第7話

 富士峰学院の校門まで美咲は彼を送ってきた。

「後夜祭がなかったらもっと一緒にいられるのに」

 美咲が名残惜しそうに言った。

「またすぐ会おうよ」

 彼は美咲をなだめた。

「そうですね。またすぐに会えますよね」

 彼女が遠慮がちに聞いた。

「うん。車でどこかに行こうか」

「楽しみです」

 美咲はなかなかさよならを言わなかったし、彼も同じ気持ちだったので、このままだと校門の前でずっと話が続くところだったが、幸か不幸か学園の放送が生徒はグラウンドに集まるように呼びかけた。

「行かなきゃ」

「そうだね。また連絡するよ」

「そうだ」

 美咲が何かを思いついたようだった。

「大輝さんとお付き合いすることになったって芽衣と先輩に報告しときますね。それで先輩の誤解も解けるでしょうし、芽衣とも普通にしゃべれるようになりますよ」

「そうだね」

 付き合い出した当日に芽衣に報告するのは少し早くないかと大輝は思った。ただ、まだ言わないようにしようとは口に出せなかった。何となく芽衣のことを気にしすぎていると美咲に思われたくなかったからだ。

「任せるよ」

「じゃあ、もう行きます。連絡くださいね」

美咲は大輝に手を振ってから校門の中に戻っていった。


 その夜、大輝はベッドに横になって美咲のことを考えていた。十八歳、大学一年にして人生で初めての彼女ができた。美咲はいくつなのだろう。二年生だから十六か十七のはずだ。彼との年の差は二歳くらいで、それほど年下ではない。自分でも信じられないくらい運がいい。

 とにかく美咲は可愛らしい。芽衣も可愛いと思うけど、それとは違った方面で魅力がある。顔立ちの整っているのは、芽衣よりも美咲の方だ。芽衣の場合は柔らかい親しみやすさが現れている顔立ちだが、美咲の方は美人という感じ。髪も芽衣は短いボブだが、美咲は背中の上部あたりまであるロングヘアで、校則があるのか普段は髪を一つにまとめている。背丈は美咲の方が少し高い。芽衣の方が活発だけど、少しわがままなところも含めて子どもっぽい感じだ。どちらが彼の好みかというと。

 そうじゃないだろ。大輝は自分に言い聞かせた。彼氏がいる幼なじみ、しかも小学校を卒業してから話もしていない芽衣が好みだとか言っている場合か。しかも、彼は今日美咲の告白に応えているのだ。運がいいと彼はさっき思った。それは間違いないし彼女ができた嬉しさも感じるのだが、同時に得体の知れない不安感も感じるのはどうしてだろう。自分の心の動きがどうなっているのか彼はよくわからなかった。

 そろそろ風呂に入ろうと思いベッドから起きあがろうとしたところで、携帯が短く振動した。ディスプレイを見ると美咲からLINEのメッセージが来ていた。彼はアプリを開いた。

『後夜祭終わりました。今電車で家に帰るところです。さっきはありがとう。ていうかありがとうって変かな。でも今日は本当に嬉しかったです。後夜祭のファイアストームのとき、先輩と一緒にいた芽衣を見つけて大輝さんと付き合い出したことを報告しました。芽衣は驚いていましたが、よかったねって言ってくれました。先輩は誤解してて悪かったって、わたしと芽衣に謝ってくれました。もう大輝さんのことで芽衣を責めたり大輝さんに突っかかることはないと思います。ドライブ楽しみにしてます』

 これで悠人の誤解は解けたかもしれないが、同時にもう芽衣と二人で会うこともなくなるのだと彼は思った。

『後夜祭おつかれさま。志賀悠人とはもう会うことはないと思うけど、誤解が解けたのならよかったです』

 この後のメッセージのやり取りで土曜日に行くドライブの時間や待ち合わせ場所を決めようとした。もう芽衣や悠人の話題はどちらも持ち出さなかった。それから二人はメッセージのやりとりを頻繁に続けたけど、お互いの予定がなかなか合わず、ようやく約束のドライブデートができたのはもう十二月に入った土曜日のことだった。

約束した日の朝、大輝は自分の車で美咲と待ち合わせをしている駅前のロータリーに向かった。

 家まで迎えに行くと言ったのだが、美咲は駅でいいですと自宅への迎えを断った。彼氏ができたことをママに話していないし、男性が迎えにくると出がけに揉めそうだから待ち合わせしましょうということだった。

