Day20『甘くない』:ある悩みの話

 野営での夕食後。

 洗い終わった食器を拭いていた燃えるような赤髪の少女が、隣で食器を洗っている水色の髪の少女へ意味深な視線を向けると、ぽつりと言う。

「そーいや薬屋さ、もしかして太った?」

「ふとっ?!」

 突然の言葉に驚いた少女は洗い終わったばかりの食器から手を離してしまう。だがその食器は、彼女の反対側の隣にいる桃髪で無表情の少女がすんでのところでキャッチした。

「嘘? ほんとに?」

「別に目に見えて太ったっつーわけじゃねーけど、なんつーか……、何となく肉付きがよくなったみてーな感じ?」

「うん。確かにレジーナとぎゅーってすると、最近は出会った頃よりも柔らかくてふかふかだよ」

「やだっ太ってるじゃん!」

 彼女たちの言葉にレジーナは、ショックを受けた声を上げてションボリと項垂れた。

「っつーか、原因に心当たりねーのかよ」

「ないからショックなんだよ。旅に出てからも特別変わったことはしてないし、ご飯も八分目で終わりにしてるし。しいて言うならこの前泊まった宿で女将さんが特製ホールケーキをご馳走してくれたくらいだけど……」

「だいぶ前の話じゃねーか。そんなのノーカンだ」

「だよねぇ」

 とても真剣な表情の二人の会話を黙って聞いていた桃髪の少女が、無表情でレジーナの袖を引っ張る。

「ワタシ、レジーナが太った原因知ってるよ」

「えっ、ほんとに?!」

「うん。最近ヒロがレジーナによくお菓子をあげてるから、そのせいだよ」

 モイの言葉に、思い当たる節があったレジーナは心底驚いた様子で目を丸くして口元に手を当てた。

「言われてみれば確かに!」

「確かにじゃねーよ、むしろ何で気付かねーんだ」

「だってヒロ、村にいた頃からよく、貰ったけど食べ切れないからってお菓子を分けてくれてたんだよ。だから当たり前のことすぎて失念してたというか、まさかそのせいだって思わなかったというか……」

「あーはいはい。要するに、幸せと体重が比例したっつーことか」

「もうセプ! からかわないでよね」

 レジーナが少し拗ねたようにそう言うから、セプことアクセプタは楽しそうにクスクスと笑った。

 それから彼女の隣にいるモイへと視線を向ける。

「っつーか迷子はよく知ってたな。アタシはそんなこと全然知らなかったけど」

「この間フリィとヒロと三人で町中を散歩してた時にヒロが、マドレーヌの袋詰めを買いながら教えてくれてたんだよ」

 モイの言葉に二人はそれぞれ表情を曇らせた。

 そのマドレーヌがあの時貰ったやつだと心当たりのあったレジーナと、また無駄遣いしてたのかと財布の中身を懸念するアクセプタ。二人は示し合わせたように顔を見合わせる。

 ややあってレジーナがションボリとため息を吐く。

「私も、せめて走り込むくらいはしなきゃだよねぇ」

「菓子食うの止めりゃいいじゃねーか」

「だって、せっかくヒロがくれるんだよ……!」

「それで太ってちゃ世話ねーだろ」

「それはそうだけど……っ」

 今度はアクセプタがため息を吐いた。

 正論を告げてはいるがアクセプタだってレジーナの言い分はわかる。薬学に熱心な彼女にとって走り込む時間も読書や薬学研究に充てたい気持ちも、好きな人が大好物を差し入れしてくれることの嬉しさもそうしてもらった物を食べる幸せも、痛いほどに理解できてしまうのだ。それに好きな人の前で太っちゃうからなんて普通は恥ずかしくて言えないし、そして何より、仮に言えたところで相手がヒロだと太ってないし今のままでも十分だと平然と返してくるのが目に見えている。空気は読めるくせに乙女心は察せられない彼の悪いところである。

