の関心を引くための芝居なのか、本気で何かを思い出そうとしているのかはよくわからなかった。結局彼は首をすくめた。「思い出せねえや。まあいいや。芽衣ちゃん、これからもよろしくね」
そう言って悠人は唯たちの教室を出て行った。
唯が去って行く悠人を見送ってから芽衣と美咲を見ると、二人は顔を見合わせていた。
「芽衣って悠人先輩と会ったことあるの?」
「ないと思う」
さっきの悠人の言動は、少しでも芽衣と近づくためだったのかもしれない。そうだとすると、女の子に精力を割くことのない悠人にしては珍しい。それほど芽衣のことが気に入ったのだろうか。
「先輩、芽衣のこと気に入ったんじゃない?」
美咲が興味津々といった様子で聞いた。
「ね? 唯もそう思うでしょ」
唯は嫌な気分になった。美咲は唯の悠人への思いを知りながら、こういうことを平気で聞くのだ。本人には悪気はないらしいけど、それは自分でも疑っていながら考えないようにしていたこと、つまり悠人が芽衣に惹かれているのではないかということを、改めて白昼のもとにさらけ出すものだった。
「どうかなあ」唯はいやいや、でもそうは見えないように気をつけて答えた。「でも、あいつ今付き合っている子いるよ」
「先輩ってそういうのあまり気にしないで女の子口説いているじゃん」
「まあ確かに」
唯もそれは認めざるを得なかった。だいたい誰でも知っていることでもあったし。
「芽衣はどうなの? 先輩のこと気になる?」
美咲は芽衣に聞いた。
それは、唯に対するような軽い聞き方ではないように聞こえた。美咲はなにを気にしているんだろう。
「どうって、よくわからないよ。今日知り合ったばかりだし」
芽衣は困惑したように軽く笑った。
「芽衣は男に関しちゃえり好みが激しいからなあ」
美咲が茶々を入れた。
「そんなことないよ」
「絶対そうだよ。今まで彼氏いたことないんでしょ」
「美咲だってそうじゃん。中学入ってから今まで好きな人できたことないでしょ」
芽衣は知らないのだと唯は思った。美咲には好きな人ができたことがある。それは唯自身。
ただ、唯は美咲の秘密はずっと守っていたから、その性的な指向について誰にも話したことはない。 そこで昼休みが終わったので、話はそこで中断された。
それから悠人は以前より頻繁に唯たちの教室を訪ねるようになった。悠人はあからさまに芽衣を口説くことはないが、確実に芽衣との仲を深めていった。芽衣はああいう人見知りしない愛想のいい性格で、悠人も女の子と話すのに遠慮するような人間ではない。
その結果、二人はすぐに仲良くなったが男女の仲には至っておらず、傍目にはお互いに意識しあっている様子もなかった。だいたい悠人にはそのとき学園内でおおっぴらに付き合っている同学年の女の子がいて、二人はよく一緒にいたし、芽衣も美咲に聞いてそのことを知っていたから、安心して悠人と話せたということもあると思う。
それでも最初のうち、唯は芽衣を警戒し、彼女に対し嫉妬心すら抱いていた。悠人には彼女もいるし、芽衣を口説く様子もない。だから心配する必要はないのだと自分に言い聞かせたのだが、唯の嫌な予感は収まらなかった。
これまで、悠人の今までの彼女に対して、唯はあまり嫉妬することはなかった。付き合ってから別れるまでの期間の短さを見ると、悠人が本気で好きになっているとは思えなかったからだ。それに、今の彼女を含めた悠人の歴代の彼女たちは、見た目はいいかもしれないが、正直薄っぺらく中身があるようには思えなかった。
唯はそんな子たちよりも、幼なじみであり長い月日を悠人と共にしてきた自分が負けているとは思えなかった。それが彼女の余裕につながっていたのだ。
悠人の相手が芽衣だったらどうだろう。唯は考えた。芽衣は見た目も性格も可愛いうえに芯が強く、彼女の中には確立した強い意志があるように思えた。成績も上位に位置しているから唯とはいい勝負だ。そんな芽衣が悠人の彼女だったら。
唯はそのあたりまで来ると思考を停止させた。考えても仕方のないことなのだ。
それから高校一年の間は悠人と芽衣に関しては何事も起きなかった。あいかわらず教室では三人で過ごし、放課後は生徒会室に行く唯を見送ってくれた二人は並んで学校を後にする。
だいたいは途中まで電車で一緒に帰っているだけだったらしいけど、たまには寄り道をして買い物をしてその後カフェでお茶したりとかしていたみたいだった。
そうした芽衣と美咲の二人の放課後でどんな話をしていたのか、唯は知らなかった。最初のうちは二人が唯不在の時にどんな話をしているのか気になっていた。芽衣が悠人をどう思っているとか、女の子同士の打ち明け話を二人でしているのではないかと考えていたのだ。
でも、悠人と芽衣に何かしらの進展があるわけでもなく、悠人が自分の彼女を何度か取り替えただけで、やがて一年生の冬が終わり二年生の春がきた。
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