 なぜか彼は少し自分が美咲に軽んじられているように感じた。その感情は理性的でもなく論理的でもなかった。彼は自分にそう言い聞かせてそのことはもう考えないようにしようと思った。

 混んでいるロータリーの一角になんとか車を割り込ませて駐車した彼は、駅の出入口で人の流れを避けて立っている美咲を見つけた。待ち合わせの時刻よりだいぶ早い。こんなに早く来て待っていてくれたんだ。それでさっき感じた卑屈な感情は溶けて消えていった。

 彼は車をロックすると横断歩道をわたって美咲の方に向かった。

「おはよう」

 声をかけられた美咲は彼の方を振り返って笑顔になった。

「おはようございます」

「ずいぶん早いね」

「楽しみすぎて早く出てきちゃった」美咲が言った。「でも大輝さんも早いじゃないですか」

「土曜日だし渋滞して遅れたらまずいと思って早く出たんだ」大輝は言った。「車あっちに停めたんだ。行こう」

「はい」

 二人はロータリーに駐車している車のところまで歩いていった。大輝がロックを解くと、美咲は迷う様子もなく助手席に乗り込んだ。

「じゃあ行こう」

 彼は車をロータリーから出して、海の方に向かう自動車道路のインターチェンジの方に車を走らせた。LINEでの打ち合わせで行き先はあらかじめ決めていて、前に芽衣とドライブした場所と同じ海の方に行くことになっていた。同じ場所も芸がないかとも思ったのだが、美咲とは一緒に来ていないのでいいかと考え直して提案し、何も知らない美咲も喜んでくれた。

 あの日、学校を欠席した芽衣と会っていたことは美咲に知られていたが、そのあと海岸線沿いの国道を芽衣と二人でドライブした話はしていない。黙っているのも今や自分の彼女になった美咲に不誠実な気がしてきた。どこかで美咲に打ち明けようと大輝は考えた。あれは美咲と付き合う前だから責められることもないだろう。

「そういえば大輝さん、あれから芽衣と話しました?」

 あれからとは後夜祭の日からということだろう。

「いや、芽衣とは会ってないし連絡もないよ」

 美咲と付き合い出した以上、芽衣も大輝と二人で会ったり連絡を取ったりするのを遠慮しているのかもしれない。

「そうですか。芽衣、わたしに遠慮してるのかな」

「遠慮って」

 美咲も彼と同じことを考えているようだった。

「実はわたしもしばらく芽衣と話していなかったんです」

 美咲が意外なことを言い出した。

「え? そうなの。いつから?」大輝は驚いた」

「後夜祭の後からです」美咲が言った。

 芽衣が大輝と顔を合わせない理由は想像がつくけど、芽衣が美咲を避けているとしたら何でだろう。いや、あるとすれば一つだけ。でもそれは考えられない。芽衣には悠人という彼氏がいるのだから。大輝のことで芽衣が美咲に嫉妬心を覚えることはないはずだ。

