第3話 心音はいつも先走る。

 綾音の部屋はいつもきれいだ。

 本は五十音順に並べられ、そして教科書などもしっかり立てかけてある。


 室温はちょうどよく、暑くもなければ寒くもない。

 脱いだジャケットはベッドの端に乗せて、足をパタパタさせて遊んでいた。


 綾音の服装は上下共に、青緑色のパステルカラーと、黄色の縁取りが入ったシンプルな部屋着を着ていて、下はショートパンツという、かなりラフな格好で健康的な足が姿を出していた。


「麦茶とポテチ持ってきた」


 綾音はトレーを両手に持ち、その上に麦茶の入ったピッチャーとコップ二つそして、赤を基調としたジャガイモのイラストが載ってるポテトチップスを持ってきていた。


「ありがと!」


 そのトレーをサイドテーブルにスライドさせて中心に持ってくる。

 私は、ピッチャーに入った麦茶をコップ二つに注ぐ。

 綾音はポテチを、パーティー開けをして取りやすいようにしてくれた。


「そういえば、心音は冬の課題終わった?」

 

 綾音が私の隣に座り、コップを持ち問いかける。

 ギクリ、とした。

 課題という単語を頭の奥底にしまい込んだはずだったのだけど、綾音によって掘り起こされてしまった。

 私は正直に話すことにして、ふるふると頭を振ったのち、答える。


「……まだやってない。忘れようとしてた」


「ダメだよ。しっかりやらないと同じ大学行けなくなっちゃうよ」


 まだ先の事だしそこまで考えていないのだけど綾音はそこまで考えてるんだ、と思った。

 私はすぐに怠けてしまうのだけど、綾音は先生のように、私をいつも導いてくれる。


「一緒にやらない? その方がお互いはかどると思う」


 これは綾音からの提案だった。

 その方が、私としてもやる気が出る。

 綾音と一緒に勉強出来るのだから、もちろん賛成だ。


「いいね! 私もそう言おうかと思ってた。ちなみに綾音はどのくらいまで進んだ?」

 

「多分、半分くらい終わってると思う」


「早っ」


「いや、心音が遅いの」


 物腰柔らかくて深みを感じる柔らかい声音だった。

 そして二人で笑いあって楽しい、至福の時間を過ごす。

 こんな時間が長く続けばいいのに。

 永遠に続けばいいのに。

 綾音がいれば、どこまででもずっと遠くへ行けそうな気がする。

 私はそう思いながら綾音の宝石のようなキラキラした瞳を見つめた。

 

「綾音、目を瞑って」


「なに? いきなりどうしたの」


「いいから、瞑って」


「……わかった」


 私は綾音にさらに近づく。

 高まる鼓動。心臓がドクンドクンと脈打っている。

 綾音の呼吸が感じられた。

 この不規則な呼吸はとても心地がいい。

 そして、部屋着からは甘い香りが鼻孔をくすぐった。

 私は目を瞑る。

 一呼吸おいて、唇を重ねた。

 綾音の唇は柔らかくそしてチョコレートのように甘い。

 ……この感覚、溺れてしまいそう。

 私は綾音の両肩を掴んだ。

 そして唇からちゅっという音が漏れ、重ねた唇を離す。

 身体が火照っていて、暖房のせいかと思ったのだけれど、設定温度は上がっていない。

 息は上がっていて少し照れてしまう。


「ちょっと、抜け駆け禁止」


「ごめん、気持ち抑えられなくなった」


 唇の味は甘くて、少しビターなチョコレートケーキのよう。

 この、甘美な感覚に虜になってしまった。

 この味を私は身体に刻もうと、もう一度、綾音の唇にキスをする。

 そしてお互いの手の指を交互に組む。

 抑えきれない気持ちの高ぶりに、恋人繋ぎをしてしまった。


 これは二人だけの秘密の関係。

 親も知らない、特別な関係。

 けれど、まだ正式に恋人関係ではない。

 告白していないから、言うならばまだ、親友だ。

 なんていけない関係なのだろうと思う。

 まだ恋人ではないのにキスなんて。


 息が出来なくなって、唇を離した。

 綾音の頬は、桃のようにピンク色に染まっていた。


「心音はいつも急だよね」


 綾音が言った。


「……今後は気を付けます」


 私はそう言って、麦茶を口に含んだ。

 冷たい液体が喉を通り落ちていく。

 麦茶は甘くはなかった。

 私はもう、綾音なしでは生きていけない。

 

 ――綾音が好きなんだ。


 今日、告白しよう。


 綾音を私のものにする、と心から誓った。

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