存在しない


 旧弁論部室の中に人の姿はなかった。

 ただ、不可解なことに床に国語辞典があった。

「どうやら、ここから落ちたらしいな」

 伏見は教壇のようなものの前に立って言った。

「ほら、この台の上に他にも辞書が積んである」

「これは弁論台ってやつかもな」

 小川が口にすると、伏見は怪訝そうな顔をした。

「演説台とでも言えばいいのかな。原稿を置いたりするための台だよ」

「なるほど、でも扉みたいになってるけど」

 しゃがみこんで伏見は言った。小川も腰を落とす。

 直方体の台の一面は観音開きの扉になっているようだった。

「なかにマイクスタンドやコードが入っていたり、音響の機械が入っているのかもな」

「開かないな」

 伏見が取っ手をつかんで扉を動かそうとしている。

「鍵かけているんだろ。中のマイクとか盗まれないように」

「にしちゃ鍵穴っぽいのがないけど」

「そんなわけあるかよ」

「あーっ」

 鍵穴探しは伏見の大声で中断を余儀なくされた。

「ビックリすんだろ。でかい声だすなよ。どうした」

「な、ない」

 伏見は震えていた。

「ない? なにがだ」

「ない。ない。ないんだよ」

「だから、なにがだ」

「エアコン。この部屋にはエアコンがついてない」






 演劇部室で台本の読み合わせをしていた倉坂は顔を上げた。

「どうしたの、倉坂さん」

「いえ、今、なんか悲鳴のようなものが聞こえたような気が……」

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