第9話
大晦日の夜十時過ぎ、大輝は車を自宅の車庫から出して、まず芽衣の家に向かった。
初詣は芽衣も一緒でいいかと聞かれたとき、さすがに年末は悠人も受験勉強するんだなと思った。そして芽衣の同行を断る理由もなかった。もともと芽衣も一緒に、三人で遊びたいと美咲から言われていたのだ。
今夜は、深夜に出発して年が明ける瞬間を一緒に過ごす計画になっていた。美咲の家より芽衣の家の方が彼の家から近いので道順としては最初に芽衣の家に行くのが正しいのだが、美咲のいない間に芽衣と二人きりになることを考えると、それがわずかな間だとしても大輝は胃が重たく沈んでいくようだった。美咲と二人ならこういう憂鬱な気分になることはないのに。
考えてみれば、これまでは芽衣と二人きりでドライブしても、芽衣の家で二人きりでいても、居心地の悪い思いなんかしたことはない。それなのに今こういう思いを抱いているのは、きっと二十四日に芽衣が志賀悠人と一晩を一緒に過ごしていたと聞いたからに違いなかった。
芽衣が悠人の彼女であることはもちろんもう納得していた。それでも芽衣が悠人と一緒に泊まって、そういう関係になっているのだと想像することはつらかった。
芽衣の母親は芽衣の外泊を許すほど放任主義ではないはずだが、その晩芽衣が帰宅しなかったことを許したのだろうか。
芽衣の家は大輝の家からそれほど離れていない。乱れる考えをまとめる間もなく、彼は芽衣の自宅に到着した。これまであまり考えていなかったのだが、いざ芽衣の自宅前に着くと、到着をどうやって芽衣に知らせればいいのかとまどった。こんな遅い時間に入り口のチャイムを鳴らすのは彼にとってハードルが高い。かといって海外の映画でよく見るように車のクラクションを鳴らすのも現実的とはいえない。静かな住宅街でそんなまねはできない。
しかたなく彼はLINEで芽衣にメッセージを送った。しばらく画面をにらんでいたがいっこうに既読にならなかった。車のエンジンを切っているので周囲の家々の人に迷惑はかけていないと思うが、車のエンジン音で彼の到着を芽衣に気づいてもらう可能性もなかった。
すでに芽衣の家の前に到着して五分以上が経過している。このまま芽衣が家の外に出てこなければ、美咲を迎えに行くと約束した時間にも遅れてしまう。最悪、迷惑は承知のうえで芽衣の家のチャイムを鳴らそうか考えていたとき、芽衣の家の玄関が開き、芽衣の母親が外に出てきた。大輝は車のドアを開け外に出た。
「大輝君、お久しぶり」
芽衣の母親が笑顔で彼にあいさつしてくれた。大輝は芽衣の母親には気に入られているのだけど、それにしても夜中に娘を訪ねてきた男子大学生に対して、とても好意的な態度だった。
「ご無沙汰してます。夜遅く来ちゃってすいません」
「いいのよ。大輝君でよかったわ」
芽衣の母親が微笑んで言った。その言い方から、大輝は彼女が自分の娘の相手として志賀悠人より自分の方を望んでいるらしいと感じ取った。芽衣自身はそんなことは全く望んでいないだろうけど。そう考えると、美咲のことを大切に考えるようになっていた彼の中では矛盾しているようだけど、芽衣の好意が志賀にだけ向けられていることに対して大輝は何だか少しいらつくような感情を抱いた。
「ちょっと待ってね。今、芽衣は一所懸命おめかししているから」
もしかして振袖を着ているのか。大輝の疑問は顔に出ていたようで芽衣の母親は笑って否定した。
「期待させちゃったとしたら悪いけど、振袖じゃないわよ」
「いや、そんなわけじゃ」
「せかしてくる。もう少し待っててね」
芽衣の母親は家の中に消えていった。
やがて再び家のドアが開き、今度は芽衣が出てきた。もちろん着物姿ではなく、白いタートルネックのセーターの上にベージュのステンカラーのコートを着ていた。
