第6話
それから一月余り、大輝は芽衣とも美咲とも顔を合わせなかった。美咲からはよくLINEでメッセージが来たが、芽衣からはLINEも含めなんの連絡もなかった。ちょうど大輝も大学の講義や行事が詰まっていて忙しく、あまり幼なじみやその友だちのことを気にする暇もなかった。むしろわざと予定を入れ忙しくすることで、幼なじみのことを思い出さないようにしていたのかもしれない。
それを知ってか知らずしてか、美咲からのメッセージには芽衣の動向がよく綴られていた。志賀と芽衣との付き合いの話はなく、美咲と芽衣が放課後どこで遊んだとかそういう話だった。だから美咲とメッセージのやりとりをしていても、芽衣と彼氏のことを思い出してつらくなることはなかった。むしろ美咲が自分に示してくれる好意の方が気になってきていた。そうして十一月十日、富士峰学園の学園祭の日がやって来た。
その日、美咲からはできれば午前中に来てほしいと言われていたのだが、学園祭最終日の十日は平日で、大輝には大学の講義があった。午後の講義をさぼって富士峰学院に到着したとき、時間は二時を過ぎていた。
待ち合わせ場所に指定された富士峰学院の重厚な石積みの校門の前に立った彼は、この時間になってもまだ校門を出入りする人たちの多さにに圧倒されていた。
大輝の出身校の学園祭は、男子校ということもあり、あまり学外の観客は集まらず内輪で盛り上がるイベントだったから、彼は初めて見る富士峰学院の学園祭の賑わいに驚いた。
待ち合わせの時間よりだいぶ早く着いてしまった大輝は、ジャケットの前のボタンを留めて身震いした。十一月に入ってだいぶ寒くなってきていた。そのまま校門近くに立って出入りする人たちを眺めていた大輝は、二十分ほど経ったとき彼の名前を呼ぶ声を聞いた。
「大輝さん」
校門を出入りする人々の中から美咲の声がして、制服のブレザーとスカート姿の美咲が大輝のそばに来た。
「ごめんなさい。お待たせしちゃいましたか」
「そうでもない」
大輝は美咲の制服姿に目を奪われた。最初の出会いのときも美咲は制服を着ていたけど、車の後部座席にいたからあまり彼女の姿を見ていない。あらためて見ると美咲の制服姿は新鮮だった。
「じゃあよかったです。行きましょ」
美咲は大輝に言って彼を伴って校内に向かった。
校門の人ごみから想像していたとおり、校内は混雑していた。富士峰学院の制服を着た生徒のほか、保護者らしい大人の姿や他校の制服姿の生徒たちも入りまじっている。富士峰の学園祭は招待制ではなく誰でも入れるので、近所の人も暇つぶしに訪れているようだ。
生徒数の多い富士峰学院は校内が広く、あちらこちらにある中庭には花壇や植え込みの間にベンチが散在しているが、そのベンチの多くは生徒の出している模擬店で買った食べ物を座って味わおうとする人たちでいっぱいだった。
大輝は最初美咲と肩を並べていたのだが、外よりさらに混みあっている校舎の中に入ると並んで歩けるスペースがなく、仕方なく彼は美咲の後ろから遅れないようについていくことにした。
「すごい人だけど、毎年こんなに人が来るの?」大輝は美咲の背中に向かって話しかけた。
「何ですか」
美咲が振り返って聞き返した。周囲は人々の話し声や笑い声で騒然としており彼の言葉が聞き取れなかったようだ。
「いや人がいっぱいいるなって」
大輝は声を大きくした。
「学園祭ってこんなものじゃないんですか?」
「おれの中高のときの学祭はもっと地味で人も少なかったよ」
「うちは毎年こんな感じですね。今日は二日目の最終日だから昨日よりは人が少ないですよ」
「そうなんだ」
「とりあえず少し空いているところで、どこを見に行くか決めましょう」
「わかった」