「じゃあ芽衣とあいつは学校の外でもいつも一緒にいるってこと?」

「そうですけど」

 美咲が少し疑うような口調で言った。

「気になるのはそっちですか? 芽衣が先輩といつも一緒かどうか」

「いや、違うよ」

 彼は慌てて弁解した。

「ただ、芽衣はいつも美咲ちゃんと一緒にいたみたいだから、今はどうしてるのかなって思って」

「芽衣と先輩は後夜祭から、しばらくいつも一緒にいたみたいですけど」

 やはりか。でも付き合ってるんだから別におかしくはない。自然なことだ。

「昨日久しぶりに芽衣と教室で話したら、これからは先輩が忙しくなるのであまり一緒にいられないって言ってました」

 美咲が真面目な顔になった。

「ダンスの大会か何かで忙しいのかな」

「いえ、先輩も受験生ですから」

 志賀悠人は高校三年生だ。今までそこに思いが至らなかったのが不思議なくらいだった。本来ならとっくに受験勉強にいそしんでいなけらばいけない時期だ。

「芽衣も先輩のことを考えて、しばらくは一緒に遊ぶのをやめるって言ってました」

「まあ、もう十二月に入ってるもんな」

 というか、志賀悠人の志望校がどこかは知らないが、受験生なら学園祭で彼女とデートしている場合じゃねえだろと彼は思った。

「なので」

 美咲が話をまとめた。

「先輩がいないと芽衣もフリーになるし、これからは芽衣とも一緒に遊んだりすると思うんですね」

「うん」

「大輝さん、デートのとき芽衣と一緒でもいいですか。もちろん毎回じゃなくてたまにですけど」

「美咲ちゃんと芽衣と三人で遊ぶってこと?」

「はい。どうですか」

「どうって・・・・・・」

 もうあまり芽衣に会わない方がいいんじゃないか。たしかそんなことを美咲にも言われた気がする。でも困惑する大輝の表情を見て美咲は誤解したようだった。

「わたしだって本当は大輝さんと二人がいいんです」

 美咲が顔を赤らめた。

「でも、先輩に会えなくなって、しかも今まで一緒にいたわたしまでいなくなったら芽衣だって寂しいと思うんです。だから、たまには芽衣の気晴らしに三人で遊べたらなって」

「だったら美咲ちゃんと芽衣の二人で遊べばいいんじゃないの。芽衣もその方が気楽なんじゃない?」大輝が反論した。

「わたしが嫌です。それだと大輝さんと一緒にいる時間が減るじゃないですか」

こんなにはっきりと彼への好意を示されると、さっきの発言の真意を君は誤解しているよとは言いづらい。

「わかった。美咲ちゃんがそれでいいならそうしようか」

「無理言ってごめんなさい。毎回じゃなくていいの。何回かに一度くらいで」

 美咲が彼をなだめるよう優しい声で言った。

 ちょうどそのとき景色が開けた。延々と連なっていた砂防林が途切れて、海が目の前に広がったのだ。

「きれい」

 美咲が言った。

 あのとき芽衣も同じようなことを言っていた。開けた海岸線沿いの国道に出たので、その先はずっと海を左手に眺めながらのドライブとなった。海を見るのは久しぶりだという美咲が芽衣の話から離れたので、車内の会話は海辺の景色から始まり、やがてこれまでの恋愛経験の話になった。

「わたし男の人とお付き合いするの初めてなんです。大輝さんは? 今までいっぱい彼女とかいたんでしょ?」

 少しだけすねたような可愛い声だった。

「いないよ。これまで女性と付き合ったことはないです」

 あきれられ愛想をつかされるか、それとも同情されるか。これまで同じ質問を大学の女の子たちに聞かれて正直に答えるたびに、彼女たちからはそういう反応をされてきた。

「よかった」

 でも美咲はそう言った。

「大輝さんにいっぱい女の人がいたらどうしようかと思ってました」

「おれはもてたことないよ。中高とも男子校だったし。期待に添えないで申し訳ない」

「いえ。そのほうがいいんです。だって浮気の心配がないでしょ」

 それは自信をもって保証できてしまうのが悲しいところではある。

「美咲ちゃんこそ共学だしもてるでしょ?」

「もてないですよ。あ、そうか」

「なに?」

「大輝さんも自分の彼女がもてている方がいいですよね」

「いや、それは」

 その方がうれしい気持ちはあるかもしれない。

「正直に言うと」

 美咲が彼の方を見た。

「芽衣みたいに何度も何度も告られたとかはないですけど」

「ないですけど何?」

「ちょっとはそういうのもあったことはありました」

「最初からそう言ってくれればいいのに」

「でも、あまり思い出したくないんですよ。入学してすぐに先輩からしつこく言い寄られたんですけど」

「もしかして中学一年のとき? 相手は何年生?」

「それが高三の人なんです。そのときわたしは小学校を卒業したての十二歳で、その人は十八歳だったんです。ロリコンもいいとこ。ドン引きですよ」

 美咲が憤慨したように言った。確かにそれはひどい。

「うちの学校って学園生同士のカップルが多いんですけど、さすがに高三と中一のカップルなんて聞いたことないですよ」

「それはたいへんだったね」

「その先輩、断ってもしつこく中学の教室に来てわたしを呼び出すので怖かったんですけど」

 美咲が少し困ったように大輝を見上げた。

「うん」

「そしたら唯が当時一学年上だった志賀先輩に相談してくれて」

 何でここに悠人が出てくるのか。唯と幼なじみで親しいにしても。

「中二の志賀先輩が高三のその先輩に注意してくれたんですけど、結局ふたりはけんかみたくなっちゃって。嘘みたいだけど、高三のその先輩が中二の志賀先輩に押さえつけられて、わたしに頭を下げさせられたんですよ」