「こんばんは。大輝君久しぶり」
深夜にふさわしくない高いテンションで、助手席に乗りこんだ芽衣が言った。
「今日は邪魔しちゃってごめん。迷惑だったでしょ」
「そんなわけないじゃん」
大輝は少し強い口調で言った。
「ありがとう。なるべく邪魔しないようにおとなしくしてるからね」
「普通にしてればいいよ。だいたい芽衣が静かになんかしてられるわけないじゃん」
「あ、ひどい」
芽衣が笑った。それで車内は以前ドライブしたときのような気楽な雰囲気になった。
それから美咲の自宅までの短い時間、芽衣は冬休みの過ごし方や芽衣の家族の消息などについてずっと話し続けていたから、普通にしていればという大輝のアドバイスは不要だったみたいだ。
ただ、志賀悠人については、わざとかどうかはわからないが一切触れようとしなかった。芽衣と一緒にいるといつもそうなのだが、時間が早く過ぎ去っていくように感じる。多分、会話の際の相性がいいからだろう。美咲と一緒にいるのももちろん楽しいが、彼女といるときは大輝は美咲が上手に会話を回すように気遣っているなと感じるときがあった。そういう疑問は芽衣と一緒にいるときは全く生じない。
美咲の家まではゆっくり行っても二十分くらいだが、このときは五分くらいにしか感じなかった。それだけ久しぶりの芽衣との会話は楽しかったのだ。もっとも主に喋っていたのは芽衣の方だった。それでも大輝は芽衣の話に相づちを打つだけでも楽しかった。
美咲の家の前で車を止めると、芽衣を乗せてから初めて車内に沈黙が訪れた。
「迎えに行かないの?」
芽衣が沈黙を破って不審そうに聞いた。
「どうしよう。どうやって呼び出すか決めてなかった」
「深夜ってわけじゃないし、普通にチャイム鳴らせば?」
「夜いきなり知らない男が美咲を迎えにきたら、ご両親だって驚くだろうし」
「え? 知らない男って・・・・・・、大輝君、まだ美咲の両親に紹介されていないの?」
「うん。そもそも彼氏ができたってことも両親には言ってないんだって」
「何それ? 大輝君と美咲って本当に付き合ってるの?」
「おれに聞かれても」
これに関しては、そもそも大輝に責任がある話ではない。かといって、いつになったらご両親に紹介してくれるのなどと、結婚を焦る女性のようなことを美咲に聞くのも情けない。
「まあ、わたしには関係ないけど。どうやって美咲を呼び出すの? わたしが声かけてこようか」
少しあきれたような声で美咲が言った。
そのとき美咲のスマホが振動した。
「あれ、美咲から電話だ」
芽衣がスマホの通話ボタンをタッチした。
「美咲? うん、今あんたの家の前に着いたとこ。わたしが玄関まで迎えに行けばいいの? わかった」
「美咲ちゃんから?」
「うん。この時間に出かける言い訳が、わたしと一緒に初詣としか思いつかなかったんだって。だからわたしに家まで迎えに来てほしいって」
「ずいぶん出たとこ勝負な話だね」
大輝はあらためて自分の彼女にあきれた。
「わたしってもしかして美咲のママ対策で呼ばれたのかな」
芽衣がふと思いついたように言った。
「いや、それはないよ」
大輝は慌てて言った。
「美咲ちゃんは、芽衣の彼氏が受験で芽衣が寂しいだろうから誘ったって言ってたし」
「そうか。まあいいや、ちょっと行ってくる」
芽衣はそう言い残して助手席を落ちて美咲の家に向かった。大輝が眺めていると、芽衣が玄関に近づくと、玄関の照明が灯りドアが開いた。この距離からはよく見えないけど、美咲と美咲の母親らしき人が中から出てきて芽衣にあいさつした。
芽衣が振り返ってこちらを指さしてなにか美咲の母親に話している。すると美咲の母親が彼の車の方に歩き出した。美咲と芽衣もその後をついてきた。大輝は慌てて髪をなでつけ服装を整えた。
