第8話

 十二月二十四日の夜、大輝は待ち合わせ場所である明徳駅の改札口前に立って美咲を待っていた。今日は車でデートするのではないということもあり、彼は美咲の家まで迎えに行くよと言い出せなかった。だから彼がそう言い出したら、美咲が自宅への迎えを再び断ることになっていたかどうかは不明なままだった。

 本当はもっと早い時間に待合せして、町中のホールで開催されるイベントに一緒に参加しようと誘ったのだが、申し訳なさそうな様子で美咲に断られた。

 ミッション系の私学である富士峰学院では二十四日の午前中にミサがあり午後は翌日の行事の準備、二十五日も早朝から夕方まではクリスマス・ページェントという行事があり、全校生徒が参加しなければならないそうだ。だから、二人は二十四日の夜に待合せして、予約したちょっといいお店で食事をすることにした。

明徳駅の駅前広場には、巨大なクリスマスツリーが設置されていた。ツリーには無数の豆電球が巻きついていて、色とりどりの光がせわしく点滅している。広場の外周のフェンスからツリーの先端に向けて電線が張られていて、線にくくりつけられているLEDのライトが青白い光を放っている。

 広場のイルミネーションは、行き交う人々の喧噪を覆い消すように静謐な雰囲気を醸しだしているようだ。

 大輝は美咲を待ちながら「予約したちょっといいお店」のことを心配していた。心配しすぎだと自分に言い聞かせても、心の中で本当にあんな雑誌を信じて予約した店でよかったのかと疑う気持ちはなくならない。

 もっともそのおかげで、人生初のクリスマスデートを前に緊張することはなかった。こうして人ごみの中で彼女を待っていると、自分もようやく人並みに恋人ができたんだということを今更ながら実感した。「予約したちょっといいお店」のことを心配しながらも彼は少し幸福を感じた。

 これは美咲のおかげだと彼は思った。あちらから告白されて付き合うようになったのだが、それが可愛らしい女子高生からなのだから知らない人が聞いたら嘘のような幸運な話だった。

「こんばんは」

 彼の背後から美咲の声がした。

「お待たせしてごめんなさい」 

振り返ると白いふわっとした素材のコートとマフラーをを身にまとった美咲が微笑んでいた。

「こんばんは」

 大輝は美咲の艶やかな姿に目を奪われた。

「まだ待合せ時間になってないじゃん。謝る必要ないのに」

 美咲はそれには答えずに大輝の腕を取った。

「予約した時間に遅れちゃうよ。行きましょ」

二人はカップルだらけで混雑している広場を抜けて、店のある狭い路地の方に向かった。

 路地の両側に並んでいる小さな飲食店にもクリスマスの飾り付けが施され、どこかのテーマパークにいるような非日常の景色を演出している。

「ミサどうだった?」

「毎年のことなんですけど、早朝ミサなんで眠いし講堂は寒いし面白いものじゃないですよ」

 美咲が隣で彼を見上げた。

「そうなんだ。何かセレブな印象があるけど」

「何ですかそれ」

 美咲が彼の方を見上げて笑った。

「でもそうですね。白い礼拝服に着替えてろうそくを持って講堂に入場するのって、ちょっとそんな感じがあるかも」

「へえ。そんなことするんだ」

「はい。女子の礼拝服とか可愛いですよ。芽衣とかちょっとヤバい感じ」

「ヤバいって?」

「無垢な聖女みたいで、男子たちがガン見してました」

 無垢な聖女? 芽衣ってそういうタイプだっけ。どちらかというと活発な感じだと思うが、活発な性格と清楚な格好とのギャップが受けていたのだろうか。実際に見たらどういう感じなのだろうと彼は思った。

「大輝さん、芽衣の礼拝服姿を想像してるでしょ」

 芽衣が笑った。

「そんなことないよ」

 大輝は慌てて言った。

「無理しなくてもいいですよ」

 美咲は彼の腕から手を外しスマホを操作して彼の方に向けた。

「ほら」

 スマホの画面には芽衣が戸惑ったように微笑んでいる姿があった。突然スマホのカメラを向けられたのかもしれない。ドレープというかひだのついた白い上着を着た芽衣は確かに可愛らしかった。「こういう服着るんだ」芽衣については触れずに彼は言った。

「美咲ちゃんの写真はないの」

「芽衣が撮ってくれたんで芽衣のスマホにあるんじゃないかな。わたしは持ってません」

「残念」

「本気で思ってないくせに」

 美咲が拗ねたふりをした。他の子が真似したらちょっと場違いで寒い言動になるところだが、美咲が言うと自然に甘えている感じが伝わる。本当にコミュニケーション能力が高いんだなと彼は感心した。