二人は長い廊下を抜けて、突き当たりの階段を上って三階まで上った。確かにここまで来るとだいぶ人が減ってきて、廊下を行き交う人はほとんどが富士峰の生徒たちだった。廊下の真ん中あたりにある教室の前で美咲は立ち止まった。
「ここです」
入り口のドアの前に立て看板が出ていて、一番上に大きく『カフェ』と書かれており、その下のスペースにはメニューが細かく記されている。
「カフェ?」
「はい。うちのクラスで出している模擬店です。三階で場所が悪いんでほとんど同学年の子しか来ないんです。だからゆっくりできますよ」
自慢だが自虐だかわからないようなことを美咲が言った。
「クラスって、じゃあ芽衣もいるの?」
「さあ、どうでしょう。当番じゃなければ志賀先輩と校内でデートしてるんじゃないですかね」
「だったらいるかもしれないじゃん」
「それはそうですけど、大輝さん芽衣に会いたくないんですか」
「志賀ってやつがいる学校内でわざわざ芽衣と話す必要ないでしょ」
ただでさえ、そいつには芽衣との仲を疑われているわけだし。そう大輝は思ったが、同時に最近全く話をしていない芽衣の姿を一目でも見たい気持ちもあった。
「わたしが中を見てきます。二人ともいなければ問題ないし、芽衣だけがいるなら話したっていいじゃないですか」
そういって美咲は引き戸を開いた。
「ちょっとここで待っててくださいね」
大輝はその場に一人で取り残されたが、待つまでもなくすぐに美咲が教室から出てきた。
「やばい。先輩と芽衣が二人でお茶してます。ここやめましょうか」
「そうしようか」
大輝がそう言ったとき、ドアの奥から手が伸びてきて外に出ようとしていた美咲の肩にかかった。
「こら。逃げるなよ」
その声を追いかけるように手の持ち主が教室から現れた。富士峰の制服を着た髪の短い活発な感じの女の子だ。
「なんでこそこそしてるの」
「びっくりした。いきなり肩を掴まないでよ」
美咲がその子に言った。
「芽衣と悠人がイチャイチャしてるから、あたしの居場所がないんだって。一緒にここにいてよ」
髪が短かくボーイッシュで、はきはきした口調が印象的な女の子だ。
「あんた実行委員長でしょ。そもそもこんなとこにいていいの?」
美咲は自分の肩に置かれたその子の手をどかした。
「メインステージは始まっちゃえばあたしの用事なんかないもん」
そこでその子は美咲のそばにいる大輝に気がついたようだった。
「えと、ごめん美咲。ひょっとして邪魔しちゃった?」
「邪魔ってなにが」
「その人、彼氏?」
そこで初めて美咲は少し慌てたようだった。「違うって」
「だって二人で学園祭を回っているんでしょ?」
「この人は秋田さん。前に話した芽衣の知り合いだよ」
しぶしぶという感じで美咲がその子に説明した。
「今日は学園祭を案内してるとこ」
前に話したとはどういうことだろう。一体何を話したのか。大輝は考えた。
「なんで芽衣じゃなくて美咲が芽衣の知り合いの人を案内してるの?」素直に不思議そうにその子が聞いた。
「なんでって」
美咲が説明に詰まった。
「初めまして」
大輝が会話に割り込んだ。美咲が困惑している様子を見て、思わず助け船を出してしまった。
「芽衣の知り合いの秋田大輝といいます」
「あたしは美咲と芽衣のクラスメートの戸羽です」
その子が大輝に目を移した。
「わたしたちもう行くね」
美咲が大輝の手を取ってその場から離れようとした。手を取られた大輝は少しまずいかなと思った。案の定、戸羽という子は美咲と大輝の手を無遠慮に眺めた。
「ちょっと待って。うまく芽衣だけ呼んでくるから」
戸羽さんがおせっかいにもそう言い出した。芽衣と美咲と大輝の関係に興味を抱いたようだった。
「いや、わざわざ芽衣をここまで呼んで先輩と芽衣の仲を邪魔しちゃ悪いから」
美咲が焦って言った。
「そう?」
戸羽さんが思いとどまった。