「初めまして、美咲の母です。うちの美咲がお邪魔しちゃってごめんなさいね」
大輝は車の外に出てあいさつした。
「秋田です。初めまして」
それにしても美咲が邪魔をしてとは何だろう。
「お付き合いされてるんだから、二人きりがいいわよね。うちの子って気が利かなくて」
「ママ、早く行かないと道混んでるから」
美咲が母親の話をさえぎった。
「行ってくるね」
「行ってらっしゃい。芽衣ちゃんもありがとう」
「いいえ。いつも大輝君と二人なので、たまには賑やかな方が楽しいです」
芽衣が涼しい表情で言った。美咲の顔色が少し変わったような気がした。
「じゃあ、どうぞ」
大輝は後部座席のドアを開けた。芽衣と大輝が恋人同士という設定になっている以上、助手席には芽衣が座るべきだろうと彼は思った。
「すいません」
美咲が殊勝に言って後部座席に収まった。芽衣も助手席に乗りこんだ。
「失礼します」
大輝も美咲の母親にあいさつして車に乗った。
「よろしくお願いしますね」
美咲の母親は大輝に言ってから、美咲の方を向いた。
「あまり遅くなっちゃだめよ」
「わかってるよ」
車を出してしばらく車内には沈黙が続いた。
「ごめんなさい」
やがて美咲が沈黙を破った。
「誰に謝っているのかなあ、美咲さんは」
芽衣が後ろを振り返って美咲を見た。
「ごめんって」
「誰に何を謝っているのかって聞いてるの」
「うちのママ厳しくて、高校生のうちは男性との付き合いは許さないって言われてるの。だから大輝君と付き合っていることはまだママに言えてなくて」
「わたしと大輝君をカップルにしなくてもいいじゃない。この先、美咲のママに会うたびに彼氏の話を振られちゃうじゃん。わたし、もう嘘つくのやだよ」
「本当にごめん。他に考えつかなくて」
「駅とかで待ち合わせすればよかったのに」
「無理無理。夜に一人で外出なんかさせてくれないよ」
「だからってこんな嘘つかなくてもいいじゃない」
「ごめんって」
美咲が少し甘えるような口調で言った。前から感じてはいたことだが、この二人には何というかこういうことが許されるような関係性があるようだ。
「美咲、この先どうするつもりよ。ずっと親に隠しながら大輝君と付き合うの?」
芽衣が少しだけ口調を柔らかくした。
「違うよ。大学に入ったらちゃんとママに話すよ」
美咲が釈明した。
「大輝さん、ごめんなさい。そのときになったらちゃんとママに話すから」
大輝は何と答えていいかわからなかった。自分が怒るべきなのかどうかすらよくわからない。別に結婚するわけでもないから、親に紹介されなくても付き合うことはできるだろう。ただ、自分はそんなに親に紹介しづらい人なのだろうか。
「ちゃんと話すってどう話すのよ。親友の芽衣の彼氏を奪いましたって?」
芽衣が少し意地悪く言った。
「芽衣は大輝さんと円満に別れて、今は志賀っていう高校時代の先輩と付き合い出したって言うよ」
「あんたねえ」
芽衣はついに呆れたように笑った。どうも美咲の勝ちのようだった。
「許してくれる?」
「今度からちゃんと前もって言ってよ。大輝君にだって言ってなかったんでしょ」
「わかった。でも、大輝さんは頭の回転が早い人だからちゃんとわかってくれると思ってた」
この頃になると、海に向かう国道はいつもと違い渋滞してきていた。多分、周囲の車の多くは彼らと一緒の目的地に向かっているのだろう。毎年、その混雑具合が夜中のテレビで放送されるような神社に向かって大輝は車を走らせていたが、このあたりから車は止まっては少し進むのを繰り返すようになった。
大輝が運転に集中している分、仲直りした芽衣と美咲は、いつものとおり賑やかに会話をしていた。これなら、芽衣も美咲と一緒に後部座席に座らせた方がよかったかもしれない。
「何時ごろ着くの?」