 中二の男が高三に先輩にけんかして勝つ? あまり考えづらいけど、ひょっとしたら志賀悠人はダンスだけでなくけんかも強いのか。だとしたら相当いろいろなスペックが高いのだろう。そもそも富士峰学院の中学受験の偏差値は高い。受験して入学しただけでも頭がいいのに、そのうえダンスの才能もある。そんな男に助けられれば。

「じゃあ、そのときは美咲ちゃんも志賀悠人に助けられたんだね」

「はい。それからはしつこく絡まれたりしなくなりました」

「美咲ちゃんも少しは助けてくれた悠人のこと気になったんじゃないの?」

 深く考えずなんとなく話の流れで大輝は美咲をからかうように言ってしまった。それは明らかに失敗だった。こういうところで女性経験のなさが出るのだろう。

「そんなこと本当にないのに。なんで大輝さん意地悪なこと言うの?」

「よけいなこと言ってごめん」

 大輝はすぐに謝った。ただ内心では、しつこい男から自分を助けてくれた一つ年上の男子のことが気にならないわけがないとも考えていた。

「意地悪のつもりはなかったんだ」

「もう。でも、わたしの気持ちが気になったんだなって考えておいてあげます」

「ありがと」

「本当に嫉妬しなくてもいいのに」

 美咲が微笑んだ。意地悪と言ったときは本気で怒っていたようだが、大毅の発言の原因を嫉妬によるものと思い直したのか機嫌がなおったようだ。

「それが美咲ちゃんと志賀との出会いなんだ」

「何もなかったですよ」

「わかってるって。じゃあ、志賀と知り合ったのは芽衣よりも先なんだ」

「そうです。わたしと唯だってその頃は芽衣と親しいわけじゃなかったですし」

「とにかく悪かったよ。戸羽さんは元気?」

「最近唯はいつも心配してます」

「心配って?」

 やはり芽衣と悠人がらみなのだろうか。

「志賀先輩の進学先を心配してるみたい」

 悠人の受験の合否を憂いているということなのだろうか。

「志賀が志望校に受かるかどうか心配だってこと?」

「志賀先輩の偏差値が明徳に届かないことを心配してるんですって」

 それはどうなんだろう。芽衣が心配するならわかるけど、彼女でもない戸羽さんがそういうことを心配しおおっぴらに公言するなんて。やはり戸羽さんは・・・・・・。

 それにしてもうちの大学受けるのかよ。

「唯は東京のもっと上の大学を狙えるので、明徳合格なら間違いないですからね。志賀先輩と同じ大学に行くとしたら、先輩に明徳に受かってもらわないと困るんでしょう」

「そうなんだ」

 芽衣がそう思うならともかく、やはり戸羽さんは志賀のことが好きなのではないか。

「志賀先輩には芽衣がいるので、ただの幼なじみとして先輩のそばにいたいということなんだとは思いますけど」

 美咲も少し気にはしているようだ。

「彼女がいる男を大学まで追っかけるって、それは相当無理があるんじゃない? 芽衣だって気分よくないだろうし」

「でも芽衣の志望校も明徳だから」

「そうなの?」

 大輝は驚いた。

「芽衣は成績がいいので、先輩と違って志望校としては現実的みたいです。もっと上も狙えると思うんですけど本人の明徳志向が強いので」

「知らなかった」

 実際、芽衣の志望する大学なんて聞いたことがなかったが、やはり志賀と同じ大学に行きたいのだろうか。

「別に大輝さんのことを追いかけているわけじゃないと思います」

「そんなこと考えてないよ。志賀を追いかけてるんでしょ」

「いえ。逆ですね。芽衣の志望校が明徳だと知った先輩が志望校を明徳に変えたんです。正直チャレンジだと思います」

「だから戸羽さんが心配しているわけだ」

「そうなんです。芽衣には心配している様子がないのに」

 ますますおかしな話だった。

「そういえば美咲ちゃんは志望校決めてるの?」

「うーん。一応わたしも明徳希望なんですが、ちょっと厳しいかも」

 そうなのか。

「あ、違いますよ。大輝さんとお付き合い始める前から志望校は明徳なんです。芽衣と一緒の大学に行けたらいいなって」

「ああ、なるほど」

「それに今は唯も明徳志望に変更したんで、わたしもみんなと一緒に行けたらなって。唯も芽衣と一緒でもっと上を狙えるのに、志賀先輩の志望校を聞いてから志望校を明徳に変えちゃって」