「じゃあ、せめてここから姿だけでも見せようよ」
美咲が止めるより早く、彼女は馴れ馴れしく大輝の腕をつかんで教室の中に彼を引っ張った。カフェらしさを出そうと飾り付けた結果かえって素人くさく見えてしまっている教室の中には、富士峰の制服を着たカップルや女の子同士のグループが、席に座って談笑していた。
その中に芽衣と、大輝が前に見かけた男、志賀悠人が向かい合って窓際の席に座っていた。芽衣の両手はテーブルの上に置かれていて、その上に悠人の手が覆い被さっている。
大輝が思わず二人の様子に目を奪われていると、男に両手を撫でられていた芽衣がこちらを見た。大輝と芽衣の視線が絡んだ。芽衣は驚いたように目を見開いた。そして慌てて悠人の手を振り払い自分の手をテーブルの下に隠した。
芽衣に手を払い除けられて戸惑った様子の悠人が芽衣の視線の先をたどったため、今度は大輝と悠人の目が合った。
悠人の顔から戸惑いが消え憤りの表情が浮かんだ。彼は立ち上がり大輝の方にに向かってきた。芽衣が慌てて悠人の腕を掴んで彼を止めようとしたが、彼女の手は空振りした。大輝は悠人がこちらに向かって来るのを見たが、どうしたらいいかわからなかった。
「もう。あんたのせいだよ。悠人先輩を止めて」
こちらに来ようとしている悠人を見た美咲が切迫した声で戸羽さんに言った。
「わかった。あんたは秋田さんを連れてここから逃げな」
彼女は悠人の姿を見ていろいろ理解したようだった。美咲に連れられて教室を出た大輝の背後から彼女の言葉が追いかけてきた。
「余計なことしちゃった。秋田さんすいません」
美咲に手を取られ引っ張られるようにして三階のカフェから逃れた大輝は、自分が校舎の外の緑豊かな中庭に出たことに気がついた。
「ここに座りましょう。もう大丈夫です」
美咲が中庭の隅のベンチに彼を座らせた。彼女は大輝の隣に座ったが彼の手を握ったままだった。
「今のなんだったの?」
「先輩って大輝さんの顔知ってたんですね」
「いや、むこうはおれのこと知らないと思うよ」
「じゃあ芽衣の様子で察したんですかね。芽衣と目があったでしょ」
「うん」
大輝は正直に答えた。
「芽衣もああうい風に先輩とイチャイチャしているところを大輝さんに見られたくなかったんでしょうけど、あれじゃ先輩だって大輝さんに気づきますよね」
美咲はテーブルの上で重ねていた手を芽衣が振り払ったのを見ていたようだった。
「おれがどうこうじゃなくて校内で堂々とああいうことするかな、普通」
「先輩は気にしないですね。芽衣の前の彼女とかのときもおおっぴらにイチャイチャしてましたもん」
「あいつ、こっちに寄ってきたけど何しようとしてたんだろう」
「うーん。先輩わりと短気なんですけど、さすがに校内の人目につくところで大輝さんに喧嘩売ったりはしないと思うんですけどね」
「そしたら何だったのかな」
「おれの彼女に手を出すなとかですかね」
「喧嘩売ってるのと同じじゃん」
大輝はそう言ったが、実際あの勢いで近づいて来た彼と対峙していたら、その場が穏やかなあいさつで終わっていたとは思えなかった。
「すみませんでした。先輩がいそうな場所は避けなきゃいけなかったのに」
「それより今の戸羽って女の子大丈夫かな」
「唯なら平気です。幼なじみだけあって先輩になんでも言えるみたい」
「そうか、あの子が唯さんなんだ」
戸羽としか名乗らなかったので気がつかなかったが、彼女が志賀悠人の幼なじみの唯だったらしい。
「はい。だから本当はあのままあそこにいても唯が先輩のことを叱って止めたと思います」美咲が言った。「だから大輝さんも多分大丈夫でしたよ」
「だったらなんで」
美咲は彼の手を取ってあの場から逃げ出したのか。彼はいぶかしんだ。
「大輝さんと先輩が自分を巡ってもめているところなんて、芽衣は見たくないだろうなって思ったから」