おしゃべりに一区切りついたタイミングで、道路の渋滞で車がノロノロと動いたり停車したりを繰り返していることに気がついたらしい芽衣が大輝に聞いた。
「さあ。見当もつかないけど、このまま渋滞が続くようだと神社に到着前に日付が変わるかも」
「車の中で明けましておめでとうかあ」
「いいじゃない。このメンバーで一緒に年越しできるなら、車の中でも嬉しい」
美咲が後ろから話に加わった。
「あんたは彼氏と一緒だからそうでしょうけどね」
「芽衣はやっぱり志賀先輩といたかったよね」
「いや、受験直前だし初詣行きたがるようなら逆に注意するよ」
「それもそうか」
大輝は前の車の動きに注意しながら、二人の会話を聞いていた。夜遅い時間だが、国道沿いにはロードサイドによく見かける店舗、ファミレスや車の販売店やコンビニなどが両側に並んでいて、かなりの店舗が明かりを灯して営業していた。
この頃になってようやく大輝はもうすぐ新年を迎えることを、それも女性二人とともに迎えることを嬉しく感じ始めた。当初感じていた芽衣に対する鬱屈や、この三人で会話が弾まないかもといった心配も薄れてきていた。渋滞中の長時間の運転はしんどいのだが、二人の会話に耳を傾けているだけで時間を忘れるようだった。
「美咲、振袖はやめたの」
「うん。芽衣が着ないって言ってるってママに話したら、大輝君の彼女でもないのにあんただけ振袖はおかしいんじゃない? って言われたからやめた」
「嘘つくといろいろ辻褄が合わなくなるね」
「そう言わないでよ」
永遠に続くかと思われた渋滞も、夜の十一時三十分を過ぎ年明けが近づく頃になると少しずつ解消し始めた。
同時に賑やかだが面白みのなかった内陸の国道を抜けて、車はようやく海岸沿いに神社の方に向かってスムーズに走り出した。道路の頭上にある電光掲示板には「この先渋滞」の表示がドライバーを脅かすように表示されている。
左側には暗い波頭がかすかに見える海岸が、右手にはこの日は終夜営業で明るい照明を灯したレストランや土産物店などが途切れなく続いている。あまり大晦日ならではの情緒は感じられないが、人が多くそぞろ歩いているせいで祝祭日的な賑わいは伝わってくる。
「もうすぐカウントダンですよ」
美咲が腕時計を見て言った。敬語なので、芽衣だけでなく彼にも言っているのだろう。
「街中じゃなくて海辺で年明けを迎えられてよかったね」芽衣が応じた。
大輝も車のディスプレイに目をやった。十一時五十九分と表示されている。秒数は表示がないのでカウントはできない。
「あと三十秒」
芽衣が言った。続けてカウントダンする気はないらしく、芽衣はスマホを眺めていた。
「開けましておめでとう」
日付が変わった瞬間、芽衣と美咲が同時に言った。
「大輝さん、今年もよろしくお願いします」美咲が後部座席から大輝に言った。
「こちらこそよろしく」
大輝が返事した。
「二人とも今年もよろしくね」
芽衣が二人をまとめて新年のあいさつをした。
「今年はお互いの両親に付き合ってるって報告できたらいいね」
「うちの両親は知ってるけどね」
大輝は思わず口にしてしまった。
「そうなの?」
芽衣が応じた。後部座席から何か気配がした。
「前にドライブしてたところを父親が見かけてたみたいでさ。母親には芽衣と付き合ってるのかって問い詰められた。それで、芽衣の友だちと付き合ってるって訂正した」
大輝はそのときのことを思い出して言った。
「なんでわたしが大輝君の彼女なのよ。てか、大輝君バカでしょ」
芽衣は後部座席の方を気にしているようだった。
「そうだよね。芽衣の方が大輝さんの彼女っぽいもんね」
美咲が沈んだ声で言った。
「何かごめん」
芽衣は慌てて謝った。
「大輝君のママはわたしのことしか知らないからそう言っただけだって」
「悪い」
