第4話「菫と薔薇」
一人の女性が一騎当千しているとちょっとした騒ぎと注目の的になっていた。
ヴィオラ、ヴァイオレット・オーデルシュヴァンク。名家に生まれた
令嬢である彼女が何故サフィーロファミリーの清掃員になったのか。彼女は
決められた学校に通い、決められた人との婚約をする運命にある。ライスター家の
男児ユリウス・ライスター。ヴィオラは彼を心の底から愛している。相思相愛の
関係。だがユリウスは家を追放された。彼を追うようにヴィオラは亡命し、
そしてサフィーロファミリーに辿り着いた。戦う術の無い彼女は戦後の後始末を
担当する清掃員として雇われた。幹部になったユリウスとの交流はずっと
続いている。
「あぁ、しまった!」
派手な音をさせて、ひっくり返った盤上。オセロと言う簡単なボードゲームだが
こうも崩壊してしまっては元に戻せない。もう一度、最初からやり直すしかない。
諦めていたアルメル・ブランシュとレベッカ・ラムレイは最初からやり直そうと
した。ヴィオラはコマを拾う。ボードをテーブルに置き、黒と白の駒を並べていく。
彼女の手に迷いはなく、ひっくり返す前の盤面が出来上がった。驚いたのは
レベッカ。
「すごーい!ヴィオラさん、すごーく記憶力が良いんだ!」
ヴィオラは会釈するだけ。部屋を出て、アルメルと彼女の友人に出すための茶と
菓子を用意するのだ。令嬢であるはずの彼女はここではその地位とは程遠い。
掃除を任された彼女は優遇される立場ではない。男が多い場所だが清掃員は
女性が多い。彼女たちの経歴は様々。男たちに弄ばれて苦しんだ女性、家族から
捨てられた女性、裏切られた女性。彼女たちの中には男に騙され、苦しめられた
者も少なからずいる。だが彼女たちはサフィーロファミリーの構成員たちに好意を
抱いている。
「ヴィオラ、私も手伝うわ」
「ローズ」
ローズと呼ばれた女性はヴィオラの仕事の先輩だ。彼女が主に担当するのは
処刑場の清掃、レスター・ゾーラによる処刑後の掃除を担当している。清掃員も
アルメルの事を大切に思っている。顔を合わせる機会はあまり無い。
「その服は…」
「あぁ、これは…そうね。これから仕事なの。手伝うと言いつつ、ごめんなさい」
「いいえ。二人分ですので、大丈夫です」
二人は分かれる。
処刑場。ローズは肩に担いだモップを水の入ったバケツに入れる。水で濡らした
モップで血痕を擦って消し、綺麗にする。彼女はかつて恋人がいた。だが彼に
裏切られたのだ。彼はギャングスタ、犯罪をする小悪党だった。女から金を
奪い取る悪党に騙された。
「俺はサフィーロファミリーだぞ?逆らったら殺すからな!?」
ローズは泣いて、嫌々ながら付き従うしか無かった。もしも一歩間違えれば
彼女は二度と異性を直視できなかった。言葉を交わすなど、以ての外。彼の言葉は
嘘だった。サフィーロファミリーから制裁が下ったのだ。それこそ、ローズの
運命を変える天罰。組織内では肉叩きと呼ばれる刑罰だ。誘われて最前列で
彼女は自分を騙した憎き男が無様に這いつくばる姿を見た。レスターの
サンドバッグとなって、かつての下卑た笑みを作れなくなった男を見て
ローズは心の底から笑った。
「死んじゃえ、死ね、死ね!!もっと苦しんで死ね!苦しめ、苦しめ!!!!」
その呪詛はローズの本心だ。金網に縋りつき、呪詛を紡ぎながら笑う彼女を
金網の中から見ていたのがレスター。彼は元気を失った男を放置して、
金網に歩み寄る。人を殴った後だというのに笑顔を見せている。
「そんなに憎いんだ?なら俺がアンタがされたことをやり返してやるよ」
「本当に!?お願い、やって!アイツが、アイツが憎いの…!!!」
怒りの滲む表情を見て、レスターは優しく囁く。
「悪くないな。人の為に人を殴るのも、さ」
処刑後、ローズはずっと笑っていた。まさか自分が、その死体を踏みつけるなど
思ってもみなかった。
「やぁ、ローズ。いやぁ、今日も楽しかった!今回の奴は殴り甲斐があったんだ」
せっせと掃除をするローズに一方的に話しかけるレスター。血塗れの姿のまま、
彼女の後にくっ付いて、処した相手の感想を話し続けている。ローズはいちいち
反応をしないが、彼は満足しているらしい。
「早く体を洗ってきてください。折角掃除をしたのに、またやり直さなくては
いけないじゃない」
「そうだね。ごめんね。じゃあ、体を洗って来ようかな。アンタが話を
聞いてくれるから、俺も嬉しいんだ。他の奴はすぐに怖がるしね」
それに…と、彼は続ける。
「俺の後始末をしてくれる優しい人だからな」
「彼は苦手かな、ヴァイオレット」
紅茶を注ぐヴィオラに声を掛けたのはユリウス。生涯を共にすると決めた愛人。
ユリウス・ライスター。
「ここでは、ヴィオラです。ユリウス様」
「二人だけだし、良いじゃないか。それとも昔の名前は嫌いか?俺は好きだが」
ヴィオラの顔は水面に揺れる。
「貴方様が好きならば、私も好きです」
受動的な答えを出した。彼女の言葉を八方美人で、自分が正しいと勘違いする
人間はすぐ指摘する。ユリウスは違う。彼はヴィオラが自力で出した答えを尊重
する。
「それは良かった。女の子たちが集まってるし、暫く姫様たちの事は任せたよ」
「はい」
サフィーロファミリーの花々は、痛ましい戦いの痕を消し去る仕事をする。
花々の仕事は掃除だけでなく、その美しさで裏と表を完全に隔てる。
菫の花が注いだ紅茶は秘密を抱える少女たちの喉を潤す。
そこのけそこのけ姫が通る 花道優曇華 @snow1comer
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