好きな人の代わりに親友とキスをする

なつの夕凪

少女カルタシスの処方箋

 中庭でサッカーボールを蹴る音と男子達の歓声が聞こえる。


 ありふれた日常が続く中学二年の昼休み、社会科資料室の片隅でわたし檜川麻由子ひかわまゆこは親友の藤井瀬里奈ふじいせりなと唇を重ね非現実にひたる。

 

 甘さと柔らかさがもたらす気持ちよさで頭が痺れる。


「マユ好き……」


「アタシもだよ……セリ」

 

 アイを語ると、甘さとさらに増し心を麻痺させながら舌を絡ませ、舌の裏を舐め、唾液を交わらせ蕩けていく。


 互いの口を塞いでままだから、空気が足りなくなり、息は荒くなり、苦しさから身体に熱も帯びていく。首を絞められているかの様に苦しいのになぜか切なく気持ちいい。



――好きなんて真っ赤な嘘



 上辺だけの言葉を連ねた方が酔えるからそう囁いているだけ……


 ベランダ側の窓はカーテンが掛かっているし、廊下側の窓はすりガラスだから資料室の中は外から見えない。


 廊下の外側で男子たちが歩きながら喋る声が聞こえてくる。アタシたちがしていることを誰かに見られるはまずい。でも大丈夫。誰も気づかないし、誰も知らない。


 誰かに今の状況がばれたらアタシたちは終わり。学校では普通に付き合っているだけでもひがみや嫉妬からすぐに悪い噂が立つ。女子同士の恋愛なんて百パーセントアウト。下手をしたら学校に来れなくなるかもしれない。


 考えるだけでゾクゾクする。危険はコーヒーシュガーよりも甘く溶けて深い味わいをもたらす、格別に美味しいもの。


 男子生徒たちの声が近づくのに合わせ、アタシたちは過激になっていく。互いに漏れそうになる声を必死に抑えながらキスは続く。やがて声が遠くなり、聞こえなくなったところで、互いの唇を離す。


「マユは五時間目なに?」


「現国、セリは?」


「化学……あ、宿題のやるの忘れた」


「化学って、さかきでしょ? 早く教室に戻って、片付けた方がいいよ」


「そうする。じゃあ」


 セリはアタシに向けて資料室の鍵を投げると教室に戻っていく。アタシは特にやることないので、そのまま資料室にある椅子に座り、煤けたシミのある古ぼけた天井を眺める。


 キスを終えた後はいつもこんな感じ。恋人同士ではないから余韻に浸ることはない。ビタミン剤と似ているかもしれない。身体に必要だから摂取するけど、別にビタミン剤自体が好きなわけじゃない。


 以前アタシたちには互いに好きな人が別にいた。でも結ばれることはなかった。


 切なくてやりきれないから、キスに溺れることで実らなかった恋の痛みを紛らわしているだけ、偽りのキスはすぐに効果がなくなるるから頻繁にする。さっきのキスの効果はもう切れてきてて胸がズキズキしてきている。



――やっぱり足りないよ。野川先輩



 唇を人差し指でなぞりながら、これまでのことに想いを巡らせる。 



◇◇◇◇



 セリとは普通の友達より近い関係だった。簡単に言うと親友。


 アタシはバスケ部でセリは陸上部、互いに体育会系、じっとしているより身体を動かすことが好き、難しいことを考えるのは苦手、好きな人とは少し違うけど……憧れの先輩がそれぞれいた。アタシはバスケ部のエースだった野川秋のがわあき先輩で、セリは陸上部の橘白椿たちばなしき先輩、野川先輩と橘先輩は親友同士でアタシとセリの関係に似ていた。


 アタシたちは先輩たちに自身の想いを重ねていたのかもしれない。ふたりは眩し過ぎる存在だった。

 

 夏の大会が終わると三年は部活を引退し、二年のアタシたちが部活を引き継いだ。アタシはバスケ部の副部長となり、セリは陸上部の部長になった為、皆を引っ張っていく立場になった。


 先輩たちの指示の下、言われるがままやっていたこれまでと違い、練習内容やプレーの質、後輩のサポートなど多岐にわたり気を配らないといけない。そんな慣れない日々が続く中、アタシもセリも大分くたびれていた。


 先輩からは「いつでも相談に乗る」と言われているけど、気安く声をかけることはできない。受験勉強が忙しいだろうし、これから問題が起きる度に頼ることはできないから。仕方ないと分かっていても、遠くなっていく先輩たちにあの頃のアタシたちは寂しさを感じていた。