自分が何かデリケートなところに踏み込んで、配慮のないことを口にしたらしいと気がついた大輝が言った。
「でも、ちゃんと美咲ちゃんが彼女だって母親に伝えたよ。そしたら家に連れてこいって言ってたし」
芽衣が彼女という誤解は解けていると言いたかったのだが、美咲が落ち込んで謝っているのはそういうことではないようだった。
「わたしのせいだよね。ちゃんとママとパパに大輝さんのことを紹介していないから」
大輝は思わず芽衣と視線を合わせてしまった。何と声をかけていいかわからなかったのは、多分美咲の言うことが正しいと二人が思っていたからだ。
「ご両親が厳しいんだから仕方ないよ。まだ高校二年生なんだし」
大輝は美咲をなだめた。
「ねえねえ、さっきから駐車場に入るのに並んでる車がたくさんあるんだけど、この先まで行っても駐車場って空きがあるのかな」
芽衣が口を挟んだ。
もっともな疑問ではあるけど、芽衣としては大輝と美咲の湿度の高い会話を止めてくれようとしたのかもしれない。
「本当だな」
大輝は道の右手に点在する駐車場をちらりと眺めた。そこには今日のためににわかに置かれたであろう大きな立看板があった。
『大晦日・元旦はこの先の駐車場は混雑します。神社本殿はここから徒歩二十分です』
「宣伝なんだろうけど、でも行ってから駐車場が満車とか最悪だもんね」
「歩いてもいいならこのあたりの駐車場に車止めようか」
二十分くらいなら女の子たちも問題なく歩いてくれるだろう。
しばらく車を走らせると、わりと大きな駐車場が目に入った。大輝はその駐車場に車を入れ、係員に指示された場所に車を止めたが、駐車場は既にほとんど満車になっていた。
三人は車を出て駐車場を後にした。広い歩道を歩いていると思っていたより人が多かった。人ごみの中をゆっくり移動していると、人が多い場所があまり得意ではない大輝は少しストレスを感じた。
そういえば神社の最寄り駅はちょうどこの辺りにある。つまり歩く距離は電車でここを訪れている人たちと同じだ。そう考えると芽衣が駐車場の様子に気づいてくれてよかった。なるべく神社に近づこうとしたあげく、駐車場待ちが一時間とかだったらたまらない。人ごみが苦手とか言っている場合じゃない。
もう日付が変わっていたけれど、参道でもないのに道沿いに連なる店舗は全て照明がついていた。土産物店にカフェにレストランに洋服のショップ。お参りに来て服を買う人なんているのだろうか。そういえば服屋の隣には本屋があって、この時間にもかかわらずそこも開店していた。
「初めて来たけどこの神社ってこんな感じなんだ」芽衣が言った。
「わたしも初めて。何か縁日みたいであまり厳かじゃないね」美咲も同意した。
「ここは観光地だからね」
ここに来たがったのは美咲なのだけどと大輝は思った。
駐車場の看板も嘘ではないのだろうけど、混んでいるせいもあって神社本殿前の鳥居にたどり着いたときには、車を出て歩き出してから三十分以上はたっていた。
ここまでくると、さすがに観光地のような夏の縁日のような雑多な雰囲気は影を潜めた。境内には、まっすぐに奥に伸びている石畳に沿ってかがり火が灯されており、奥の院に向かう人々を照らし出してる。人が多いので騒然としているのだが、それでもそこには何か厳かで静謐な雰囲気も漂っていた。
三人はアルバイトらしい警備員の指示に従って、奥に向かう行列の後尾に着いた。
「全然先が見えないね。どのくらい並んでいるのかな」
芽衣が大輝に聞いた。
さっきから、芽衣はもうあまり美咲のことを気にしないで大輝に話しかけてくる。大輝にはそれが嬉しかった。彼女である美咲と幼なじみの芽衣と、三人でも仲良く過ごせるようになった。美咲も親友と一緒でうれしいだろうし、芽衣の彼氏だってこういう関係性なら芽衣を咎めることもないのではないか。