「志望校のランクを下げたってことか」

「そうなんです」

大輝が黙っていると美咲が察して言った。

「唯にも幼なじみの志賀先輩と一緒にいたいという気持ちはあるんでしょうけど、かといって芽衣から奪っちゃうとかそういうのじゃないですよ。志望校の話だけ聞くと説得力がないかもしれませんけど、わたしにはわかります」

「そうか」

 これ以上唯の気持ちを推測してもしようがない。大輝には直接関係のないことだった。

「もう少し行ったらどこかでお昼食べようよ」

「はい」

 美咲は気持ちを切り替えたようにでその後は芽衣や唯の話をしなかった。


「レアなやつがいる」

 月曜日の午前中の講義が終わって昼食を取るために学食に入った大輝は、友だちに声をかけられた。

「よう」

 大輝は軽く手を上げて応えた。

「レアって?」

「だっておまえ、最近全然大学で会わねえじゃん」

 磯谷啓太は明徳の中学高校時代からの友人だった。社交的でスポーツマンである啓太は大輝とはあまり興味や関心が一致しないのだが、それでもというかそれだからこそなのか、中学時代からずっと仲がいい。恥ずかしいからわざわざ口に出して言ったことはないが、お互いに無二の親友だと認め合っていた。

「おれは普通に大学に来てるよ。おまえこそあまり見かけないんだけど」

「おれも毎日来てるけど会わなかったよな。一緒に昼飯食うか?」

「いいよ」

「おまえなんか雰囲気が明るいな。なんかいいことあっただろ」

 カウンターで、日替わりながら毎回代わり映えのしない定食を受け取って席に着いてから啓太が言った。

「彼女でもできたか」

 大輝は本気で驚いて啓太を見返した。自分では考えもしなかったが、他人が見てわかるほど自分は浮かれているのか。

 確かに誰が見ても可愛らしい容姿の年下の高校生、美咲に告白され付き合っている。だけど一目見られただけで彼女ができたことなんて見抜かれるわけがない。こいつ、人も心が読めるのかよ。大輝は気味悪くなった。

「なんだ。そんなにうろたえるなんて本当に彼女ができたのか」

 だが、啓太は適当に彼をからかっただけのようだった。

「まぐれ当たりだ」

「ひっかけかよ」

「じゃあ、本当に彼女できたのか」

 別に隠す話でもないし、啓太になら話してもいいかと大輝は思った。正直に言うと誰かに話して自慢したいという気持ちもあったのだ。それに、啓太は昔から女性には人気がある。男子校の明徳中高時代から、付き合う女の子が絶えたことがない。だから大輝に彼女ができた話をしても、彼をうらやむことなく聞いてくれるだろう。