 二人揃って黙り込んだアクセプタとレジーナを交互に見てから、モイはレジーナの袖を引っ張る。

「レジーナは太るの嫌なの?」

「そりゃあもちろん、なるべく太りたくないよ」

「なるほど。わかった。それならワタシに任せて」

「モイ?」

 レジーナが不思議そうに首を傾げた。そんな彼女へ、モイは無表情ながらも決意がみなぎった眼差しでひとつ頷く。

「ワタシがヒロに、レジーナにこれ以上お菓子をあげないでって言うよ」

 それを聞いたアクセプタがケラケラと笑う。

「そりゃ名案だな。いざ菓子を持った勇者を前にしたら、いらないなんて言えねーもんな、薬屋は」

 モイとアクセプタの二人の視線を一身に受けてレジーナは考える素振りを見せる。胸に手を当てて、それからお腹周りに手を当てる。

 しばし考えた後、レジーナはひとつ頷いた。

「確かに、ヒロから今後お菓子がもらえなくなるよりも太っちゃうほうが死活問題だし…………うん。モイにお願いしてもいい?」

「任せて。レジーナがこれ以上太らないように、ワタシが守るからね」

 モイが力強く頷いた。

 そんな彼女にレジーナは感極まったようで、洗い物で手が濡れているままモイをぎゅうと抱きしめた。無表情ながらもモイはそっと彼女を抱きしめ返す。

「ありがとね、モイ!」

「どういたしまして」

「セプも教えてくれてありがと! 私、今日から、これ以上太らないように頑張るよ!」

 レジーナはアクセプタは振り返るとそう言って明るく笑った。そこは痩せるじゃねーのかと内心で呆れつつアクセプタもまた、どういたしまして、と答えた。


 それから数日後。

 休息のために立ち寄ったとある村のコテージで、仲間たちそれぞれ好きに自由時間を過ごしていた時だ。

「アクセプタ。頼みがあるんだが、少しいいか?」

「珍しいな勇者。どーした?」

 最近レシピを入手した保存食作りのためにコテージのキッチンに立っていたアクセプタのところへ、至極真剣な表情をしたヒロがやってきた。

「ああ。ティアリーから聞いたんだが、アクセプタは焼き菓子……クッキーなら作れるらしいな」

「まあ作れっけど」

「せっかくの自由時間に申し訳ないんだが、甘くないクッキーを作ってほしいんだ」

 その言葉にアクセプタは目を丸くした。

 何を隠そう彼女は、作るかどうかは別として、唯一知ってるお菓子のアレンジレシピを考えていた。甘くなかったり野菜を使ったクッキーなら、これ以上太らないという低い目標を掲げた親友も喜んで食べられると思ったのである。

 ややあって、アクセプタはニヤリと笑った。

「もしかして薬屋にか?」

「ああ、そうなんだ。最近レジーナが体重を気にしてるみたいでさ。そうか、アクセプタも知ってたのか」

 知っていたも何もアクセプタはレジーナと一緒にその話をしていたし、むしろ、彼女にその話題を振った張本人でもある。

 それを知らないヒロは真剣な顔で言葉を続ける。

「俺は本人から直接聞いたわけじゃなくて、この間モイとフリィに釘を刺されて知ったんだ。……俺としては、今のレジーナはやっと村にいた頃と同じくらいの健康的な見た目に戻ったんだから気にする必要はないと思ってるが、だからって本人の気持ちは無視できないだろ」

「ん? ちょっと待て。それってつまり、アタシが出会った時の薬屋はむしろ痩せてたほうで今が標準っつーことか?」

「ああ、そんなところだ。……そうだな。アクセプタだから話すが、再会した時のレジーナはちゃんと飯食ってんのか心配になるくらい痩せすぎててさ。たぶんあの時はあいつ、色んなことがありすぎて精神的に弱ってたんだと思う」

「…………」

 アクセプタは思わず閉口した。

 確かに出会った頃よりも今のレジーナのほうが、二の腕や太ももがプニプニしてきた分、健康的に見えるのは事実だ。だが、シルエット的には今も出会った頃も言うほどの差はないし、だからといって、心配になるほど彼女が細いわけでもない。

 その辺りのヒロの価値観はアクセプタにはまったくわからないが、少なくとも、レジーナが太った原因が彼にあることは確実なようだ。

 アクセプタは困った様子で自身の髪を掻く。

「あー、まあそうだな。まあアタシは別に薬屋にクッキー作ってやんのは構わねーけど、それよりむしろ、勇者がクッキー作ってやりゃいいんじゃねーの?」

「俺が?」

「アタシも毎回作ってやれるわけじゃねーし、勇者が作り方を覚えたほうが今後も勇者の好きなタイミングで作れんだろ。作り方はそんなに難しくねーからさ、勇者ならすぐ覚えられんじゃねーかな」

