第4話 イかれた老人にご注意を

「三ヶ月前の話じゃ。ワシが商売の帰りに立ち寄った街の酒場で護衛達と軽く晩酌をしておった時、近くにいた酷く泥酔していた女が酒瓶を持ちながらこう叫んでおったのじゃ」


『私はインキュバスの子供を産んだんだぞ』と


「無論、周りにいた客はそんな女の与太話なんて誰も信じておらんかった。そいつは誰にでも股を開く淫乱な女だ。どうせどこの誰だか分からない奴の子供を授かっただけだ」と


「ワシも最初は周りの客と同じでイカれた女の与太話じゃと思っていたわい。じゃがのぉ、女の話を聞いておると何故か妙にワシの商人としての勘が騒ぎよるのじゃよ。ワシが商売で何より大切にしておる商人の勘が」


「じゃからのぉ、物は試しにその情報を買ってみたんじゃ。やつめ金に困っていたのか、ワイン一本でお主の情報を売ってくれおったわい」


「そこからワシは、女の情報を基に情報屋に金を握らせてお主の事を徹底的に調べさせたんじゃ。」


「大変じゃったぞい。何と言ったってあの女が主について知っている情報なんて微々たる物じゃったからのぉ」


「本当にか細い糸じゃった。じゃがの、三ヶ月かけて何とかその糸を手繰り寄せ、主がこの街を拠点に冒険者をしていることを突き止めたんじゃ。全く苦労したわい」


「だからこそじゃ、この街にいるという情報を聞き、抱えていた仕事を全部放り投げてこの街に飛んで来てお主を一目見た時、ワシは心底ガッカリしたわい。」


「わざわざ三ヶ月かけて、恋に焦がれる少女のような思いをして、ようやく見つける事ができた主が全くオーラもない何処にでもいるようなうだつが上がらないただのDランク冒険者だったのじゃからのぉ。ワシの商人としての勘もとうとう衰えおったかと思ったわい」


「じゃがの、それでも確かめずにはいられなかったんじゃ。主が混血種であるかどうかを、何よりワシの商人としての勘が衰えておらん事を」


そう言うと老人は懐から青くキラキラと輝く液体の入った小瓶を取り出した。


「お主、これがなんじゃかわかるかい?」


老人が目をキラキラさせ嬉しそうに俺にその小瓶を見せつけてくる。

恐らくよっぽど薬学に精通しているような人間じゃないと名前は愚か存在すら知らないような薬。


たが俺はそれがなんだか知っている。


「ほう。流石に知っているようじゃの」


あぁ、知っている。


あの薬の名は「アクノファクター」


今は亡き伝説の錬金術師が精製したこの世界で唯一混血種を識別することが可能な薬だ。

あの液体は元は無色透明だが混血種の血に反応して青く光り輝く性質を持つ。


「よかったわい、ワシの勘はまだ衰えておらんかったわい」


幸せそうな笑顔が老人の顔を包み込む。


「はは、よかったなぁ爺さん。」


俺はそんな老人に釣られて困った顔のまま愛想笑いを浮かべた・・・が目線はこのイカれた老人から一切外すことはなかった。


そう、イカれている。


この言葉でしか目の前にいる老人を言い表す事ができない。


確かにこの世界で俺が混血種である事実を知りうる可能性のある人間は一人しかいない。


この世界に俺を産み落としあろうことかワイン一本でその情報を売ったクソ女だけだ。


ただ老人の話を聞くまで、その女の戯言から混血種である事実に辿り着く人間がいる可能性を一切考慮に入れていなかった。


この状況を見れば軽率な考えなのだろう。


実際今は、街を出る時あのクソ女の口を封じておかなかった事を酷く後悔している。


だが当時流石にそこまでする必要がないと考えて街を出た俺の判断を誰も咎めることはできないだろつ。


なんといったて母親は街でも有名なイカれた女だった。


顔は整っていたが金さえもらえれば誰にでも抱かれるような売女だったし、酒癖も悪く酔っ払って酒場で浮浪者や冒険者達と乱交することも一度や二度じゃなかった。


そんな生活をしていたから、父親が誰か分からないような子供が両手の指じゃ数えられないぐらいいた。街の人にあいつの子供だけで騎士団が一つ出来るんじゃないかと噂されるほどにだ。