「どうだろう。こういう日はもう覚悟した方がいいかも。それとも元旦は朝早くに戻らないとまずい?」
「うちのママ、大輝君のことは信用しているから混んでいたと言えば大丈夫だと思うけど」
「美咲ちゃんは?」
「午前中に親戚が来るので、それまでに帰っていないとちょっと怒られるかも」
「親戚って何時頃に来るの?」
「午前十時とか十一時とかだと思います」
「さすがにそれまでには帰れるよ」
それからしばらくは忍耐の時間が続いた。芽衣と美咲は列に並びながら学校の噂話をしている。 その話には入れなかった大輝は、背伸びして前方を見渡そうとして、偶然十メートルくらい先に親密に寄り添っているカップルに目をとめた。後ろから見ると男性の方には特徴もないが、女の子の方は鮮やかな色彩の振袖姿だ。
芽衣や美咲の振袖姿ってどんな感じだろう。来年は美咲の振袖姿を見られるのだろうか。もちろんその頃まだ付き合っていたらだけど。
彼はどういうわけかそのカップルの後ろ姿から目を離せなかった。彼女よりだいぶ背の高い彼氏が少し背をかがめて彼女に何かを耳打ちした。それで彼の横顔を見ることができた。それは志賀悠人だった。
なんで受験勉強にいそしんでいるはずの悠人がここにいるのか。それも女の子を連れて。とにかく女連れの悠人がいることを芽衣に覚られてはまずい。黙っていよう。そして、できれば何か理由をつけてお参りを中止してこの場を離れなければ。彼はそう考えたが既に遅かった。
「あれ?」
芽衣が大輝と同じ方向を眺めながら言った。
「どうしたの」
美咲もそう言って、芽衣の視線の先を目で追った。
「あれ、唯じゃない?」
「あ、本当だ。唯も来てたのか。というか振り袖だし男の人と一緒だし」
美咲が驚いたように言った。
「唯に声かけようか」
「邪魔しちゃ悪いんじゃない?」
芽衣も一緒にいる男の存在に気がついたようだった。
そのとき、女の子が笑ってどこかを指さした。男の方もそちらを向いたため、二人の横顔が同時に露わになった。
「・・・・・・悠人?」
芽衣が小さな声でつぶやいた。
ちょうどそのタイミングで、悠人は唯の肩に手を回した。唯が笑って悠人の手から身体をかわそうとした。それは誰がどう見ても仲睦まじいカップルがふざけている姿に見えた。
大輝はかける言葉もなく、二人の姿をじっと睨んでいる芽衣を見つめていた。
「わたし帰ってもいい?」
芽衣が小さな声で大輝に言った。
「ああ、うん。美咲ちゃんがいいなら別におれは」
大輝はそう言って美咲を見た。
美咲は悠人と唯の方を、これまで彼が見たこともない張り詰めた表情で、身動き一つせずに見つめていた。
「美咲?」
芽衣が美咲に声をかけた。
「美咲ちゃんどうした?」
大輝が美咲に訪ねたが返事がない。
「大丈夫?」
彼が美咲に対して言葉を重ねたそのとき、美咲は振り向き彼を睨みつけた。
「うるさい!」
大輝は凍りついた。
「うるさい。わたしのことは放っておいて」
しばらくの沈黙のあと、美咲は我に返ったようだった。
「ごめんなさい、大きな声を出して」
「いや」
大輝はなんと言っていいのかわからなかった。
「美咲。大丈夫?」芽衣は心配そうに聞いた。
「ごめん芽衣。悠人先輩と唯が一緒でショックだったでしょ」
美咲はそう言ったが、どう見ても美咲の方がショックを受けているようだった。
「大輝さんごめんなさい。わたし少し気分が悪いので先に電車で帰るね。芽衣を慰めてあげてね」
そう言い捨てて美咲は行列を離れ、鳥居の方に去って行った。
「ちょっと待ってよ。いきなりどうしたの」
芽衣の呼びかける声に、美咲は振り返らなかった。
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