「どういう意味?」
「そのままの意味です」
そう言われても何のことかわからなかった。ただ、ひとつわかったのは芽衣の気持ちだった。大輝は芽衣が悠人に手を撫でられながら微笑んでいた光景をはっきりと見た。だからもう芽衣の気持ちに関しては期待するのはやめようと思った。芽衣が自分のことを恋愛の対象と考えていないことは今までだって明らかだった。
芽衣にキスし彼女もそれを拒否しなかったせいもあって、もしかしたらという期待をこれまで捨てられずにいたのだ。もうこれ以上芽衣の気持ちを誤解することはないだろう。だから、なぜ芽衣が悠人の手を振り払ったのかはわからないが、そのことで悠人に恨まれるのは迷惑だった。芽衣も大輝に気がないならああいう思わせぶりな行動はするべきじゃないのに。
「まあいいや。巻き込まれそうになったけど、よく考えればおれは関係ないし」
大輝は美咲に言った。関係ないしと言う大輝の言葉を聞いて、どういうわけか美咲は彼の方を見上げて可愛らしい表情で微笑んだ。
それでこの話題は一段落したが、二人とも今さら仕切り直して校内を回る気にはなれなかった。学園祭を案内するという彼女の約束は反故にされ、二人はそのままベンチで隣り合って座りながら、世間話をした。
話をしているうちに大輝は、美咲がとても話しやすい相手だと気がついた。男との一対一の会話に照れて黙ってしまうこともないし、大輝を無視して一人でペラペラ話し続けるわけでもない。美咲は高いコミュニケーション能力を持っているようだった。これまでそのことを大輝に気がつかせず、気持ちよく話をさせていたことが美咲のこうした能力を証明していた。彼はそんな感想を抱きならが、彼女と会話を楽しんだ。
美咲と話している間は、芽衣に対する失恋したような感情を思い起こすことがなかった。話の内容はたわいのないことだった。
美咲は大輝の生育歴をほぼ全てカバーするくらいに彼のことを知りたがったし、自分のことも幼少の頃から説き起こして説明したため大輝は昔から美咲と知り合っていたような錯覚に陥るほどだった。
こうして二人で身を寄せ合って話し続けているあいだ、ベンチの前をたくさんの人たちが通り過ぎた。最初はその大半が外部の人たちだったが、日が落ちてきて学園祭も終盤に近づくと、その場を通るのは富士峰の制服姿だけになった。その頃からいろいろな視線が二人に向けられるようになった。
「美咲ちゃん大丈夫?」
「何がですか」
話に夢中になっていた美咲が話の腰を折られて不審そうに大輝を見た。
「おれたちさっきからめっちゃ見られてる」
「はい」
美咲は彼の言うことを理解したようだった。
「見てるの全部うちの生徒です」
「まずくない? 教室でからかわれるんじゃないの」
「そうですね」
二人は二時間近く身を寄せ合ったままだった。彼らを見かけた人たちは美咲が彼氏を学園祭に呼んでイチャイチャしていると思っただろう。
「正直明日以降、噂がヤバイです」
「そうだよね。ごめん」
「でも大丈夫にできるかも」美咲が言った。
「どういう意味?」
「付き合っちゃえば噂が本当のことになりますよね」
美咲は真面目な顔で彼を見た。
「大輝さん好きです。付き合ってください」
大輝は思ったより驚かなかった。生まれて初めて女の子から告白されたのだが、美咲の好意についてはうすうす感じていた。
「うん。おれも美咲ちゃんが好きだよ」
大輝は美咲にそう言葉をかけたとき、いろいろとわだかまっていた感情が氷解し消化していくように感じた。さっき頭で理解したことが、胸の中でもはっきりと形になったようだった。
「うれしい」
美咲がうるんだ目で大輝を見た。
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