「いや本当に見たかったのに」

「じゃあ今度芽衣からもらっておきますね」

 美咲は照れたように笑った。

 やがて二人は大輝が予約した店の前に着いた。

「ここなんだけど」「予約したちょっといいお店」の前に立って彼は美咲の反応を確かめようとした。

「夜、男の人と二人で食事するの初めてです」

 美咲が言った。

「彼氏が大学生だとドライブに行ったりとか、イブの夜にデートとかできるんですね」

 お店についてはスルーだった。考えてみれば高校生なのだから、店の選択について神経質になる必要はなかったようだ。これが同年代の大学生の彼女だったらこうもいかなかったろうけれども。

 その夜のデートは話題が途切れることもなく楽しく過ごせた。プレゼントの交換もさりげなくスマートに行えたと思う。ただ一つ誤算だったのはコース料理が出てくるのにこんなに時間がかかるとは考えなかったことだ。

 いくらコースとはいえ、たかが食事でオードブルからデザートとコーヒーまで二時間かかるとは思わなかった。大輝はその時間が楽しかったこともあり、あまり時間を気にしていなかったが、八時三十分を過ぎた頃、美咲が控えめに腕の時計に目を落とす仕草には気がついた。

「ひょっとして門限ヤバい?」

 大輝は美咲に聞いた。

「そういえば美咲ちゃんの門限って何時?」

「九時なんです。ちょっとヤバいかも」

 コーヒーを諦めてすぐに帰ったとしてもここから美咲の自宅までは四十分はかかる。つまりこの時点で美咲の門限までに帰宅することはできない。美咲の門限のことを少しも気にしていなかった大輝はうろたえた。こういうところで経験不足が露呈するのだ。

 しかし、美咲に責任転嫁するわけではないが、もっと早く門限のことを話してくれていたらよかったのに。

「とにかくもう店を出て帰ろう。おれ、家まで行って家の人に謝るよ」

「・・・・・・それはちょっと。いきなり大輝さんが来たらママがびっくりすると思います」

「そもそも今夜は両親に何といってでてきたの?」

 今更ながら大輝はそこが気になった。

「それは・・・・・・、今日は芽衣やほかの友だちと芽衣の家でパーティーをするって」

 美咲は少しばつが悪そうだった。

 おれって親に話したら反対されそうなタイプだと思われているのだろうか。大学生の彼氏ができたとは言いづらいのかもしれないが、ここまでご両親に秘密にされると何か内緒で悪いことをしているような気さえしてくる。

「じゃあどうするの?」

「芽衣の家でパーティーが盛り上がって門限を忘れていたって言います」

 そんな言いわけで大丈夫なのだろうか。

「うちのママのことだから、お礼を言うって名目で芽衣に確かめようとするでしょうけどね」

「そしたら芽衣の家にいなかったことがばれちゃうじゃん」

「だから芽衣に話をあわせるようお願いするんです」

 美咲はいたずらっぽく言って、スマホを取り出した。LINEでメッセージを送るつもりらしい。しばらくしてスマホを操作し終えた美咲はそのまま画面をにらんでいた。

「あ、返事きた」

 美咲がほっとしたようにスマホから顔を上げた。

「よかった。協力してくれるそうです」

「よかったね」

 いろいろ割り切れない思いはあるが、これで帰宅後に美咲が親から責められることはなくなったのだ。

「邪魔しちゃったかな」

 美咲がスマホをしまいながら言った。

「邪魔って?」

「芽衣、自宅じゃなくて志賀先輩と一緒にいるみたい」

 志賀悠人と? 悠人は受験勉強してるんじゃないのか。

「受験があるから芽衣とはしばらく会わないんじゃなかったっけ」

「そう聞いてます。でも、今日はクリスマスイブですしね。ひょっとしたら芽衣は今日はお泊まりかなあ」美咲がさらっと言った。

「お泊まりって」

 割り切っていたはずの芽衣への嫉妬じみた感情が再び心を占領しそうになった。今ではおれには美咲がいるのだ。幼なじみの行動に一喜一憂し嫉妬してる場合じゃない。

「今夜はクリスマスツリーのイルミネーションは見に行けそうにないです。ごめんなさい」

 大輝は美咲に、食事の後で市民センター前の広場に設置された巨大ツリーとイルミネーションを見に行こうと話していたのだ。どこまで甘い計画だったのだろう。

「もちろん。家の近くまで送って行くよ。美咲ちゃんのご両親には見られないようにするから」

「それならお願いします」

 二人はそれから運ばれてきたコーヒーをそそくさと飲み干すと席を立って店の外の出た。周囲はカップルで賑わっていたが、大輝にはもう浮かれた気持ちは薄れていた。それより少しでも早く美咲を帰宅させなければと気持ちが焦っていた。その夜美咲を家の近くまで送り届けたとき、時間はすでに十時をまわっていた。

「ツリー見に行けなくてごめんなさい」美咲が言った。「でも楽しかった」

「おれも」

 美咲が不意に彼に近づいた。そして彼は頬に美咲の唇が触れるのを感じた。

「またね」

 美咲が彼のもとを離れ家の方に早足で去っていった。

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