 残暑も一段落した十月初旬のこと、アタシとセリは放課後、それぞれのクラスの文化祭実行委員会に参加していた。結論の出ない打ち合わせに辟易としたけど、二時間かけてようやく終わり、委員会のあった教室を出ると、コの字型の校舎反対側で野川先輩と橘先輩がちょうど三階の空き教室に入っていくところが見えた。


 少子化の影響で、アタシたちの中学も生徒が年々減少しており、全教室のうち四分の一ほどが空き教室になっている。借りるのは受験生優先だけど、在校生なら誰でも自習室として借りることが出来た。


 少しだけ先輩たちと話がしたい――


 深い意味はなかった。久しぶりに先輩たちに甘えたい……、急にドアを開けたらふたりはきっと驚く、でも笑って許してくれる……そう思った。セリも乗る気だったから、アタシたちは音も立てないよう注意してゆっくりと空き教室に近づき、窓の隙間から中の様子をそっと伺う。


 机の上にはそれぞれの参考書や問題集を並んでいる。確かに勉強をしようしているようには見えた。


 けれど、ふたりは勉強をしてはおらず……橘先輩が野川先輩の腰を抱き、ふたりは唇を重ねている。


 瞳を閉じたまま、時間が止まったようにふたりは動かない。その光景を見たアタシとセリも凍り付いたように動けなくなった。



 野川先輩と橘先輩がキスをしている――



 ベランダ側から指す日の光に照らされたふたりは、まるで神様に祝福されているかのように輝いている。それは今までの人生で見た中で最も綺麗な光景だった。


 先輩たちの容姿が整っているのもあるけど、清らかで偽りのないものが互いの心の鐘を奏でている。アタシにはそう思えた。


 永遠のような刹那の時間が終わりを告げると、ふたりは互いの身体を離し、何事もなかったかのように勉強を始めた。それと同時に魔法が解けたアタシたちは、ふたりに気づかれないようにその場を離れた。


 最初は音を立てないように歩き、ある程度離れたところで早歩きとなり、最期は全力ダッシュに変わり、校舎一階の螺旋階段下にたどり着いたところで、ようやく立ち止まった。ペースなど考える余裕もなく逃げてから、互いに息が切れていた。


「はぁ、はぁ……セリ大丈夫?」


「うん……あのさぁ、見た……よね?」


「ふたりがキスしてた」


「やっぱりそうだよね……そうなんだよね……あれ?」


 いつの間にかポタポタとセリの瞳から大粒の涙がこぼれていた。


「セリ……」


「なんでわたし泣いているのかな、おかしいな、でも」


「おかしくなんかない!」

 

 セリをそっと抱きしめた。胸が痛くて痛くて、そうしていないとアタシもどうにかなってしまいそうだった。セリは子供のように泣き続けた。「セリと一緒に泣ければいいのに……」と心の中で想うけど涙はなぜか出てこない。夕暮れの日差しでオレンジ色に輝くセリの綺麗な髪を眺めていた。


 その日は部活に顔を出す事なく下校した。互いの家の中間地点まで、無言のままで「じゃあまた明日」「うん」という別れの挨拶だけが唯一の会話となった。


◇◇◇◇


 家に帰ってたアタシは制服にしわがつくことも気にせず、そのままベッドにダイブした。そして、ぼんやりと野川先輩のことを考える。



 孤高――



 野川先輩はそんな言葉似合う人だった。部活では周りを気にせず、いつも黙々と練習している。お願いをすれば練習にも付き合ってくれるし指導もしてくれるけど「教えるの下手だから」と多くは語らない。


 胸の先まである長い髪を一つ結びにして、前髪を上げた顔が凛々しい。


 巧みなドリブルで相手をかわし、的を射抜くような正確なパス、左ワンハンドのクイックモーションでゴールを決めていく。クールな先輩はプレー中に一瞬だけ笑みを浮かべる。スコアが負けていても先輩がいれば何とかなる。先輩の笑みでチームは落ち着きを取り戻す。

 最後の大会は故障を抱え先輩は本調子ではなかったけど、それでもチームを県大会準決勝に導く原動力になった。


 試合が終われば謙虚で控えめ、そんな野川先輩にアタシは憧れた。


 橘白椿たちばなしき先輩は、日に焼けた肌と屈託のない明るい性格で男子よりもイケメンと呼ばれる容姿から男女問わず人気があった。どこかミステリアスな雰囲気のバレー部の小田切春風おだぎりはるか先輩と並んで、一学年上では二大アイドルと呼ばれていた。華があるふたりはいつも誰かに囲まれている。 


