煮え湯

「“へ”は“え”になる。古い日本語だとそうだろ。だったら、これは“にえゆ”じゃないか」

「煮え湯を飲まされるの煮え湯?」

 問う小川の声は上擦った。

「そうだよ。意味が成立する言葉になる」

「だったら、次をやってみろよ」

「待て、“ち”か」

 文字一つ文、指をずらし、トンと“た”を叩いた後で伏見は指を右上へ運ぶ。そ、せ、となぞって、コツコツと“そ”を叩いた。

「“煮え湯そ”か。まだ続きそうな感じはあるな。次は」

「“や”だから“む”だ」

「“煮え湯そむ”じゃ意味が通らないだろ。三つじゃないんだ」

「これ、どうすればわかるんだよ」

 悲しそうな顔で問う伏見に小川は告げる。

「ま、しらみつぶししかないだろうな。そのうち当たりが引ける」

 天井を仰ぎ見て、伏見は言う。

「まじか。気が遠くなるな」

「そうでもないさ。あいうえおって何文字だ」

「あいうえおは五文字だろ」

 広い額に手をやり、小川はため息をついた。

「あほか、ふっさん。言葉の綾だ。あいうえお、つまり、ひらがなは何文字だ」

「カタカナじゃあかんのかいな」

 小川は伏見をにらむ芝居をした。

「わざとやってんだろ」

 あっさりと伏見はうなづく。

「時間ないんだぞ。遊んでたら夏休みなんてあっという間に終わっちまう。いろは何文字って言ったかな……四十九?」

「そら夏の甲子園の出場校やがな。北海道と東京が二枠あるから四十七都道府県プラス二や」

 楽しそうな伏見を無視して、小川はノートのひらがなを数える。

「あ、か、さ、た、な、は、ま、で七。や行は飛ばして、ら行で八。一行が五だから八かけて四十。これにや行の“や”、“ゆ”、“よ”とわ行の“わ”、“を”、“ん”を足して全部で四十六か。だから、最大で四十四通り試してみれば、答えは出てくる」

 伏見は顔をしかめた。

「なんで四十六じゃないんだ」

「馬鹿か、ふっさん。四十六通りのうちの一つはこれだぞ」

 小川は暗号文の“のにりちやそかせへまもぬはねこのかねたひ”を示す。

「そうだな、でも、なんでもう一つ消せるんだ?」

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