街の奴もその事を知っていたから、あの女の言う事をまともに信じる奴なんて一人もいなかった。


そして例え街に立ち寄った人間の中にあの女の話を鵜呑みにするような人間がいたとてだ。


俺は物心がつく頃には既に街の教会に預けられていてあの女と接点はほとんどないに等しい。

一応生活費として教会に金は送り金銭的な支援をしてくれてはいたようだが、あの女に愛情を注がれた記憶はおろか話しかけられた記憶すら残っていない。


家族の縁なんてものは、端から存在しない。

あるのは唯一、血の繋がりだけ。


だからこそあの女が俺について知っている情報何て微々たるものだ。


そんな情報からじゃ一般人じゃ俺のことを見つけることなんてまず不可能だろう。

権力を持った頭のおかしな人間が時間と膨大な金をかけて何とか見つかるかどうかのレベルだ。


街でも有名な逝かれた女の話を偶然とんでもない権力者の人間が信じて偶然と偶然を重ねて俺を見つける確率なんてそれこそ混血種の双子が産まれる確率よりも低いだろう。


そして例え実際にそんな偶然を重ねて俺を探し当てたとしてだ。


俺は五年間な何処にでもいるようなDランク冒険者として生きてきた。それこそどこにでもいるような村人Aみたいな奴として。


そんな人間見て貴重な薬を使う人間がいるはずがないだろうと。


値段は金貨一万枚。

世界に数本しか現存していない歴史的価値も高いその薬を・・・


「イカれてるよ、じいさん」


思わず心の声が漏れる。


「おいおい、何を言いなさるか。年寄りは敬うもんじゃぞ?」


「はぁ、尊敬ねぇ。俺の事を嵌めて奴隷落ちさせるような人間じゃなければなぁ」


俺は言葉と共に肩の力を抜きゆっくりとため息をついた。目の前の老人も壁に張り付くような緊張が解かれたからか安堵感が全身を巡り緊張感が緩んで行く。


俺はその隙を狙って目の前にあった机を蹴り飛ばした。蹴り飛ばした机は激しい一撃で吹っ飛び老人に老人に向かっていく。


老人の目にはもう机しか写っていないはずだ。

俺はその隙に老人に一気に近づく。


(悪いがお前には死んでもらうぜ)


目の前にいるのは俺を嵌めたとはいえ罪のない爺さんだ。だが俺はそんなこともお構いなく飛んで行った机ごと老人の顔面に拳を叩き込もうとした。

混じり気のない純度百パーセントの殺意を込めた拳を。


・・・・・・・・・がその拳が老人に届く事はなかった。

正確に言うと老人に拳を叩き込む前に俺は華奢な腕に掴まれて酒場の油ぎった床の上に組み伏せられてしまった。


「かっっっっ」


殴打の衝撃で胸が潰されて息が苦しく漏れ出る。

視界が一瞬にして霞み、何が起こったのかがわからなくなった。


「はぁ、お主は馬鹿なのか。仮にもDランク冒険者の主と会うのに護衛を連れてこんわけがないじゃろい」


冷徹な眼差しで俺を見つめてくる老人の瞳には一切の温もりはない。


俺はそんな視線を気にも留めず執拗にもがき続け何とか拘束をほどこうとした。


「諦めろ。彼女は引退したとはいえ元Sランク冒険者じゃ。Dランク冒険者のお主が逃げられるわけないじゃろい」


無駄なもがきを続けても体は全く動く気配を見せない。


「くそジジイ絶対に殺してやるかなら」


俺はもはや怒りに燃える瞳と共に老人に怨嗟の言葉を吐きす出ることしかできなかった。


「五月蝿いのぉ。おい黙らせろ」


「かしこまりました旦那様。スリープ」


女の魔法詠唱が俺の耳に届く。

俺はその瞬間まるで糸が切れたように、体がふらりと崩れ落ち、意識を失った。


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