 一方、野川先輩はバスケ部での存在感はあるものの部活外では大人しく二大アイドルとは比べられることもない普通の生徒だった。休み時間の野川先輩を見かけたことがある。誰かと話すわけでもなく、図書室で借りた本を静かに読んでいた。

 気心の知れた橘先輩と一緒にいる時だけ、野川先輩は楽しそうに喋っていた。野川先輩と橘先輩が深い関係になるのは必然だったのかもしれない。 

 

 野川先輩と橘先輩がキスを見た時……今まで感じた事のない痛み、目が回るような感覚、息苦しさ、喉の渇きに襲われた。


 そして、今も目の前で展開された事実を消化できず頭の中を疑問符が浮かんでいく……


 どうして野川先輩は橘先輩と?


 野川先輩は橘先輩のことが好き?

 

 どうして?


 どうして?


 どうして?


 疑問符は尽きることなく、どんどん増えていく。そして行き場のない想いの矛先は橘先輩に向かう。


 野川先輩を取らないで……


 野川先輩を想っているのはアタシ……


 橘先輩嫌い――


 あぁそうか、アタシは野川先輩のことが……

 

 ようやく痛みの正体が分かり安堵したのと同時に、どうにもならない焦燥感にかられる。


 でももう手遅れ……そもそもアタシには最初からチャンスはなかったと思う。


 苦しいよ……助けて野川先輩


 どうして野川先輩の特別はアタシじゃないの?


 晩ご飯も食べず、ほとんど眠れないまま、ベッドの上で身体を何度もよじっているうちに朝の日差しは室内を照らし始めていた。


◇◇◇◇


 昼休み、セリと話をすることにした。


 一晩経って少しは頭が冷えた気がするけど、先輩たちに会う勇気はない。秋の日差しが照らす屋上で待っていたセリは出口の壁に寄っかかり、何かを諦めたような笑みを浮かべていた。


「ねぇマユ……あのふたりってさ、やっぱ付き合ってるのかな」


「キスするくらいだからね……」


「だよね。全然わからなかった」


「多分、わからないように上手くやってたんだよ。昨日までは」


「そうだね……」


 女同士だから教室でハグをしたり、互いの髪を触ってたりしても誰も気にも留めない。それこそキスでもしない限りは……


「橘先輩、噂では男子から何度か告られたみたいたけど、全部断ってたみたい、理由は野川先輩ってことだよね」


「そうだね、セリはさ……橘先輩のことどう思ってるの?」


「自分でもよく分からない。でも泣いたくらいだからさ……多分そういうことだと思う。マユはどうなの? 野川先輩のこと」


「アタシは先輩のこと好きだったと思う。昨日のことがなければ考える事もなかったと思うけど、あれから先輩のことばかり考えてた」


「……そっか。じゃあわたしたちふたりとも失恋したのかな」


「そうだね……」


「……なんかカッコつかないね。まだ男子に振られた方がマシかも」


「セリは前にA組の野口のことを振ってたじゃん」


「そんなことあったね……野口はあの時、今のわたしと同じ気持ちだったのかな。悪い事したかも」


「別にセリが気にすることじゃないよ。無理だから無理って言っただけでしょ」


「まぁそうだけど……ねぇマユ、お願いがあるんだけど……」


「なに?」


「キスさせてくれない?」


「……言っている意味がわかんないだけど」


「女のキスは女のキスでリセットしたいというか……忘れたいんだよ全部」


 セリは弱弱しく笑ってみせた。普段は口調が乱暴で、男子にも立ち向かうくらいだから誤解されるけど強くない。


「……わかった。いいよ」


 わたしはセリに顔を向け、瞳を閉じた。


「デリカシーないって言われるかもしんないけど、初めでだよね?」


「初めてだよ……でもセリならいい」


 ファーストキスはどうでもいいものじゃない。好きな人に取っておきたかった。でもアタシも心にぽっかりと穴が空いてしまい、何かで塞ぐ必要があった。同じ境遇のセリなら埋めてくれるような気がした。


 キスをしたいと言いだしたのはセリだけど、アタシもそうしたかったのかもしれない。


「ごめんねマユ……」


 セリが唇をそっと当ててきた。しばらくするとわたしの背中を抱え、押し込むように唇を深く重ねる。それは暖かくて、柔らかくて……どこまでも堕ちていく感じがする。


 あぁキスって気持ちいい――


 だから野川先輩も橘先輩と……こんな時でも野川先輩が頭によぎる。


 先輩、先輩、先輩――!