「本当か! それは助かるよ!」

 目を丸くしていたヒロは嬉しそうに笑った。

「料理なら最近少しやったから、多少は手間取らないはずだ」

「サンドイッチと一緒にすんじゃねーよ」

「望むところだ!」

 そう意気込んだヒロは早速クッキーの生地作りを始めた。最初は多少苦戦していたものの混ぜるだけの簡単な作業は料理初心者の彼でも容易だったようで、今は生地からクッキー生成に精を出している。

 基本のボックスクッキーの作り方を教えたアクセプタは、もはや歪な台形になっているクッキーを作るヒロの作業を眺めながらが気になっていたことを呟く。

「なあ。何でそこまでして薬屋に菓子渡してーの? 町中でちょっと買うならともかく、自分で作るなんて手間じゃねーか」

「確かに、自分で作るのは思ってたより大変だな」

 ヒロは困ったように笑う。

「どうしても菓子を渡したいわけじゃないんだが、俺にはそれくらいしか思いつかなくてさ」

 そう言った彼の手の中で、歪な台形だったクッキー生地は手作りらしい四角へと変わっていた。白と黒がアンバランスな様子からは無理矢理形を整えたのが伝わってくる。

「レジーナは昔から、時間さえあればすぐ薬学の勉強や研究をして睡眠や食事を疎かするんだ。頑張るのはいいと思うが、それで倒れたら元も子もないだろ。少しでも力になりたいし支えてやりたいんだが、俺は薬学のことなんてさっぱりだから協力できることに限りがあってさ。だから、こうやって菓子を渡すことで少しは休ませたいんだ」

「ふーん。ま、その気持ちはアタシもわかるよ」

 続けてヒロは残った白と黒の生地でマーブルクッキーを作っている。器用さよりもセンスが問われるからなのか、先程よりも完成度は高い。

 ボックスクッキーとマーブルクッキーをそれぞれ包丁で切って大量のクッキーを生成していく。そうして余った生地も適当な形のクッキーにして、すべての生地を使い切った。それらを天板に並べてオーブンに入れれば、後は焼き上がるのを待つだけである。

 それから数十分後。

 オーブンから天板を取り出したヒロは歓声を上げた。

「お! いい感じに焼き上がったな!」

「上手くいったみてーだな」

「ああ! ありがとな、アクセプタ!」

 嬉しそうに笑ったヒロは焼き上がったクッキーのうち、ヘンテコな形のクッキーをラッピング袋に取り分けた。それからボックスクッキーとマーブルクッキーを半分ずつ袋と皿に分けていく。

「全部薬屋にやんねーの?」

「ああ。せっかく作ったんだからフリィにも食ってほしくてさ!」

「ふーん、あっそ」

「アクセプタも食うか?」

「じゃあ遠慮なく」

 アクセプタは皿に並んだマーブルクッキーを一枚摘むと口に放り込む。サクッサクッという音が口の中に響き、ほんのり甘いバターの味とほろ苦いココアの味が広がる。思い切って砂糖を入れなかったのだが、この甘くないクッキーはどうやら大成功のようだ。

「ん、美味いじゃん。これなら薬屋も喜ぶだろーな」

「そうか! それはよかった」

 ヒロは爽やかに笑うとラッピング袋に詰めたクッキーを手にした。

「じゃあ俺は早速レジーナに渡してくるよ。もしフリィたちが返ってきたら教えてくれ。それか、このクッキーを渡しておいてほしい」

「はいはい。任せとけ」

 アクセプタの返事を聞いてから、ヒロはコテージの一室に籠もって薬の調合をしているレジーナの元へ向かった。それを見送ったアクセプタはもう一枚、甘くないクッキーを口に放り込む。

 太らない決意をしたレジーナが作業の手を止めてヒロ特製の甘くないクッキーを幸せそうに食べているであろう姿を想像して、アクセプタは嬉しそうに小さな笑みを零した。

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