「うん、実はそうだんだ」

「へえ。おまえ初彼女じゃねえの。よかったな」

「まあな。でも男子校だったからしかたねえじゃん」

「おれは中学二年の頃から彼女いたけどな」

「自慢しなくても知ってるよ」

「で、どんな子? どこで知り合った?」

 啓太が興味深そうに聞いた。

「おまえ、富士峰学院にいるおれの幼なじみって覚えてる?」

「ああ、確か小学校くらいまですげえ仲良かったて言ってた子だろ? 前に学校のキャンプ言ったとき夜どおし語ってたじゃん」

「よく覚えてたな。そんなに語ってはいないけどな」

「おまえ、幼なじみのその子と付き合ってるの? 高校生じゃん」

「違うって。芽衣じゃねえよ。口挟まないでおれの話聞けって」

「あの子、芽衣っていったっけ。その子じゃなきゃ誰なんだよ。さっさと話せよ。大学の子?」

「芽衣の同級生で美咲っていう名前なんだけど」

「同級生? やっぱり高校生じゃねえか。高校生とか信じられね。おまえロリコンなの?」

「高二だけど二歳下だからありだろ」

「そう言われてみればそうか。いや、でも女子高生と付き合うなんていくら何でもよ」

「何言ってる。おまえだって高三のときの彼女って高一だったじゃねえか。年の差は同じだろ」

「で? どうやって知り合ったんだよ」

 啓太は興味津々の様子だった。

「芽衣の友だちでさ。芽衣を車で送っていったときに一緒に送ったんだよ」

「そんで仲良くなって告ったのか」

「いや。あっちから告白された」

「マジかよ。いいなあ」

「いいなあって。おまえ彼女いるじゃん」

「それとこれとは別だ。おれも女子高生の彼女欲しいな」

 さっきはロリコンとか信じられねとか言ったくせに。

「でも、おまえ、芽衣ちゃんはいいの?」

「いいのって何だよ」

「おまえ芽衣ちゃんが好きだったんじゃねえの」

 大輝は思わず啓太の顔を見た。確かにかつて啓太に幼なじみの話をしたことはあるが、芽衣のことが好きだとか気になるとか匂わせ程度にすら話したことはないはずだ。何でこいつはこんなことを言い出したんだ。

「何言ってんだ。そんなわけあるか」

「そうなのか?」

 啓太が不思議そうに言って大輝を見た。

「おまえがあんなに熱く彼女のこと語ってたから、てっきりその幼なじみの子を狙ってるんだと思ったよ」

「熱く語った記憶はないし狙ってもいねえって。だいたい芽衣には彼氏がいるし」

「おれの勘違いか。彼女なんて名前?」

「美咲」

「写真ねえの」

「ないよ」

 そのとき大輝は高校時代に啓太がヒップホップダンスのサークルにいたことを思い出した。

「おまえ富士峰学院の志賀悠人って知ってる?」

「志賀? 誰そいつ」

「ヒップホップダンスの全国大会で優勝してるんだけど」

「ああ、あの悠人か。よく知ってる。あいつのダンスすげえ上手だぜ。悠人がどうした?」

「そいつが芽衣の彼氏」

 啓太は驚いたようだった。

「まじかよ。よく知ってる。悠人が彼氏じゃあ、おまえが芽衣ちゃんを好きだったとしても勝ち目はないな」

「だから好きなわけじゃないって」

 勝ち目がないと言われて大輝は少しむっとした。あんな嫉妬深い束縛男にも負けると思われているのか。それに会ったこともない芽衣を馴れ馴れしくちゃんづけするな。

「いやおまえがもてないとかいってんじゃなくて」

 啓太は落ち着いて言った。

「悠人は見た目は派手だしチャラいけど、中身は体育会系ですげえ礼儀正しいしな」

 あれで礼儀正しいとかまじか。こっちは学園祭で掴みかかられそうになったのに。そう思った大輝はふとテレビでインタビューに答えていた悠人の様子を思い出した。

 確かにあの時、見かけによらず礼儀正しく受け答えできるやつだなと思ったんだっけ。意外と啓太の言うことも嘘じゃないのかもしれない。もっとも外面がいいだけの可能性もある。中身は嫉妬深い束縛男で。

「おまえは悠人と仲いいの?」

「仲いいよ。高校時代のダンス大会でよく顔を合わせてた。あいつ県大会優勝の常連でさ。富士峰自体はそんなに強くないんだけど、悠人だけは別格だったな。一個下だからおれのこと啓太さんって呼んでくれてさ。おれより全然ダンス上手なのに」