 セリはそっとアタシから離れた。


「ありがと……マユ、やっぱ嫌だった?」


「そんなことない、何で?」


「マユが泣いてるから……」


 瞳を拭ってみると確かに涙が出ていた。

 

 セリとキスしている間も野川先輩のことを考えてた。


 キスの相手が野川先輩じゃないからか……ごめんねセリ……


 セリとのキスで先輩を忘れるどころか、心の奥底にアタシは先輩を刻みこんでしまった。


◇◇◇◇


 年が明けて春になると先輩たちは卒業し、アタシたちは三年生になった。


 部活には一年生が入ってきたり、アタシたちも来年は受験のため、二年生の頃よりも忙しくなった。セリの関係はまたしても同じクラスにならなかったことも含めて変わらかった。唯一変わったことは、セリと初めてのキスをした後、ほとんど毎日キスをする関係になったこと。最初は屋上でしていたけど、最近は体育準備室や螺旋階段下や女子トイレなど日々場所を変えている。


 アタシたちは付き合っていない。


 キスはしたい時にする。互いに拒否権は無し。気持ちいいからキスしてるだけ、それ以上でもそれ以下でもない。


 罪悪感なんてない。誰にも迷惑をかけてないから、もし間違っているのなら正しい事を教えてほしい。願いが叶わなくて、何かで補わないと生きていけないとしたら、それは悪い事なのか? 


 もしセリに好きな人ができたら、今の関係はすぐに止める。親友の恋路を邪魔する気はない。


 それにキスを続ける事のリスクは大きい。先輩たちがアタシたちに見られたように……。

 先輩が卒業するまで、ふたりのことは誰にも言わなかったけど、仮にアタシたちがキスをしていることが広まったら大変なことになる。

 危険は分かっている。それでも止めれない。キスを続けたアタシたちは強い刺激を求めるようになり大胆になっていった。最近はキスに合わせ、互いの身体を触ったりする。その行為は扇情的でますます溺れていく……


 でも、いくら盛り上がってもアイはない。振られた者同士の慰め合いでしかない。大胆でも「ごっこ」は「ごっこ」に過ぎない、アタシもセリも先輩たちに決して届かない。


 アタシはセリと創った偽りに虚しさを感じていた。


 だから先輩たちがキスをしているのを見てちょうど一年が経つ頃、セリを屋上に呼び出し、これ以上キスをしないことを告げた。


 セリは猛反対した。


「どうしてだよマユ? 今まで上手くやってきただろ、何で今更? 好きなヤツでもできたの?」


「アタシは変わってない。変わってないのが問題なの、一年前から止まったまま、だから」


「やだよ。今だってわたしは……」


「やめてセリ……」


 セリは強引に唇を重ねてきた。この一年で数えきれないほどキスをしてきたセリはアタシのことを知り尽くしている。


 弱いところ、苦手なこと、気持ちいいところ……


 ダメだ……逆らえない

 いつもと同じようにキスに溺れていく……


「……やめるなんて言わないで、マユがいないとわたしはもう駄目なんだよ。

 そうだ、今週の金曜、親が仕事で札幌に行くからウチに泊まり来なよ。ふたりだけで過ごそう」


 セリはアタシの手を強く握る。そして……


「マユ……好きだよ」


……違う


 セリの言う通りしたいと身体は叫んでいるけど、心だけは違った。


「ごめん……セリ、アタシ今でも野川先輩のことが好き」


「マユのバカ……」


 セリは涙を浮かべ、その場から去っていった。親友を傷つけたのだから追いかけないといけない。……でも追いかける事が出来なかった。


 セリとアタシはずっと同じだと思っていた。実際は違っていて、アタシは野川先輩の事が好きなままだったけど、セリは橘先輩のことをとっくに諦めてた。


 橘先輩がいなくなったことでぽっかりと空いたセリの心に、アタシが住みついてて、アタシは恋愛感情のないキスをしていたけど、セリのキスは心がこもってたから、アタシは溺れたのだと思う。


 もしアタシもセリを好きになっていれば、傷つける事もなかった。


 アタシ……バカだ


 気付いてあげられなかった


 セリはどんな気持ちでずっと素っ気ないふりをしてたのだろう……


……でも、無理なんだよ。野川先輩の存在は大き過ぎた。

 時間が経っても、会えなくてもアタシは野川先輩が好き。それだけは変わらない。変えられない。


 ごめんねセリ……

 