 啓太は思ったより悠人と仲がいいようだった。悠人の勘違いの嫉妬は大輝が美咲と付き合い出して誤解が解けたようだが、念のために啓太に聞いてみることにした。

「おれ、志賀悠人に恨まれてるみたいなんだけど、あいつって嫉妬深い?」

「どういう意味?」

「いやさ。偶然何度か芽衣と会ったんだけどさ」

「おまえ、芽衣ちゃんと会ってたの? 彼氏持ちの女なのに」

「別に変な意味じゃないんだよ。二人きりじゃないときもあったし。それなのに芽衣は相当あいつに責められたらしいんだよね」

「二人きりでデートしてりゃ普通の男なら嫉妬するだろ。悠人が嫉妬深いとかそういう問題じゃねえじゃん」

「いや、変な関係じゃないって芽衣がいくら言ってもだめなんだって。芽衣も志賀悠人と顔を会わせたくないから学校サボったくらいだし」

「芽衣ちゃん、おまえに悠人とのことを相談してるんだ。悠人と比べたらおまえはって思ったけどよ。ひょっとして芽衣ちゃんもおまえのこと好きなのかな」

「芽衣ちゃんもってなんだよ。おれは彼女もいるし別に芽衣のことはなんとも思ってねえよ」

「じゃあ、芽衣ちゃんの片思いか」

「それもない。そうじゃなくてさ」

 大輝は逸れていった話を軌道修正しようとした。

「そうじゃなくて志賀悠人が嫉妬深いかって話だよ」

「おれの知ってる限りではそんなことねえなあ。そもそもあいつもてるから余裕あるしな。悠人が本当に嫉妬しているとしたら、おまえと芽衣ちゃんが悠人が心配するくらい接近していたとしか思えねえけどな」

「それはマジでない」

「じゃあ、わかんないな」

 そのとき啓太が知り合いらしい女の子から声をかけられたので、その話はそこまでで終わってしまった。


 帰宅すると、珍しく大輝より早く両親が帰宅していた。二人はリビングのソファに向き合って座り、何か楽しそうに談笑していた。

「ただいま」

 大輝はリビングに入っていった。大輝に気がついた両親が話を中断し、笑顔で彼を見た。

「噂をすれば」

 母が大輝を見て笑った。

「やめなさいよママ」

 父の方も少し困ったように笑っている。

「噂って何?」

 大輝は戸惑って聞いた。

「あんた、デートしてたんだって? 相手は芽衣ちゃん?」

 言っちゃったよというような顔で父親が大輝を見た。

「だからなんの話?」

「お父さんがね。仕事で打ち合わせしてた片江島のファミレスであんたを見たんだって。女の子と二人で食事しているところを」

「え、見てたの? 何で声かけなかったの?」

「偶然見かけたんだよ」

 父はバツの悪そうな表情だった。

「女の子と二人で話してたんで声かけない方がいいだろうと思ってね」

「芽衣ちゃんなんでしょ。芽衣ちゃん、あのダンスの男の子とは別れたの?」

 母が話に割り込んだ。

「芽衣じゃないよ」

「ええ〜」

 母はがっかりしたような声で言った。

「芽衣ちゃんならよかったのに」

 母はいったい何で芽衣だと思い込んだのだろう。

「芽衣は彼氏と別れてないよ」

「じゃあ誰よ。あんたの彼女なんでしょ。大学の子?」

「芽衣の同級生の朝倉美咲っていう子。母さん一度会ってるよ。芽衣を駅から家に送ったときに一緒にいたでしょ」

「ああ、あの時の子か。ちゃんと顔見てないのよね。いったいなんでその子と付き合うようになったの?」

「いろいろあったんだよ。いちいち話さなきゃだめなの」

「今度家に連れてきなさいよ。ママにも紹介して」

 大輝は返事する前に一瞬考えた。美咲は家に招かれることを喜ぶだろうか。

「そのうちね。まだ付き合い出したばかりだしさ」

「まあいいけど。相手は高二なんでしょ? 節度のある付き合いしなさいよ」

「どういう意味?」

「意味なんてわかるでしょ。まあ、あんたなら安心か」

 何かひどくばかにされたような気がした。

 自分の部屋に戻った大輝はベッドに転がってあらためて考えた。美咲が自分のことを好きなことは多分間違いないと思う。積極的な態度やまるで駆け引きのないむき出しの好意を考えると。

 彼が気になっているのは、車で美咲を彼女の家に迎えに行こうとしたときの彼女の態度だった。あのとき彼女に自宅への迎えを断られた。彼氏ができたことをママに話していないからという理由で。別に早く美咲の家の人に紹介してもらいたいわけではないが、美咲が大輝と付き合っていることを家族に話さないのは、大輝では付き合いを反対されると思っているからだろうか。だとしたらそれは大輝が大学生だからだろうか。それとも美咲は大輝自身のことを、親に紹介しづらい彼氏だと考えているのか。

 こんな考えは根拠のない思い込みにすぎない。彼は思い直した。急ぐことはないけど、機会があれば美咲を両親に紹介し、緊張するけど美咲の両親にも紹介してもらおう。そう決めると心が軽くなった。大輝は思い切り反動をつけてベッドに起き上がり、シャワーを浴びに階下に向かった。

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