 セリとはその日を境に卒業するまで言葉を交わすことはなかった。


◇◇◇◇


 中学の卒業式の日、校門の前で、セリはアタシを待っていた。


「よう、久しぶり」


「……うん」


 不器用な挨拶をするセリにアタシも同じくらい不器用な挨拶で答えた。


 アタシたちは帰り道の途中にある神主さんのいない神社の軒先に腰をかけ話をすることにした。


「この前、橘先輩を偶然見たんだけどさ、カレシと手を繋いで歩いてた。だから安心しろ、野川先輩は今フリーだよ……多分」


「……何それ?」


 セリが唐突に想像もできないようことを言うから思わず笑ってしまった。


 野川先輩と橘先輩は別々の高校に進学したのは知っていた。でも橘先輩がカレシを作っているのは予想外だった。


「セリは橘先輩にカレシがいるのショックじゃないの?」


「驚いたけど……わたしはだいぶ前に失恋してるから、なんとも思わなかったよ、それより誰かさんに振られたときの方がショックがデカかったな」


「別に振ったわけじゃ……」


「じゃあ今ここでキスしよっか」


「ダメ、ここは神様が見てるし……それに好きな人がいるから」


「そっかぁ、じゃあ仕方ないか、わたしは華麗な高校デビューを決めて、カレシでもゲットするわ! たまには連絡寄こせよ」


「うん」


 仲直りしたセリは、そう言い残すと神社を去っていった。


 セリは地元の共学に、アタシは都内の女子高に進学する。


 親友はこれまでの自分に区切りをつけ、明日に向けて走っていく。

  

◇◇◇◇


 セリと初めてのキスをした数日後の事だった。


 アタシは再び野川先輩と橘先輩がキスをしているところを目撃した。


 正確にはふたりがキスをしてそうな場所を探し当て、スマホで証拠写真を撮った。そして野川先輩を放課後校舎裏に呼び出し、橘先輩と別れるように迫った。


 全ては野川先輩のため――


 写真を撮ったあの日、野川先輩は橘先輩とキスをすることを躊躇ためらっていた。


 橘先輩は野川先輩の頬を平手で叩いた後、唇を強引に奪った。


 アタシにはそれが許せなかった。


 証拠写真で橘先輩に迫れば、ふたりの関係は終わる……自分にとっても野川先輩にとってもそれが一番良いと思った。


 でも野川先輩は応じなかった。


白椿しきと私の事に口出ししないで、これは私たちの問題だから、それに白椿を……大切な人を傷つけることは許さない」


 野川先輩はこれまでに見せた事のない激しい気性で、アタシの提案を硬く拒絶した。


「お願い、その写真を消して、そのためなら何でもするから」


「なら野川先輩、アタシにキスをしてください」


 アタシは断られる前提で無理な注文を出した。ところが……


「いいよ。そんな簡単な事でいいなら、でもマユは後悔することになるよ」


「構いません。アタシは野川先輩の事が好きですから」


「そう……」


 ……本当に好きな人と唇を重ねる。


 それはセリとのキスと全く違う。危険で恐ろしいほどに甘い、瞬く間に心の隅々まで支配され、アタシの全ては野川先輩に染まった。


「私の言う事を聞いてくれる? 今すぐ写真を消して」


「はい……」


スマホから写真を削除した。逆らう事なんてできない。


「ありがとうマユ……困ったことがあったらいつでも相談に乗るよ。でも白椿のこと意外ね」


 先輩はそう告げると、アタシを何度も魅了したあの笑みを浮かべる。


 あの日、アタシは先輩から甘美な毒を貰った。処方箋も治癒方法もない。解毒できるとしたら毒を盛った先輩だけ……


 ――先輩のことが好き


 ――寝ても覚めても解ける事は決してない


◇◇◇◇


 進学先の高校に野川先輩が在学している。


 期待はしていない……というのは嘘だ。 


 好きな人のそばで過ごせればそれでいい……そんな聞き分けの良い事はもう言わない。


 アタシが欲しいのは野川先輩だ。どんな汚い策を使ったとしても、今度は必ず手に入れる。白椿先輩はもういない。邪魔する人はもういない。


「野川先輩、もうすぐ会えますね」


 アタシは先輩と再会する近い未来を想像し、境内で芽吹き始めた梅の花を見ながら一人酔いしれる。

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